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第04話 若年大佐の悩み

すいません…サブタイトルは仮です。



「まったく、昨日のは何だったのよ……。お陰様で、仕事が全然進んでないじゃない!」

「そう思うのなら、ストレッチなんかしてないでさっさと手を動かしてください」

「う、うるさいわね。そういうフレータ少尉こそ、欠伸ばかりしてないでよ」

「欠伸くらい許してください。昨日、大佐の手伝いを夜遅くまでやったせいで寝不足なんです」

「フレータ少尉は寝たから良いじゃない。私なんか、一睡もしてないんだからね?」

「スハラ大佐、フレータ少尉。お静かに願います」

「…………」

 結局昨日は、奇術者が出没した件の処理に追われて一日が終わってしまったネイブドール地方基地。そのせいで、本来ならば昨日のうちに中央司令部へ送る予定だった書類が、送れないどころか仕上がらなかった。仕方ないことではあるが、何としてでも今日の午後には送りたいと、アスナは部下を動員して急ピッチでペンを走らせているのだ。

「マヤマ曹長、執務室からいつもの封筒をあるだけ持って来てくれる?」

 フィオナが指示をすると、アスナ達よりも若い、看護兵の腕章を付けた女性が返事をしながら立ち上がった。

 マヤマが出ていくと、もう一人の女性軍人がアスナの元へやって来た。

「スハラ大佐。こっちの書類は、大佐のサインで完成です」

「ありがとうございます、ツクヨミ中尉。じゃぁ、次はこの書類をお願いします」

「了解」

 ツクヨミと呼ばれた彼女は、アスナに手渡された数枚の書類を交互に見ながら椅子に座る。

「ミキ中尉。その書類は仕上がった?」

「いや、まだだ」

 ツクヨミの隣に座っていた青年が顔を上げる。

「あら、そう。じゃぁ、それが終わったらこの書類もよろしくね」

「はぁ? 何で俺がやらなきゃいけないんだよ」

「良いじゃない、分業制のほうが効率が良いんだから」

「いや、分業じゃなくて押し付けだろ、それ」

「ツクヨミ中尉〜、ミキ中尉をあまり虐めちゃダメっすよ〜」

 ミキの正面に座っていた少年も顔を上げる。

「ミキ中尉は自分がSだと思ってるんで、虐められるとイライラしちゃうんスよ。イライラの矛先が俺に向くと厄介で……」

「クロダ、お前なぁ」

「大丈夫よ、クロダ准尉。一応、私とミキ中尉は同期だから、お互いの長所短所はよく知ってるわ」

「そうっスよねぇ。お二方、同時に士官学校へ入学して、同時に卒業しましたもんね」

「長所? 俺はツクヨミ中尉の短所しか知らないけどな」

「やだぁ、嘘ばっかり! ミキ中尉、あなたとは士官学校時代から仲良くしているじゃない」

「三人とも、もう少し静かにし」

「スハラ大佐に言われたくありません」

 異口同音に答える三人の部下。アスナは口をへの字に曲げて黙り込んだ。

「フレータ少尉、封筒持ってきましたっ」

 茶封筒を両腕で抱えたマヤマが慌ただしく入って来た。

「ありがとう、曹長。じゃ、そこに中央司令部の宛先を書いてくれる? クロダ准尉も手伝ってくれるかしら?」

「了解。あ、俺、手がインクだらけなんで一旦手を洗ってきます」

 その時、開けっ放したその扉からある人物が顔を出してきた。書斎を出ようとしていたクロダが、その人物に向かって敬礼する。

「ミネハマ中佐、おはようございます」

「おはよう、クロダ准尉。スハラ大佐はいるかな?」

「げっ……ミネハマ中佐」

 入って来た彼女の顔を見るなり、アスナは思わず顔をしかめた(その隣のフィオナは全く動じていない)。

 サツキ・ミネハマ。アスナよりも二歳年上で、優秀な『狙撃』の異能者。階級は中佐で、アスナよりも一つ下の階級になる。先日のマルチェリナ軍との戦いでは、第二中隊隊長として第一防衛線を指揮していた。

