辛酸舐める妥協
鼻血を出して地面に倒れた童星の上に馬乗りになり、そのままアルバムの背で殴り続ける。
「待て孝!」
いつの間にか復活してきたエロスが一心不乱に打ち続ける孝を背後から羽交い絞めにした。そのまま童星から引き剥がそうとするのに孝は両手をばたつかせ必死に抵抗するも、エロスも懸命にそれを押さえつけ逃さない。
「離せ! こいつは殺さないと駄目だ!」
「落ち着け! 俺も気持ちはわかる! でも……!」
「黙れ! お前に俺の何がわかるってんだ!」
「俺も百合展開見たい!」
「気持ちがわかるってこいつのかよ!」
脇を締め、差し込まれた両腕を捕らえて前に屈み腰を跳ね上げてエロスを前方に投げ飛ばした。エロスは地面に横たわっていた童星の上に落ち、2人は絡まって地面を転がりエロスはそのまま動かなくなるも、童星はけろりとした顔で立ち上がった。その顔は何故か殴られた痕すら残っていない。孝は無言で足元にある手ごろな大きさの石を手に取った。
「落ち着いてよ中山君。確かに君から見たら僕は変態だし馬鹿なこと言ってるかもしれない。でも僕も本気で壊滅さんが好きで彼女の幸せを考えて言ってるというのだけは信じて欲しいんだ」
「何がどうなったらそうなるんだよ! 信じられるか!」
「ほら、女の子は幸せの絶頂から突き落とされた時の顔が一番可愛いじゃないか」
「やっぱりお前の性癖か! 信じられないし信じるとしても尚悪いわ! 突き落とされると解ってて賛同する奴がどこにいんだよ!」
「なら一歩譲って寝取って突き落とすのは壊滅さんの彼女の方にするからさ」
「舌の根も乾かないうちに翻るお前の本気って何?!」
要求を全て突っぱねる孝に対しどうしたものかと瞳を閉じて思案する童星。孝はそれに向かって、気付かれないようできるだけ静かに手に握っていた石を投げつける。童星は目を閉じたまま首を逸らして石を避け、狙いを外れた石は地面に横たわっているエロスの腹部に当たってエロスを悶絶させた。
「仕方ないなぁ。じゃあ百歩譲ってまず友達にさせてくれればいいよ。その他は応相談って事で、面倒だけどそれならいいでしょ?」
「どうしてそこで寝てる奴やらお前やら会ったばっかの相手にそんな上から目線になれんの?」
「……友達?」
そこで、今の今までずっと孝の背後で黙っていた壊滅が顔を出す。孝は慌てて2人を遮るように間に立ち、その両肩を掴んで押さえ込む。
「壊滅、お前は引っ込んでろ目と耳が腐る」
「友達から始めさせてください」
「勝手に話しかけるな魂が穢れる!」
「うん、いいよ」
「だからお前は引っ込んでえぇぇぇ?! 何で許可した?!」
これ以上ないほどの驚愕を込めた絶叫を発しながら、両手に掴んだ壊滅の肩をがくがくと揺さぶる。揺れる視界にやや目を回しながら、壊滅はおどおどと遠慮がちにそれを口にする。
「……だって、クラスにはもうわたしの友達になってくれそうなひと、いないんだもん」
その、重く寂しく切実な告白を聞くと同時に、壊滅を揺する孝の手がぴたりと止まった。先程までの騒がしい空気が一転暗く澱んだ空気に変貌し、何か言ってやらなくてはならないにも関わらず孝は酸欠の金魚ように口をぱくぱくと開閉させるばかりで、一向に声が出てこなかった。
「何あの空気? 彼女クラスで何かあったの?」
「あぁ、なんか緊張に弱いらしくて自己紹介の時吐いちゃったんだよ」
その代わりとばかりに、場の空気などまるで気にしない2人はひそひそと声を漏らしていた。
「あー、それは少し辛いね。でもそのくらいで転校生ハブるって少し心が狭くない?」
「いや、問題はその後でな。ブツを皆で処理しようって話になったんだけど、壊滅ちゃん見た目があれだろ。女子だけじゃなくて男子もいい格好しようと出張ってきたんだけど、そこで孝が『人の妹の吐瀉物に興奮してんじゃねぇこの変態野郎共!』って叫んだせいで……」
