第02話 五大基地司令官会議
「もう。出発前に何かと思ったら……」
ネイブドール中央駅の構内で、フィオナは肩を竦めた。
先を歩いていたアスナは、フィオナの声に勢いよく振り返った。
「コラ、どうでもいいみたいな顔しない! シグレ先輩……じゃなくて、トキトウ大佐の誕生日は、私の誕生日と同じくらい大事なの! 分かる?」
「はいはい、分かってます。じゃぁ、私はここで待ってるから」
そう言って、フィオナはアスナの旅行鞄を持つ。
「列車発車まであと四十分。まだ時間はあるけど、出来るだけ急いでね」
「任せなさい!」
アスナはガッツポーズをとると、軍指定のコートを翻し、駆け足で土産店へ入っていった。
「まったく。ネイブドール基地司令官とは思えないわ。遠足じゃあるまいし。長年、彼女の親友をやってはいるけど、子供っぽいアスナを見ると情けないわ……」
同行している司令官補佐の気持ちにもなれ、とフィオナはため息をついた。
* * *
五大基地司令官会議――通称、五大司令会議。五大基地とは、最東端の都市スメナドール、最西端の都市ネイブドール、最南端の都市ハミルドール、最北端の都市グランドール、中央にある首都シュクラドールにある五つの軍事基地のことを指す。アスナ達のいる最西端ネイブドールはマルチェリナと接しているため、東西南北の基地の中で最も重要な基地と言っても過言ではない。
現在二十歳のアスナは、十八歳の時に大佐に昇格し、同時にネイブドール地方基地の司令官に就任した。異例の出世スピードに最初は周囲から批判の声も上がっていたが、今ではアスナを支持する声の方が多い。
「遅い! 二十分も掛かってる!」
店から出て来たアスナを見つけるなり、フィオナは腕時計を指差しながら怒鳴った。
「ごめん……許して」
「早く行こ」
二人は切符を買い、すぐに改札を抜けた。既に、ホームには首都シュクラドール行の列車が止まっていた。
ボックス席で向かい合って座ると、アスナは長く息を吐いた。
「やっぱり列車に乗るのは楽しいな〜」
「アスナ。遠足に行くんじゃないわよ?」
「分かってる、分かってる。迷惑掛けてごめんね、少尉」
「――いつものことです、大佐」
しばしの沈黙の後、二人は声をたてずに笑い合った。
ネイブドールから首都シュクラドールまで、列車で約八時間。列車で首都を目指す者は、基本的に車内で食事を済ませる。車内販売を利用したり途中下車するのも可能だが、健康第一のアスナとフィオナはいつも手作りの弁当を持参する。
昼食後。珍しいことに、フィオナは外を眺めながら寝てしまっていた。
その向かいで、アスナも窓の外を眺めていた。
「もう二年も経つなんて早いなぁ。ネイブドールから首都まで、何回行き来したことか……」
二年前は、五大司令会議に出席することはおろか、首都シュクラドール行の列車に乗ることにさえ緊張していた。
「懐かしいなぁ。最初は批判されまくって、正直、私を司令官に任命した大総統を恨んでいたけど……」
アスナは目をつぶった。
「今では感謝してます。タカツキ大総統……」
当時九歳のアスナは軍事車両内で、タカツキから今後の説明を受けていた。
「君にはこれから士官学校幼年部に入ってもらうが、その間に、その『透視』を自分でコントロール出来るように訓練してもらう」
「訓練?」
「そうだ。今は、見たいと思わなくても勝手に見えてしまうだろう? それを無くすんだ」
タカツキの説明を聞きながら、アスナは荒廃した大地を眺める。戦直後の爪痕は生々しく、人の形をした塊があちこちに転がっている。
「訓練しているうちに、別の異能が見つかることもあるんだ」
「別の異能? 例えばどんなのが?」