「あ、いるじゃん」

 サツキは書斎に入り、アスナの前に立った。

「ちょっと話があるんだけど……良いかな?」

「今は執務中です。後じゃ駄目ですか?」

「駄目」

「…………」

 アスナは、ペンを止めると肩を竦めた。

「分かりました。隣のミーティングルームに行きましょう」


 普段は、作戦会議や幹部会議で使っているミーティングルーム。壁にはネイブドールの地図、ネイブドールと接するマルチェリナ第五地区の地図、アシュクルム全域の地図等が貼ってある。

「……で、何ですか? 忙しいので手短にお願いします」

 アスナは窓際の椅子に腰掛けると、立ったままのサツキを見上げた。

「あら。随分と偉そうな態度を取るんだね、スハラ大佐」

「私はただ、椅子に座っているだけすが」

「座っていれば、身長差を意識しなくて良いもんね。自分より下位の人間を見上げるのは嫌でしょ?」

 サツキはその顔に笑みを浮かべ、アスナを見下ろす。早速これか、とアスナは心の中でため息をつく。

「別に嫌ではありません。それに私は、軍階級が上とか下とか意識していませんから」

「そう? でも、身長のことを気にしているのは事実なんじゃな」

「ミネハマ中佐。早く用件を」

 アスナが口を開くよりも先に、サツキの台詞をフィオナが冷たく遮った。

「はいはい。――じゃ、単刀直入に言うけど」

 サツキはフィオナの緑色の目から視線を逸らし、腰に手を当てた。

「昨日の奇術者との戦闘。どうして、私は動員されなかったの?」

 アスナは表情を変えずに首を傾げる。

「第一中隊で足りたからですけど……何か?」

「何か? じゃないよ」

 サツキは足音を荒くしながらアスナに詰め寄る。

「私は特殊戦闘員でしょ? 第二中隊の出動が必要無かったのなら、特殊戦闘中隊に参加させてくれれば良かったじゃない」

「特殊戦闘中隊のことは、全てハガワ大佐に任せています。その類の文句はハガワ大佐に言ってください」

「嫌な言い方だね。文句じゃなくて要求だよ」

 苛立たしげに言葉を吐くサツキ。それに負けじと、アスナも目一杯の悪態をつく。

「それに何ですか、『戦闘に参加させてくれ』とは。中佐は、そんなに血を見るのがお好きでしたか? たとえ中佐に実力があるとしても、『殺し合いに参加したい』と進み出る方には出撃してもらいたくないですね」

「…………」

 アスナは椅子から立ち上がった。

「話は以上ですか?」

「あと一つ」

 サツキは人差し指を立てた。

「スハラ大佐。あなた、戦闘時くらいは現場で指揮したほうが良いんじゃない?」

 アスナはゆっくりと椅子に座り直した。

「何故?」

「何故って……。司令部でわざわざ『透視』を使って現場を見続けるって、結構体力いるでしょ?」

「まぁ、確かに。でも、司令部にいたほうが効率が良いんです。通信係との連携も、各部隊との情報交換も楽なので。これ、前にも言いましたよね?」

 アスナが腕組みすると、サツキは人差し指を向けた。

「どうせ、あれでしょ? 『透視』は『狙撃』とは違って、戦場における有効性は低いから――」

 サツキは口の端を上げた。

「正直、戦場に行って命を落とすのが怖いんじゃない?」

「っ、何を」

「スハラ大佐」

 サツキに掴み掛かろうと立ち上がったアスナの軍服を、フィオナが強く引っ張る。

「――ご存知かと思いますが、」

 フィオナはアスナの肩に手を置き、感情を消した緑色の目をサツキに向ける。

「スハラ大佐は『干渉』の異能者でもあります。『干渉』と『透視』が組み合わさると、おそらく、『狙撃』を上回る性能を発揮するでしょう。ミネハマ中佐のことです、それくらいご理解いただけますよね?」

「……『透視』と『干渉』を同時に使う奴なんか、今まで見たことがないけど」

「目の前にいるじゃないですか。あと少し訓練すれば、スハラ大佐は実戦で複合型異能を使えるようになるでしょう」

「私をあまり馬鹿にしないでいただけますか、ミネハマ中佐」

 アスナは椅子に深く座り、サツキを見上げるようにして強く睨む。

「私だって、士官学校最終成績だけでこの地位に就いた訳じゃないんです。昇進したいという気持ちがあった訳でもないし、軍の誰かにお近づきになりたかった訳でもない。何なら、この司令官の肩書きをそこら辺の誰かに預けたって構いません」

