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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
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07 : 見あげた空は。3





 寝台に腰かけた状態のまま横に倒れていたイチカは、シゼと、その後ろに続いたアサリを見るなり、すぐに瞼を閉じた。


「放っておいてください」

「そうはいかないんですよ。きみ、だいぶ具合が悪いでしょう」

「もともと丈夫ではありません」

「それならますます、わたしはきみの診察をしたいですね。わたしは薬師ですし、興味もあるので」


 シゼの診療をいやがったイチカだが、しかしけっきょく抵抗もせず診られていた。抵抗する気力がなかったのか、それとも不気味に微笑むシゼに敵う気がしなかったのか、おそらくは後者だろうとアサリは苦笑する。


「……そういうこと、ですか」


 手早くイチカを診療したシゼは、イチカにきちんと寝台に横たわるよう言うと、使っていた道具を片づけながらのろのろと動くイチカを観察していた。


「そういうことって?」


 イチカが寝台に丸くなってこちらに背を向け、シゼの言葉を聞いていない様子だったので、アサリはどういう意味かと訊ねる。

 シゼはちらりとアサリを見やって、「これですよ」とイチカを促した。


「イチカ?」


 もそりと、イチカが動く。


「なんですか」


 きちんと返事をするのがイチカだが、アサリはべつにイチカを呼んだわけではない。シゼが「これ」と言ったのがイチカだっただけだ。しかし、イチカが振り向いたのはシゼにとって好都合だったようだ。


「イチカくん、きみ、(まじな)いを受けていませんか?」


 シゼの問いは、唐突だった。そして、明確な意図を持っていた。

 だがイチカの反応は薄い。


「それがどうかしましたか?」


 と、怪訝そうだ。驚きもしない。

 アサリは吃驚だ。(まじな)いってなに、という状態である。


「きみのそれ、受けている呪いのせいですね。初めて見る呪いですが、誰からのものですか?」

「……害のあるものではありません」

「そう見えないから訊いてるんですよ」


 シゼが、いつものやる気なさをどこへやったのか、随分と真剣にイチカに問う。しかしイチカのほうは取り合わず、ふいとまた、アサリたちに背を向けて丸くなる。


「イチカ、どういうことか教えて」

「疲れました。休ませてください」

「イチカっ」


 教えてと言っているのに、イチカは振り向かない。動きもしない。

 しばらく様子を窺ったが、梃子でも動きそうにないイチカに、アサリよりも早くシゼが諦めた。


「わたしの勝手な憶測を、呟かせていただきます。まあひとり言ですし、気にしないでください」


 そう宣言すると、「イチカくんの呪いですが」と、アサリに講義するかのように口を開く。


「残念ながら、魔導師を身近に見てきたわたしでも、イチカくんの呪いがどんなものかわかりません。しかし、わたしがこれまで見てきた魔導師にはできない種類の呪いであることは、はっきりとわかります。わたしが知っている偉大な魔導師は、大魔導師の称号を持っていましたが……」


 ぴくりと、イチカの肩が揺れた気がした。それはシゼにもわかるところだったのだろう。一拍置いて、シゼはまた語り出した。


「大魔導師でも駆使できない呪い、つまりそれは、今世で最強であるとされる魔導師の呪い、ということになるでしょう。そうとしか考えられません」

「ちょ……シゼ、それどういう」

「とても強い呪いですよ。いえ、もしかしたら強いのではなく、その魔導師が考案した力なのかもしれませんね。彼なら新しい力を発動させることなど容易いでしょうし」


 まるで、最強であるとされる魔導師を知っているかのような、そんな口ぶりだった。いや、アサリも噂の中でなら最強の魔導師を知っている。シゼの場合、持っている情報量があるだけに、信憑性が強い。


「そう考えると、イチカくんはどうやら彼と知り合いか、或いは身近にいるのか、ということになるわけですが……さてどうなんでしょうね。わたしはイチカくんより彼の心情を聞きたいところです。なぜこんな呪いをイチカくんに施したのか、と」


 気になりますねえ、と言いながら、シゼは座っていた椅子を離れ、そのまま部屋を出て行く。

 シゼの言葉の先もその内容も気になったアサリだが、果たして追いかけるべきか、しかしイチカの様子も気になって迷ってしまう。


「僕が受け入れたものです。害はありません」


 と、イチカがぼそりと呟いた。だからアサリは、シゼを追いかけず部屋に留まり、それまでシゼが腰かけていた椅子に座った。


「……呪いって、なに?」

「正確には、呪いではありません」


 返事はないかもしれないと思ったが、イチカは答えてくれた。相変わらずその背は向けられたままだったが、それでも、口を開いてくれた。


「僕には魔導師になれる素質がありました。だから受け入れることができたのです。僕はそれが……しあわせなことに思うのです」


 しあわせ、と口にしたイチカに、アサリは唇を噛む。イチカがどんな思いでそれを口にしたのか、していたのか、最初に聞いたときと同じようにわからないことではあるが、とても重い言葉だった。


