第01話 最西端基地の大佐と少尉
「……大佐……スハラ大佐!」
「っ!」
右隣りから名前を呼ばれ、大佐と呼ばれた少女はハッと我に返った。
「何をボーっとしてるんですか。戦闘中だというのに」
「ごめん、フレータ少尉。ちょっと昔のことを思い出して……」
「思い出すのは勝手ですが、スハラ大佐は司令官なんです。戦闘時くらいしっかりしてください」
フレータの緑色の瞳に射竦められ、アスナは肩を竦めながらもう一度「ごめん」と謝った。
「フレータ少尉。第一防衛線のミネハマ中佐から暗号文が届きました」
奥の方から青年の声が聞こえてきて、
「分かった。今、そっちに行く」
フレータは小走りで声のした方へ向かう。
金髪ショートヘアの彼女の後ろ姿を見つめながら、アスナはこっそり苦笑いした。
「今も昔も変わらず厳しいわね。まぁ、それがフレータ少尉の――フィオナの良いところなんだけど」
アスナは椅子から立ち上がり、通信係がいる方へ顔を向ける。
「フレータ少尉。中央からの暗号は解読できた?」
「あと二行です」
フィオナは、暗号文をそのまま書き写す勢いでペンを走らせる。
「――出来ました」
出来立ての解読文を、通信係の元まで来たアスナに手渡した。
「ありがとう、フレータ少尉」
アスナは出来たばかりの解読文に目を通し、これから出すべき指示を頭の中で整理する。
「……よし。通信係、中央マイクの主電源入れて」
「はっ」
アスナは司令室中央の席に戻ると、マイクを手に取って指示を出す。
「こちら司令室、アスナ・スハラ。ネイブドール基地内各部署へ連絡。現在、アシュクルム軍優勢。よって、基地周辺防衛部隊は、『待て』から『休め』へ指示を変更します。以上」
マイクの出力先を『基地内』から『外部』に切り換えると、アスナは再び指示を出す。
「こちら、ネイブドール基地司令室、アスナ・スハラ。ネイブドール基地各中隊へ連絡。現在、アシュクルム軍優勢。よって、これより作戦を変更します。
第一防衛線の第一、第二、第三小隊は、今まで通りの作戦を実行。第二防衛線は二十キロメートル前進、第四、第五小隊はその更に十キロメートル前進して第一防衛線を援護。第三防衛線も二十キロメートル前進してください」
一旦言葉を切ると、アスナは少し声を低くする。
「今回の目的は、マルチェリナ軍を防衛線以内に入れないこと。これ以上無茶なことはしないで下さい。以上」
「了解」
各防衛線のリーダーが返答したのを確認し、アスナは再びマイクの接続を切り替えた。
「こちら、ネイブドール地方司令室、スハラ・アスナ」
「こちら、特殊戦闘中隊、ケイ・ムラサキ」
「……ちょっと、何でムラサキ伍長が隊長のマイクに出るのよ」
聞こえてきた声に、大袈裟に顔をしかめるアスナ。
「何、僕が隊長だと都合悪いの? 今日は偶然、いつもの正副隊長が不在なんだからしょうがないでしょ。それに、嫌ならアスナが直々に任命すれば良いじゃん」
「今は職務中よ。言葉を慎みなさい」
「う……、すみません」
幼なじみが口を尖らせる顔がありありと浮かび、アスナは更に顔を歪めた。
特殊戦闘中隊は、アシュクルム軍独立中隊の一つで、『狙撃』や『俊敏』等のスキルを持った異能者達で構成される中隊だ。戦闘時は、第一防衛線よりも更に前に配置されることが多く、戦闘において重要な鍵を握る軍隊になる。また、ネイブドール地方基地に所属するとはいえ、独立中隊という性格上、上層部からの指示があれば何処へでも遠征に行く忙しい連中でもある。
アスナは気を取り直して指示を出す。
「アシュクルム軍優勢により、作戦を変更します。特殊戦闘中隊は直ちに戦闘を止め、第三防衛線の背後に付くこと」
「えぇっ、戦闘中断?」
スピーカーの向こうで、ケイが素っ頓狂な声を上げる。
「仕方ないでしょ。必要以上に戦力を出さないっていうのが私のやり方なの。分かる?」
「うん……」
「敬語を使いなさい」
「……了解」
プチッと通信が途切れる音。
「まったく、ケイもかわいくないわね」
やれやれと肩を竦めると、アスナは息を長く吐きながら椅子に座った。
「予定よりも、早く終わりそうですね」
通信係の仕事を終えたフィオナは、再びアスナの元に戻ってきた。
「そうね。特殊戦闘員を始めとするみんなのお陰よ。――特殊戦闘中隊、今日はやけに奮闘していた気がする。彼ら、何か嫌なことでもあったのかな?」
「いつものことですよ。期待以上の成果を残すのも、彼らの中に犠牲者が出ないのも」
フィオナの冷静な意見に、アスナは頷いた。
「アシュクルムは、特殊戦闘員に助けられていると言っても過言では無いしね。ありがたいことだわ」