 でも、とアスナは立ち上がった。

「私は、この手でネイブドールを守りたいんです。私を司令官の椅子に縛り付けるものは、士官学校時代から変わらないその意志のみです。ミネハマ中佐は、私に勝る強い意志はお持ちですか?」

「…………」

 アスナの強い眼光に気圧され、サツキは数歩後ずさりした。

「無いでしょうね。『殺し合いに参加したい』と進み出る方には」

「失礼した」

 サツキは「偉そうに……」と舌打ちしながらミーティングルームを退出した。

 しばらく、アスナは目をつむって壁に寄り掛かっていた。その間、フィオナは何も言わず、強風が駆け回る窓の外を眺めていた。

 アスナはゆっくりと目を開け、壁から体を離す。

「大丈夫ですか、スハラ大佐」

 それに気付いたフィオナは、視線を外に向けたまま声を掛けた。

「えぇ。ありがとう、フレータ少尉」

 アスナはため息をついた。

(リーダーシップがあるし、異能者としても優秀なのに……どうして、私と張り合わなきゃ気が済まないんだろう)

 サツキが何かとアスナを敵視し妬むのは、アスナがネイブドール基地司令官に就任した時からずっと変わらない。年下且つ後輩であるはずのアスナが上官で、しかも地方基地のトップに君臨する……。悔しかったり妬ましかったりするのは、当然といえば当然の話だ。

「――まっ、これくらいでへこむような私じゃないからね!」

 よしっ、とアスナは背伸びをした。

「フレータ少尉、書斎に戻ろう。早く書類を書かなくちゃ」


* * *


 少し時が経って、昼下がりの司令官書斎。

「――はぁぁ?」

 素っ頓狂な声を上げたアスナは、書類を封筒に入れる手を止めた。アスナの声に、同じく作業を進めていた部下達も動きを止める。

「どういうことよ、それ」

「だーかーらー。ミネハマ中佐が、この間の作戦に参加させてもらえなかったことに文句言ってんの」

 そう答えるのは、特殊戦闘員訓練を終えたばかりのケイ・ムラサキ。この時間、彼にとっては職務時間外のため、大佐のアスナに対して、軍人ではなく幼なじみとしてタメ口を使っている。

「いや、ケイが言ってることの意味は分かるけど……」

「あ、そう? ――ミネハマ中佐は、第二中隊隊長でありながら特殊戦闘員でもあるからね。所属している以上、どっちにも参加したいんだよ」

「後輩にまで愚痴るとは……まったく、あの人は」

 フィオナに封筒を渡し、アスナは机に頬杖をついた。

「その言い方……本人にも言われたってこと?」

「そうよ。午前中、わざわざ私のもとにいらっしゃったわ」

 先程のことを思い出し、アスナは大袈裟にため息をついた。

 封筒を抱えたツクヨミ、マヤマがフィオナを先頭に書斎を出ると、ケイは右手を挙手した。

「で、僕から提案なんだけど」

「……何?」

 アスナは頬杖をついたままケイを見上げる。自信ありげな表情を見せると、ケイは机の端をバシッと叩いた。

「いっそのこと、ミネハマ中佐をどっちかの所属にしちゃえば良いんじゃない?」

「…………」

「……な、何? ダメ?」

「じゃ、逆に聞くけど。そうやったところで、何のメリットがあると思う? まさか、思い付きで言ったんじゃないよね?」

「も、もちろん。一応根拠はある」

 アスナに睨まれながら、ケイはぐっと親指を立てる。

「一つは、ミネハマ中佐の体力的な負担の軽減。第二中隊と特殊戦闘中隊、どちらかの訓練に参加すれば良くなるでしょ?」

「確かに、ミネハマ中佐は一般軍人の訓練にも参加されているな。疲れはほとんど見せないけど」

 書斎に一人取り残されていたミキがケイの意見に口を挟む。

 アスナも小さく頷くと、ケイは言葉を続ける。

「もう一つは、アスナの『無駄な戦闘はしない』により近付くってことかな。ミネハマ中佐が、第二中隊を指揮しながら特殊戦闘員として戦う……。これって、無駄な体力消耗だよね? まぁ、最近は第二中隊を指揮してばかりいるけど」

