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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
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05 : 見あげた空は。1





 翌日は曇天で、風が強かった。窓の硝子が壊れてしまいそうだったので、アサリは朝も早いうちに外側から板で窓を覆う作業をし、祖父は補強して回っている。


「季節風かの。そろそろ本格的に寒くなるか」

「早くない? 例年ならもう一度暖かい日がくるはずよ?」

「たまにこういう年もある。早めに収穫したほうがいいかもしれんな。イチ坊に相談してみるかのう」


 祖父に「イチ坊」と呼ばれてしまうイチカは、この時間なら畑のほうにいるはずなので、祖父は補強に使っていた道具を片づけると、イチカを呼びに裏の畑に行った。アサリも道具を片づけてしまうと、朝食の用意をしている祖母の手伝いに入る。


「じいさまが、今年はもう寒くなるって」

「ああやっぱりそうかい。どうも風が強いものねえ」


 年の甲か、やはり祖父母はこの地の気候を感覚で読み取る。アサリも祖父母ほどではないが、なんとなく季節の具合は読めた。それでも、本格的に寒くなるまでには少し早いと思う。


「アサリやい、イチ坊がおらんがどこに行った?」


 と、畑から戻ってきた祖父が台所に顔を出した。イチカがいないという。


「畑にいなかったの?」

「おらんな」

「あれ? 部屋にもいなかったけど……ちょっと捜してくるわ」


 イチカは起きてすぐに畑の様子を眺めている。一日一日の変化を観察したいという理由から、毎朝そうしていた。

 だから今日もそうだと思ったのだが、使っている部屋にも、そこから見える畑にも、イチカの姿はなかった。


「……イチカ?」


 アサリはとりあえず家中を歩いて捜してみる。

 しかし、イチカはどこにもいない。


「イチカ、イチカ?」


 イチカは呼べば返事をする。なんですか、とどこからともなく現われることもある。

 それなのに、返事もなければ姿もない。


「……外に出たの?」


 それとも、この村そのものから、出て行ったのだろうか。

 アサリや祖父母になにも言わず、出て行ってしまったのだろうか。


 愕然としたアサリは、自分の部屋から外套を引っ張り出すとそれを羽織り、居間を横切って玄関から外に飛び出した。


「イチカ!」


 冷たい風は、さっきよりも強くなっている。アサリの赤茶けた長い髪は煽りを受け、あちこちに飛んだ。それを押さえつけながら周りを見渡し、しかし果たしてどちらの方向に進めばイチカを見つけられるのか、思いつかなくて数歩で立ち往生してしまう。


「イチカ……行っちゃったの?」


 本当に、出て行ってしまったのだろうか。

 なにも聞いていないのに、行ってしまったというのだろうか。


 そのときだ。


 ぴた、と。


「え……?」


 吹き荒れていた風が、いきなり止んだ。

 数秒ほど静まり、そより、とゆったりとした柔らかな風が戻ってくる。


「なに? どうしたの?」


 アサリは天を仰ぐ。

 曇天はその流れを緩やかにし、隙間から陽射しが降り注ぎつつあった。まるでそれが正常な空だと言わんばかりだ。


 そうして。


()は風、秋の(ひなた)。其は光り、柔らかな陽」


 淡々とした、涼やかな声がした。


「其は緑、導きの陽。其は土、養いの陽」


 聞こえた声に振り向くと、明後日の方向を見ながらこちらに歩いてくる、イチカの姿があった。


「其は太平、真白き陽。願わくは普く一切の地上に慈愛の光りを注がんことを」


 なにかの詠唱を口にしながら歩いていたイチカは、それを終えるとふっと空を仰いで、視線を正面に戻す。


「……アサリさん?」


 イチカはアサリを見つけ、どうした、と言わんばかりに首を傾げる。淡々とした言い方をするくせに、仕草はたまに可愛いと思う。


「イチカ……?」

「なんですか」


 ああ、いつもの返事だ。「はい」か「なんですか」と返事をするのが、イチカだ。

 ほっと、肩の力が抜ける。

 出て行ったわけではなかった。


「畑にいると思ったのに、いないから……びっくりした」

「……以前も僕が部屋にいないからと、驚かれていましたね」

「いると思った場所にいないんだもの。そりゃあ吃驚するわよ」

「そんなに驚くことでしょうかね……」


 わからない、と言いたげにイチカは珍しく眉間に皺を寄せ、思案しながらアサリに歩み寄ってくる。

 並んで歩いたときも思ったことだが、イチカはそれほど背が高くない。成長途中なのか、長身の部類に入るアサリとほぼ目線が同じだ。


 だから、よく見える。


 イチカの黄緑色の瞳が、髪と同じ琥珀色に緑が混じって軽い渦状になっていて、それがどういう原理なのかはわからなくても、珍しい瞳をしているのだとわかる。琥珀に緑が溶け込む、そんな綺麗な渦を巻く瞳など、アサリは見たことがない。


