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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【いつかきっと、きみのために。】
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14 : いつかきっと、きみのために。2





 料理をしている最中のアサリの後姿を見るのが、イチカは好きだ。なんてことはない、いつもの光景ではあるのだけれども、たまらなく胸が締めつけられて、いとしさが込み上げるのだ。


「嫁さんが大好きだなぁ、おれの師匠は」


 飽きることなくアサリを見つめるイチカに、弟子となったヴァルライガが笑う。


「いつか、きみにもわかるときがきます」

「わかる?」

「このいとしさが」


 まだ幼いヴァルライガにはわからないだろう。いや、親を亡くしているヴァルライガなら、或いは感じられることかもしれない。


「いとしい、ねぇ……そもそもおれは、なにかが好き、とかいう感情も、よくわからねぇんだけどね。あんたに、嫁さん大好きだなぁとか、言っておいてなんだけど」


 うーん、と唸ったヴァルライガの、その瞳は、どこか寂しそうだった。


「母ちゃんと父ちゃんは違ったけど、ほとんどの人が、おれを見て気味悪そうにして、おれが近くにいるのを嫌がったからさ……嫌いって感情はよくわかるんだけどね」

「嫌い、ですか」

「生理的に受けつけないってやつ? べつにおれ、確かに変な力は持ってるけど、なんもしねぇのになぁ……なにがそんなに、あの人たちを気味悪がらせたのかな」


 差別、とは、イチカもよくわからない。誰かが初めにそれを言って、皆が共感すれば、差別は生まれるのだろう。そういうものだという理解はあるけれども、だからといって、ヴァルライガのどこを差別しなければならなかったのか、どこが人と違っているのか別ける必要があったのか、それはわからない。


「……僕には、名がありませんでした」

「へ?」

「イチカ、という名は、師に与えられました。ベルテ、という家名は、アサリさんからいただいたものです」

「え……じゃあ、あんた、奥さんと結婚してから……」

「そうです。僕は名無しでした。師に出逢い、アサリさんに出逢って、僕という魔導師が生まれたのです」


 ヴァルライガのためになれば、と思ったわけではないけれども、イチカの経験がヴァルライガの糧になるようなことがあれば、とは思って、イチカは懐かしさを感じつつ口を開く。


「師に出逢うまで、僕は僕ではありませんでしたし、人間でもありませんでした。アサリさんに出逢うまで、名乗ることは許されていても僕は魔導師ではありませんでした」

「……そうなんだ」

「はい。ですから、きみも、これからだと思いなさい」

「これから?」

「人は変わることができます。相手を変えることができなくても、自分が変わることはできます。僕が師に出逢い人間になり、アサリさんに出逢い魔導師となったように、きみにもそういう出逢いを経験して欲しいと思います」


 イチカは、自分が師に向いているとは思っていない。けれどもそれは、師になろうとする魔導師たち皆が思ってきたことだ。だから、ヴァルライガに言うことができる。


「きみはなにも悪くない。誰かが悪い、などということも、ありません。これが世界なのです」


 ヴァルライガが差別される世界を作ったのは人間だけれども、ヴァルライガのように悲しみを抱える者たちを作ったのも人間だけれども、だからといってヴァルライガになにか非があるわけではない。ヴァルライガはただ産まれただけだ。たとえその前世で悪行三昧だったとしても、逆に善行三昧だったとしても、ヴァルライガはヴァルライガとして産まれてきただけなのだ。

 ヴァルライガが悲しみ続ける必要は、ない。


「これからを生きなさい。魔導師となる勉強をしながら、きみはきみの人生を、真っ直ぐに歩みなさい」


 そう、たとえばアサリの後姿がそうであるように。


「迷っても、挫けても、歩み続ける努力をなさい」


 今を生きているのだから、今を歩む努力をすればいい。

 世界が変わらなくても、自分が変わることで、見える世界が変わることだってあるのだ。


「……すげぇこと言われてるって、それはわかるんだけど……ごめん、わかんねぇや」

「今はそれでもかまいません。ただ、僕からのお願いがあります」

「お願い?」

「僕が言ったことを、片隅でもいいので、憶えておいてください」

「……大事なことだから?」

「いつかきみの糧となって欲しいからです」

「かて?」

「きみがこれまで経験してきたこと、これから経験していくこと、それらはきみに必要なことなのです。きみがきみとして、生きていくために」

「あー……人生経験ってやつか」


 イチカの言葉がわからない、と言いながらも、ヴァルライガは理解しようとする努力があった。思考する力があった。悩めばいいとは思わないが、考えて生きることは必要だと思うから、イチカはヴァルライガの頭をぽんぽんと撫でながら思考を促す。


「たくさん、勉強しましょう」

「……おれ、机に向かう勉強は苦手なんだけど」

「そういえば、文字は書けますか?」

「自分の名前とか、簡単な単語なら……」

「僕よりいいですね」

「は?」

「僕が自分の名前を書いたのは、アサリさんに家名をいただいたときが初めてです」

「はあっ?」

「最初に書いた文字は、アサリさん、でしたね」

「……あんた、字ぃ書けなかったの?」

「書けませんでしたよ。アサリさんに教わるまで」


 ふと、思い出して笑う。

 イチカがヴァルライガの歳の頃は、ただただ生きていた。生きたいと願って、それだけだった。言葉は必要なかった。言葉が要らなかったから、文字も、名前も、必要なかった。師に名を与えられたときでさえ、それが名であると気づくのにしばらくかかったくらい、縁遠いものだった。