「……なるほどね」

 アスナは口の端を少し上げ、椅子の背に寄り掛かった。

「ケイにしてはよく考えたじゃない?」

「でしょ?」

 嬉しそうな笑顔を見せるケイ。

「――じゃぁ、それに対する私の意見」

 椅子から立ち上がると、アスナは腕組みをした。

「私は、ケイの意見には反対。大反対ね」

「え?」

「まずは、ケイが言った体力消耗のこと。正直、心配する必要は無いかなって」

 何故と言いたげなケイを制し、アスナはため息をつく。

「先週、ミネハマ中佐が私に言ったのよ。『特殊戦闘中隊の訓練時間を増やせ』って」

「……ひぃぃ。信じらんない」

 特殊戦闘中隊の訓練の厳しさを知るケイは、思わず悲鳴を上げた。

「その話、私は拒否したんだけどね。その類の文句はハガワ大佐に言えって話だし。無駄な訓練量こそ、無駄な体力消耗に繋がるから」

 アスナは肩を竦める。

「でも、まぁ、ミネハマ中佐の気持ちも分からんでも無いのよ。訓練が少し増えたくらいで付いて来れないようだと、いざという時が心配だしさ」

「……なるほど。実戦以上の厳しさが必要ってわけか」

 ケイは素直に頷く。

「ま、そういうこと。ただ他の基地と違って、ネイブドールはしょっちゅうマルチェリナと喧嘩してるから、わざわざ増やす必要は無いってだけ。ネイブドールがもうちょっと静かになったら増やそうって思ってるけど」

