第05話 情報収集
「スハラ大佐……? 聞いたことが無いわ」
黒いドレスを来た女性が、部屋の中を歩きながらつぶやいた。
「彼女、想像していたよりもずっと若くてかわいかったぜ。見た感じ、あれは二十歳もいってねぇな」
黒革のソファに寝そべり、金髪男――ウルフはニヤッと笑った。
「『透視』と『干渉』の異能者っぽいぜ、スハラちゃん。通信機で話した時、まるで俺のことを見ているようだった。おまけに、空気硬化で俺の逃げ道を塞ぎやがるし……」
「複合異能? 聞いたことはあるけど、本当にいるとは……。厄介な要注意人物だわ」
女性はどこからか煙草を取り出し、テーブルに置いてあったマッチに火を点けた。
「ボス。スハラちゃんよりも、グランドール基地司令官のほうが厄介かもだぜ?」
「……どういうこと?」
女性は紫煙を吐きながら椅子に座る。ウルフは「何つーか……」と頭を掻いた。
「挙げればキリがねぇんだけど……。今まで見た中でも、トップクラスの実力者だ。その司令官もまだまだ若かったけど、すっげー落ち着いてた。多分二十五、六歳かそれより少し若いくらい。奴も『透視』の異能者だと思う」
「……聞いた感じ、別に普通じゃない?」
「うーん……異能については、奴が『透視』を使うのを見なかったから何とも言えねぇけど」
今度は、ウルフが部屋の中を歩き回る。
「とにかく、奴は頭がキレるんだよ。こっちがやりたいことを、全部先回りしてやらせてくんねぇの」
「ねぇ、ウルフ」
煙草の灰を落しながら、女性はウルフに口を挟む。
「さっきから気になってたんだけど、グランドール基地司令官の名前は何なの?」
ぎくっとウルフは動きを止めた。
「う……あ……えっと……、」
「聞けなかったのね?」
「……ごめん。それも、先回りされて聞けなかった」
ウルフは肩を落しながらソファに戻って来る。
「どいつもこいつも、奴のこと、『大佐』か『司令官』としか呼ばねぇんだよ。名前を聞いても当然答えねぇし。呼び慣れてない感があったから、直前に指示されたんだと思う」
「……なかなかやるわね。まるで未来を『透視』しているみたい」
女性は足を組み直しながら息を吐いた。
「んで、奴はスハラちゃんとは違って、部下に指示を出すだけで全く手を出さねぇんだ。絶対、何か隠してるぜ」
「彼も、要注意人物に決定ね」
女性は灰皿に煙草を押し付けた。
「――さて、ウルフ。あなたもう行って良いわよ。二人の要注意人物の話は聞けたし、あなたには南と東にも行ってもらわないと」
「心配しなくても大丈夫だぜ、ボス。この後早速、最東端スメナドールに向かうつもり」
じゃ、と右手を振りながら、ウルフはドアノブに手を掛ける。ウルフがドアノブを回そうとしたちょうどその時、ドアの向こうからノック音が聞こえてきた。
「どうぞ」
女性が返事をするとドアが開き、ウルフとは別の男が入って来た。
「あら、ファルコンじゃない」
「久しぶりだな、フォックスにウルフ。元気だったか?」
女性――フォックスは思わず立ち上がった。
「まだ昼間じゃない、無理して来なくても良かったのに。下手に動いたら向こうにバレるわよ?」
「その辺は心配しなくても大丈夫だ。ちゃんと考えてある」
「ファルコン。何だ、その封筒」
男――ファルコンは、右手に古びた茶封筒を持っていた。
「あぁ、これか? ま、今から話すから聞いていろ」
そう言うと、ファルコンはテーブルにその封筒を置いた。
「早速調べてきた」
「何を?」
ファルコンは封筒から数枚の紙を取り出した。
「アシュクルム軍所属の異能者一覧名簿だ」
「!」
フォックスはファルコンからそれを受け取った。
「向かって左から、異能者の名前、性別、生年月日、階級、所属となっている」
「異能の種類は分からねぇのか?」
「あぁ。一応、異能のタイプによって区別されてはいるが、複合異能を使う奴や、分類がよく分からない異能を使う奴もいるからな。いざまとめるとなると、手間がかかるんだろうよ」
しばらくの間、三人は一覧名簿にかじりついていたが、フォックスが「あっ」と声を上げた。
「あったわ。ネイブドール基地司令官の名前、アスナ・スハラ」