 そして、せっかく微熱が引いたというのに、イチカの顔色は悪い。ただでさえ白い肌が、今や蒼白だ。


「イチカ、具合悪くない?」

「? なぜですか」

「顔色が……蒼いわ」


 アサリはそっと手のひらを伸ばし、イチカの頬に触れる。初めはひんやりと感じた頬は、触れてから少しすると人間らしいぬくもりを感じた。


「熱はないわね」

「……力を使ったので、そう見えるだけだと思いますが」

「力を? あ、そういえば風が……」


 急に風が緩やかになったのは、イチカがなにかしたからのようだ。


「ねえ、なにをしたの?」


 天候を操るなど、よほどの力だと思う。

 魔導師は天災から人々を護ってくれるが、さすがに自然の力を自由に操ったという話はついぞ聞いたことがない。そういうこともできる魔導師がひとりだけこの国にはいるそうだが、それも噂に聞くだけで信憑性は薄いものだ。


「この地にある守護石の一つが壊れていたので、僕で代替えしただけです」

「代替えって……」


 それはとても大変なことなのでは、とアサリは瞠目する。


 守護石と呼ばれるものが各所にあることは衆目が知ることで、村や街には最低でも四つは配置されている。

 守護石の役割は、魔導師がいなくても天災から民を護る、結界のようなものだ。

 しかし守護石配置は発案からまだ十五年と少ししか経っておらず、発案者である大魔導師も不慮の事故で亡くなってしまっているため、十五年経過してもその力は未だ不安定なものだった。だがそれでも、守護石のおかげで村や街は天災の被害が確実に減っている。頼りにされている力ではあるのだ。


「アサリさんが起きているなら、ラッカさんも起きていますね。家に入りましょう。ラッカさんに話があります」


 蒼白い顔色のまま、イチカはアサリを家へと促す。心配だったが、微熱があったときもそうだったようにイチカは平然とし、足取りもそれほど悪くない。しいて言うなら、少し動きが鈍いくらいだ。


「だいじょうぶなの?」

「それを話さなければなりません」


 そうではなく、アサリはイチカの体調を心配したのだが、常から動ければ充分だと言うイチカは、アサリの心配を跳ね退けるかのように家の扉を開けた。


「おはようございます、ラッカさん。それからアンリさん」

「おうイチ坊、おったか」

「……、イチカです」


 祖父ラッカにイチ坊と呼ばれることをいたく気にするイチカは、呼ばれるたびにいちいち訂正する。どうも子ども扱いされることに慣れていないらしい。

 それはさておき、朝食の支度ができた卓には人数分の食器が並び、座るだけの状態になっていた。


「まあ座れ。食事にしよう」

「その前に、話しておきたいことがあります。朝食後にロウエン氏のところへ連れて行ってくれませんか」

「まずは食事だ。しかし……ゼレクスンのところに連れて行け、とな?」


 卓につくとすぐに祖父の合図で食事は始まったが、イチカは手をつけずに話を切り出した。

 ゼレクスン・ロウエン。ハイネの夫のところへ連れて行って欲しいという、その理由だ。


「守護石を見てきました。どうやら一つ破損しているようです。そのことでロウエン氏に話したいことがあります」

「守護石か……わしは聞かんほうがいいかの?」

「いいえ、ラッカさんも聞いてください」

「ふむ。それは急に止んだ風と関係があるのかの?」

「破損した守護石の代替えを、僕がしています。つまり守護石が万全の状態であれば、風の暴走から村を護れるということです。おそらく守護石は、先の嵐で破損したのでしょう。魔導師が作ったものとはいえ物質ですから、雨風に曝されて壊れないものではありません」


 そこまで話してから、イチカは朝食に手をつけた。とはいえ、もともと小食らしいイチカは、食べざかりの歳頃であろうにアサリより食べない。食器が大きいと多く盛ってしまう原理が働く祖母に頼んで、アサリが幼い頃に使っていた食器でイチカはいつも食事していた。


「これまでイチ坊が見つけてくれたことは、もしかすると守護石の風化が原因だったのかもしれんのか?」

「はい。遅くなって申し訳ありません」

「いやいや。しかしなぁ……イチ坊、守護石の代替えなんぞして、だいじょうぶか? 顔色が悪いぞ?」


 朝食も終える頃、ゆっくり食すイチカ以外が食後のお茶に手をのばしたとき、やはり気づいたらしい祖父がイチカの顔色を気にした。祖母も「だいじょうぶかい?」と気遣っている。


