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侵蝕する狂気

 誘われるまま、恐る恐ると中に踏み入る。震えるアスモデウスの手を引きながら前を歩く勇者に続くが、体重を受けて軋む音だけで心臓が口から飛び出るかと思うほどに怯えながら歩んでいく割には、住人と違って住居自体にはそれほと異質な物は見受けられなかった。西洋風の壷や花瓶が多くあまり日本の家屋らしくはないものの、このくらいの家ならマンションやアパートでもよく見かける。

 それらと違うのは、せいぜいが一軒家であるが故の敷地の広さと、広間の真ん中に置いてある荷馬車くらいである。ほっと溜め息を吐きながらその前を通り過ぎる。


「……?」


 何か違和感を感じ、ふと立ち止まってそれに目を向ける。

 そこにあるのは至極普通の荷馬車だ。馬は繋がれて居ないが、屋内なのでそれも当たり前だろう。普通、家の中で馬車は乗り回したりはしないのだから。


「……って馬鹿! そもそも屋内に馬車がある時点でおかしいわ!」


 目の前をすたすたと足早に歩いて行く勇者が視界から外れたせいもあり、思わず素の調子が漏れる。

 その瞬間、孝の側を向いている荷馬車の荷台でがしゃんと激しい音が鳴り響き、幌の隙間から擦り傷だらけの男の両腕が突き出された。まるで予想だにしなかったそれに思わず身を寄せてきたアスモデウスの肩を抱いて引き攣った呻き声を漏らすが、それに次いで上がった叫び声に掻き消される。


「だ、誰かいるのかぁ! 助けてくれぇ! 頼む! ここから出してくれ! 出してぇぇぇぇぇ!」


 掠れ切って酷くしわがれたその声の主は幌の中で何かを掴んで揺すり、がしゃんがしゃんと金属の掠れる音を上げる。どうやら荷台の入り口に格子が張ってあるようだ。狂気と悲壮感に満ち満ちた懇願に孝は視界がぐにゃりと歪むのを感じ、唯一確かな現実感を得られる物であるアスモデウスの肩に回した手に込める力を強めた。

 その時、奥から戻ってきた勇者少年が素早く馬車に駆け寄り、その荷台へ手に持った棍を突き入れた。犬の悲鳴のような甲高い声に何かが倒れる音が響き、僅かな呻き声が漏れるだけになったそれに更に駄目押しの3発を叩き込むと馬車からは息遣いすらも聞こえなくなる。

 その作業を依然として笑みを浮かべたままこなした勇者少年は、棍を適当な所に立てかけると孝達に顔を向ける。


「さぁ、奥へどうぞ」


 そう言って深い闇が佇むリビングへと手招きした。

 どこか異常でなんとなく恐ろしい奴から、どこか異常で凄まじく恐ろしい危険な奴と変わったそいつを見ながら、孝は恐る恐るとアスモデウスの肩から手を離しその馬車を指差す。


「あ、あれは一体、何なんでしょうか?」


 微かに震える人差し指の示す先に勇者は目を向け、静かになった馬車を見ながら口を開いた。


「彼は|獲猫<えるぴょう>、魔王を倒すため共に立ち上がった仲間です。商人として馬車の中を温める重要な役目を担当しています。さぁ、そんな事より奥へどうぞ」


 その口から発せられた答えは予想をまるで裏切らず、突っ込み所が多すぎてどこから指摘すればいいのかわからないものだった。

 いっそ、背を向けている間に逃げてしまおうか。弱い気持ちが胸の内側でそう囁きかけてくるのを頭を振って思考から叩き出す。ここでいきなり消えたらどうなるか。孝達は最初に隣人だと名乗っているのだ。不審に思った勇者が孝達の住居まで来るかもしれない。それだけは避けなくてはならない。正体の秘匿だとかそんな大事ではなく、ただ恐ろしいが故に。


「し、失礼しまーす……」


 生まれたての小鹿のように震える足取りで勇者の後に続いてそこに踏み入った。暗闇に包まれたその部屋の中で、ぼっと橙色の明かりが灯り、それが勇者の顔を不気味に照らし出したのを見て喉から無様な嗚咽が漏れた。何か妙な事でも起きたのかと身構えるが、そんな孝達に構わず勇者は手にした蝋燭の火をテーブルの燭台に灯し、使い古した感のある木組みの椅子を二つ引いて孝達に座るよう促した。