「スハラちゃん? 何歳か分かる?」
「えっと……、二十歳ね」
「おっ、俺と近い! 良いなぁ、デートしたいなぁ」
ウルフのニヤけ顔を、フォックスとファルコンは黙々と無視する。
「ちょっ、無反応って」
「もう慣れたわ、あなたのその言動には。――あら?」
フォックスが名簿のある一点で視線を止めた。
「どうかしたか?」
「ねぇ、ファルコン。グランドールの司令官って……」
「あぁ、シグレ・トキトウ、二十六歳。階級は大佐だ」
「そうじゃなくて。その、まさか……」
フォックスの震えるような声に、ファルコンは名簿から顔を上げた。
「そのまさかだよ、フォックス。彼は、言わずと知れた『瞬風のプリンス』だ」
「――!」
ファルコンの口から発せられた言葉に、フォックスは思わず名簿を落としてしまった。
「『瞬風のプリンス』って、グランドールにいたの?!」
「みたいだな。異名が付いているくらい優秀なんだから、現大総統に引っこ抜かれて中央司令部辺りに配属されていると思ったんだが」
ファルコンの隣で名簿を眺めながら、ウルフは言った。
「どうしてそういう異名が付いたのかは知らねぇけど……『瞬風のプリンス』って、確かミンパオ反乱の頃に有名になったよな?」
「その通りだ。彼の異名の由来を知る者は、ミンパオ反乱でトキトウと共に反乱鎮圧にあたった者のみだと言われている」
「んじゃぁ、ファルコンの情報網でも分からねぇのか?」
「いや、どうかな。もうちょっと深入りしてみないと分からない」
ファルコンは手に持っていた名簿をフォックスに手渡すと、黒革のソファに体を沈める。
「ちなみに。スメナドール司令官とハミルドール司令官補佐も異能者だ。どちらも優秀みたいだぞ」
「――ちぇっ、ファルコンがそこまで調べてきたんなら、俺がわざわざスメナドールとハミルドールに行く必要無くねぇ?」
ウルフは読み終わった名簿をフォックスに手渡す。すると、フォックスは紅い唇をキュッと上げた。
「ウルフ的にはスッキリしないんでしょ? 良いわ。シークレットテイルの力を知らしめる良い機会だから行ってきなさい」
「良いのか? そんじゃ、心置きなく暴れてきますかっ」
ウルフは立ち上がって背伸びをすると、指を鳴らしながら部屋を出て行った。
フォックスは名簿を揃えてテーブルに置くと、ファルコンの右隣りに腰を下ろした。
「何だ?」
「――何でもないわ」
フォックスはファルコンの肩に頭を預けた。先程までとは違う柔らかい笑みを見せながら、ファルコンはフォックスの長い髪を指で梳く。
「俺達が集結して、どのくらいになる?」
「そうね……ミンパオ反乱より後だから、八、九年前かしら?」
「じゃぁ、俺達がこういう仲になってから、随分経つんだな。時が流れるのは早い」
「やだ、急にどうしたの? 年寄り臭いわね」
「悪いか? どうせ、俺はもう年寄りだ」
ファルコンが自嘲するように息を吐く。
「……やっと、始まるのね」
フォックスがぽつりと言う。
「そうだな」
「気をつけてね? 潜入先、やっぱり手強いでしょう?」
「心配してくれるのか」
「当たり前じゃないの」
頬を膨らませるフォックス。ファルコンは笑いながら、ソファから立ち上がる。
「大丈夫だ、心配するな。俺を信じろ」
ドアの前に立つファルコンを追うように、フォックスもソファから立ち上がった。
「もう行くの?」
「あぁ。初っ端から怪しまれるのはごめんだからな」
ファルコンが肩を竦めると、フォックスは素早い動きで彼とドアの間に入った。
「…………」
「……今から潜入するんだが」
「…………」
睨むようにファルコンを見つめるフォックス。ファルコンは再び肩を竦めると、一瞬だけ、己の唇を紅い唇に重ねた。
「じゃぁな」
小さな音をたてて閉まるドア。遠ざかるファルコンの足音が聞こえなくなるまで、フォックスはその音に耳を傾けていた。
* * *
ネイブドールに奇術者が現れてから、約一週間が経った。何かと慌ただしかったネイブドールにも、ようやく落ち着きが戻ってきていた。
窓からの陽射しがまぶしい応接室。アスナがノックをすると、聞き慣れた青年の返事が聞こえてきた。