「……ネイブドールが静かになる前に、スハラ大佐が中央軍にご栄転なさることを切望いたします」

「失礼なことを言うのね、この万年伍長」

 アスナはケイを睨む。

「これじゃぁ、私が栄転する前にケイが昇格するのは難しいわね」

「……ごめんなさい」

「分かればよろしい」

 ふん、と息を吐くアスナ。そこへ、フィオナが外から戻ってきた。

「スハラ大佐。書類を中央司令部に送りました」

「ありがとう、少尉。ツクヨミ中尉達は?」

「あぁ、これから皆で執務室を片付けるって言ってました。ミキ中尉、行かないんですか?」

「行かないとツクヨミに説教されるから、行ってくる」

 何で置いていくんだよ、と文句を垂らしながら出ていくミキを見送り、フィオナは「あら」と首を傾げる。

「まだいたの? 万年伍長」

「悪いかよ」

 フィオナの台詞に口を尖らせるケイ。アスナは手を口に当て、必死に笑いを噛み殺す。

「――そんなことより。アスナ、まだ考えがあるんじゃない?」

「えぇ、あるわ」

 アスナは再び腕組みをした。

「スハラ大佐、何の話をしているんですか?」

「ミネハマ中佐の、第二中隊と特殊戦闘中隊への二重所属についてよ」

「さっきの話からそこまで発展したんですか」

 フィオナは「面白そう」と言いながらアスナの隣に来る。

「……で、続きだけど」

 アスナはケイと向かい合った。

「仮に、の話。ミネハマ中佐の所属をどちらかの隊へ絞るとしたら、私は彼女を特殊戦闘中隊に残す」

「へっ、第二中隊じゃなく?」

 予想と違ったのか、ケイは間抜けな声を出した。

「そう。ミネハマ中佐の異能者としての能力が高いからね。どこかの誰かさんと違って、銃を握っても理性を失うことは無いし」

「…………」

 『誰かさん』が誰を指すのか分かったケイは、顔を赤くしながら目を逸らした。

「……で、そこで問題になってくるのは、新しい第二中隊隊長を誰にするか、ってこと。ケイ、あなただったら誰が良いと思う?」

「僕だったら……?」

 アスナに尋ねられ、ケイは三人の名前を上げた。

「……駄目ね、三人とも」

「えぇ〜、嘘ぉ!」

 情けない大声を上げるケイを一瞥すると、アスナは

「フィオナはどう思う?」

と話を振った。

 フィオナは目をつむって考えていたが、首を横に振りながら目を開けて、一言。

「分かりません」

「分からないのかよ! ――って、あれ?」

 フィオナの短い台詞にずっこけたのはケイだけで、アスナはフィオナの答えに何度も頷いていた。

「フィオナが一番近いわね。答えは、『該当者はいない』」

「……いない?」

 アスナは大きく頷くと、陽の光が差し込む窓から外を見下ろす。

「ミネハマ中佐は、自分の異能を誰よりも一番理解してる。自分がどれくらい強い力を持っていて、どのように使えば一番効果的か、っていうところまで理解してるの」

 何より、とアスナは言う。

「自分の異能に対して、揺るがない確かな自信を持ってる。強すぎる自信は、時に自爆装置になりかねない。でも、その自信があるからこそ、広い戦場でも第二中隊という大きな集団を指揮することが出来る。――そういう意味では、私もまだまだってところね」

 アスナは自嘲気味に笑うと、窓に背を向け、ケイの方を見た。

「そんなわけで。ミネハマ中佐には、今まで通り、第二中隊隊長と特殊戦闘中隊構成員の両方を担ってもらうから」

 アスナの目つきが、一瞬柔らかくなった。

「『狙撃』の先輩のこと、しっかり支えなさいよ? ムラサキ伍長」

「……了解」

 ケイは苦笑しながら敬礼した。


* * *


「はぁー……」

 それから一日後――奇術者出没から二日後の夜。アスナは一人、司令官書斎の隣にある書庫にいた。

「読んでない文献、まだこんなにあるんだ。すぐには読み切れないなぁ……」

 そうつぶやきくアスナが立っているのは、奇術に関する文献が並ぶ本棚の前。横幅約三十メートルという巨大な本棚全部が、奇術の文献で埋めつくされている。

 はしごを使いながら三、四冊ほどの分厚い本を選び出すと、アスナはそれらを抱えて書斎へ戻った(司令官書斎と書庫は扉一枚で繋がっている)。

 先日の奇術者出没の件でどうしても気になることがあったアスナは、ここ数日、暇があれば書斎と書庫を往復し、書斎に一人篭ってひたすら本のページをめくっていた。

 一昨日と昨日はフィオナも手伝ってくれたが、ずっと欠伸ばかりしている彼女を見たアスナは、今夜も手伝おうとするフィオナを無理矢理自室に押し込んだ。フィオナに倒れられては困るのはアスナだけではないのだ。



