03 : 目覚めた力。2
転んで泥だらけになってしまったシュエオンをアサリに任せて、イチカは外で、自分も汚れてしまった泥を落とした。
「力が目覚めたか」
と言ったのは、庭先で泥を落としていたイチカについてきたロザヴィンだった。
「お気づきでしたか」
「錬成陣が発動してたからな」
「ああ……不完全なのが幸いして、被害は少ないですが」
「完全な錬成陣だったら、今ごろ家が壊れてんだろ」
「ええ、その通りです」
はは、と笑うと、ロザヴィンは呆れたように肩を落とした。
「……そのままのほうがいいんじゃねぇの」
ロザヴィンが気づいていたのは、シュエオンの力の目覚めだけではなかったらしい。
「その怪我、シュエオンのだろ」
衣服を黒でまとめているおかげで、それは目立っていない。けれども、匂いは誤魔化せない。それでも僅かな匂いを、ロザヴィンは嗅ぎつけたのだろう。
「急ぎだと言って、王都に戻ったほうがいいですね」
「アサリ嬢に見られたくねぇならな。どこまでいった」
「額のほかには腕と、背中を少し。骨に異常はありません」
「怪我を移すなんて……よくできたな」
「一度やり方を見ていましたし、ほとんどは無意識でしたので、どうやったかはよくわからないのですが……アリヤ殿下の力を使ってしまったでしょうね。軽い怪我のはずなのに、ものすごい痛みです」
ふう、と息をついて、シュエオンが負うはずだった掠り傷がある腕を摩る。ロザヴィンがいやそうな顔をした。
「痛ぇなら、そういう顔しろ」
「アサリさんに見られるわけにはいきませんから」
「おまえ……まだ言ってねぇのかよ? アリヤ殿下から流れてくる力を使うと、呪いで苦しめられるって」
そんなこと言えるわけがない、とイチカは苦笑する。
「そもそも使うことがありませんからね」
「不測の事態があんだろ。いくら王城勤めで外に出ねえっていっても、今日みたいなことはあるんだぞ」
「滅多にありませんよ」
「不測の事態だ、あほ」
きっちり話しをしろと、ロザヴィンは顔をしかめる。イチカにその呪いを施した本人であるから、おそらくは嫌悪感があるのだろう。己れがそうしたという、その罪悪感もあるのかもしれない。
イチカの右腕には呪いがある。強大な力を有する師からその力を受け継いだアリヤの、制御しきれない力の部分を、受け入れて己れの力に変換できる体質にあるイチカが担っているからだ。そのために、右腕の呪いは、アリヤの力を使わないようにするための封印術になっている。
ゆえに、本来は持ち得ない力を使うと、それはアリヤの力を使うということになって、呪いが動き出す。
その呪いのことを、イチカはアサリに話していなかった。とくに話す必要もないと思っている。受けている呪いのことを、イチカは苦に思っていないのだ。
「これは僕が享受すべきものですから、まあそのうち、話しますよ」
「……後悔しても知らねぇぞ」
「だいじょうぶですよ」
口は悪くとも心配してくれるロザヴィンに笑むと、だから痛いならそういう顔をしろ、とまた叱られ、ついでとばかりに今ここでできる手当てをしてもらう。額の傷も腕の掠り傷も、ちょっと血が滲んでいる程度だった。
「背中もだったな。それはあっちに戻ってからだ」
「そうですね」
「痛むか?」
「シュエが転んだ怪我ですから、それほどでもありませんよ」
「子どもの体重でできた怪我じゃ、まあそんなには痛くねぇわな」
言いながらロザヴィンに、怪我をしている背中を叩かれた。それは予想以上の痛みを伴って、イチカは地面に膝をついてしまう。
「あ、悪ぃ」
「自分でも吃驚です……けっこう痛い」
「さっさと戻るか」
アサリに知られるわけにはいかないので、イチカは気持ちを持ち直すと掛け声と一緒に身体を起こす。痛みは引かないが、この痛みがシュエオンのものだったと思えば、自然と笑みがこぼれる。
ふと、アリヤが力を暴走させたときのことを思い出した。力の暴走でアリヤの身体は血まみれとなったが、その傷を師は己れに移してアリヤを救った。
今なら師のその気持ちが、よくわかる。
シュエオンが転んで怪我を負ったそのとき、目の前が真っ赤になった。なにかを考える余裕などなく、咄嗟に両腕で抱きしめて力を使っていた。
