第09話 小さな司令官と幼馴染
「……で、どんな感じ? ……えぇ、そう……じゃぁ、こっちの思うままってわけね?」
ソファに座り、フォックスは受話器に向かって話し掛けていた。
「……えぇ……、分かったわ。無理しないでね? じゃぁ、また」
フォックスが受話器を置くと、部屋の中を歩き回っていたウルフは立ち止まって振り返った。
「新しい情報は入った?」
「情報というか何と言うか……。とにかく、あっちはファルコンの思惑通りに動いてるって」
フォックスはタバコに火を点けながら微笑んだ。
「っつーことは、この間ファルコンが言ってた話は……」
「成功ですってよ」
「さすがファルコンだな」
ウルフは自分のことのようにガッツポーズをとった。
「ウルフ、あなたもファルコンを見習いなさいよ? 仕事をする時は冷静にならないと」
「うるせぇなぁ。しょうがねぇじゃん、それは俺の欠落に関わるんだから」
小さく舌打ちすると、ウルフは身を投げ出すように椅子に座った。
その時、ノック音に続けてドアが開いた。
「ボス、ただいま戻りました」
「あら。お帰りなさい、イーグル」
部屋に入って来たのは、ネイブドールでウルフを助けたイーグルだった。彼の傍らには、銀のベリーショートの女性。フォックスとウルフは彼女の顔を指差しながら叫んだ。
「ラビット!」
「どーも、お久しぶり。――ちょっと、離してよっ」
彼女――ラビットは右腕を強く振り、その腕を掴むイーグルから離れた。
ソファから立ち上がり、フォックスはつかつかとラビットに詰め寄る。
「会うのは三ヶ月振りかしらね。まったく、どこに行ってたのよ? 先月のミーティングにも来ないし……」
「いつものことじゃない、そんなの。どこに行こうとアタシの勝手でしょ?」
「それは困るわ。あなたはシークレットテイルの一員なのよ?」
「分かってるわよ、自分から進んで入ったんだから イーグルに掴まれていた腕をさすりながら、ラビットは口をへの字に曲げて腕組みをする。
「――で、何? アタシに何か用があるんでしょ?」
「……例の計画のことよ。フォックスが潜入に成功して……」
「なんだ、そのこと? 知ってるわよそれくらい」
ラビットはつまらなそう右手をひらひらさせた。
「知ってるだって? ファルコンに直接聞いたのか?」
「まさか。ファルコンはシュクラドールにいるのを見ただけで、話はしてないわ」
「……じゃぁ、どういうことだよ?」
ウルフは訝しげにラビットを睨んだが、ラビットは動じずにニヤリと笑う。
「アタシを舐めないで欲しいわね。ちゃ〜んと、周りを見ながらほっつき歩いてるんだから。一応、アタシはアンタ達と同じ目的を持っているんだから」
「……それは良いことね、ラビット」
フォックスの赤い唇が、美しく光りながら弧を描く。
「これからも、協力を頼むわよ?」
「言われなくとも。――用は済んだ? じゃっ、アタシはこれで帰るから」
一同に背を向け、さっさと立ち去ろうとするラビット。その背中に向かって、フォックスは言った。
「でも、出来るだけここに帰ってきてちょうだいね? 正直、女一人でむさ苦しい男の相手をするのはキツいのよ」
むさ苦しいと言われたウルフは、眉一つ動かさないイーグルの隣で思い切り顔をしかめた。
「……んもぅ。イーグルってば、手の力が強すぎるのよ」
右腕の赤くなった部分をさすりながら、ラビットは大通りに出た。
「レディに対する礼儀とか無いのかしらね? ――まぁ、感情が欠落しているんだからしょうがないか。――さて」
季節にそぐわない半袖シャツの上に、クリーム色のコートを羽織る。
「そろそろ、あっちの様子を見に行こうかな」
* * *
ネイブドール基地内の射撃場では、特殊戦闘員達が射撃訓練を行っていた。
「次!」
訓練を取りまとめているハガワの合図で、拳銃を握ったケイが物陰から飛び出した。走りながら的に向かって腕を伸ばす。それと同時に、標準を合わせようとするが為に足が遅くなる。