「そうだな……、『狙撃』とか『俊敏』とか……さっき俺が使ったやつは、『移動』という異能だ」
「へぇ……でもよく分かんないや」
アスナがそう言うと、タカツキは彼女の頭を強く撫でた。
「今は分からなくても良い。士官学校で徐々に分かれば良い――」
「――ナ、アスナ!」
いつの間に寝ていたのか、アスナはフィオナの声で目を覚ました。
「……着いた?」
「うん、着いた」
フィオナは既にコートを羽織っていた。
「タカツキ大総統が何とかって言ってたけど、夢でも見てたの?」
「あー、見てたような見てなかったような……」
のろのろとコートに袖を通すアスナ。
「私、変な寝言、言ってないよね?」
「えっと……『シグレ先輩! 私、この一ヶ月、ずっと大佐のことを考えていました』」
「えぇーっ! 本当?」
アスナの声が構内に響き渡る。フィオナはその様子を見て、
「……って言ってたら面白かったのにね」
と意地の悪い笑みを浮かべた。
「何だ、嘘かぁ」
アスナはほっと胸を撫で下ろす。
「でも、正直そうでしょ?」
「そ、そんなことはない! そんなんじゃ、司令官やってらんないでしょ!」
「……それもそうね」
見慣れたシュクラドールの街に出ると、二人は軍人らしくすっと顔を引き締めた。五大司令会議は明日とはいえ、現地入りすると胸が緊張感に満たされる。
「とりあえずホテルに行こう。夕食はその後ね」
「了解」
手元のメモを確認すると、アスナはフィオナの先に立って颯爽と歩きだした。
* * *
翌朝。アスナとフィオナは軽く朝食を済ませ、六時にホテルを出発、七時には軍の中央施設に到着した。
五大司令会議は、毎回九時開始だが、アスナとフィオナは指定時刻よりも二時間早く会場入りし、お茶の準備や会議場の清掃をする。これは、二人が今の地位に就いてから毎回欠かさず行っていることだ。
会議場の丸テーブルを拭き終わり、アスナが床を雑巾で磨いていると、背後で扉が開く音がした。
アスナはすぐさま立ち上がり、扉の方へ向かって敬礼した。入って来たのは、大柄な男性と細身の男性の二人だ。
「カザン少将、ベイ大尉、おはようございます!」
「おはよう、スハラ大佐。――フレータ少尉は?」
「今、隣の給湯室で準備しています」
すると、奥の方から「おはようございます!」とフィオナの声が聞こえてきた。
「相変わらず元気だな、ネイブドールのお嬢さん達は」
「いいえ、カザン少将。私達にはこれくらいのことしか出来ませんから」
アスナは小さく頭を下げると、再び雑巾がけに取り掛かる。
しばらくすると、灰色の髪をした初老の男性と、アスナ達よりも若い少年が入室してきた。
「おはようございます、サイオンジ中将、サイオンジ少尉!」
「おはよう。毎回、会場の準備ありがとう。スメナドールの土産があるから、後で二人で食べなさい」
「ありがとうございます」
アスナは深く頭を下げると、清掃用具を片付けに給湯室へ行く。
「フレータ少尉、お茶の準備は?」
「今、あちらへお持ちしようとしていたところです」
フィオナはそう言って給湯室を出る。アスナは用具を元に戻し、給湯室の流しで手を念入りに洗った。
アスナが会議場に戻ると、集まっている人数がさらに増えていた。新しく入室してきた二人を確認すると、アスナはすかさず敬礼した。
「トキトウ大佐、コン中尉、おはようございます!」
「おはよう、スハラ大佐」
長身の青年、シグレ・トキトウが片手を挙げて答えた。いつも通り、黒髪をキチッときれいに整えている。
「トキトウ大佐。今月は誕生日ですよね?」
「そうだよ。よく知っているね」
「そこでと言ったらなんですが……ネイブドールのお土産を買ってきたので、ぜひ、コン中尉と二人でお召し上がりください」