「だいじょうぶなの?」

「害はありません」

「でも、シゼはそう見えないって、現にイチカ具合悪そうだし」

「言ったでしょう。僕には、あまり力がありません。そのせいです」


 シゼの予想では、守護石の代替えをするのが精いっぱいだと言ったイチカが、守護石を直せるほどの力があるということだった。しかしイチカは否定する。力がない、と。


「本当にそれだけなら、シゼだってああは言わないはずよ」

「明日には回復します。放っておいてください」

「イチカっ」


 呪いがどんなものなのか、アサリにはわからない。呪いという言葉そのものも、聞き慣れないものだ。けれどもシゼの曰くありげな言い方から察するに、イチカが言うように害がなくとも、少なくともこうしてイチカに体調不良を起こさせるものであることは確かだ。

 イチカがあの嵐の翌日に生き倒れていたのも、それだけが原因なのではなく、呪いがあったせいかもしれない。


「ねえイチカ、わたしなんかが口出ししていいことじゃないのはわかるけど、でも、心配にはなるのよ。こうしてイチカとは仲良くなれたし……あ、仲良くなれたと思ってるのはわたしだけかもしれないけど、それでも、だから心配なの。本当にその呪い、だいじょうぶなの?」


 アサリに背を向けたまま動かなかったイチカは、ほんの少しだけ、身動ぎする。


「問題ありません」


 いつもの返答に、アサリは疑心暗鬼になりつつも、この場は無理にでも信じて、息をつくしかなかった。

 イチカはきっと、隠しごとはしない。訊けば答えてくれるはずだ。だから「だいじょうぶなのか」と訊いたアサリに「問題ない」と答えたそれに、嘘はないと思いたい。


 アサリは動かないイチカをしばらく見守ったが、今日はもうこれ以上の会話は無意味だと判断し、「時間になったら食事を持ってくるね」と声をかけたあとは、そっと静かに部屋を出た。


「なにか訊けましたか?」


 居間に戻るとシゼが、祖母が淹れてくれたのだろうお茶を飲みながら寛いでいた。卓に小瓶が並んでいたので、おそらくイチカへの薬を用意してくれていたのだろう。

 アサリは苦笑しながら肩を竦めた。


「害はありません、問題ありません。帰ってくる答えはそれだけよ。……薬、イチカの?」

「そうですか……二日分だけですが、イチカくんの薬です。風邪薬みたいなものですから、まあ飲まないようでしたら食事に混ぜるか飲みものに混ぜてください。粉薬です」

「ありがとう。請求はイチカ?」

「そう思っていましたが、べつのところに請求しようと思います」

「べつのところ?」


 薬は安価ではないが、高価でもない。作用に違いがある分だけ、それが価格に反映される。イチカの数日分の薬代は、一般的な風邪薬と熱冷ましなので、それほど高くはない。むしろシゼが調合してくれる薬は安価なほうだろう。近くの森に自生している薬草が使えるから、安価で提供できるのだそうだ。


「魔導師団に所属してましたよね、イチカくんは」

「官服を着てたからね。イチカも否定しなかったわ」

「ですから、魔導師団に請求しようと思います」

「ええ?」


 それはちょっと、難しいのではなかろうか。魔導師団は王立だ。国にイチカの薬代を請求しようとは、とんでもない挑戦のように思う。


「わたしが払うわよ。イチカを診るように頼んだの、わたしだし」

「きみに頼まれたことではありますけど、そもそも体調管理も魔導師にとっては仕事です。なんせ貴重な人材ですからね。治療代くらい請求できますよ。それに、ロウエン氏が王都に魔導師の派遣を頼むそうなので、言づけを頼みました」