「そうですね」
アスナの言葉に頷き、フィオナは司令官席の隣に座った。
(でも、正直な話)
頬杖をつきながら、アスナは思考を巡らす。
(今、お隣りさんと殺し合いをしているような余裕は無いのよね。それは向こうも同じこと。何とかして、早くマルチェリナと和解したいけど……)
じっと前を見つめるアスナの目を見たフィオナは、彼女の心情を察したのか小さくため息をつくのだった。
* * *
世界で最も広大な面積を誇る大陸、チャーリスト。東西にも南北にも大きいそこには、多くの民族や国家が存在していた。
中でも、政治的にも軍事的にも強大な力を持つ大国が二つ。中央東に位置するアシュクルムと、中央西に位置するマルチェリナだ。
アシュクルムは起伏に富む地形と肥沃な土地を併せ持つ国。多民族国家で移民も多いため、外に対して開放的な印象がある。
一方マルチェリナは、アシュクルムとは違って見通しの良い平野が大部分を占める。軍部による独裁政治が特徴的で、君主が存在しない軍事国家だ。
この似て非なる二国は大陸のど真ん中で隣り合っているため、慢性的な緊張状態にある。約百年前に戦争が勃発する前までは友好関係があったのだが、太古に結ばれた条約も今ではほとんど意味を成していない。
時を経るごとに増す緊張。そんな中、今から十一年前のこと。アシュクルム最西端の都市、ネイブドールで、マルチェリナ軍とアシュクルム軍が激しく激突した。
その時、一台の巨大戦車の上に幼い少女が現れた。彼女は何らかの『力』を用いて、たった一人で巨大戦車を操り、多くを破壊し吹き飛ばした。このことから、その出来事には『破壊神の降臨』という異名が付けられている。
士官学校幼年部へ入学する子供が増えたのは、その事件直後のことだった。理由は様々だが、戦争孤児となって行き場を無くしてしまったか、『力』を持つが故に軍部によって引き入れられたかのどちらかだった。
* * *
アスナは、軍服を着たままベットに倒れ込んでいた。
「あ〜、疲れた……」
しかし、その顔は安堵に満ちていた。
結局、あの後も戦局に変化は起こらず、マルチェリナ軍は進行方向を百八十度変えて退却した。特殊戦闘中隊(のケイ)が追撃許可を要請してきたが、アスナは断固として許さなかった。見たところ、ほんの数名しかいない残党兵は全員重傷を負っていたため、残党狩りも許可しなかった。
「アスナ、お疲れ様」
うたた寝しかけていると、紙カップを二つ持ったフィオナが部屋に入って来た。
「お疲れ、フィオナ。通信係の仕事は?」
「まだ残ってるけど、新人の子達も慣れてきたみたいだから任せてきた。アスナの補佐に戻ろうとしたんだけど、寮に戻ったって聞いたから……。アスナ、仕事は終わったの?」
「私は、撤退の指示を出して帰ってきた。本当は撤退後の仕事もあったんだけど、ツクヨミ中尉とマヤマ准尉に休むようにお願いされちゃったの。顔色が悪いからって。『透視』の使いすぎで疲れていたのは事実だったから、お言葉に甘えて帰ってきたのよ」
「そんなお疲れ司令官にはこれ」
はい、と紙カップを差し出すフィオナ。カップの中身は、アスナの大好きな緑茶だった。
「ありがとう」
アスナはゆっくりと緑茶を味わう。
「はぁ〜、やっぱり緑茶が一番! 今日もフィオナがいれたの?」
「えぇ、そうよ」
「そっかぁ〜、上達したねぇ。すごくおいしいよ! まさに、アシュクルム人がいれる懐かしいお茶の味!」
「そう? ま、士官学校からの付き合いだから」
アスナのベタ褒めを涼しい顔で受け取ると、自分のカップに口を付けた。
「そうか。考えてみれば私達って、出会ってから十一年も経つんだね」
「十一年? ……あ。士官学校幼年部に入学したのは九歳の時だっけ」
「そうそう。私達、あの時も同じ部屋だったよね」
「……十一年間もずっと一緒の部屋で寝てることになるのかぁ。なかなか無いよ、そういうことって」
空になった紙コップをごみ箱に捨てると、フィオナは自分のベッドに腰掛けた。
「そういえば。さっきは何を思い出してたの?」
フィオナの問い掛けに、アスナの声は無意識に重くなる。
「……『破壊神の降臨』のこと」
親友の口から出たその単語に、フィオナは思わず顔をしかめる。
「『破壊神の降臨』……それも確か、十一年前に」
「そう、今日からちょうど十一年前よ。親を亡くしてちょうど十一年」
アスナはベッドの上に仰向けになった。
「やっぱり、辛いし悲しい出来事だけどさ。あの事件が無かったらフィオナ達に出会っていなかったわけだし、自分の『力』――異能に悩まされ続けていただろうし……。本当、世の中って残酷」