「うわっ普通いくら美少女のでも吐瀉物に性欲をもてあますなんて発想からして有り得ないよ。さすがにそれは兄妹揃って変質者扱いされても仕方ないかな」
「だよなー。世の中真面目そうな顔してる奴が一番危ないんだよ」
所々不名誉な人格批判が混じっているものの、大体は合っているので声高に指摘する事もできず孝はそちらをきっと睨みつけるくらいしかできず、さっとそっぽを向いた2人の横顔を見ながらぎりぎりと歯軋りを漏らした。
一方で、真正面から見上げてくる請うような視線にも気がついており、どうしたものかと迷いながら視線を逸らし続けていた。
壊滅が友達という物に拘る気持ちは孝にも十分わかっている。生まれながら魔界でも有数の力を持っていた壊滅……もとい、ベルゼブブはその格式高い家柄のえいで幼い頃から余り他者と接する事がなかった。魔界で最も力の強い魔王の一角を担うベルゼブブに対して気軽に拝謁できるような悪魔は皆遥かに年が上で、気楽に談笑など楽しめる相手はいなかった。寂しそうにしているベルゼブブを不憫に思った現当主、先代ベルゼブブは時折娘を連れて領地を散策する事にした。
これにはベルゼブブも胸を躍らせていたのだが、話はそう上手くは行かなかった。それまでベルゼブブが出合った悪魔は、皆それなりに良き家柄の力のある悪魔であり、力ある悪魔のスタンダードである人間体を取って子供であるベルゼブブにも片肘張った丁寧な態度で接していた。
そんな大人ばかり目にしてきたせいか、ベルゼブブは魔界で一般的な自分の欲望に直球で本性を一切隠さず丸出しにした粗暴な性格に化物然とした容姿の下級悪魔達を目にした瞬間、今まで接してきた人物達とのギャップに耐え切れずに卒倒したという。
結局、人間体を取れるほど強い力を持っていたり、あるいは能力として人間の姿を持つ悪魔と出会えたのは、数年ほど経って偶然領内に踏み入った孝達と出会ってからだった。それから現在に至るまで、友人と言える人物は……壊滅が現在同居している5人をどう思っているのかは孝には解りかねる……1人も増えてはいない。
視線を前に戻し、壊滅の顔を見る。願うような、祈るような、そんな不安そうな顔でじっと孝を見上げてくるその顔を。
長い付き合いだ。そこまで執着する気持ちも察せられる。壊滅はこれが対等の立場で接する相手を作れる最後の機会だと思っているのだ。高い地位を持つ魔界ではもう無理だろうと諦めていたそれが、素性を隠しただの人間として生活できるここでなら手に入ると、恐らくはそう思って。あるいは人界行きの任に志願したのもそれが狙いだったのかもしれない。
見上げてくるその視線に耐え切れず、孝は目を閉じ、骨身に不本意な諦観を染み入らせながら深く息を吐いた。
「わかった。わかったからそんな目で見ないでくれよ」
そう言うと、壊滅はぱぁっとその顔を輝かせ、孝に抱きついてその胸元に顔を埋めた。その喜びように少し気恥ずかしさを覚えやや顔を赤く染めながら壊滅の頭を撫で回し、ふと思い出したようにその肩を押し戻し、足元に落ちている手ごろな石を二つ手に取った。
「イエーイ! シスコン兄貴公認だー!」
「早速適当な女の子攫ってきて乱交パーティーしようよ!」
そして不穏で不健全な言葉を口走ってはしゃいでいる2人の頭部を、人間を昏倒させるには十分な威力を持った投石が襲う。
2人が地面に横たわるのを見届けた孝は手についた砂をはたき落としながら、先程から変わらない笑みを浮かべたまま再びそれを壊滅に向ける。
「ただし、あいつらが訳が解らない事言ってもその意味を人に尋ねたり自分で調べようとは絶対にするなよ、いいな」
壊滅は初めて出合った時以来であろう若干の怯えを含む顔で孝を見上げつつ、物理的にも心情的にも一歩引きながら頷いた。
シスコン必死すぎる