「こんにちは、スハラ大佐」
ソファに座っていたその人物は立ち上がり、アスナに向かって敬礼した。髪は長めで、前髪が顔の左半分を覆っているのが印象的だ。
「こんにちは、リバス大尉。相変わらず元気そうで何よりです」
「スハラ大佐も元気そうだね。フィオナ少尉は?」
「少尉は今お茶を用意しているところです。すみません、もう少し待っててください」
青年とアスナは、テーブルを挟んで向かい合うように座った。
「いや、気を使わなくて大丈夫だよ。わざわざお茶まで出してくれるなんて、何だか申し訳ない」
そう言って青年は微笑むと、リバスはテーブルに手をついて軽く身を乗り出してきた。
「そんなことより。今夜、スハラ大佐は暇かな?」
「……はい?」
「いやぁ、会うのが一ヶ月振りだからさ。夜、一緒に散歩でもどうかなぁって思ってね」
「デートなら他の女性をお探しください、リバス大尉。ネイブドール基地にはかわいい女性が大勢いますから。私の部下――ツクヨミ中尉とか、マヤマ曹長とか。あぁ、マヤマ曹長は看護兵で可愛い子ですから、リバス大尉好みじゃないでしょうか?」
「ちぇっ、スハラ大佐は相変わらずつれないなぁ」
長い前髪をいじりながら、青年は口を尖らす。
「俺でもやっぱり、シグレには敵わないか」
「な、何を言って――」
アスナが顔を赤くしていると、フィオナがトレーを持って入って来た。
「イノ(・・)大尉、こんにちは」
「こんにちは、フィオナ(・・・・)少尉」
青年とアスナの前にティーカップを置くと、フィオナはトレーを脇に抱えて部屋を出た。
「相変わらずフィオナ少尉は美しいなぁ。百万本の薔薇も彼女には敵わない」
「またそんなことを言って……。私じゃなくて、本人におっしゃったらどうです?」
「いや、言いたいのは山々なんだけど……俺がそんなこと言ったら、彼女の美しさが失われる気がしてね」
「何ですか、それ……」
アスナは思わず肩を竦める。『流し目のイノ』と呼ばれる彼のことであるから、彼が言うことは分かる人にしか分からないのだ。
給湯室から戻ってきたフィオナがアスナの傍らに立つと、イノは「早速、」と言いながら包みを取り出した。
「今日はシグレに頼まれて、奇術関連の資料を返しに来た。シグレが『アスナ、ありがとう』だってさ」
イノから包みを受け取り、アスナは「ありがとうございます」と頭を下げた。
「いつもすみません。わざわざこちらに来ていただいて……」
「気にしないで。俺はいつも、半分は観光気分でネイブドールに来てるから。ネイブドールには美しい女性もたくさんいるしね」
「トキトウ大佐に、返すのは五大司令官会議の時で良いって伝えておいてくれませんか? 私も後で直接言いますけど」
「あはは、了解」
イノは笑いながら敬礼した。
『流し目のイノ』こと、イノセンシオ・リバス。『イノ』は、前髪同様、長い名前から出来た彼の愛称だ。彼に付いている異名から分かる通り、イノは軟派な男で有名だ。
「あっ、そうそう」
イノは荷物から別の包みを取り出す。
「これも渡さなきゃいけないんだった」
アスナに差し出されたのは、ロウを使って封をされた薄い封筒だった。
「これは何ですか?」
「さぁ? 俺も知らされてない。きっとそこには、親友にも話せないような愛のメッセージが入っているんだよ」
「大尉、ここで冗談はやめてください。この厳重な糊付け……超重要な封書じゃないですか」
アスナは軽くイノを睨むと、フィオナに書斎からハサミを持って来るように指示した。
「大佐。書斎まで行かなくても大丈夫です。ハサミだったら、その飾り棚の右から二番目、下から三番目の棚に入ってます」
「えっ、その棚に?」
フィオナは頷くと飾り棚に歩み寄り、ハサミを取り出すとアスナに手渡した。
「本当だ。よく知ってるわね」
「年末大掃除で、整理しましたから」
「年末って、今から十ヶ月も前だろ? すごい記憶力だな」
「いえ、大したことでは……、大佐?」
封書を開けたアスナの動きが止まり、フィオナは思わず声を掛けた。
「これ……例の奇術者の件についてだわ」
アスナはテーブルに書類を広げた。