「士官学校で運命の人にも出会えたしね」
「う、うるさいっ」
アスナは赤面する。
「シグレ先輩……じゃなくて、トキトウ大佐はあくまでも憧れの存在だから。もっと親密になりたいとか、一緒にいたいとか、考えたことないもんね!」
「その割には、五大基地司令官会議の日はウキウキしてるよね」
「う……」
フィオナに指摘され、アスナはベッドの上で顔を隠すようにうずくまった。
「確かにそうだけどさ……このタイミングで言うとかひどくない?」
「どうして?」
「だって、五大基地司令官会議は明後日じゃん。明日から泊まりがけって言ったよね?」
「あー、そうだったわね」
今気付きました、と言うようにフィオナは右手をヒラヒラさせる。
「私も準備しなくちゃ。アスナ、あなたもちゃんと準備しなさいよ?」
「はーい」
「あ、今日の夕飯はどうする?」
「よろしければ、フィオナの手料理が良いでーす。食堂に行く元気も無いし」
「はいはい。じゃ、今から材料の調達に行ってくる。私が帰ってくる前に、お皿とか洗っておいてくれる?」
「了解ー」
アスナが敬礼するのを見て笑いながら、フィオナはコートを肩に引っ掛けて部屋を出て行った。
「……、洗いますか」
よいしょ、と勢いを付けて起き上がると、アスナは部屋に備え付けられたキッチンに立った。
スポンジを片手に油汚れと格闘していると、アスナはふと手を止めた。「先月会った時、右足を引きずってたけど……大丈夫かな、トキトウ大佐」
脳裏に、ついさっき話題に上った先輩の姿を浮かべる。
この気持ちを抱くようになったのはいつからだろう。記憶が正しければ、最初はただの先輩後輩だったはずだ。
アスナはハァッとため息をつき、窓から高い空を見上げる。
「『たかが一ヶ月』ってフィオナは言うけど……シグレ先輩に会えないのはやっぱり寂しいよ」
アスナは再びため息をつく。
「士官学校時代に、もっと仲良くしておけば良かった。士官学校を卒業した今は、気を引くとかそんなことは出来っこないし……」
「悩んでるわね、お嬢さん」
「フィオナ。お帰りなさい」
あら、とフィオナは流し台を見る。
「まだ終わってないの?」
「あはは……、油と格闘中です」
「しょうがないわね」
フィオナは大袈裟に肩を竦めた。
「後は私がやるから、アスナはその野菜を冷蔵庫に入れてくれる?」
うんと頷くと、アスナはフィオナから買い出し袋を受けとった。
「――ねぇ、フィオナ」
「何?」
「やっぱり、一ヶ月って長いよ」
「そう? 私には恋の経験が無いから、よく分からないわ」
フィオナは楽しそうにくすっと笑った。
* * *
「――あの子以外は揃ったわね」
「奴は、またいないのか?」
「ま、良いんじゃねぇの? またフラッと来るだろ」
薄暗い部屋の中に、一人の女性と数人の男性が集まっていた。
「で……? 突然、我々を呼び出すとは一体何事だ?」
「大事な連絡があるのよ。ねぇ、ファルコン?」
女性は、部屋の隅で壁に寄り掛かっている人影の方を向いた。ファルコンと呼ばれた男は小さく頷いた。
「――ついに、奴らの内部へ侵入するチャンスが巡ってきた」
ファルコンの台詞に、他の者達の間にどよめきが走る。
「ちょ、マジかよ」
「いつの間に……一体どうやって」
「静かに。――このシークレットテイルが結成された頃から、ファルコンが上手く準備をしていてくれたのよ。みんな、感謝しなさい」
うふふ、と笑いながら、女性はソファに腰を下ろした。
「で、それにあたってなんだが……」
男は再び話し始める。
「俺が侵入に成功したことで、今までよりもさらに精巧な作戦を行えるようになった。そこで、我々の最終目的を達成するためにも、今後は、ボスを通して俺が出す指示に従ってもらいたい」
「はぁ?! どうして、お前の言うことに俺達が従わなきゃなんねぇのさ?」
別の男の声が聞こえる。
「俺はボス本人からの命令にしか従わねぇぞ!」
「ダーメーよ、ちゃんと聞いてもらわないと。目的達成のためよ?」
女性がそう言うと、「お願いします」と「すまねぇ」が同時に聞こえてきた。
「うふふ……それじゃぁ、」
女性はソファから立ち上がった。
「とりあえず、あなた達は私からの指示がちゃんと伝わるようにしておいて。――ファルコン、明日からは頼んだわよ」
「あぁ」
男が頷くと、女性は一際声を大きくした。
「ついに、神は我らがシークレットテイルに光を与えてくれた。このチャンス、逃してはならないわよ!」
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