 蝋燭の炎を受けるその椅子に何か不審な点がないかしげしげと眺めた後、ゆっくりとそれに腰掛ける。アスモデウスもそれに続いて座り、すぐさま椅子を動かして孝の隣に身を寄せた。


「どうぞ」


 勇者はテーブルを挟んで反対側に座ると、そう言いながら背中の袋を取り出し、中から更に乗った羊羹を取り出して2人の前に差し出した。どうやら直接身に着けている物品以外の所持品は全てあの袋に入れているようで、その羊羹には先程突っ込まれたソバや青々とした雑草、果ては獣の毛のようなものが付着しており、更にいつから入れていたのか薄く異臭を放っている。どうすればいいものか、眉をひくつかせながらちらりと横を見ると、瞳をぎゅっと閉じたアスモデウスがテーブルの下で孝のシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。あてにするのは無理だろうと、出来る限り口端を引き攣らせて笑みのような物を勇者に向けた。勇者は自らも袋に手を入れるとそこから取り出した羊羹……勿論、孝達に差し出したものと同じく色々と妙なものが付着しているもの……を、ダイレクトに自分の口に放り込み飲み下す。


「それにしても、随分仲がよろしいようですね。ご夫婦ですか」

「い、いえ。親子です。な、そうだよな母さん」


 唐突に話を振ったせいかアスモデウスがびくりと体を振るわせたのを、勇者は頷いたのだと都合よく勘違いしてくれる。


「というと、中山さんの奥さんですか。失礼しました、随分お若いようなので」


 そう言って勇者は頭を下げたが、下げられた側のアスモデウスはそんな事まるで目に入ってはいなかった。

 中山さん、という言葉には聞き覚えあった。先んじて人界の戸籍を取得していたアスラが己につけた偽名の苗字だ。明らかに色々と異常な点はあるものの、一応まともな受け答えの成り立つ人物なのだと孝は少し、ほんの少しだけ安堵した。少しだけ表情が弛むのを感じ、口を開く。


「それで、そちらのお名前は?」

「はい、私は勇者です」


 そして早くもその安堵が綻んだ。表情筋が不規則に引き攣り始める。


「……え、えぇ……そうですね……紛れもなく勇者ですけど、そうじゃなくて名前を」

「私は」


 言葉を遮り、ずいっとテーブルに身を乗り出して怯え竦む孝の目の更に奥底を覗き込むように顔を真正面から付き合わせる。闇より尚深い瞳で射抜きつつ、三日月形の闇が開いて言葉を発した。


「勇者です」

「はい。その通りです」


 満足げに頷きながら勇者が身を引き椅子に座りなおした。

 静寂が場を支配する。いや、実際には孝の隣から時折しゃくりあげるような声と指で目元を拭う衣擦れの音が漏れているので静寂というよりは沈黙という方が正しいか。とにかく、場が硬直状態に陥っていた。

 とりあえず勇者の根幹に触れそうな話題は避けるべきだ。当たり障りの無い、ありふれた世間話を振るべきだろう。そう考えて孝は口を開く。


「そ、それで勇者さんは普段は一体何をなさっていらっしゃるんで?」

「はい。私は日夜仲間の魔法使い、戦士、商人と共にこの世界を支配する魔王と闘っています」


 そう思っていたが、勇者はあっさりと話題をその道に引き摺り戻してしまった。

 軽い眩暈を覚えながら、しかし孝はふと気付く。自分の身内に魔王と呼ばれる類の人間がいくつかいる事を。

 ――まさか天界の関係者? こちらの行動が向こうに漏れていて、こいつは揺さぶりをかけに来ている?

 そうと考えれば多少は納得がいく。奴等であれば、潔癖症が故に多少気を違えていても何も不思議はないからだ。


「魔王……とは、一体? いわゆるサタンだとか、そういう伝説的な?」


 実際に今人界に来ている奴の名前を上げて少しばかりカマをかけ、じっとそいつの反応を見る。そいつはこちらの様子が変わったのに気付いているのかいないのか、ふるふると首を横に振った。


「いえ、魔王とは呼んで字の如く人間を悪に導く魔性の王、邪悪そのものの集合体です。多くの人間は奴によって心を支配されています。人間が悪事を働くのは奴の魔力のせいなのです。そして私は、奴の野望を打ち砕くために神によって生み出された伝説の戦士なのです」


