邪悪なる7人
「いやぁ、悪かったって。そんなに落ち込むなよ」
そう呟きながら、アスモデウスは扉を開け、他の面々が集うリビングに踏み入る。その顔が何やら気まずそうに歪んでいるのは、恐らくその背後から続いて現れた、異様なまでに肩を落として歩く少年のせいだろう。のろのろとソファーまで歩き、そこに座り込んで頭を抱える。
「そりゃぁさ、なんでこんな錚々たるメンバーの統率役として俺なんかが? って思ったよ。何かの間違いじゃないかって確認したり不相応だって緊張して縮こまったり。でもそれを忘れるくらいにこんな大役を任された事が嬉しかった」
きっ、と顔を上げ睨みつける視線から、アスモデウスは素早く顔を逸らした。
「それが何だよ! 作戦の動機がアニメ? いじると楽しそうだから指名した? ふざけんな! やってられっかこんな事ー畜生ぉー!」
「うろたえるな見苦しい!」
背後から放たれた怒号に少年はびくりと身を竦ませ慌ててそちらに振り返る。煌く黄金の髪を逆立たせた厳しい顔付きの美丈夫がその鮮血の如き真紅の瞳でじっと少年を見下ろしていた。
「いいかパルパル。例え理由が何であれ、その過程がどうであれ貴様は任を与えられそれを引き受けたのだ。ならば些事如きに一々惑わされるな。お前は黙ってその責務を果たせばそれでいい」
「サタン……、様」
威風堂々たるその姿に、思わず名前がまるで違う事を指摘するのも忘れて無意識の内にその名の後ろに敬称を付けてしまう。
悪魔王サタン。魔界創世最初期からの最古参であり、地位、実力共に大魔王に次ぐ彼の振る舞いは、正に最高位の魔王に相応しい立ち姿であった。たとえその身に纏うのが、上下セットで1000円の安物黒ジャージに包まれたものだった事を差し引いても。
「……って、あれ? まだ任務延期の事とか皆に言ってないよな? 何で知ってるんだ?」
と、そんな疑問を呈したとほぼ同時に。
『あたしって、ほんと馬鹿……』
テレビのモニターから漏れ出た声が静まり返った部屋の中に響くと同時に、サタンははっとテレビのモニターに振り向いた。青い髪の女の子が駅の構内に倒れて真っ黒な何かに包まれて化物に変わっていく様子が移っている。サタンは再び少年の方を向き、不機嫌そうに口を開く。
「ほら見ろお前のせいでいい所を見逃してしまったではないか」
「おい勝手に巻き戻すんじゃない。このブルーレイディスクは今日中に養父上に送ってやらねばならぬのだぞ」
「黙れ、ささやかちゃんの名シーンを見逃したまま先に進めるか」
「あんたらか魔界にアニメ再開の連絡つけたのはー?!」
少年が立ち上がり叫びと共に投げつけたクッションは、サタンだけでなく彼とテレビの前でリモコン争いをしている銀髪、美形の優男もまとめて巻き込みお揃いの黒ジャージが二体纏めて床を転がった。
「ていうかもしかしなくてもよく考えたらあんたらのせいだな! 大魔王様が妙な趣味にハマるのはいつもあんたらが勧めた時だもんな! 最初から全部事情知ってたんだろこのアニオタ野郎どもがー!」
「失礼な事を言うな。義父上にはアニメ以外も見るよう勧めたぞ。特撮とか。なぁ義弟よ」
金頭が起き上がりながらそう言うと、すぐ横の銀頭も起き上がり頷く。
「突っぱねられてしまったがな。まぁ時機を見てまた勧めるさ。なぁ義弟よ」
「勧めんなこれ以上!」
怒鳴りつける言葉を無視し、2人はこちらに背を向け赤い髪の子が『ささやかぁー!』と叫んでいるモニターに向き直った。
憤りに拳を震わせながらどっと疲れを吐き出すように溜め息をつく。忘れていた。そもそも最初にこの面子に幻滅させられたのは、魔界でも最高位に位置する悪魔王サタン、それに次ぐとも同格とも呼ばれる堕天使ルシフェルの2人だった。当初何やら怒り心頭といった様子に頼もしく思っていた矢先、人界に着くなり2人でネットカフェに入り浸りネットとアニメとマンガに耽り出したのが全ての綻びの始まりだった。
「もう、何だよ……あんたらだって最初はあんなやる気だったじゃねーかよ、それがどうしてそうなるんだ」
「だって仕方なかろう。俺達は最初はあの地震が我々につぶ☆マジを見せぬために天界が起こしたテロだと思っていたのだ」
「うむ、しかし実際調べたら普通の自然災害である事が解りそれなら手を出す理由もないと」
「アニメ止めるためにテロ起こすバカがどこにいんだよ!」
「だよなー」
「怒りは時として冷静な思考を失わせる。良い教訓になった」
「いい話だった風に締めんな」
2人してアニメに合わせエンディングテーマを歌いだした背中に投げかけた言葉は当然のように無視され、少年は思わずテーブルの上に置かれた硝子の灰皿に視線を向ける。
「あっくん、どうしたの」
それに手を伸ばしかけたその時、背後から可愛らしい声が聞こえ正気に戻りそちらに振り向いた。背後にいたのは少年の胸元までしか上背のない、それと反して異常なまでに発達した胸部を持ちやや栗色に近い微かにウェーブした黒髪を腰の辺りまで伸ばした、まさしく可憐と証するに相応しいどこか気弱そうな顔の美少女がつぶらな瞳で彼を見上げながら手に持ったメロンパンをもきゅもきゅと齧っていた。
「ベル、お前そこのアホ2人から話聞いてないのか?」
