迷走する思索
その宣言を境に周囲に静寂が訪れ、崩れたマンションの瓦礫ががらがらと崩れ落ちていく音だけが辺りに響いている。
孝はその瓦礫の中心を見つめながら、ごしごしと目元を擦った。そうすれば目の前の光景が嘘か何かになるのではないかと切実なまでに馬鹿げた願望を込めて何度も何度もそれを繰り返すが、そこでゴテゴテした衣服に身を包んで暗黒い目を爛々と妖しげに輝かせる人物の姿は当然消えたりはせず、そこにいる顔見知りの勇者の存在を認めざるを得なかった。
そうして現実逃避を終えると、今度は目の前の勇者への恐怖が蘇る……事はなく、代わりに強烈な危機感に見舞われる。
マンションの屋上から飛び降りての一撃を頭部に食らった挙句に自爆した天落黒羽命は瓦礫の中から片足だけを覗かせてひくひくと痙攣している。死亡してはいないものの、意識不明かもしくは体がまともに動かせないレベルの重傷を負っているのだろう。あれほどの衝撃を不意に頭部に受けたのならばそれも仕方がない、とはあの男に対しては通用しない。あれは腐りきってはいるが魔王の一角なのだ。本気で戦闘をする体勢に入ったあれの意識を刈り取ろうとするのであれば、最低でも飛び降りてきたマンションを直接投げつけるくらいはしなければ万に一つすら可能性はない。
しかし、実際にあぁして倒れているという事はあの勇者が明らかに模造品の臭いのする剣で放った一撃が数万トンクラスの物理的破壊力を保持していたか、もしくは物理法則意外の力が働いたかだ。それも、超常の力の扱いにおいて天界魔界を束ねた上で最も上位に位置する1人である天落黒羽命を上回るほどの。
どちらであるかは重要な問題ではない。問題はそのどちらだろうと、目の前の勇者がただの異常妄想に取り憑かれた思春期の少年では有り得なくなるという事だ。
こうして目の前にしてもそれらしい気配は一切感じないが、恐らくはあれも天界からの刺客なのだろう。何処から気付いていたのか、何処まで気付いていたのか。先日はただ決定的な現場を押さえるために泳がされていただけのようだ。でなければ、あれを一撃で沈められる男が獲物を黙って返す理由がなく、結果として敵の目論見通りに見事に釣り上げられたというわけだ。
余りに酷すぎる状況にどこか現実離れした絶望を抱いたまま、視線をもう1人の天界の使者に向ける。ひょっとしたらあの浮かれきった様すらもが演技だったのかという思索は、しかしその顔に浮かべられた色濃い困惑によって払拭された。
指揮系統の違いか、どちらかの独断専行か。恐らくこの展開が慮外だったのだろうその大天使は、味方が見事に敵を討ち果たしたというのにも関わらず、勇者に向ける視線は血縁である天落黒羽命は元より正しく敵である孝達に向ける物と比べても尚強い敵意に満ちている。恐らくは兄弟とのじゃれあいを邪魔されたからだろう、その視線の先が瓦礫の中で痙攣する兄の足先に向く度に眉間に刻まれた皺が数を増してゆくのを見る限りではそう見て問題はあるまい。
きっと隠すつもりもないのだろう、不快を露にミカエルは口を開く。
「……何だ貴様は」
その喉から静かに漏れ出た剣呑な声色に周囲の空気がひりついていく。ミカエルから発せられる空気にはかすかではあるものの、目の前の少年に対した一切の冗談を交えぬ害意がありありと感じ取れる。押し潰すような威圧感が立ちこめ、冗談か何かのように思えていた全身から放たれる光までもが神々しくも不気味に見えた。
それはもはや変貌と言っても過言ではない。……いや、じゃれあう相手がいなくなり、ふざけるのをやめたこの姿こそが、天界でも最強格の1人に数えられるこの男の本来の姿なのだろう。
「何故ここに……いや、違うな」
値踏みするような、あるいは蔑むような、どこか兄を思わせる傲慢さすら滲んだ目つきで勇者の頭から爪先までをじっくりと眺め、一呼吸溜めの間を置いてそれを口にする。
「ここは……誰だ貴様は、と問う所か」
ミカエルが口にした、その単刀直入で他に受け取り様のない簡潔な言葉の意味が理解できずに思わずは? と気の抜けた声が漏れた。
それは、ミカエルとて天界の住人全ての顔と名前を覚えていたりはしないだろうが、それでも天落黒羽命を一撃で下すような、己と比肩し得るほどの実力者を知らぬはずはないだろう。にも関わらず、ミカエルはその目の前の少年にまるで心当たりがないといった様子で勇者を睨みつけている。
まさか、天界の手の者では無いのか?