 そうはっきり、きっぱりと力強く言い切った。孝は一度瞳を閉じて黙考する。

 記憶が正しければ、今人界で侵略、破壊を企んでいる悪魔、魔王の一派は彼らのみであり、そもそもそんな凄まじい洗脳能力を持った悪魔などいないはずだし、仮にそれがいて、指揮系統を持たず独断で人界侵攻に励んでいたとしても、そこまで派手に手広くやれば潔癖症の天界が魔界に抗議の大侵攻、下手をすれば一度人界ごとその悪魔を滅ぼして、もう一度初めから清浄なる人界の創世へ走りかねない。

 つまり、どうあっても理屈に合わないのでこの勇者の言葉は根も葉もない嘘のはずである。にも関わらず勇者の目はそれを嘘ではないと如実に語りかけてきている。それはつまり、この勇者の少年がそれを本気で言っているという事だ。正しいかどうかは別として。というよりも、正しくなくても正しいと思い込んで。

 目を開け、深く息を吸いながら暗い天井を仰ぎ、安堵したように息を吐いた。

 ――なんだ、やっぱりただのあたまおかしいやつかぁ。

 しみじみと心中で呟く孝に構わず、その勇者は話を続ける。


「今はもっぱら戦力の補強のため僧侶の仲間を探しています」

「さっきの商人の人に僧侶をやってもらえばいいんじゃ……」


 先程の馬車の方で何かガタガタと物音が響く。勇者はすっと立ち上がり、壁際にあるスイッチを押し込んだ。バチッという音に続いて短い悲鳴が響き、静けさが戻る。


「彼には、馬車を温めるとう大切な役割がありますから」


 そう言いつつ再び席に着いた。背中の袋から羊羹を取り出すと、減っていないこちらのそれの上に更に積み重ねる。

 必死に愛想笑いを作りながら孝は考える。隣人としての礼儀はもう果たし、敵の疑いも一瞬で解けたのであればこの場に居る意味は残っていない。後はこちらが変なボロを出さない内に退散したほうが利口だ、と。

 しかしこの異様な空気から自然に抜け出せる方法というと少し思いつかない。隣にいるアスモデウスもいつもの調子は戻らず、周囲の話がまるで耳に入っていないようで到底当てにはならない。

 が、そこで思いつく。いつもの調子ではないのならそれを利用すればいいのだ。


「あれぇ母さん! 何だか妙に具合が悪そうだな!」


 椅子から立ち上がりつつ隣のアスモデウスの肩に手を置き、ややわざとらしいくらいに声を上げた。突然声を掛けられたアスモデウスはぽかんと涙の跡が残る顔で孝を見上げていたが、やがてその意図に気付くと慌てて首をぶんぶんと縦に振った。


「あ、ああああぁ。なななんだかちょっときぶんがわるくて」

「これはひどい!」


 答えるや否や、すぐさま腕を背中と膝の裏に回してその体を抱え上げる。きゃ、と少女のような悲鳴を漏らすアスモデウスに構わずにその顔を勇者に向ける。


「それじゃ勇者さん、家で休ませてやりたいんで今日はこの辺で!」


 そう言ってアスモデウスを抱きかかえたまま玄関に向かって駆け出した。体の不調を訴える身内を休ませるため。これならば何の無理もなくこの家を脱出できる。何処にも穴のない完璧な計画だ。


「あぁ、それなら」


 そう確信していた孝の肩を、いつのまにかその背後に回り込んでいた勇者が力強く掴んだ。掴まれているのは肩ではなく心臓であるかのような不気味な錯覚を覚えながら振り向くと、依然変わらぬあの笑顔を浮かべたままの勇者が袋からそばつゆに塗れた雑草の束を取り出し、怯え泣いているアスモデウスの眼前に突き出している。


「これを」

「……それは?」

「やくそうです。HPが回復します」


 そして、止める間も、HPって何ですかと尋ねる間も挟まずに勇者はそれを唖然と開かれたアスモデウスの口に突っ込んだ。

 口から青々とした雑草を生やしたアスモデウスは、しばしぷるぷるとその身を震わせ、がくりと力を失い白目を剥いて気を失った。


「お邪魔しましたぁぁぁーーー!!!」


 意識を失い、完全に力の抜け切った重い体を抱きかかえながら一目散に家から逃げ出す。

 自分には理解が及ばない恐ろしい物がある。暴威を伴わずとも与えられる恐怖というものを、孝はこの日初めて思い知った。

どうぐ→やくそう→つかう→アスモデ

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