「――あぁ、その話か。その話なら俺も聞いた」
イノはソファから身を乗り出すようにして書類を眺める。フィオナも、アスナの隣に座って書類の文字を追う。
「結局、スメナドールとハミルドールにも出たんですね」
「そのことについては何日か前にトキトウ大佐から知らされていたんだけど……まさか、資料まで送ってくれるとは」
アスナは一枚の書類を手に取る。
「スメナドールにもハミルドールにも、やっぱり金髪変態痩せ男が出たみたいね」
「変態って、その呼び方……。スハラ大佐、そいつに何か嫌なことされた?」
「ま、まぁ、ちょっと色々ありまして」
あはは、と苦笑すると、アスナは再び真顔になった。
「男が使う奇術は『身体蘇生』。出現場所は、必ず市街地だったみたいね」
「より多くの人に脅威を与えたかったのかな」
「人は人でも、軍の人間にでしょう」
イノの言葉に反応したのはフィオナだった。
「最近の奇術者の攻撃対象は、一般民衆じゃなくて軍の異能者です。市街地には一般民衆が大勢いますから、危害が及ばないように多くの兵が送り込まれることを知っているのでしょう」
「そうね、私もフレータ少尉と同意見。――ここで、注目すべき事が一つ」
アスナが人差し指を立てた。
「リバス大尉。金髪男がネイブドールとグランドールに現れた時、彼は司令官の名前を知りたがっていた……というのは聞いていますか?」
「うん。シグレに聞いた」
「……でも、スメナドールとハミルドールに現れた時、それが無かったみたいです。聞かないどころか――」
アスナは書類から顔を上げた。
「異能者を持つ幹部――サイオンジ中将とベイ大尉の名前を、彼は既に知っていたみたいです」
「えっ」
イノとフィオナは同時に声を上げた。
「スハラ大佐とシグレの名前は知らなかったけど、サイオンジ中将とベイ大尉の名前は知っていた、ってことか? そんな中途半端な情報収集、あるか?」
「グランドールに現れた日からスメナドールに現れた日までの間に情報を仕入れた、と考えると自然です。まぁ、どこから仕入れたのかは分かりませんけど……」
三人はしばらく黙り込んでいたが、アスナがソファから立ち上がった。
「この件については、また考えることにしましょう。私も、もう一度資料を読み込んでみます。――ところで、リバス大尉。今日はこれでグランドールにお帰りになりますか?」
「もちろん、帰る訳が無いじゃないか」
アスナの言葉に、イノは目を輝かせて答えた。
「もし良かったら、基地の客間に泊まっていきませんか? 一応、すぐに使えるように準備してありますが……」
「良いのかい? ありがとう、スハラ大佐」
「じゃぁ、今すぐお部屋に案内しますね」
アスナがそう言うと、フィオナも立ち上がってイノの旅行鞄を持った。
「フィオナ少尉、気を遣わなくていいよ」
「いえ、イノ大尉こそお気遣いなく。当たり前のことをしているだけです」
三人は応接室を出て、イノが泊まる客間へ向かう。
「俺、女性に荷物を持たせるのは嫌なんだけどな……」
「大丈夫です」
「結構重いでしょ? 俺は枕が変わると寝られない質だからさ、その中には色々入っているんだよ」
「重くないです、本当に。いや、良いですってば」
二人のやり取りを背中で聞きながら、アスナは口に手を当ててこっそり笑った。
イノを客間に案内し、基地の門限は十時であることを五回ほど教えると、アスナとフィオナはイノと別れて応接室へ戻ってきた。
「フレータ少尉。前から気になってたんだけど……」
「何ですか?」
ティーカップを片す手を止め、フィオナはアスナの方を見た。
「フレータ少尉はリバス大尉のことを『イノ大尉』、リバス大尉はフレータ少尉のことを『フィオナ少尉』って呼ぶよね。どうして、お互いファーストネームで呼び合うの?」
アスナの疑問はもっともだ。フィオナは公私をきっちりと分けるため、例え幼なじみであっても、職務中にファーストネームで呼び合うことは絶対に無いのだ。
フィオナは少し考える素振りを見せ、引き締めていた表情を少し緩めた。
「親近感が強いからです。私もイノ大尉も、同じマウリバーノ国出身ですから」