15 : 他人任せにするものではない。
*イチカとライガ(弟子)が成長するだろう物語、となっております。
ノルダン、という町がある。王都レンベルの西隣にある町で、さまざまな職人が多く集うため、職人の作品を値踏みする商人もまた多く集う大きな町だ。
「鉄屑を集めて運ぶのがほとんどだったから、体力には自信あるんだけどなぁ」
ノルダンの出身であるヴァルライガ、ライガは、師であるイチカが用意した書物にしょんぼりしながら、歳に不相応なため息をつく。
「黙って座っているのは疲れますか」
「うん。こんなに疲れるとは思ってなかった」
正直に、もうこの勉強はいやだ、とライガは主張する。悪い姿勢ではないが、もう少し根気を出してもらわないと困るところである。
「僕は師に書物を預けられて学んだのですが……」
「字ぃ書けなかったのに、読めたわけ?」
「それほど難しくはありませんでしたからね。すらりと頭に入ってくることが多かったもので」
「……あんた実はバケモンだろ」
「はい?」
弟子を持つというのは大変だ、とつくづく思う。自分が師に教えられたとおりにしようと思っても、これがなかなか上手くない。この教え方のなにが悪いのかさえわからないのだから、自分はてんで師に向かないと痛感する。
「瞬花は感覚だけで覚えたことが多い」
ふと、横からそう声が入った。
「だから、文字ではなく、感覚で覚えるといい。言葉よりも」
ライガが持っていた書物を取り上げた楽土の魔導師アノイが、ちらりと書物の内容に目を通し、開いていた頁を閉じた。
「ですが、楽土さま。ライガは学校に数年しか通っていなかったので、読み書きできる文字が少ないのです」
「アサリに任せればいい」
「アサリさん?」
「おまえに文字を書けるようにした人だ。おまえより、よほどいい先生になる」
文字を教えるのはイチカでは無理だ、とアノイは言いたかったらしい。
なるほど、と思う。イチカはアサリに字書きを教わった。必要性を感じず憶える気がなかったイチカに、アサリは根気よくつき合ったと思う。結果的にイチカは文字を書けるようになった。今では、覚えて損はなかったなと、思うことができる。
「では明日から、アサリさんの時間があるときに、ライガに文字を教えてもらいましょう」
提案すると、ライガはいやそうな顔をしたが、イチカにはなかった必要性を感じたらしく、しぶしぶといった様子で頷いた。
「このままだと、読める書物の範囲も狭いままだし……なあ、楽土のばあちゃん、今のおれでも読める魔導師が書いた本、ねぇかな?」
人見知りをあまりしないのか、ライガはアノイにすぐ懐いた。アノイもまた、あまり表情からは読めないが、子どもが好きであるようでライガのことはよくかまう。
アノイは誰よりも師に向いている、と思う。教え方は厳しいが、的確に必要なことへと導くからだ。今だって、ライガに文字を教えるのはイチカよりもアサリのほうがいいと、教えてくれた。
アノイの弟子は未だひとり、その弟子も弟子を持つようになったというのに、その弟子以外の弟子を持とうとしないが、この姿を見れば頷ける。アノイはすべての魔導師の師だ。彼女はすべての魔導師をわが子のように思っているから、誰かひとりだけの師になっては駄目だと思う。
「瞬花、瞬花?」
「あ……はい、なんでしょう」
アノイはすごいな、と思っていたところでそのアノイに呼ばれ、はたとイチカは思考の奥から現実へと戻る。
「殿下が呼んでいるそうだ」
「ああ……もうそんな時間でしたか。ライガ、僕は少し出ます。楽土さまに教えられた書物を読みながら待っていてください。殿下の用事が終わりましたら、一緒に帰りましょう」
太陽の傾きを確認して、イチカはライガにそう言いつけると、部屋に残るアノイにライガを任せて廊下へと出た。
「瞬花」
扉を閉める間際にアノイに呼ばれ、顔を上げる。
「師はおまえだ」
「……そうですね」
他人任せにするものではない、とアノイは言っている。それはわかっているが、イチカはアノイのようにはできない。こればかりは、イチカもライガと共に学んでいかねばならないことだ。
「アノイさま」
「なんだ」
「僕も学ばねばならないことが、多くあります。どうか、ご教授を」
「……頼られるのは悪くない」
「よろしくお願いいたします」
アノイに快い返事をもらうと、イチカは扉を閉めた。今日帰ったら、アサリにはライガの字書きを頼もう。
ふっと息をつくと、わがあるじたるアリヤ殿下の御許へと、足を急がせる。