そう言って、アスナはシグレ・トキトウに紙包みを差し出す。
「やった! ありがとう、スハラ大佐」
にこっと微笑むシグレ。アスナは頬が赤くなるのを堪えるのに必死になった。
「コン中尉はこういうことしないからね。余計に嬉しいよ」
「――何です、おねだりですか?」
シグレの隣で、ポニーテールの女性が首を傾げる。
「いや、そうじゃないよ。僕も贈り物はあまりしない人だから、あまり気にしないし」
「確かに……『気持ちが大事だから』が口癖ですしね」
「でも、大切な女性にはちゃんとプレゼントするよ。花束とか、お菓子とか。――あ、いや、コン中尉が大事じゃないとかじゃなくて、」
シグレはコンの視線に気付き、慌てて言い訳を始めた。
「別に気にしてませんよ。どうせ、私はトキトウ大佐の番犬に過ぎませんから」
「めちゃくちゃ気にしているじゃないか」
「気にしているのは大佐、あなたのほうです」
ビシッと上司の顔を指差すコン。シグレは困ったように肩を竦める。
「まぁまぁ、落ち着きなさい、コン中尉」
灰色の髪を揺らしながら、サイオンジは二人の間に割って入った。
「今日はやけに厳しいね。何かあったのかい?」
「いいえ、何も」
コン中尉は首を振った。
サイオンジの横で、カザンも口を挟む。
「まぁ、信頼しているからこそ、厳しいことが言えるということだな。トキトウ大佐、ありがたく思えよ」
「そうですね」
カザンの言葉に、シグレは笑顔で頷いた。
「……アスナ? 大丈夫?」
周りに聞こえないように、フィオナはアスナに耳打ちした。
「うん」
アスナもほとんど聞き取れない声で答えた。
シグレとコンは上司と部下の関係ではあるが、年齢が近いこともあって仲が良い。そのため、今のようなやり取りは毎回お馴染みのことである。
しかし、この光景を目の当たりにする度に、アスナは胸が渦を巻くような苦しい感覚に襲われる。
(私も、トキトウ大佐との付き合いは士官学校からで長いし、仲が良いのには自信がある)
でも、とアスナはうつむく。
(トキトウ大佐……いえ、シグレ先輩は、私を妹くらいにしか思ってないから……)
はぁ、とアスナがため息をついた、ちょうどその時。会議場の扉が開けられた。
アスナ達は一斉に立ち上がった。
「おはようございます、タカツキ大総統!」
「おはよう、各地方司令官諸君」
軍のトップに立つ男タカツキは、満足そうに頷いた。
「では、これから五大地方基地司令官会議を始める。まず初めに、私、大総統の新しい補佐を紹介しよう」
タカツキは、扉に向かって「入りたまえ」と声を掛けた。
「失礼します」
キビキビとした動作で扉を開閉し、その男はタカツキの席の横で立ち止まった。
「彼はトシヤ・キラ少佐。先月、重傷を負って退官されたスグリ前補佐に代わって、今月から私の補佐をしてもらう。――キラ少佐、自己紹介を頼む」
「私はトシヤ・キラ少佐であります。先月までは、アシュクルム中央軍の第一中隊に所属しておりました。まだ未熟ではありますが、よろしくお願いいたします」
キラは敬礼しながら軽く頭を下げた。一同も、それに合わせて敬礼する。
キラが着席すると、タカツキは小さく咳ばらいをした。
「では、君達にも自己紹介してもらおう」
そう言って、タカツキは右隣りを見た。
「――では、私から」
その人物は静かにすっと立ち上がった。
「私は、最東端スメナドール地方基地司令官のリュウ・サイオンジ中将です。一応、この中では最年長者になりますな。――で、こちらは、司令官補佐のリュウヤ・サイオンジ少尉」
リュウ・サイオンジに促され、斜め後ろに座っていた少年も立ち上がった。
