05 : 僕の言葉はわかり難いですか。1
*閑話的なものとなっております。
アリヤ視点です。
兄代わりであり侍従であり魔導師であるイチカが、息子だといって連れてきたシュエオンと逢ったとき、ユシュベル王国第一王子アリヤは、十八歳だった。シュエオンは確か五歳になろうかという歳だったと思う。歳のわりには随分と落ち着いた印象があった。魔導師の素質があるとかで、母親の手を離れて王都へ来たばかりであったからかもしれない。だから、魔導師になるために雷雲の魔導師ロザヴィンを師事したシュエオンが、たまの休みにイチカのところへ来ると歳相応の顔をするのを見て、アリヤは少しほっとしたものだ。母親の手はなくとも、父親の手が少しでも近くにあるというのは、子ども心にかなりの安心を与えるのだと思う。
ただ、シュエオンはなぜか、父親があるじと仰ぐアリヤに対して、随分な視線を寄こした。嫌われていると、そう知るには大して時間もかからなかった。
アリヤは首を傾げた。
シュエオンに嫌われている。
その理由が、しばらくわからなかった。
それを知るきっかけになったのは、アリヤが二十二歳のときだ。シュエオンは十歳になろうとしていた。
「なんだかお祭り騒ぎ……カヤが漸く腰を落ち着けたからかなあ?」
その日は、アリヤに妹が増えて二年めのことだった。女王でもある母ユゥリアの愛に折れたアリヤの父カヤは、ユゥリアが身籠ってから出産するまで、そして今日まで、癖であった放浪をせず、一度も行方不明にならなかった。つまり、約三年、カヤはおとなしく王城にいたのである。珍しいことだった。天変地異の前触れかと思うほどに、それは稀有な事態だ。
「最強の魔導師が王都に永住となれば、よからぬことももはや起きぬと、そういうことでしょうね」
「まあ一昨年や去年の今頃は確かに、ばたばたしましたね。ぼくも久しぶりに思い切り力を使いましたし」
「そうですね」
兄と慕うイチカが、淡く微笑む。
数日間のお祭り騒ぎ、とはいえ本当に宴を開いているわけではなく、周りの雰囲気なのだが、このざわざわとした空気をイチカは心地よく感じているらしい。シュエオンが産まれたばかりの頃を思い出しているのだろう。
なんだか複雑なのは、兄と慕う魔導師が、自分の兄ではなくなってしまった感じがするからだろうか。
「? いかがしました?」
「ん、いえ……兄さんも父親なんだなぁと、改めて思いまして」
ちなみにアリヤは、そこそこの年齢なので、それなりに縁談が舞い込んできている。ユゥリアが自由恋愛を推奨するので、口うるさくされることは今のところ免れているが、それもいつまで続くかわからない。だから、王立学院で学んでいる弟の婚約が早くまとまればいいのに、などと思っている。
「父親らしいことは、なに一つ、していませんがね」
「父親ってそんなものでしょう。カヤだって、傍から見れば父親らしくないらしいですよ。それでも、ぼくらにとってカヤが父親なんです。それに当てはめると、兄さんだってシュエオンにとっては父親なんですよ」
「そうでしょうか」
「そうですよ。あぁあ、羨ましいなぁ」
「殿下は縁談を受けられないのですか?」
羨ましいと言ったのはシュエオンの立場に対してだったのだが、イチカはそうとは捉えなかったらしい。お茶の用意をしてくれながら、今日もいくつか縁談の話が持ち込まれましたよ、とアリヤが忘れていたいこと掘り返す。
「今のところ、そんな気はこれっぽっちもありません」
「好いお方はおられないのですか?」
「いませんよ。ぼくは研究一筋です。サキヤあたりがさっさと婚約してくれればいいのになぁ、なんて思っています」
「……殿下にも、いつか必ず、好いお方が現われます」
「兄さんみたいに?」