このところは王子業が忙しいアリヤは、王族であることよりも魔導師であることを選び、そのための引き継ぎを弟殿下のサキヤにしていた。先ごろ学院の最終段階を終えたサキヤは、アリヤのそれに不服であるようで、あまり乗り気ではないらしい。そのせいで、引き継ぎが長引いている。アリヤに次代王の器がないわけではないから、むしろ次代王であるべきだから、サキヤは不満なのだろう。サキヤ自身も次代王の器はあるものの、アリヤのように魔導師になりたかったようなところがあるので、羨ましいのだと思う。表立って妬むような行動は取らないが、寂しそうにアリヤを見つめているところを、イチカは見たことがある。父親と兄が魔導師であるのに、自分はそうなれなかったという劣等感が、サキヤにはあるのかもしれない。表立ってそれを見せないところは、さすが王族というべきか。
とにもかくにも、今までアリヤが預かっていた王子業がサキヤに引き継がれる。乗り気でないサキヤは、周りを手古摺らせていた。
「失礼いたします、アリヤ殿下。瞬花の魔導師、イチカです」
アリヤの執務室へ来ると、イチカは扉を叩いて合図し、扉番をする近衛騎士たちに礼を取って中に踏み込む。
とたん。
「いやだって言ってるだろ!」
「あのねぇ、そう言われても、ぼくはもう王子ではいられませんし、そもそもこんなぼくがいつまでも王宮にいられるわけないでしょう。ぼくは雪刃の魔導師という渾名もある、魔導師なのですから」
「魔導師だろうがなんだろうが、アリヤはおれと同じ王子だろ。王族だろ。なんでおれが今までアリヤがやってきたことを引き継がなくちゃならないんだ。魔導師やりながらでも、アリヤなら王子やれるだろ」
「いえですから、魔導師のぼくが王子でいられるのはもう限界です。ぼくだって本業に力を入れたいのです。だからサキヤには……」
「いやだったらいやだ!」
珍しい兄弟喧嘩をしていた。師と陛下の御子たちは、基本的に仲がいい。喧嘩らしい喧嘩をしたことがないことで、ある意味では有名だ。
イチカはちらりと、入り口で待機する近衛騎士を見やる。イチカの視線に気づいた近衛騎士は、苦笑しながら肩を竦めた。
「同じことを一時間くらい前から繰り返し言い合っている」
「おや、一時間も」
「珍しい兄弟喧嘩だから、みんな、仲裁の仕方がわからないんだ」
「そうですか……」
仲裁に入れずにいる彼らは、一時間もずっと、ただ見守っていたらしい。だが、それもわかる。イチカも、どうやったらこの兄弟喧嘩に収拾をつけられるのか、まったくもってわからない。アリヤは平素と変わらないが、アリヤと同じくらい温厚なサキヤが怒鳴るくらいの事態は、初めて見るものだ。
とりあえずふたりが落ち着けるようにお茶でも淹れようか。
イチカは室内を見渡し、兄弟喧嘩をはらはらと見守る女官に声をかけ、お茶の用意をする。淡々と動くイチカに女官は助けを求めるような視線を向けたが、残念ながら仲裁の仕方はイチカもわからないので、アリヤとサキヤのお茶を用意してふたりの前に置くだけだ。
「はぁぁ……いい加減、わかってくださいよ、サキヤ」
「わかりたくもない!」
「きみもいい歳でしょうに……ああ、イチカ、お茶をありがとう。ちょうど咽喉が乾いていたところです。ほらサキヤ、きみもお茶を飲みなさい。咽喉が乾いたでしょう」
「話を逸らすなよ! ……ああイチカ、ありがとう」
喧嘩をしていても周りの存在は感じているらしい。それでも喧嘩を続けるふたりの王子は、もしかしたらなにか考えがあるのかもしれない。とはいえ、アリヤの侍従ではあるもののただの魔導師であるイチカに、王族のそれらは理解不可能だ。
さて、この兄弟喧嘩の終着点はどこだろう。
仲裁はできないが、周りがそうであるように見守ることはできるので、イチカは黙して兄弟喧嘩を眺めた。
イチカのその姿が、王子たちの喧嘩は遊びの一つなのか、と周りの人たちを安堵させていたのは、イチカの知るところではない。なにがあってもアサリ以外のことには動じない、淡々とした行動を取るだろうと、そう予測されてアリヤがこのときにイチカを呼んでいたのも、イチカの知るところではなかった。
後日、あのときは助かりましたよ、とアリヤに礼を言われたイチカは、なんのことかさっぱりわからなかった。
「いやまさか、サキヤがあそこまで嫌がるとは思っていなかったので。兄さんが冷静でいてくれたおかげで、ぼくらの不仲説が噂されずに済みましたよ」
「はあ……」
「これからどうしようかなぁ……まあ、ゆっくり、サキヤを説得するしかありませんよね」
騙し騙しサキヤに王子業を引き継がせているアリヤは、困ったように笑っていた。
描いてしまいました。
楽しんでいただけたら幸いです。