「おれ、母ちゃんたちが死ぬまでは学校に通えてたから、かろうじて文字は書けるけど……え? あんた、けっこうな歳だよな?」

「二十八ですよ」

「いったいいくつまで字ぃ書けなかったんだよ?」

「十七ですね」

「……あんた魔導師になるまでなにやってたんだよ」

「きみと同じでしたよ。生きることに、必死でした。死にたくはありませんでしたからね」


 同じだ、と言うと、ヴァルライガの表情が消えた。それは不機嫌になったとか、不快に思ったからではなく、驚いたからのようだった。


「……おれ、間違ったこと、思ってねぇよな?」

「なにが間違いであると?」

「おれ……母ちゃんたちがいなくなっても、自分も消えたいなんて思わなかった。みんなに嫌われても、そこに、いたかった」


 俯いたヴァルライガの、その表情こそ窺うことはできなくなったが、シュエオンより僅かに細い肩は小さく震えていた。


「生きたかったんだ……こんなおれでも、生きてる意味は、価値は、あるんだって……思いたかったから」

「それが間違いであると?」

「間違ってるのか、おれは」

「いいえ」


 きっぱり否定すると、蒼い双眸を潤ませたヴァルライガが、顔を上げてじっとイチカを見る。嘘はないかと、探る瞳だった。


「きみのそれが間違いであるのなら、今ここに、僕はいませんよ」

「え……?」

「言ったでしょう。僕は、きみと同じだったのです」


 生きたいと願うことの、なにが悪いのか。死にたくないと思うことの、なにが悪いのか。

 願うことこそ一番の自由であるというのに、なぜその自由を他人に否定されなければならないのだろう。


「人はそれぞれ、とよく言いますでしょう。その通りです。きみはなにかを間違ったかもしれませんが、僕だってなにかを間違ったかもしれません。それなら、間違っていないこともあって当然です。ですが、それらを判断する基準は、いったいなんでしょう?」

「屁理屈みたいだ」

「難しい言葉をご存知ですね。しかし、そうでしょう? 世の中、賢人ばかりではないのですから」


 善いことばかりが溢れている世界が、世界ではないと思う。だからイチカは否定する。


「きみは間違ってなどいませんよ。きみは願っただけです」


 イチカが願ったように、ヴァルライガも願った。


「僕を利用しなさい。きみの、願いのために」


 いつかきっと、きみのために、願いはどこかに届く。そのきっかけに、イチカはなっただけに過ぎない。


「おれの……願い」

「そうです。僕の価値を、きみが、きみの裡で、決めるのです」

「あんたはおれを利用するのか?」

「どうでしょう? 僕は基本的に、アサリさんに関係すること以外はどうでもいいので」

「……あんた魔導師としてだいじょうぶなのか」

「僕は、というより、魔導師とは、こういう生きものですよ」


 紛れもなく自分は魔導師だ、と今なら思う。アサリに関係すること以外は興味も関心も薄れている今、同胞たる魔導師のことは気になって仕方ない。この気持ちは、感情は、まだヴァルライガには理解できないだろうけれども、イチカにもそういうときはあったのだから、いずれ知ることになるだろう。


「僕も歳を取りましたね……」

「え、いきなりなんだよ」

「僕もきみのように、師の言うことがさっぱりわからなかった頃があるのですよ。今ならわかることがたくさんあるので、歳を取ったな、と思いまして」

「……おれもあんたみたいになるのかな」


 苦笑したヴァルライガに、どうでしょうね、とイチカは肩を竦めた。


「イチカぁ? お昼の前に、ライガを沐浴させてあげてー。あと、午後はライガとお買いものしたいから、つき合ってねぇ」


 アサリの声に、イチカは顔を向ける。

 いとしい妻の、楽しそうに料理する姿に、たまらないいとしさが込み上げた。


「……おれ、あんたみたいに笑えるようになりてぇな」

「はい?」

「うん、おれ、あんたみたいな魔導師になるよ。あんたの子どもは、あんたみたいになるのは嫌そうだけど」


 にっかり笑ったヴァルライガに、なにを言われているのかよくわからなかったが、とりあえず「この子はいい魔導師になれる」という予感に今は笑っておいた。


「あんたのこと、なんて呼べばいい?」

「……そうですね。師らしいことは、できないでしょうから、イチカと呼んでください」

「イチカ」

「はい」


 いつかきっと、きみのために。

 魔導師になるこの選択が、この道が、いい未来を運んでくるといいと思う。







これにて【いつかきっと、きみのために。】は終幕となります。

おつき合いくださりありがとうございました。

読んでくださりありがとうございました。


なんとなく描いたもので、意味がわからない取り止めのないお話でしたが、それでも楽しんでいただけていたら幸いです。


津森太壱。

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