そう問われた少女はしばしメロンパンを齧るのをやめ、眉根を寄せて黙々と思案した後で小首を傾げた。
「サタンのおじちゃんには『アメあげるからちょっとなまくびちゃんのコスプレしないか』って言われたけど、よくわかんなかったよ?」
「そこの魔王、いたいけな子供に変な事吹き込むな」
そう声を掛けるが、今度はオープニングテーマを歌っていてまるで相手にされなかった。少年はそのベルと呼んだ少女にかいつまんで一連の流れを説明する。
「という事だ。わかったか?」
「わかんない」
「だよな」
即答し、メロンパンを齧るその頭にぽんと手を載せてぐりぐりと撫で回した。
見た目も中身もこの通りではあるものの、この少女も少年よりも遥かに格上の悪魔である。サタンやルシファーと並ぶ7つの大罪を課せられた悪魔の末裔であり、かつての初代と同等の才を見込まれて誕生と同時にその『ベルゼブブ』の号を受け継いだ次期4代目暴食の王その人だ。伊達にメロンパンを食べ続けているわけではない。
ちなみに、号を持たない雑種平悪魔である少年がベルゼブブと親しげなのは作戦開始以前から旧知の仲だった故である。他の5名のように幻滅して捨て鉢にタメ口を利いているわけではない。
「……ところで、お前は俺の名前ちゃんと覚えてるか?」
「わかんない」
「……だよな」
最も、それ故に名前に関しての失望に限っては他の面々よりも深く傷つけられるのだが。
失意に肩を落としながら少年はリビングを見渡す。今ここにいる自分を含めて5人。それ以外の人影は見当たらない。
「アスラさん……は仕事か。ゴルゴンはどうした?」
「あれ、さっきまで居たんだけどなぁ」
口から紫煙を吐きながらアスモデウスが眉を寄せた。
アスラ。悪魔でありながら神としての側面も持つ戦鬼であり、接近での対個戦闘ならサタン、ルシフェル両名をも凌ぐ。その力とは裏腹に物静かな人で、たまに見かけると壁際で黙々と新聞を読んでいる。幻滅……というのとは違うが、空気のように薄く掴み所のない人物であり、その人間体の見た目が40半ばな事もあり、少年は微妙な距離感を感じてしまい、何故かさん付けで呼んでいる。人界における活動資金を稼ぐため先んじて偽造戸籍を作り企業に潜り込んでいて、この家も彼の収入と就職した会社の名前を出して借り受けた借金で購入したものだ。
「ゴルゴンお姉さんならさっき出てったよ。なんか怒ってるみたいで怖かった」
「怒ってる?」
食べ終えたメロンパンの袋をゴミ箱に捨て新しいメロンパンの袋を開けながら、その人物を思い出したのか少し怯えたような顔でそう言った。
ゴルゴンというのも、号持ちの名の知れた悪魔だ。流石に魔界創世以来の生え抜きやその後継者、神と両立する、言わば「個体名」とも言える号を保持する彼らと比べれば、「種族名」の号持ちである彼女は一枚落ちるものの当人の格はそれらと同格のように魔界で語られている。
何故なら号というのは、「個体名」であれば世襲、「種族名」であれば同じく世襲、又は当主の許可を得て初めて与えられる物であるが、ゴルゴンの家系は遥か昔に途絶え、傍系すら居ない以上本来それを与える事は誰にもできないはずだった。だが、当代のゴルゴンは研究によって既に潰えていた伝説の石化の眼を、100%一切の劣化なく完全に再現した事で、失われていたその号を特別に与えられた。天才、もしくは突然変異とでも形容すべき魔界史上初の特例である。
「ふむ、ゴルゴンか」
その希代の天才の話題に、依然アニメの映るモニターを睨んでいたサタンが何か思い出したように口を開いた。
「先程『そういえば話に聞くお前の石化の眼というもの見たことがないな。どうだ、ひとつその石化の眼とやらで俺の股間でもガチガチに固めてみろ』とウィットに富んだジョークを飛ばしたら股を蹴り上げられてしまったが、まさかそれとは関係あるまいし」
「うむ、私も『話に聞いたがピンク髪とは淫乱なそうだな。私の股間もガチガチにしてもらおうか。何なら眼を使わずにガチガチにしても構わんぞ』と小粋な洒落を飛ばして玉を蹴り上げられたが、まさかな」
「間違いなくそれだろ」
「おぉ、アンクちゃんが変身したぞ」
「義弟よ一時停止だ、停止をするのだ」
自身の欲望に忠実すぎるセクハラ魔王達はその背に向けられる少年の蔑みきった視線にも全く構わず、全裸になる変身をする赤い髪の子が映り出すモニターに齧り付く。その姿に最早怒りも通り越した呆れしか感じず、少年は深く息を吐いた。
「いくらこんなのとはいえ力も地位も上の相手によくそこまでやれるもんだ……ってタメ口聞いてる俺が言う事じゃないか」
「あっくん、股間がちがちって何?」
「ベル、今後あいつらの話は一切聞かなくていいぞ。それも忘れろ」
怪訝そうに見上げてくるその穢れのない無垢な視線から目を逸らし、先程魔王達に投げつけたクッションを拾い上げてソファーに座った。それに続くようにベルゼブブが少年の隣に、冷蔵庫から酒とつまみを持ち出してきたアスモデウスが向かいに座る。少年はそれら2人と、またリモコン争いを始めた2人に順番に目を向け、一度疲労感に溢れた溜め息を漏らしてから口を開いた。
「仕方ない、とりあえずこの5人で今後について話し合おう」
一部不在だけどだいたいこんな奴らです