「え」


 イチカの診療を手早く終わらせたのは、ゼレクスンが魔導師の派遣を頼むだろうということを予測しての行動だったらしい。


「というか、魔導師の派遣を頼むのね?」


 そういう方向に決まったのかと、台所に立っている祖母に訊ねると、絞った布巾を桶に入れて持った祖母が振り返る。


「そうみたいよ。ほら、イチカも具合が悪いでしょう? ゼレクスンが急いだほうがいいって、慌てちゃって。もう馬を出したと思うわよ」

「早いわね」

「イチカの様子を見れば、急ぎたくもなるわ。ゼレクスンにも平気だって言ったみたいだけど、やっぱり駄目そうでしょう?」

「そうねえ……」


 問題ありません、というイチカの言葉を信じていたいが、祖母も祖父も、そしてゼレクスンも、イチカのあの状態が健康であるとは思っていないし、ましてその言葉を信じてもいない。だからやはりイチカは、嘘をついていないなら、痩せ我慢しているのだ。

 こうなってくると、イチカが「害はありません」と言った呪いが気になって仕方ない。


「ねえ、シゼ?」


 祖母が洗った布巾を干しに外へ出たところで、アサリは未だ寛いでいるシゼを見やった。


「イチカが受けた呪いがどんなものか、本当にわからないの?」

「わかりませんね」


 シゼはアサリの問いに即答し、お茶を飲みきると座っていた椅子を離れた。持ってきていた道具を手にすると、玄関に向かう。帰るようだ。


「まあ、なんとなく予想はできますけど」

「予想?」

「その情報は曖昧なので、上手く説明できません。ただ、イチカくんはああ言いますけど、あまりよいものではないことだけは断言できます。なにせ、見たことも感じたこともない呪いですからね」


 玄関の扉を開けながら言うシゼは、まるでここに来るまで魔導師を相手に仕事をしてきていた人のような口ぶりだ。

 実際にシゼは、ここに来るまでそうだったのだろう。

 魔導師のことをシゼほど述べられる人は、まずこのレウィンの村にはいない。役所に勤めている人だって、魔導師ともっとも多く接触していても、魔導師のあれこれを詳しく説明できないはずだ。


「イチカ、だいじょうぶかしら」


 痩せ我慢などしなくてもいいのに、とアサリは思うのだが、呪いそのものを享受しているイチカには、なんの効力もない。

 アサリがイチカにしてやれることは少なく、またアサリがそうしようとすることが逆にイチカにとって迷惑でしかないかもしれないと思うと、なんだか胸中は複雑だ。


「……一つ、言い足します」

「ん、なに?」

「命に関わりはありませんよ、その呪いは」


 命、と聞いて、ハッとする。その可能性は考えていなかった。


「ですが、守護石の代替えは違います」

「……、え?」

「どんな呪いであるかはわかりませんが、よいものではありません。その状態で力を使う、というのは随分と身体を酷使するはずです。最初にわたしは言いましたよね、力の枯渇に近い、と。呪いを受けている身で守護石の代替えをするほどの力を使った、今の状態もそうです」

「それって……わたしがイチカを見つけたときも、呪いを受けた身体で大きな力を使ったあとだったって、そういうこと?」


 そうです、とシゼは頷き、玄関から出て数歩進むと空を仰ぐ。アサリも玄関口まで歩き、空を見渡した。

 あれほど強かった風は緩やかになり、曇天だった空の様子も今はからりと晴れ渡り、荒れていた天候が嘘のように回復している。


「……イチカはなにをしたの?」

「わかりませんが、今回は守護石の代替えですね」


 イチカは本当に、魔導師としての力があまりないのだろうか。いや、守護石の代替えなどができるなら、力はあるのだ。だから今このレウィンの村は、護られている。けれども呪いを受けているイチカの身は、ぼろぼろだ。

 なんだか、行き倒れているところを拾って看病しただけなのに、とんでもない礼をされてしまった気がして、アサリの胸中はますます複雑になった。それに、昨夜のイチカの言葉も気になるところだ。


「魔導師の力って……あまり、よくないのかしら」


 呟いたアサリに、天を仰いでいたシゼが視線を寄越してくる。


「それ、イチカくんが言っていたことですか?」

「イチカは意識して力を使うらしいの。それで、便利そうって言ったら、そんなにいいものではないってイチカが言ったのよ」

「へえ……そうですか」

「なに?」

「いえ。では、わたしはこれで失礼します。とりあえず日を置かずにまた来ますけど、なにかあったら呼んでください」

「……ええ、頼むわ」


 シゼはなにか納得したというか、理解したような微笑みを浮かべていたが、情報が曖昧だと言っていただけに説明する気はないらしく、「ではまた」と言うとアサリに背を向け、さっさと帰って行った。

 シゼを見送り、アサリは家の中に戻る。身体がいつものように仕事に向かおうとして、そういえば今日は休みであったことを思い出すと、イチカの様子を気にかけながらも、祖父母といつもの休日を過ごした。

 空はずっと、晴れ渡っている。







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