「リュウヤ・サイオンジ少尉です。よろしくお願いいたします」
「……同じ苗字ですね。親子ですか?」
キラが不思議そうに首を傾げると、リュウ・サイオンジは小さく笑った。
「彼は私の孫です。私の息子は軍隊に向いていないので、中央政府の官僚として働いています」
「ややこしいとは思いますが、きっとすぐに慣れます」
祖父の隣でリュウヤ・サイオンジが微笑むと、二人は着席した。
次に立ち上がったのは、大柄な男と細身の男の二人組だった。
「俺は、最南端ハミルドール地方基地司令官、カザン少将だ」
「私は補佐のベイ大尉です。どうぞよろしく」
キラの近くの席だった二人が順に握手をすると、その左隣りの二人が立ち上がった。
「僕は、最北端グランドール地方基地司令官のシグレ・トキトウ大佐です」
「私は、司令官補佐のユンミン・コン中尉です」
シグレとユンミン・コンが揃って頭を下げると、「そうか、」とキラが声を上げた。
「あなたですか。『瞬風のプリンス』、シグレ・トキトウは」
「その呼び名、僕はあまり好きでないんですが……その通りです」
シグレが苦笑いすると、キラはその場で身を乗り出した。
「なぜ、そのような呼び名が付いたのでしょうか?」
「まぁ、それについてはまたいつか。――最後は、この二人のお嬢さん達です」
シグレはアスナを見て、「よろしく」と口を動かした。
アスナは頷くと、さっと立ち上がった。
「私は、最西端ネイブドール地方基地司令官のアスナ・スハラ大佐です」
「私は司令官補佐、フィオナ・フレータ少尉です」
「――あなた方の話も聞いてます。お二人ともまだ若いのに、大人顔負けの指導力だと」
キラに目を輝かせながら言われ、二人は頬を赤く染めながら「恐縮です」と縮こまるように頭を下げた。
「まぁ、お互いに聞きたいことはたくさんあるだろうが、我々はまだ会ったばかりだ。徐々に知っていければ良い」
タカツキはそう言って紅茶を一口飲む。
「それでは、本題に入ろう」
その一声で和やかな雰囲気は一変し、ピリッとした緊張感に包まれた。
「まず初めに、各地方の状況を報告してもらおう」
タカツキの台詞が終わらないうちに、サイオンジは書類を手に取って話を始めた。
サイオンジの話が終わると、アスナも同じようにしてネイブドールの近況を報告した。
アスナの報告が終わると、タカツキは口を開いた。
「一昨日の戦闘は、見事な手際の良さだったそうだな」
「ありがとうございます。相変わらず、マルチェリナは宣戦布告をしないので困りますが、国境警備係も頑張ってくれていますし、私には『透視』もあるので、何とかやっています」
「そうか。引き続き、ネイブドールと国境線を頼むぞ?」
「はいっ」
その後もいつものように報告が行われ、簡単な質疑応答も交わされた。
「さて、と」
タカツキはテーブルの上で手を組んだ。
「次は、奇術者の件だが――」
会議場に、より一層張り詰めた緊張感が訪れた。
「――スグリ大佐は戦闘中、敵に撃たれて怪我を負った、と報告した。しかし、どうも違うらしいことが判明した」
「――!」
タカツキ、キラ以外の全員に衝撃が走る。
「違うって、まさか……」
「そう。奇術者にやられたという事だ。――キラ少佐、資料を配ってくれ」
キラはタカツキの手元から書類を手に取ると、驚きを隠せないでいる八人に順に冊子を配る。
奇術者とは、その名の通り『奇術』を使う者のことだが、アスナ達『異能者』とは違う。
異能というのは、生まれながらにして持つ先天的な能力であり、訓練や修業を積めば手に入れられるというものではない。
それに対して奇術は、ある程度の素質さえあれば修業を積むと使えるようになる力だ。しかし、ある理由で奇術の使用は国際的に禁止されており、各地には厳重な警戒態勢が敷かれている。
