第10話 金髪男、ふたたび
コンクリートで頑丈に作られた牢屋。壁は真っ白に塗り潰されているが、安物のランプ一つで薄暗いためか灰色に見える。
とにかく何も無い。あるのは小さな壁掛け時計。そしてその空間にいるのは、緑色の軍服を着た金髪碧目の少女。片隅で膝を抱え、うずくまるようにして座っていた。
遠くから足音が近付いてきて、彼女の牢屋の前で立ち止まる。
「ご機嫌はいかがかな?」
どこか無機質なバスの声と共に、格子窓から男が顔を出してきた。
「……もう最っ悪」
眉間に目一杯深くシワを刻み、少女は肩を竦める。
「囚人でもないのにこんなところに閉じ込められていたら、満たされなさ過ぎて狂っちゃうわ。一体、いつになったらここから出られるのよ」
「三週間後だ」
「――あら、予定よりも随分と早まったのね」
「どうも、先日の戦闘で連れていかれた奇術者達が、君の存在をバラしたらしくてね……。アシュクルム軍が準備を始めてしまったんだよ」
男の台詞に、少女は口の端を吊り上げる。
「へぇ……。別に、そんなこと心配する必要は無いのに。どんなに周到な準備をしようと、私に勝てる奴はいないわ」
「大総統閣下の判断だ。何が起こるかも分からんし、そう文句を言うな」
男は苦笑すると、再び機械的な声に戻った。
「今日も、定刻通りに担当の女性士官が来る。湯浴みの後は、ここへ戻ってきて夕食だ」
「はいはい」
ハエを追い払うように右手をヒラヒラさせると、少女は足を崩した。
「ちなみに、先日の戦闘から生還した者から聞いた話だが……『身体隠蔽』の奇術者達を懲らしめた敵国の少女は、やはり強力な異能『干渉』を使うらしい。どちらかと言うと防御系の『干渉』みたいだ」
頑丈なドアの隙間から写真が出される。そこに写っていたのは、右手を顎に当てている黒髪黒目の少女。
「ふぅん……。私と同じくらいだとは聞いていたけど、思ったよりも幼い感じね。司令官じゃないみたい」
「侮ってはいけない。異能以外の面も合わせて、彼女の実力は計り知れん」
「……そんなもの、」
碧眼の少女が胸の前で空気を掴むと、床に転がっていた空き缶が宙に浮き、瞬く間に厚さ一ミリにプレスされた。
「一発で握り潰してやる」
* * *
十一月も終わりに近付き、アスナは月末恒例のネイブドール市街地巡回をしていた。任地の巡回は軍として決められているわけでは無いが、奇術者取り締まりのパトロールも兼ね、郊外も含めた広範囲を部下と一緒に回ることにしている。
「大佐、どうかされましたか?」
郊外のとある道でアスナが立ち止まり、一歩後ろを歩いていたフィオナも一緒に足を止めた。
「ちょっと、路地に人の気配を感じたんだけど」
「人? 誰もいない気がしますが……」
アスナの前を歩いていたツクヨミが首を傾げ、隣のマヤマと顔を見合わせた。
「えー、私の勘違いかな? 気になるんだけどなぁ。――私はこの路地を回ってみるから、みんなは先に行ってて。すぐに追い付くと思うけど、よろしくね」
「了解しました。スハラ大佐もお気をつけて」
フィオナ達の後ろ姿を目の端で捕らえながら、アスナは人気の無い薄暗い路地に入った。
「うー、寒っ」
一際強い風がコートの裾を巻き上げ、アスナは肩をすぼめて襟を立てる。
「ここ最近、急に風が冷たくなったなぁ」
「そりゃそうだよ、もう十一月末なんだから」
背後から声を掛けられ、アスナは立ち止まって振り返った。
「久しぶり、スハラちゃん。元気でやってる?」
「あんた……あの時の」
「あっ、覚えていてくれたんだ。嬉しいなぁ」
声を掛けてきたのは、『身体蘇生』の金髪男。アスナは襟から手を離して素早く身構える。
「何? 何しに来たの?」
「おっと、いきなり異能行使は反則だぜ」
アスナが右手を顎に当てるのを見て、男は慌てる風でもなくヒラリと手を振った。
「今日はスハラちゃんに用があってね。今から付き合ってくんねぇかな?」
「生憎、今は市街地巡回で忙しいの。っていうか馴れ馴れしくスハラちゃんって呼ばないでよね、このド変態金髪野郎」