乾いた発砲音が三発。しかし、人の形をした的には穴が一つしか空かない。
「ムラサキ! 銃口を上げるなって言ったじゃないか!」
「はいっ」
サツキの怒号を背中で受けながら、ケイはそのまま向かいの物陰に倒れ込んだ。
「次!」
再びハガワの声。飛び出したのはサツキだ。短距離走のように前傾姿勢で駆け出すと、そのスピードを保ったまま的に三発撃ち込む。弾丸は、三つとも心臓部分を貫いていた。
「さすがはミネハマ中佐だ」
ケイの隣で、彼と同期の青年がつぶやく。
「あんなに全力で走っているのに、的を一センチも外さないだなんて……」
「そうだね……そんなミネハマ中佐の指導を受けてるのに、僕は全然駄目だ……」
「二人とも、何をボケッとしているんだよっ」
動かないケイ達の背中をサツキが強く押す。
「っ! すみませんっ」
押された二人は、倒れそうになりながら位置に戻った。
「……ふぅ」
射撃場の片隅では、『干渉』の強度を測るために作られた機器を使い、アスナが訓練をしていた。
「どう?」
「数値は約十五上がりました」
目盛りを確認し、機器を調整しながらフィオナは述べた。
「うーん、伸び悩むなぁ」
「異能の連続使用で、かなり疲れているのだと思いますよ」
「そんなことないけど……」
口を尖らせながら首を傾げるアスナに、フィオナは苦笑した。
「別に見栄を張らなくても良いんですよ? 特に、親友の前では」
「……やっぱり、フレータ少尉に――フィオナに嘘はつけないや」
アスナは右手を下ろし、全身の力を抜いた。
「続きはまた明日にするよ」
「分かりました」
フィオナはアスナに記録用紙を渡すと、備品係に用があると言って立ち去った。
射撃場からフィオナの姿が見えなくなると、アスナは深いため息をつきながらその場に腰を下ろした。
「お疲れ、アスナ」
「……ケイ、」
すると、彼女のもとに訓練を終えたばかりのケイがやって来た。
「片付けやらなくて良いの? 下っ端伍長のあんたが仕事しなくてどうするのよ」
「大丈夫だよ、ハガワ隊長には上手く説明してあるから。……な、何でそんなに睨むの?」
「……疲労困憊してるこっちの身にもなってよね。複合異能だって楽じゃないんだから」
「やだなぁ、僕だって、こう見えても結構疲れて……」
正直一人になりたかったアスナは、眉間にこれでもかと言うくらいに深くシワを刻んだ。何かを察したのか、ケイは声のトーンを下げる。
「……ごめん」
そして、アスナの隣に静かに腰を下ろした。
「…………」
沈黙。決して重くはないが、互いに話題を模索している時の空気。
「……最近、」
話を振ったのはアスナだった。
「特殊戦闘中隊の訓練、ハードになったよね?」
「まぁね」
ケイは柱に背を預けながら頷く。
「ハガワ隊長曰く、来るべき日に備えて特殊戦闘中隊全体のレベルを上げたいんだとさ」
「来るべき日、ね……。それ『破壊神』のことでしょ?」
「うん」
ケイははっきりと頷く。『破壊神』が現れる可能性は、先日、アスナによってネイブドール基地全体に知らされたばかりだ。
アスナは自嘲気味に息を吐いた。
「情けないんだよね」
「……特殊戦闘中隊が?」
「違う違う、私が」
アスナは自分を指差した。
「アスナが? そりゃまたどうして」
「十一年前のことをリアルに思い出すのよ。町が焼かれたり、親が殺されたり、『破壊神』に殺されかけたり……。身体が震えるんだよね。トラウマってやつ?」
「でも、それって仕方ないことでしょ? あの頃、僕は首都にいたからよく知らないけど、あの戦闘は悲劇以上のものだったって聞いてるよ」
ケイは真顔でアスナの横顔を見つめる。天井を見上げていたアスナは、ケイに顔を向けた。
「だからといって、いつまでも引きずるわけにはいかないでしょ。……私はネイブドール基地司令官、ネイブドールを守るべき立場にいる。その私が過去に囚われていたら、特殊戦闘中隊も他の隊もついて来れない」
「アスナ……」