「これは、中央軍が独自に行った調査結果だ。担当者の見解やら色々書いてあるが、一番注目すべきは二枚目上の目撃証言だ」
タカツキの説明に合わせて、一同は綴じられた書類をめくる。
「――オレンジ色の強い光が出現した後、スグリ大佐が倒れ込んだ……?!」
「強い発光……これは奇術ですね」
「ちなみに、スグリ大佐にも話を聞いてみたが、奇術の衝撃のせいかその前後の記憶はほとんど無いらしい。しかし、この推測についてはほぼ確定して良いだろう」
タカツキは書類から顔を上げた。
「おそらく、その奇術者はマルチェリナ軍に紛れ込んでいたのだろう。軍服の入手経路は分からないがな」
「……また、異能者狙いでしょうか?」
シグレが沈んだ声で言うと、「そうだろうな、」とカザンが反応した。
「スグリ大佐は『狙撃』の異能者だからな。射撃の腕前は国外でも有名らしいぞ」
「そうなんですか?」
「あぁ。十年前、ハミルドール基地で働いていた友人に聞いたんだ」
「確かに、スグリ大佐の腕は素晴らしかった。異能の力もあるでしょうが、半分は彼自身の運動能力によるものでしょう」
スグリと一緒に戦場に立ったことがあるサイオンジが言う。
「我々はまた、かけがえのない人を失ってしまった……。何としてでも、次の犠牲者を出すわけにはいきません」
サイオンジの重い言葉に全員が頷く。
「――奇術者による何らかの組織が動いているとも聞く。今後はさらに厳重な体制で警戒に当たってほしい。細かい部分で打ち合わせが必要な者は、この会議の後に話を詰めること。良いな?」
「了解」
八人は声を揃えた。
「お茶、どうぞ」
「ありがとう、スハラ大佐」
会議が終了し、会議室を立ち去るタカツキとキラを見送った一同はネイブドール二人組がいれたお茶で一息ついていた。
「――何だか、」
不意に、シグレが口を開いた。
「奇術者の不穏な動きが、ここ数ヶ月で激化していますよね……?」
「確かに」
シグレの言葉にベイが反応する。
「最初は周囲を驚かすだけの、悪戯程度のものだったのにな。今では、異能者を殺そうとしている」
「ベイ大尉も異能者ですよね。何か、変わったこととかありました?」
「いや、俺の周りでは特に。俺の『俊敏』はあまり使わないし、奇術者は俺のことを知らないんじゃないか? ……トキトウ大佐は?」
「今のところは、僕も無いです。それはそれで怖いんですけど」
シグレがため息をつく。
しばらく沈黙が続いたが、「そうだ、」とカザンが手を叩いた。
「何か忘れていると思ったら……。スハラ大佐」
「は、はいっ」
フィオナと話し込んでいたアスナは慌てて返事をした。
「スハラ大佐。一年前、君の中に見付かった『干渉』のスキル、少しは上達したか?」
「ぎくっ」
カザンの言葉に、アスナは思わず動きを止める。すると、シグレが笑い出した。
「普通、『ぎくっ』て声に出して言う? 超面白い」
「うるさいです、トキトウ大佐」
アスナがキッとシグレを睨む。
「そうですよ。スハラ大佐がそんなにかわいいからって、馬鹿にするのはよくありません。嫌われちゃいますよ?」
お腹を抱えるシグレにユンミンが釘を刺す。
シグレが真顔に戻ったところで、アスナはカザンに向かって言った。
「前よりは上がったと思いますが、恥ずかしながら、まだ実戦には使えない段階です」
「そうか? じゃぁ、どのくらい上達したか見せてくれよ」
そう言うと、カザンはどこからか空き缶を取り出した。
「な、何でそんなの持っているんですか……」
「さすがカザン少将、用意周到ですね」
シグレがアスナの横から顔を出してきた。
(……顔近い!)
