12 : とにかく大事なのは。
贅沢なほど広いのに、高価な調度品はあまり置かれていない女王陛下の執務室において、女王の悲鳴が響いた。イチカは予想できたので耳を塞いでおいたが、シュエオンを含めた子どもらは、女王のそれが予想できなかったようで悲鳴に目を回していた。
「イチカっ!」
「はい、陛下」
「この子わたくしとカヤの子かしらっ?」
女王が悲鳴を上げたのはほかでもない、白髪に蒼い双眸のヴァルライガを見て、のことである。
自分の子だろうか、と訊いてくる女王に、イチカはちらりと、先ほどから女王の悲鳴を聞いても微動だにしないわが師カヤを見やった。
「憶えがおありでしたら」
「わたくしとカヤの子かもしれないわ……」
イチカの記憶では、女王ユゥリアの御子は五人、上からアリヤ王子、サキヤ王子、タトゥヤ王子、ナディヤ王女、ハージェヤ王女、で間違いはないはずである。上手く歳が離れた王子王女殿下方なので、女王に憶えあるのならヴァルライガは王子の仲間入りをすることになる。
「待て、ユゥリア。おれはきみにおれの憶えのない子を産んでもらったことはない」
ヴァルライガを見て硬直していた師が、珍しく動揺しながら慌てて女王に進言した。師の言葉には女王も「それもそうね……」と小首を傾げる。
「でもね、カヤ、この子はわたくしとあなたの色を持っているのよ」
「魔導師の力は持っているが、そこにおれの気配を感じない。きみの気配も感じない」
「あら、そうなの?」
「……きみがおれ以外に関係を持っているなら話は別だが」
「んまあ! カヤったらわたくしの愛を疑うのっ?」
「い、いや、そうではないが……」
「わたくしはカヤ一筋よ!」
「……そうか」
あわや夫婦喧嘩になるかと思いきや、女王が力強く師への愛を告げると、師がこれまた珍しく照れたので、そこからはただの惚気になった。
「……なあ、おれ喋ってもいいか?」
恐れ多くも女王陛下の御前で、ヴァルライガは度胸がある。
「なんですか?」
「おれの母ちゃん、女王さまほど美人じゃねぇし、父ちゃんはあの魔導師さまほど弱っちそうじゃねぇよ?」
どこかで失礼な言葉があったような気もしなくはないが、大したことではないので聞き流しておく。
「ご両親を憶えておいででしたか」
「死んだのは三年くらい前だからな。まだ憶えてるよ」
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
女王と師の子どもではないのか、とまだどこかで疑っていたわけではないが、憶えのない名前を聞かされれば納得する。
「早くに両親を亡くして……苦労したわね、ヴァルライガ」
両親が死んだ、と聞かされた女王は不憫そうな顔をしたが、そのことはもう吹っ切れているのか、ヴァルライガは肩を竦めて苦笑した。
「べつに、そうでもねぇよ。寂しくなかったって言ったら嘘になるけど、それより今を生きることに必死だったから。訊かれたら困るけど、死にたくはなかったから」
生きることに必死だったというヴァルライガにとって、魔導師の力の発現は無自覚だったからこそ忌々しく感じたこともあったのだろう。今となっては生きる糧となって幸いだ。
「……ねぇえ、カヤ? わたくしが決めてもいいかしら」
女王が、師に確認を取りながらも振り返って見ることなく、そして訊ねていながら断定的に言葉にする。
「魔導師団長と相談すべきだというのはわかっているわ。わたくしの一存だけではどうにもならないことも。それでも、わたくしが決めてもいいかしら」
女王の問いに、師はふと、事態を見守って口を閉ざしている魔導師団長ロルガルーンを見やる。イチカもつられて魔導師団長を見たが、彼はゆっくりと、女王のそれに頷いた。
「お好きになさるがよろしかろう」
「ありがとう、師団長」
にこ、と微笑んだ女王が、よく言えば臆さない、悪く言えばふてぶてしい態度のヴァルライガを、真正面から捉えた。
「ヴァルライガ・カーグウッド。あなたを魔導師団に歓迎するわ。これからあなたは魔導師として生きていくのよ」
「ああ……あ、はい」
女王の真摯な瞳に、態度を改める必要性を感じたのか、ヴァルライガは背筋を正した。蒼い双眸は怯えることなく女王を捉え、そしてその強さを見せつける。
女王は満足げに頷いた。
「魔導師にはたくさんの誓約が発生するわ。たくさんのものに縛られることになるわ。けれど、その分だけ自由もある。それらは師となる魔導師から教わりなさい」
「師?」
「そう、師よ」
女王が、どうなるかと話をただ聞いていただけであったイチカを、その視界に捉えた。ばっちりと女王と目があったイチカは、僅かに顔を引き攣らせる。わが師もイチカを見ていた。
「瞬花の魔導師イチカ・ベルテ」
「……はい、陛下」
「ヴァルライガ・カーグウッドのよき師となりなさい」
やはりか、とイチカは肩から力を抜く。
大抵、魔導師の卵を見つけた魔導師が、卵の師となるものだ。弟子を取らせるためにその任務が与えられるときもある。イチカの場合は後者だ。
「……まだ、僕には早いと思うのですが」
「そうでもない」
自分にはまだ、と言ったイチカを、師がさらりと否定する。
「おれがおまえの歳には、おまえはもう魔導師だった」
「そうですが、僕は……」
「力の系統には問題がない。おまえはよい師になれる」
師は自信たっぷりに言ってくれる。
しかし、はっきり言おう。
「僕は……妻と暮らし始めたばかりです」
十年待ったのだ。
いや、十年我慢したのだ。
それで漸く先ごろ女王より土地を賜り、妻の家族の許しを得て、王都で一緒に暮らせるようになったのだ。心配していた息子の成長も一息つける程度にまでなったのだ。
そもそも、である。
弟子の育成より妻といちゃつくほうが大事だ。
「お父さん、思いっきり珍しく顔に出てるよ。お母さんといちゃつきたいがために弟子なんか取っていられるかって、めちゃくちゃ顔に出てるよ」
「えぇそうです。僕はアサリさんといちゃつきたいのです」
「ほどほどにしようよ」
「僕は全力でアサリさんを愛していますので、加減などできません」
「……陛下、堅氷さま、師団長、こんなのが師ってライガが可哀想だと思います」
なにか失礼なことをシュエオンには言われ続けているような気がしなくもないが、まあ大したことではないので聞き流す。
とにかく大事なのは、妻といちゃつく時間である。奪われたらたまらない。
「ねえカヤ、やっぱりイチカにお家をあげるのは早かったのではなくて?」
「……そうかもしれない」
「アサリちゃん、大変だわ」
女王が妻のなにを心配したのかは不明だが、兎にも角にもイチカは妻との時間を優先したいのだ。
しかし。
「けれど、そうね、アサリちゃんのためにも、イチカ、あなたはその子を弟子になさいね」
女王はあっさりと命令してきたのだった。