 気が付けば、時計は既に十時を指していた。夕食を食べ終わったのは七時前だったため、約三時間、書斎と書庫に篭っていたことになる。

「気分転換に、シャワー浴びてこようかな……」

 万年筆を置くと、アスナは椅子に座ったまま背伸びした。

 立ち上がろうとしたちょうどその時、書斎の電話のベルが鳴った。

「はい。ネイブドール基地司令官書斎」

「こちら、グランドール基地司令官書斎。――その声はスハラ大佐かな?」

「ト、トキトウ大佐!」

 聞こえてきた声に驚いたアスナは、勢いよく立ち上がり、その拍子に椅子を後ろへひっくり返した。

「大丈夫? 今、すごい音したけど……」

「すみません、椅子が倒れただけです」

「スハラ大佐に怪我は無いかい?」

「は、はい、大丈夫です。騒がしくてすみません」

 電話越しに頭を下げるアスナ。それを察したのか、「あはは、そんなに謝らなくても良いよ」という明るい声が聞こえてくる。

「で、どうされました? 夜遅くに電話なんて珍しいですね」

「うん。ちょっと聞きたいことがあってね」

 シグレは少し声のトーンを下げる。

「最近、そっちに奇術者が出没しなかったか?」

「えっと……、一昨日の午後、市街地に二人出ました」

「二人?!」

 シグレにしては珍しく、素っ頓狂な声を上げた。

「はい。一人は大したこと無かったんですが、もう一人が厄介で……逃がしてしまいました」

 アスナは金髪男の顔を思い出し、無意識に空いている手を握りこぶしにする。

「――相当悔しかったんだねぇ」

 声のトーンで分かったのか、シグレは苦笑気味に言った。

「悔しいなんてもんじゃないですよ! チビとか言われるし……」

 アスナのこぶしが机を強く揺らし、陶器製のペン立てが音をたてる。その音が聞こえたのか、シグレは「スハラ大佐、落ち着いて」とたしなめた。

「まぁ、その話はまた聞くとして。――その奇術者が出現したのは一昨日、って言ったよね?」

「はい。金髪のヒョロ男でした」

「金髪? ――じゃぁ、やっぱり同一人物かな……」

 アスナの返事を聞いて、シグレは受話器の向こうで黙りこくった。

「あの……同一人物って、どういうことですか?」

「いや、今日の午前中、グランドールに奇術者が現れたんだけど……」

 シグレは一旦言葉を切った。

「その奇術者、痩せ型の金髪男だったんだ」

「え」

 倒れた椅子を戻そうとしていたアスナは、思わずその手を放してしまった。

「おいおい、今度は何の音?」

「すみません、また椅子を倒しました……」

「おっちょこちょいだなぁ。大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 アスナは椅子を起こすと、ため息をつきながらそこに腰掛けた。

「――大佐。その男、『身体蘇生』の奇術者じゃありませんでしたか?」

「そうそう」

「しかも、司令官に会いたいみたいなこと言ってませんでした?」

「言ってたよ。『司令官の声、美男子な匂いがするねぇ。俺の好みかも♪ ちょっと顔見たいからさ、市街地に来てくんね?』って言われた……」

 シグレの声が次第にトーンダウンし、二人の間に沈黙が流れる。

「……えっと……」

 アスナは言いづらそうに沈黙を破った。

「大佐、声の真似は見事ですけど……それ、本当に言われたんですか?」

「言われたんだよ、男に、好みって!」

 その時のことを思い出したのか、シグレは通話口から離れた所で「男に言われても嬉しくない」とつぶやいた。

「まぁ、実際、トキトウ大佐はイケメンだから仕方が無いですね」

「…………」

「……大佐? 生きてますか?」

「お、おう、大丈夫だよ」

 シグレの裏返った声に思わず吹き出しながら、アスナは話を元に戻す。

「とにかく。ネイブドールに出現した奇術者と、グランドールに出現した奇術者は同一人物と断定して良さそうですね?」

「そうだね」

 受話器から聞こえる声で、シグレが頷いているのが分かった。

「その金髪男は捕まりましたか?」

「残念ながら、こっちも逃がした。他の地域にも出現する可能性があるから、夕方、スメナドールのサイオンジ中将と、ハミルドールのカザン少将に連絡を入れておいたよ。あの二人は就寝時刻が早いから、スハラ大佐よりも先に連絡しておいた」

 シグレの声の裏で、紙をペラペラとめくる音が聞こえる。おそらく、サイオンジとカザンに連絡を入れた時のメモを見ているのだろう。

「……あの『身体蘇生』とやらは厄介だな。あんなの不死身みたいなものじゃないか」

「でも、蘇生には時間と労力が掛かっているように見えました。おそらく、奇術発動の暇を与えずに攻撃を続ければ、戦闘不能になるかと……」

 アスナは、奇術者と対峙した時の様子を話した。

「なるほどね。スハラ大佐の言いたい事は分かった。でも、連続的に射撃したんだったら、市街地は血まみれになっていたんじゃない? 大佐の話を聞く限り、そうは感じられなかったけど」

「そういえば……」

 アスナは、一昨日の市街地の様子を脳裏に思い浮かべる。血が飛んでいたのは噴水の周りのみだった。

「……そんなに血痕は残ってなかったです」

「でしょ? つまり、その金髪男は撃たれながらも奇術を発動させていた、ってことだよ」

「でも、それらしき発光は無かったですよ?」

 アスナは、自分が発砲を指示した時のことを思い出す。確かに、金髪男を目で追っていたはずだが、奇術を発動させているようには見えなかった。

「多分、無かったように見えただけじゃないかな。発光の仕方にも色々あって、一番小規模の微発光ってやつは、人肌が陽の光に照らされるくらいの強さしか無いらしい。スハラ大佐達が見たのは、その微発光ってやつかもしれないな」

「なるほど……。それなら理屈が合いますね」

 さすがはシグレだ。奇術についてよく調べ、よく理解している。

(……もしかしたら、)