ええ、と頷いたイチカは、とてもいい笑顔だった。人形みたいだったイチカに感情を教えた人のことを想うと、それはつまりシュエオンの母なわけだが、すごいなぁと思う。カヤの鉄面皮を解すユゥリアもすごいとは思うが、さて自分がそういった存在を見つけられるかと考えると、想像もつかない。特別な存在なんて要らない、と今は思う。
「ぼくはこのままでいいけれど……兄さんには悪いことをしますね」
「……僕に?」
「アサリ姉さんと一緒にいたいでしょ?」
イチカが妻に迎えた人は、遠く離れたレウィンの村にいる。婚姻したばかりのとき、シュエオンが産まれたとき、それぞれのときに王都へくるよう誘ったのだが、彼女は今日まで首を縦に振ってくれない。だからイチカのほうから、休みのたびに逢いに行っている。いっそイチカを侍従の仕事から外そうかと思ったのだが、それはイチカに断固として受け入れられなかった。アリヤは、イチカにとって命の恩人、生きることへの恩人、そう思われているせいだ。
なんだかなぁと、思わなくない。
「アサリさんとは一緒にいたいと思いますが……僕には、殿下も大切な人なのです」
「そこでぼくを選んじゃうあたり、兄さんですよねえ」
イチカは生真面目だ。それは長所であり、短所でもある。もっと自由であってもいいのに、そんなだから、アリヤは甘えてしまうのだ。兄さん、と。
「やっぱり、アサリ姉さんには悪いなぁ……シュエオンにもだけれど」
「これは僕の我儘です。それに……」
「……それに?」
「レウィンの村は、天災が少なく、気候が安定しています。あの村ほど、安全な場所はありません」
「ああ……そういえば兄さん、レウィンの村に守護石を増やしていましたね。今あの村ほど安全な場所は、確かにないかも」
「アサリさんが無事に生活している、それだけでも、僕は幸せを感じます」
だからここにいる、と言うイチカに、アリヤは苦笑する。
「なにがあるか、わからないですよ?」
「それは否めませんが……僕の全力で、アサリさんを護りますから」
この兄は、と思う。アリヤは家族さえ無事なら、とか、家族さえ安全なら、と考えるが、イチカは違う。イチカは師と仰ぐカヤのように、ひとりを護るために関わりあるものすべてを護ろうとする。そのせいで己れの身を滅ぼそうとも、本望だといわんばかりに無茶をする。今このときも、妻を護るために力を使い、そしてアリヤを護るために力を使っている。その消耗がどれほど激しいか、アリヤには想像できない。
「あまり無茶はしないでくださいよ、兄さん」
「限界は心得ています。だいじょうぶですよ」
にこ、とイチカは微笑むけれども、そうやって無茶をする人だから、アリヤも兄離れできずにいる。
「……あ」
ふと、シュエオンの睨みつけるような双眸を、思いだした。
「殿下?」
「わかったかも」
「はい?」
唐突に、思い至った。
シュエオンが、アリヤに対して、随分な視線を向ける理由。嫌いだと、あからさまではないにしても、そういう態度をとる理由。
「あー……それは仕方ないですよ、シュエオン」
「? シュエがなにか?」
首を傾げるイチカに、アリヤはなんでもないと苦笑して肩を竦める。
「……難しいですかねえ」
アリヤには、もはやシュエオンは家族も同然である。それをわかってもらえないのは、嫌われてしまうのは、やはりこの力のせいかもしれない。
「殿下?」
考えごとを始めたアリヤに、イチカは怪訝そうにする。その瞳をちらりと見やって、アリヤは唇を歪めた。
シュエオンにとって父親であるイチカに、自分はなにをしているのか。兄と甘えて、なにを背負わせているのか。
きっとシュエオンは、それが気に喰わない。
「ほんと、仕方ないですよ……この力は、ぼくには負荷が多いんですから」
どうしようもないのだけれどなぁと、ため息をつくアリヤの横で、イチカはずっと首をかしげていた。