20 : 誓約の儀。2
誓約の儀とは、言葉こそ重みがあり、儀式そのものも軽視できないものだが、手順はそれほど難しいわけではない。簡単に言えば、魔導師にその道以外の力の揮い方をするなと約束させることであるから、もとより万緑以外はあまり視野にない魔導師には、わりとすんなり受け入れられることなのだ。
方法はいくつか提唱されている。弟子の暴走を止めるために急きょ取り行う場合には、その状態にもよるが、ライガは錬成陣を媒体にした状態で力を暴走させているので、アノイが封印式を干渉させているように、その上から誓約の錬成陣を被せればいい。詠唱を媒体にしている場合には、誓約の詠唱をするのと方法的には同じだ。要は、暴走している状態の上から、さらに魔導力を展開させることで、強制的に暴走を治めるのである。
イチカの力では紙一重な強制的儀礼ではあるが、今この場には幸いなことに、雷雲の魔導師ロザヴィン、楽土の魔導師アノイ、灯火の魔導師トランテなど、弟子を育ててきた魔導師がいるので、力量に問題はない。失敗する可能性もかなり低い。問題があるとしたら、イチカがどれだけの力で誓約の錬成陣を被せられるか、という初歩だが重要なことだけだ。
「そういや、おれ、おまえの錬成陣、見たことねぇな」
「共通錬成陣しか使いませんからね」
「堅氷が平らに力使うからって、なにもおまえまで平らに力を使うこたぁねぇんだぞ?」
「べつにそういうつもりでは。師の使い方は便利がよいのです」
「……。そう言えんのはおまえだけだろうがな」
「まあ……僕はバケモノか、鬼だそうですので」
「は?」
「ライガの言です」
「……ああ、わかるわぁ」
「わかるのですか」
「おまえのそれ、おれからしたらめちゃくちゃだからな」
白墨の持ち合わせがなかったので、適当な木の枝で地面に、ライガの周りを囲うようにして錬成陣を描いていたイチカだが、ロザヴィンにはそれがめちゃくちゃだと思う力の使い方らしい。
「瞬花」
「はい、なんでしょう、楽土さま」
「ライガが首を傾げている。ちゃんと説明を」
「ああ、そうでした」
暴走している当人を置いてことを運んでいたことを思い出し、イチカは地面に誓約の錬成陣を描きながら、首を傾げているライガに声をかける。こちらの声が届いているか不明だが、どうやら暴走の中心にいるライガはそこから動くことができないらしく、イチカが視線を合わせるとしきりに足許を促してきた。
「わかっていますよ、ライガ。とりあえずそのままでいなさい」
ライガはなにか言っていたが、声はこちらに聞こえない。口の動きから、どうなっているんだ、的なことを訊いてきているのはわかったが、自覚もなしに暴走しているようなので、これが終わってから説明しなければならないだろう。
「瞬花、説明になってない」
「こちらの声が届いていないようですし、ライガの声もこちらに聞こえません。あとからでもだいじょうぶでしょう」
「空中に、砂で、文字を綴ることはできる」
「それは楽土さまだからできることです」
「ぬ……」
「錬成陣は……はい、描けました。封印式を解除してくださってかまいませんよ」
そうこうしているうちに誓約の錬成陣が描き上がったので、アノイに頃合いを任せて錬成陣に意識を向ける。
得意ではないが錬成陣を主な媒体にするイチカなので、それなりに集中すれば展開は早い。封印式が解除されるのと同時に、誓約の錬成陣は発動し、ライガの暴走を丸め込み始めた。
とたん、どっと押し寄せる力の乱流。
台風の目にライガはいるようだ、と思ったように、万緑に向けられるはずの力が万緑に吸収されきれず、ライガの周りで吹き荒れている。
「ライガ」
「あ、やっと聞こえた」
このときになって互いの声が届き、声をかければライガがホッとしたように肩から力を抜いた。
「なあイチカ、おれ、どうなってんの?」
「暴走しています」
「……、え?」
「治めますから、わたしの言葉に頷いてください」