「さすがにその名前はヒドイなぁ」
わざとらしく肩を竦めると、金髪男はニヤッと口の端を上げた。
「お前こそ、俺にはウルフって名前があるんだからそっちで呼んでくれよな」
「ウルフ?」
「本名じゃねぇけどな。なかなか良い名前だろ?」
誇らしげに自分を指差す金髪男――ウルフ。妙に演技がかったその仕草に、アスナは胸に蛆が沸いて来るような不快感を感じた。
「その名前が良いかどうかは知らないけど」
その虫を振り払うように腕を振ると、アスナは腰に手を当ててウルフを睨む。
「あだ名があるってことは、他に仲間がいるってことよね?」
「――!?」
目を丸くするウルフ。今度は、アスナが胸を張る番だった。
「仲間がいなければあだ名は必要無い――これ常識。小さいからって、私を馬鹿にしないで欲しいわね」
「……気にしてたんだ、胸が小さいの」
「うるさいなぁ、今のは身長の話よ」
「気にしてはいるんでしょ?」
「しつこい!」
アスナは一喝すると、再びウルフを睨みつける。しかし、それには動じずにウルフは目を光らせた。
「あのグランドールのお兄さんみたいに、お前の頭もなかなかキレるみてぇだな。じゃ、次はスハラちゃんの異能を試すとしますか」
「試す? ――わっ」
ウルフがいきなりアスナに殴り掛かる。アスナは地面を強く蹴って何とかその手を逃れる。
「ちょっと、いきなり何?」
「言っただろ、スハラちゃんの実力を試すって」
「はぁ? 何がどうなってそうなるのよ」
「詳しくは話せないな。ボス命令だからさ」
「ボスぅ?」
「あっ、いっけねぇ。ちょっと喋りすぎちゃった」
ウルフは口元を押さえたが、「まっ、良いか」とおもむろに右腕を伸ばした。
「口外出来なくなるくらい、怖い思いをさせてあげれば良いんだもんな」
突然、ウルフの右腕が白い光に包まれた。あまりの眩しさにアスナは両腕で目を覆う。
光が引き、アスナはゆっくりと目を開けた。
「『変化自在』!?」
「ご名答〜。さっすがネイブドール司令官だね。よく調べてある」
ウルフの右腕は、肘から指先が両刃の剣に変貌していた。その刃はしんしんに研がれ、路地に差し込むわずかな光でも鋭く反射している。
「有り得ない。生身の人間の体から金属だなんて」
「あー、また自然法則が何たらって話?」
面倒臭ぇ、とウルフは肩を竦めた。
「だって、基本的自然法則の『質量保存の法則』に違反して」
「そんなの知らねぇよ。異能軍人はいちいちうるせぇな」
剣と化したウルフの右腕が振り上げられる。その動きの速さは避けられないと判断したアスナは、咄嗟に左手を前に出し、『干渉』で目の前に空気の壁を作った。
硬い物同士がぶつかり合うような音。ウルフの攻撃はアスナの左手の十センチメートル手前で受け止められた。
「へぇ、意外と硬いんだな。もっと軟らかいと思ってたぜ」
「空気だからって『干渉』を嘗めてもらったら困るわ。何のために毎日訓練していると思っているのよ」
アスナは指先に力を込め、空気の壁を厚くしつつ密度を高める。
「でもさ、これがスハラちゃんの全力だとしたら、ちょっとヤバくね? 俺、まだ実力の五分の一しか出してないぜ?」
「わ、私だって、まだ全力じゃない」
「どうかな。結構いっぱいいっぱいに見えるけど」
「…………」
反論はせず、アスナは無言でウルフを睨み返す。
ウルフの右腕が再び白い光を放つ。すると、剣の腕が空気の壁を貫こうと伸張を始める。
「腕が伸びてる……」
「ハハッ、驚いた? 俺の右腕は質量も変えられるんだぜ。『質量保存の法則』なんて、奇術者の俺には関係ねぇな」
ウルフに押され、アスナの足が徐々に砂利に埋もれていく。
「スハラちゃんの異能を『盾』とするなら、俺の奇術は『矛』か。どっちの方が強いかなぁ?」
ウルフは口の端をさらに吊り上げると、一際強く右腕を光らせる。剣となった右腕は細く鋭く変形を始め、アスナが形成する空気の壁を貫通する。アスナは壁をさらに強化しようとするが、既に遅い。ウルフの硬化した右腕はアスナの左腕をえぐり始めた。
「っ!」