次々と沸いて出る疑念に惑う隆を余所に、問われた少年は掲げた剣を下ろし澱んだ光を放つ瞳をミカエルに向けてはい、と頷いた。
「私は勇者です」
謎の自信を満々に、以前孝に対してしたのと全く同じように名乗りを上げる。しかし今宵の勇者は以前とは違い、名乗るだけに留まらず、左手でばさっとマントを翻しながら先程飛び降りたマンションの屋上を指し示す。
「そして彼らが共に世界を救う、選ばれし者達です!」
力一杯に発せられた勇者の言葉を受け、孝とミカエルはそれぞれ頭上を仰ぎ見る。遠く、小さく見えるがそこには確かに2つと人影となにやら小刻みに震える四角い籠のような物の影があった。どうやってあそこまで持っていったのかは知らないが、おそらくは自宅においてあった馬車なのだろう。
その言動はいつかと同じ聞くものの理解を一切拒む物であり、ただの思春期特有の誇大妄想持ちの少年ではないと改めた認識を、非常に高い実力を伴った思春期の誇大妄想持ちの少年と改めた。
「……そうか」
孝にはできなかった理解をできたのか、あるいは同じように投げ出したのかミカエルが静かに呟く。そして周囲にはらはらと舞い散る己の羽根を数枚ほど掴み取った。淡い光を発するそれをぎりぎりと握り締めながら、怨念の篭った視線で勇者を射抜く。
「では死ね勇者。家族の団欒を阻んだ罰だ」
握られた羽根がぱきんと無機的な音を立てて砕け散り、光の粒となったそれは次いで振りぬかれた右腕の軌跡を追ってまるで刃のように薄く長く伸び、恐るべき速度でその先にいた勇者に襲い掛かる。
どういう原理でどのような効果を及ぼすのかはわからないが、その煌く粒子の一粒一粒に込められた異常なまでの魔力量だけでも十分戦慄に値するだろう。
「はっ!」
その、見るものが見れば、真正面から向けられれば、恐れ慄き絶望するであろう死の宣告を、勇者は右手に掴んだ異様にゴテゴテした玩具臭漂う剣の一撃で軽々と打ち砕いた。ミカエルの手元から伸びる光の帯はすぐさま霧散し、砕き散らされた切っ先は勇者の頭上に弾かれて延長線上に存在したマンションを音も無く斜めに切断して、そのまま何事も無かったかのように星空に向かって飛んで消えた。
天落黒羽命の自爆で既に半壊状態にあったマンションが更なる破壊で完全にバランスを失い崩れ落ちて行く。結果的にその決定打を叩き込んだミカエルは己の手と勇者を見比べながら怪訝そうに眉を顰めている。
「どうやった。私の『剣』は防ぐのは勿論の事、叩き割る等という事ができる性質の物ではないはずなのだがな」
ミカエルの疑念を一身に受けるゴテゴテした剣をちゃきっと音を立てながら構えなおし、勇者は不敵に笑う。
「ふっ。世界の平和為に闘う勇者はどんな力にも屈しないのです邪悪な怪人鳥男よ」
「……いや、あんたがあれ弾いたせいで一杯市民の平和を著しく乱してるんだけど」
「黙りなさい中山さんの息子に取り付いた悪魔よ」
驚愕に次ぐ驚愕に、精神状態が一周して逆に正気に近付いてきた孝の言葉を勇者はばっさりと切り捨てる。マンションの残骸から昇る苦悶の声や、崩れたマンションの屋上に立っていた仲間達の安否などはまるで気にしていないようだ。
「面白い。ほんの少しだけだが貴様自身にも興味が沸いた。よかおる、ならばこれは兄の敵討ちではなく決闘だ」
「あんたの兄さん今落ちてきた瓦礫に埋もれてぴくりとお動かなくなってんだけど」
「黙れ兄を誑かした賊の手先めが」
瓦礫の中から赤い染みを盛らしている兄の体とそれを指摘する孝の言葉も切り捨てて、ミカエルは背負った12枚の翼の羽根を全て分離し束ねて握る。舞い散った膨大な粒子は太陽にも匹敵するかと思われるほどの光量を全て内側に向けて収束させ、一切の光を漏らさずどこまでも白い剣の形に凝縮された。
天界最強に名を連ねる大天使と、理解分析共に不可能な精神と能力を秘めた人間が、それぞれどこまでも質素で鋭い剣と果てしなく華美でちゃちな剣を向け合う。
「行くぞ怪人鳥人間! 改造人間に人権はない!」
「おのれ勇者が! 奔郷健を馬鹿にするのは許゛さ゛ん!」
そして、開戦の合図としては結構随分な掛け声を皮切りに2人はそれぞれの敵へと一歩を踏み出し、くだらない茶番の繰り広げられる路上は阿、と言う間すらも無く戦場へと姿を変えた。
やべぇ書くのが久しぶりすぎて文章の書き方が全然思い出せねぇ、書いててなんか前と違うような気がする
読んでくださってる方には申し訳ありませんがしばらくはペースダウンさせていただきます