「なんで、って訊きたいけど……暴走ってまずい状態だよな? あとからにしたほうがいいか」
「そうですね」
「……冷静だな」
「力強い同胞たちがこの通り」
見守っている魔導師の数は、イチカをさらに冷静にさせている。もともとアサリのこと以外では熱が上がらない性質なので、この冷静さはふだん以上のものだろう。
「わかった。ここからは頷くだけにしておく」
「そうしてください。では……」
詠唱も追加して錬成陣に力を込めれば、それだけ確実な儀式にはなるけれども、見守る同胞たちがいるので、無理にそこまでやる必要性はない。もしものときは同胞たちがイチカを支えてくれる。その安心感は絶大なもので、イチカは緊張もしなかった。ライガのほうは自身の状態を知って顔を強張らせ、緊張し始めたようであるが、それくらいの心構えは欲しいので注意はしない。
「其は誓約、其は契約、其は呪縛、其は戒めの鎖にて其を封ず。其は永久に、其を、其に縛す」
ライガの周りに渦巻いていた力の乱流が、ぴたりと治まる。淀んだ状態から、それは錬成陣へと吸い込まれ、万緑へ返すように力は流れて行った。
「ヴァルライガ・カーグウッド」
「は、はい」
「御前に誓え。御前に約せ。力は万緑のためにあり」
「おれの力は万緑のためにある」
「力は民のため、国のため、柱たる王を支える。誓い、約せ」
「誓約する」
「戒めの鎖に従え」
「従う」
問答は、ほぼ確認だ。その意識に、錬成陣の為す呪術が働き、戒めの鎖は埋め込まれる。
かろうじて視認できる鎖が錬成陣から伸び、ライガに巻きつき一瞬にして消えると、誓約の儀は終わりだ。
「……今の鎖、なんだ? あ、まだ終わってないか」
「いえ、終わりましたよ。誓約の儀はそれほど難しくはありませんから」
「誓約の儀? 今おれ、そんなことしたのか?」
「誓約すると、従うと、頷いたでしょう」
「まあ。けど……え? 今のが国との約束ごと? 簡単過ぎないか?」
「小難しくする理由があるのですか?」
「いや、なんかこう、もっと壮大なのかと」
「壮大……充分、壮大であったと思いますが」
暴走を治めるくらいの威力を持っている誓約の儀だ。同胞が見守ってくれている、というだけですんなりことが済んでくれて、イチカとしてはホッとしている。
「あっさりしてんだな……」
「怪我はありませんか?」
「あ、うん。てか、あれが暴走だったのか、ていうくらいには無事なんだけど」
「恐怖も感じないのですか」
あっさりしているのは儀式だけでなくライガ自身だ、とイチカは思う。
「怖い……ものは、ねぇなぁ」
「……そうですか」
「まあでも、あの状態が続いてたら、怖かったな。楽土のばあちゃんとか、雷雲さまとかいたから、怖くなかっただけだ」
ふう、と息をついたライガは、今になって緊張を自覚したのか、脱力して地面に座り込んだ。
「だいじょうぶか、ライガ」
「ああ、楽土のばあちゃん。なんか迷惑かけたみたいで……雷雲さまも、ごめん」
「かまわない」
「おれの声聞こえないみたいだったし、ばあちゃんたちの声も聞こえないから、なにがなんだかさっぱりだったんだけど……暴走って、あんな感じなんだな」
「魔導師なら一度は経験しておくべきことだろう。貴重な経験をしたと、思えばいい」
「うん、そうする。あんがと、ばあちゃん、雷雲さま」
駆け寄ってきてライガの頭を撫でるアノイは少し嬉しそうで、ロザヴィンは呆れた様子ではあったが安堵したように笑っていた。
そして、さらに今さらではあるが、イチカは深々と息を吐き出してライガの無事を確信すると、その場にばったりと倒れたのだった。
「あとはまかせました」
「おう、まかせ……じゃねえ! なにぶっ倒れてんだ瞬花ぁ!」
忘れられているようであるから言っておく。
「ぼくにはそんなにちからはないのですよ……」
こんな大きな力を使う術を展開させたら、倒れるのは当然だとわかって欲しい。
ああ疲れた、とイチカはそのまま意識を遠くへ投げ捨てた。