アスナは思わず目をつむる。それを精神統一の一貫だと勘違いしたカザンが「気合い入ってるねぇ」と言いながらテーブルに空き缶を置いた。
「違う」と言いたかったが、まさか「トキトウ大佐の顔が近くて恥ずかしかった」とは言えない。仕方なく、アスナは右手を顎にあてて異能を使う態勢を取った。
異能者は、自分の異能を制御し発動する方法として、異能を使う時に必ず取る行動や態勢を決めていることが多い。この条件付けは、異能者達の間で『スイッチ』と呼ばれている。つまり、アスナは『顎に右手をあてる動作』を、異能発動のスイッチと定めているのだ。
アスナは空いている左手を空き缶に向け、ゆっくりと握り潰す動作をする。すると、空き缶にへこみが出来はじめ、十秒程でぺちゃんこになった。
「なかなか速いね」
サイオンジがアスナに拍手を送る。
「いえ……サイオンジ中将には敵いません」
「いや、私ももうすぐ六十だからねぇ……昔ほど強い『干渉』は使えんよ」
リュウ・サイオンジのゆったりとした笑い声が、会議場内の空気を一瞬だけ和やかにさせる。
「……次に狙われるのは、誰でしょうね。考えただけでもぞっとします」
リュウヤ・サイオンジの小さい声で、一同の顔から笑顔が消えた。
「この八人の中にも、四人も異能者がいるからな……人事じゃない」
カザンは眉間にシワを寄せた。四人の異能者というのは、アスナ、シグレ、ベイ、リュウ・サイオンジのことである。
「四人の中で一番危ないのは、ベイ大尉じゃないですか?」
「あはは……、言われると思った」
フィオナに指摘され、ベイは乾いた笑い声を出した。
「カザン少将と一緒に、実際に戦場に行くことが多いからなぁ。ちゃんと気をつけるよ。――トキトウ大佐とスハラ大佐。君達はまだ若いんだ、こんな時にやられては困る。重々気をつけてくれよ?」
「はい」
二人は強く頷いた。
「アスナ!」
アシュクルム軍中央司令部を出た所で、アスナは呼び止められた。
「――トキトウ大佐、コン中尉」
「外にいる時くらいは『シグレ先輩』で良いよ、アスナ」
「駄目です。大佐は大佐ですから」
アスナは人差し指を立てて横に振る。
「それに、ここは本当の意味での『外』ではありません。軍人同士、もう少し気をつけたほうがよろしいかと」
「何だよ、つれないなぁ。アスナってそんな人だった?」
首を傾げるシグレの横で、ユンミンはわざとらしくため息をついた。
「スハラ大佐の言うことはごもっともだと思いますよ? 軍は、先輩後輩で仲良しこよしする場所ではありませんから」
「確かにその通りだけど……」
シグレは何か言いたげに口をへの字に曲げていたが、視線をアスナに戻して微笑んだ。
「まぁ、それだけアスナも成長したってことか。成長してくれるのは嬉しいけど……」
アスナとシグレの間を、一陣の風が駆け抜ける。
「士官学校時代からの先輩としては、少し寂しいかな」
「…………」
切なそうな笑顔。初めて見るシグレの表情に、アスナは内心ドキッとした。しかし、アスナは努めて冷静を装った。
「……すみません、つれない後輩で」
「いや、謝ることはないよ。でも、時々は頼ってくれよ? 先輩として出来ることは協力するから」
「……はい」
優しい人だと思った。今のユンミンのように、この人の後をついていけたらどんなに幸せだろう、と。
――ただし、次の台詞が無ければの話だが。
「あとは、この胸をもうちょっと成長させてくれれば満足だけどなぁ」
「――っ!」
アスナは「何ですってー!?」と大声を張り上げた。
「胸が小さい? 知ってますよ知ってますよ。それは私が抱えている悩み、堂々の第二位です! 女性のささやかな悩みを知っていて、面白半分にスケベ発言するなんて……! そんなんだから、いつまで経ってもシグレ先輩には恋人が出来ないんですよっ!?」
「はいはい、分かった分かった。僕が悪かったよ」
噛み付くような勢いで責め立てられたにも関わらず、シグレは笑顔でアスナを制した。
「それに、恋人がいないとか気にしてないからね? 勘違いしないで欲しいね」
「――大佐。発車時刻まであと四十分です」
ユンミンが懐中時計を取り出してシグレに告げた。
「えー。そんなに急がなくても、どこかで昼食をとってから帰れば良いじゃないか」
「帰るのが遅くなると、誰かさんにまた叱られますよ?」
「……僕を叱るのは君だろう」
シグレは、ユンミンを軽く睨みながらコートを整える。
「じゃ、またね」
「お疲れ様でした!」
アスナとフィオナは敬礼し、早足でその場を立ち去るシグレとユンミンの姿を見送った。
「……ねぇ、アスナ」
「何?」
「さっき、トキトウ大佐のこと……『シグレ先輩』って呼んでたよ」
「…………」
人混みに消えようとしている大きな背中を、アスナは再び睨みつけるのだった。