「僕にはあまり力がありません。それだけのことなので、気にしないでください」

「それだけって……それだけのことじゃないでしょう? 食事もあまり進んでないし……ゼレクスンは呼んであげるから、それまで部屋で休んでいなさい」


 祖母にそう言われると、やはり動きを鈍らせているだけあって、少し考えたあと「お願いします」とイチカは頭を下げた。


 けっきょくイチカは朝食を食べきることができなくて、ほとんどを残した。残すのは悪いからと無理に食べようとして、その進み具合にこれはよほどだなと察した祖母が止めたのだ。その代わり、果実をすり潰した飲みものだけは、祖母は無理やり飲ませていた。


「イチカ、本当にだいじょうぶ?」


 心配で部屋までつき添ったアサリは、部屋に入るなり寝台に腰かけたイチカの顔色を窺いながら問うた。平気です、と返事がくるのはわかりきったことだったが、それでも心配なのだ。それくらいイチカの顔色はひどい。


「……無理かもしれません」

「えっ?」


 珍しく、違う返事がきた。


「ね、寝なさいって」

「いえ、横になると起きられなくなりそうなので、やめておきます」


 これまでは痩せ我慢だったのだなと、さすがのアサリもわかる。


「ゼレクスンが来たら起こしてあげるから、とにかく休みなさいって」


 やはり本調子ではないのだろう。あとでまたあの医師兼薬師に来てもらったほうがいいかもしれない。


「いえ本当に。僕は意識を手放すと力を維持できなくなるので」

「……ねえ、そんなに大変なら、代替えなんてしなくても」

「そうなると、今年の豊作は期待できません」

「え?」

「おそらくすべて、潰されてしまいます。天候が回復すれば、その後のことは、ロウエン氏がどうにかしてくれるでしょう。高位の魔導師を呼ぶことができれば手っ取り早いのですが……」


 自分のことよりも、イチカは村全体のこれからを、心配してくれている。アサリよりも若いのに、まだ幼いのに、イチカは魔導師だ。

 行き倒れた場所がたまたまこの村だったというだけなのに、これもなにかの縁なのだろうか。

 だとしても、なんだか申し訳ない。イチカは、たまたまレウィンの村を通りかかって、嵐で体調を崩してしまっただけだ。倒れたところを介抱した礼を、もらい過ぎている気がする。イチカにしてみたら介抱してくれたアサリたちへの感謝なのだろうが、けっきょくのところ村全体のことをイチカは考えてくれている行為なのだ。


「ごめんね、イチカ」

「……、はい?」

「まだ本調子じゃないのに、こんなことになって……」

「……謝られる意味を理解しかねます」


 なぜ謝るのだ、とイチカは怪訝そうにする。

 アサリの謝罪は、魔導師であるイチカには通じないのかもしれない。それでも、謝らずにはおれなかった。


「僕のほうが、申し訳ないのですが」

「そんなことないわよ」

「僕にもう少しでも力があれば、守護石を直すことができました。ですが、僕には守護石を直す力がありません。こうして代替えをするだけで精いっぱいです」


 落ち込んだように、イチカは肩を落としてため息をつく。それはイチカの、年相応の姿だった。


「無理しなくていいのよ」

「していません。助けていただいた礼も、まともにできないなど」


 情けないことだ、とイチカはムッとしていた。

 イチカの感情らしい感情に、アサリは思わず微笑んでしまう。


「ねえイチカ、そんなに肩に力を入れないで」

「……どういう意味ですか」

「元気出してってこと。わたしだってできないことはたくさんあるのよ。それに、あれもこれもって考えたら、疲れちゃうでしょ。できないことは、できる人に任せるしかないの。もちろんできるようになる努力は必要よ。それでも、無理をしたら意味はないの」

「僕は無理などしていません。できないのは、僕に力がないせいです」

「イチカは、わたしにはできないことが、できるのよ」


 アサリには魔導師の力などない。イチカのように、身を挺して村を護ることもできない。祖父母の助けができるように、毎日の努力はしていても、それにも限界というものがある。祖父母は確実に、アサリを置いて先に逝ってしまうのだ。その老いを、追いかけることはできても、止めることはできない。ずっと一緒にいたくても、できない。

 人は、できることとできないことが、たくさんある。それをどう見極めるかが、自分のため、ひいては誰かのためになるのではないかと、アサリは思う。







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