13 : いつかきっと、きみのために。1
朝にこれでもかというくらい懐いてきた夫イチカは、翌々日の休日をものすごく楽しみにしていた。もちろん十日ぶりの休日なのだからそれは当然かもしれないが、淡々としているイチカには珍しい感情の起伏が見られるので、妻アサリもイチカのそういう姿を見ているのは面白い。まして、アサリと一日中一緒にいられる、ということを喜ばれているわけなので、嬉しくないわけがない。
だから。
「アサリさん」
翌日の昼になって帰宅したイチカが、帰って来るなり「ただいま」も言わずに抱きついてきても、アサリは笑顔で迎えた。
「おかえりなさい、イチカ」
「ただいま帰りました。遅くなってすみません」
ずっと逢えなかった状態でいたかのように、ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、恥ずかしくはあるがアサリも嬉しいので、同じように抱きしめる。だが、それをそのままにしているとイチカが真昼間からいたしてはいけないことに手を出し始めるので、昼支度をしなければならないのだということを理由に、頃合いを見計らって密着した身体に距離を作った。
そこに、ふと。
「……お師さま?」
イチカの師、堅氷の魔導師カヤの姿が見えた気がして、アサリは身を乗り出した。
「お師さま、いらして……」
イチカの師がここを訪れることは、王都に移住してきてから珍しくないことだった。だからふつうに、アサリは挨拶をしようと思った。
けれども。
「はあ、面白ぇくらい変わるんだな、おれの師匠になるって魔導師は」
イチカの師にしては視線が低いなとは思ったが、さすがに声も顔も違えば師ではないと気づく。
「……どなた?」
白髪に蒼い双眸の少年が、呆れ顔でこちらを見ていた。
「今日からそこの魔導師の弟子になったライガだよ、ヴァルライガ・カーグウッド」
「……イチカの、お弟子さん?」
おや、とアサリは目を丸くする。
弟子を取るような話は聞いていなかったが、イチカが必要ないと判断して話さないなどということはないだろうから、急なことだったのだろう。もしかしたら今回の任務で、決まったことなのかもしれない。
「イチカ?」
「師になるように、と陛下に命じられまして」
表情から感情は読めないが、命令されたからには師になるつもりはあるらしいイチカが、ヴァルライガという名の少年を近くに呼び、改めてアサリに紹介してきた。
「今日より僕の弟子となりました、ヴァルライガです。ライガ、と呼ばれているようなので、そう呼ぶことにしましょう。ライガ、妻のアサリです」
いつもの淡々としたイチカだ。師になるつもりにはなったようであるが、相も変わらず人との接触にはどこか棘がある。
だいじょうぶだろうか、と少し心配になりながら、アサリは一歩前に出てヴァルライガに手を伸べた。
「アサリ・ベルテと言うの。これからよろしくね、ライガ」
息子シュエオンとそう歳は違わないだろうライガは、挨拶をするアサリに僅かに驚きながら、おずおずと差し述べた手を握ってくれた。
「魔導師も変わってると思ったけど、あんたも変わってるな」
「え? なにが?」
「おれ、外見でけっこう不気味がられるんだけど、この魔導師に逢ってからみんな、おれのこと不気味がらねぇんだ」
「不気味って……え、どうして?」
どこにそんな要素があるのだ、と首を傾げると、ヴァルライガは改めてまじまじとアサリを見つめたあと、ふっと苦笑した。
「なんだ、おれってべつに、珍獣でもなんでもねぇのか」
「珍獣……?」
いったいなんのことだかわからなかったが、人見知りするでもなく素直なヴァルライガに、案外この子のほうがしっかりとイチカを師に引き立てるのかもしれない、とこっそり笑った。
「今日から一緒に暮らすことになるのよね? じゃあ、じいさまとばあさまを紹介するわ。今、畑にいるの。イチカ、わたしは昼食の準備をしているから、お願いね」
弟子は独立するまで師の近くにいるものだと聞いているので、ヴァルライガとの生活に少々は不安があるものの、わが息子シュエオンも四つの頃から師である雷雲の魔導師のところにいるので、割り切って考えてしまうのが一番いい。そもそも、イチカが面倒を看る師であるのだから、アサリはその補佐、寝食の確保が仕事だ。
まずは家の案内を、とイチカを促せば、さすがのイチカも自重してヴァルライガを家の奥へと連れて行った。
「お母さん」
「わあ! え、え? シュエ?」
「なんかものすごく驚かれて僕悲しいんだけど」
まさか息子シュエオンまでいるとは思わなくて、かけられた声に思い切り驚いてしまったら、シュエオンに半眼された。
「ごめんね、帰ってきてたことに気づかなかったわ。おかえり、シュエ」
「ただいま。といっても、お父さんが目的を見失わないように、その保険で来ただけだから、すぐに戻るけどね」
「あー……うん、いつもごめんね」
「それがお父さんだから仕方ないよ。で、ライガだけど」
すぐに戻るというのは本当のようで、羽織っている魔導師の外套を脱ぐことなく、シュエオンはちらりと背後を振り返る。様子見をしていたのはイチカだけではないようだ。
「たぶん、だいじょうぶ。ただ、三年前に両親を亡くしてるから、その点だけは気をつけてあげて」
「あら……ご両親が?」
「そう。それ以外は、特に心配するようなこともないと思う。僕が言うのもおかしいけど、しっかりした子だよ。口は悪いけどね」
シュエオンはよく人を見ていると思う。イチカが周りに無頓着であるせいか、敏感に育ってしまったのかもしれない。
「僕と歳も近いし、僕はもう魔導師と名乗れるようになって自由も増えたから、ちょくちょく様子を見に来るよ。ローザさまも、お父さんが心配だから顔は出すって言っていたから、安心して」
「イチカが師になれるのかって、みんな心配してるのね……」
イチカが師で大丈夫だろうか、という不安は、アサリだけが感じたものではなかったらしい。
「お母さんと出逢う前のお父さんなら、そんな心配もなかったって言っていたけれど」
「わたしと出逢う前?」
「うん。でも、その頃だと別の問題も出てくるわけ。僕はまだ産まれてない頃だからよくわからないけど……まあ、魔導師は同胞に甘いから、どちらにせよ心配の種は尽きないだろうね」
肩を竦めたシュエオンは、今日もおとな顔負けの口達者ぶりを披露したあと、「ローザさまのところに戻るよ」と言ってアサリに背を向けた。
「お昼くらい食べていったら?」
これから昼食の用意をするので、量の問題はないのだが、シュエオンは用事があるからと早々に去って行った。
なんだか寂しいわね、と思うのも、シュエオンが口達者なだけでなく、自立心の強いわが子だからだろう。早くに手放してしまったことが悔やまれるが、けれども、あのときの決断は間違いではなかったと思う。シュエオンは立派に魔導師としての道を歩んでいる。
「寂しがってばかりじゃ駄目ね」
なにも悲しいことはない。イチカがいつもそばにいて、シュエオンは近くにいてくれる。その距離は、レウィンの村にいた頃よりも短いのだ。
「あれでまだ十歳なんて……子どもの成長はわからないものねぇ」
寂しい反面、嬉しくも思うこの日々に、幸せを感じないわけがない。
それにしても。
「あの髪と瞳……お師さまと陛下の子かと思ったけど、違うのね」
ヴァルライガの容姿を思い出し、しみじみと思う。珍しいが存在しないわけではない配色だ。磨いたらもっと綺麗な色になる気がする。
昼食の前に沐浴をさせよう、と思いながら、アサリは昼食の支度にとりかかるべく台所に足を向けた。