左腕に激痛が走り、アスナは思わず顔を歪めた。
「やっぱ、殺しちゃおうかな。自分の欲求に任せて動いた方が楽しいし。このまま腕を伸ばせば、左胸を簡単に仕留められる」
「させないっ」
「強がるのはよしなよ、アスナちゃん。俺は気が変わったんだ」
ウルフの歯が本能にならって白く光る。
「何て奴なの。ボスとやらの命令を簡単に無視するなんて」
「仕方ないんだよ。これが俺の性質だから」
「性質? く――っ」
剣が深く突き刺さり、アスナは顔をしかめた。しかし、それでも『干渉』の力を緩めようとはしない。
(『干渉』をやめて逃げようとしても、この伸びる腕からは逃れられない。でも、このままだと彼の右腕が私の心臓を貫く。一体どうすれば……)
その時だった。
「大佐!」
部下であり親友である彼女の鋭い声と銃声が路地を貫く。
「ちっ、来るのが早ぇよ」
弾丸をギリギリで避けて短くつぶやくと、ウルフは剣に変化した右腕を元に戻す。剣が急に引き抜かれ、アスナの左腕から血が吹き出る。
傷口を押さえながら、アスナはウルフに向かって再び左腕を伸ばす。
「くっ――」
『干渉』による空気の圧力が傷にかかり、異能が完全に発揮される前に指先の力を緩める。ウルフは軽く地面を蹴って後ろに飛びのくと、再び右腕を変化させて地面に突き刺す。そのまま鋼鉄の右腕を伸ばしながら上へ上へと昇っていく。
「ま、待ちなさ――」
「大佐は動かないでください!」
フィオナはアスナを庇うように立つと、屋根の上へ逃げようとするウルフに再び拳銃を向ける。しかし、彼女が引き金を引くよりも先にウルフは姿をくらました。
「スハラ大佐!」
フィオナより少し遅れて、部下達が上官のもとへ駆け寄る。
「マヤマ曹長、スハラ大佐の応急処置を」
「はいっ」
マヤマは消毒液と包帯を取り出し、アスナのに手際よく処置を施していく。
「……いつの間に救急箱なんて持って来たの?」
「フレータ少尉が、万が一に備えて巡回に持って行くように指示されたんです」
「最近、奇術者のこともあって物騒ですから。大佐の身に何かあってからでは遅いので」
「さすがはフレータ少尉ッスね。奇術者が現れる時期もピッタリッスよ」
クロダがいつになく真顔で頷くと、マヤマは救急箱の蓋を閉めながら顔を上げた。
「傷がかなり深いです。私の処置はあくまでも応急処置ですから、早く病院に行きましょう」
「分かった。ありがとう、マヤマ曹長」
アスナは少しふらつきながら立ち上がる。
「大丈夫ですか」
「大丈夫……って言ったら、半分嘘になるかも」
「そりゃそうですよ、大佐。顔が真っ青です」
ツクヨミとミキが左右から肩を貸す。自分の足元に溜まる自身の血を見て、アスナは深くため息をついた。
「我ながらすごい出血量……。よく倒れなかったわね」
「関心している場合じゃないですよ。早く行きましょう」
部下達に支えられながら、アスナは市街地の路地を後にした。
* * *
「これはまた派手にやられたねぇ、スハラ大佐」
包帯の下から出てきたアスナの腕の皮膚を見て、彼は苦笑した。
「あはは……。奇術者相手に、少し油断してしまいました」
「笑い事じゃないよ、スハラ大佐」
傷口を丁寧に洗いながら、その男性は眉間にしわを寄せる。
「マヤマ曹長が応急手当てをしていなかったら、大量出血でもっと大掛かりなことになっていたかもしれないんだよ?」
「……すみません、カランサ先生」
カランサに軽く責められ、アスナは肩を竦めて反省の意を示した。
アスナはフィオナとツクヨミ、マヤマに付き添われ、市街地のすぐ近くにある国立第三病院に訪れていた。窓口でアスナの名前を出すと、ほとんど待つことも無くカランサ医師の診察室に通された。ネイブドール基地の軍医であるカランサ医師は、その腕を買われ、国立第三病院の非常勤医師としても活躍しているのだ。
「一体全体、どうしてこんなに深い傷を負ってしまったんだい?」