 アスナは机上の本とメモを眺めながら思った。

(トキトウ大佐なら分かるかもしれない)

 アスナは引き出しから一枚のメモを取り出した。

「ところでトキトウ大佐。良い機会なので聞きたいことがあるんですが」

「何?」

「今、奇術について色々調べているんですけど……。奇術のレベルと発光色って、何か関係があったりしますか?」

 シグレは「うん、」と答えた。

「光の色は、その温度と関係があるんだ。低温から高温になるにつれて、赤、オレンジ、黄色、白、青……って変化するんだよ。で、奇術が高度なものになってくると、発光も強いものになってくる。つまり、奇術のレベルが上がると光の色も変わる、って訳」

「へぇ〜……あ、待ってください。今の、緑色は入ってないですよね?」

 アスナは手元のメモを指で追いながらシグレに聞いた。

「入ってないね。それがどうかした?」

「私が調べた文献に、『不老不死』の奇術のことが載ってたんですけど……」

「『不老不死』? 初めて聞いたな……」

 手元に本が置いてあるらしく、受話器の向こうからから紙をめくる音が聞こえてきた。

「……まぁ、いいや。それで?」

「はい。そこに、『不老不死』が発動する時は緑色の光が生ずる、って記されているんです」

「緑色の光?」

 受話器の向こうで唸るシグレ。アスナはその間、シグレが言葉を発するまでじっとしていた。

「――確かに、自然界には燃やすと緑色の光を出す物質はある。でも、予想外だな。青から赤への光色変化の法則に沿わない奇術があるとは思わなかった」

 シグレは低い声で言った。

「――自然法則の逆鱗に触れる前に、調べておかなきゃね」


 その後も、奇術について情報交換をしていた二人だったが、アスナはふと疑問を口にした。

「それにしても……どうしてネイブドールに奇術者が現れたって分かったんですか?」

「あぁ、金髪男に言われたんだ。『あんた、やっぱり美男子だったね。西の司令官さんも美人だったぜ〜』ってね」

「…………」

 金髪男の台詞だとは分かっているものの、シグレに『美人だ』と言われたアスナは顔を赤くした。

「スハラ大佐ー、大丈夫ー?」

「へっ……、あ、はい、大丈夫です」

 乾いた笑い声を上げるアスナ。

「何か変だよ、今日のスハラ大佐。テンションがいつもの半分しかない」

「そんなこと無いですよ」

「嘘だね。顔を見なくても声で分かる」

 明るいシグレの声が不意に重たくなった。

「アスナ。何があった?」

「…………」

 急に名前で呼ばれ、それだけで心臓が止まりそうになる。アスナは受話器から口を外し、深呼吸した。

「……やっぱり言えないかな」

「いえ、そういう訳では……。大佐、もしかして分かってるんじゃないですか?」

「まぁね。ある程度は予測ついてるよ」

 くすっと笑うシグレ。

「サツキ・ミネハマ中佐関係?」

「…………」

「あ、図星かな」

 返事をしないアスナ。シグレはそれを肯定と捉えた。

「彼女、士官学校時代から変わらないから。妙にプライドが高くて、妙に嫉妬深いところなんか特に」

「…………」

「だから、何も気にすることはないよ。彼女が言っていることを周囲の人も思っている訳じゃないし、彼女の本心だとも限らない」

「……本心じゃない?」

 アスナは顔を上げた。

「うん。――ほら、自然法則だよ。『人の心は分からない』っていう」

「……そうですね」

 アスナは開きっぱなしだった本を閉じ、本立てに並べていく。

「気にしているつもりは無かったんですけどね……。これで、ちゃんと吹っ切れそうです」

「そう? それは良かった」

「ありがとうございます、シグ……トキトウ大佐」

「シグレ先輩で良いって言ってるじゃないか」

 シグレは楽しそうな、それでいてどこか遠くから聞こえるような笑い声を上げた。

 おやすみの挨拶を一言二言交わし、アスナは受話器を静かに置いた。

「はぁ〜……。トキトウ大佐と電話する時、いつも心が見透かされてる気がして辛いんだよねぇ」

 アスナは苦笑する。

「さて、と。早くシャワー浴びよう」

 机上を手早く片付けると、アスナはスキップするように書斎を後にした。




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