「そもそも、こんな実力と精神状態では、自分の身を守れるかも分からない……。これじゃぁ、私を司令官に任命してくれたタカツキ大総統に申し訳ない」
「…………」
自分の感情に任せ、畳み掛けるように言葉を重ねるアスナ。ケイが困ったようにうつむくと、アスナは「ごめん……」と小声で謝った。
「ううん、アスナの苛々解消役には慣れてるから。僕こそ、何も出来なくてごめん」
うつむいたまま笑ってみせるケイ。無理矢理作った笑顔だが、それでも見た者の目を包むような優しさがある笑顔だ。
この幼なじみは昔から変わらない、とアスナは心底思う。
(銃を持つと攻撃的になる。かと思えば、普段はおどおどしてることが多い。……でも、私の愚痴は全部聞いてくれる。フォローも何もしないけど)
アスナは膝を抱え、膝頭に顎を乗せる。
(本当、昔から変わらない)
ケイが軍に入った詳しい理由は、幼なじみのアスナでさえも知らない。彼の『狙撃』の異能が見付かったのは軍入隊後であることは有名だ。
アスナが物思いにふけり、再び沈黙が流れる。
「……昨日さ、」
彼女と同じく沈黙が嫌いなケイは、アスナに明るい声で話し掛ける。
「グランドール基地の司令官と電話してたでしょ?」
「……は? 何でそんなこと知ってるのよ! まさか、あんた」
「いや、そ、そんな、立ち聞きしたわけじゃなくてさ……」
ケイは拳を握るアスナを慌てて制す。
「ちょっと用があって書斎に行ったんだけど、中から楽しそうな声が聞こえたから……」
「いやいや、全然楽しい話してないし」
「そりゃ、内容は知らないけどさ……僕と話す時とは声色が違ったから。本当、アスナは分かりやすいよねっ」
「…………」
そんなことないと反論しつつ、アスナは自分の分かりやすさにがっかりせずにはいられなかった。
「スハラ大佐。『干渉』強度測定機の材質強化を依頼しておきました」
射撃場があらかた片付いた頃、フィオナがアスナのもとに戻ってきた。
「ありがとう、フレータ少尉。材料の発注は備品係がやってくれる感じ?」
「はい。……特注になるので、どうしても費用がかさむとのことですが」
「大丈夫。今月分で何とかなる」
軍服についた埃を軽く払うと、よしっと言いながらアスナは立ち上がった。
「夕食前に、一回部屋に戻ろうかな。少尉はどうする?」
「私も戻ります。今日は食堂で済ませるんですか?」
「えぇ。もう、お腹が空きすぎて我慢出来ない」
自分のお腹をさすりながら笑うアスナの笑顔に、影は一つも残っていない。
「ケイ。私の話を聞いてくれてありがとう」
向日葵のような笑みを向けたアスナに、ケイはホッと安堵の表情を見せる。
「……どういたしまして」
射撃場でケイと別れると、アスナとフィオナは真っ直ぐ自室に戻った。
「私がいない間、ケイと何の話をしたの?」
「『破壊神』の話。ほら先週、トラウマかもって話したじゃない?」
「あぁ、あの話」
フィオナは上着をハンガーに掛け、ブラシで丁寧に汚れを落としていく。
「結局、ケイにも胸の内を暴露しちゃったわけ?」
「うん」
アスナも同じように軍服を脱ぐと、下に着ていたトレーニングシャツからいつものワイシャツに着替えた。
「だから、ケイは悩んじゃうのよ……」
「え?」
「ううん、何でもない」
フィオナのつぶやきにアスナは何度も首を傾げたが、まぁ良いやと思考を中断した。アスナは立ち上がり、軍服を肩に引っ掛けた。
「さっ、早く食堂に行こう!」
アスナの台詞に頷くと、フィオナは手入れをしたばかりの軍服に袖を通す。
部屋を出て食堂へ向かいながら、フィオナ言った。
「アスナ。昨日、トキトウ大佐と電話してたでしょう」
「っ、フィオナも知ってたの……?」
「まぁね。悪いけど、話はバッチリ聞いちゃった」
フィオナはわざとらしく片目をつむる。
「トキトウ大佐にも、同じことを愚痴ってたね」
「……フィオナ、あなたって本当に恐ろしい子」
私的な話をする時は周囲に気をつけようと、今さらながら思うアスナだった。