「市街地巡回をしていたら、先日、噴水広場で逃がしてしまった奇術者の男に出くわしたんです。『身体蘇生』の奇術者なのですが、どうやら奴は『変化自在』の奇術も使えるようで、自身の右腕を鋼鉄のような物質に変化させていました。私を攻撃するときは剣に、建物の屋上へ逃げる時は棍棒のようなものに……」
「なるほど。だから、そのような切り傷が……」
マヤマは納得したように頷く。
「刃を研いだばかりの包丁のようにきれいに切れていたんです。あんな傷口、看護学校時代に模型で見た物以来ですよ」
「マヤマ曹長の言うとおりだ。まぁ、その分早く傷口は塞がるかもしれないね。――はい、終わり。包帯は一日二回巻き直して、この後処方する塗り薬を忘れずに傷口に塗ってくれ。マヤマ曹長に頼んでも良いよ」
「分かりました。ありがとうございます」
アスナが深く頭を下げると、同時に診察室のドアがノックされた。
「クロダ准尉とミキです」
「どうぞ」
フィオナがドアを開けると、袋を担いだミキとクロダが心配そうに入ってきた。
「大佐の軍服をお持ちしました。――傷はどうですか?」
「カランサ先生とマヤマ曹長のお陰で、大事には至らなかったわ。軍服、ありがとう」
血で汚れボロボロの上着をツクヨミに手渡し、アスナは新しい軍服に腕を通す。
「そんなことより。あの金髪ヒョロ野郎と話していたら、色々と疑問が湧き出てきたわ」
「疑問? 奴と何かあったのですか?」
「えぇ。あいつ、意外と口が軽くてね……色々と聞き出すことが出来たわ」
アスナは両手を組むと、金髪男のニックネームはウルフであること、ウルフは何らかの組織の一員であること等、フィオナを始めとする部下達とカランサ医師にありのままを話した。
「『これが俺の性質だから』、か。奴の言う性質って何なんでしょうね?」
「性格みたいなものじゃないですか? 上司命令なんて無視しちゃっても平気な性格というか……」
「だったら、いちいち『性質』なんて言葉は使わないだろう。俺達が耳にしたことがないということは、奇術専門用語の一つだったり……?」
「それは一理あるかもしれないわね。ミキ中尉、なかなか頭がキレるじゃない」
「こんな時にからかうなよ、ツクヨミ中尉」
部下達の会話を聞きながら、アスナも頭の中を整理する。
(あいつが使っていたのは『変化自在』の奇術であることに間違いは無い。つまり、奴は『身体蘇生』と『変化自在』、二つの奇術が使えるということになる。そして――)
カランサが医療器具を片付けるのを眺めながら、アスナは顎に手を当てる。
(あいつは何らかのグループに属している。その中であいつは『ウルフ』というあだ名で呼ばれていて、グループには『ボス』と呼ばれる人物がいる。もしかすると、奇術者によって構成される集団かもしれないわね。とりあえず今夜は、奇術者によって構成される集団について調べることにしよう。ただ……)
アスナは眉間にしわを寄せた。
(一番分からないのは、ウルフが言っていた『性質』という言葉。「俺の性質」だなんて、まるで何かの物質みたいな言い方じゃない……)
「大佐。どこか苦しいのですか?」
上官の表情を見て察したのか、隣からフィオナが声を掛けてきた。
「あ、ううん。そういう訳じゃないよ。ただ、分からないなって」
「何がです?」
「奴――ウルフが言っていた『性質』という言葉よ。ずっと奇術に関する文献を読み漁っているけど、『性質』なんて言葉、見たことも聞いたこともないんだよね。奇術者達の中で使われている用語の可能性が高いかもしれない」
アスナの発言に、「私もそう思います」とフィオナも賛同した。
「とりあえず、基地に戻りましょう。午後の予定もありますから」
ツクヨミの進言で、一同はカランサに別れを告げて国立第三病院を出た。
椅子から立ち上がって窓からアスナ達を見送りながら、カランサは小さく溜息をついた。
「これが若さというものだろうか。最近の軍の若者……特にスハラ大佐やグランドールのトキトウ大佐は無茶が多い。患者や他の医師から彼らの活躍を聞いていると心配になる。取り返しのつかないことにならなければ良いのだが」
デスクに手を突きながら、カランサは冷めたコーヒーをすするのだった。