あれは怖いな、と今さらながらに思う。シュエオンの血を見るのも、ましていとしいアサリの血を見るのも、恐ろしいことだ。
「ところでおまえ……ん? だいじょうぶか?」
「え? ああ、はい、すみません。だいじょうぶです」
「……息子が怪我して吃驚したか」
「そう……ですね。怖かったです」
考えていたことがロザヴィンには見抜かれていて、素直にそう言えば苦笑される。
「おまえも父親だな。まあ、おれに言えた義理はねぇけど」
ロザヴィンは既婚者だが、未だ子どもがいない。孤児院の子どもたちを世話するので手いっぱいだとか、そんなことを前に聞いたことがある。だからその言葉には、充分な重みがあった。
「……瞬花」
「はい」
「一つ提案なんだが」
泥汚れを落としてた先で、ロザヴィンがふと、それを見つける。提案なんだが、と言いながら見つめるそれを、イチカは追いかけて見やる。シュエオンが描いた錬成陣だ。
「……シュエの錬成陣に、なんの提案ですか?」
「ああ……なあ瞬花、おれにシュエオンを預けてみるか?」
「……、はい?」
思わず、目が真ん丸になる。シュエオンのことについてだろうとは思っていたが、その提案をされるとは予想外だった。
「そのうち師は必要になるだろ」
「ええまあ」
「おまえの場合、堅氷が系統関係なく力使うから、似たように力使うけど……シュエオンは違うからな」
「わかるのですか?」
「錬成陣の方向を見ればな」
確かに、と改めてシュエオンが描いた錬成陣を見る。外に描かれたそれはまったく機能していない不完全なもので、家の中に描かれているものとは少し違う。
「……おや」
「ん? なんだ、気づいてなかったのかよ?」
気づくもなにも、至るところに錬成陣を描かれているので、一つ一つ確認などしたことがなかった。どうなるのかと、観察はしたことがあっても、錬成陣そのものを観察したことはない。
「この系統……もしかして僕とシュエは、正反対ですか?」
「真逆だな。おれの系統に属する」
「つまり……」
イチカの系統は、防御だ。その反対、つまりロザヴィンの系統は、当たり前だが攻撃になる。
「シュエは、攻撃性が強いのですか」
「強ぇわけじゃねぇだろうけど、どちらかというとそっちだな」
自分の息子なのに、どうやら似ているのは顔つきくらいで、魔導師の力はその系統も似ていないらしい。ちょっと痛い衝撃だ。
「アサリさんに攻撃性があるとも思えないのですが……」
「力は遺伝するもんじゃねぇよ」
「そうですが」
「本人の気質だろうな。今のうちに善悪を叩き込めば、偏ることもねぇと思うぞ」
「風詠さまのように、ですか」
魔導師は攻撃性か防御性かのどちらかに偏ることが多いのだが、もちろんそうでない魔導師もいる。イチカの師がそうであるし、ほかにも風詠の魔導師と呼ばれている魔導師も、どちらかに偏らず同じように力を使える。
ロザヴィンは、今から力の使い方を叩き込めば、攻撃性の強い系統にあるシュエオンの力を、そちらばかりに偏らせないで済むと言っているのだ。
「……僕では、偏らせてしまいますね」
「いや、おまえでも充分だろうけど……だから提案なんだよ。おれに預けてみるかって」
ロザヴィンの力は攻撃性が強い。イチカは、師がそのとおり系統関係ない人ではあるが、イチカ自身は系統が定まっているので、ロザヴィンが危惧しているだろうことに注意を向けられないだろう。むしろ、ロザヴィンだからこそ、教えられることは多いに違いない。
「僕はよい師にはなれませんね」
「先生向きじゃねぇのはおれのほうだな」
「いえ、僕は師があのとおりなので……あまり気をつけませんでした」
「いやあれこそ先生向きじゃねぇし。おまえ、だいぶ苦労してんだぞ」
「そうですか?」
「あいつの教え方おかしいから」
魔導師は、同胞のやり方を見て覚える、というのが常である。そういうものだとイチカは思っているが、どうやらそうでもないようだ。
「まあ考えてみろ。そんなに急がねぇし」
「いえ、むしろ雷雲さまにこちらからお願いします」
「……時期尚早とは思わねぇの?」
「その頃合いは、僕には測りかねます。それに……」
「ん?」
「雷雲さまが今このときにそれを言うのなら、すでにその時期なのでしょう」
イチカは視線を、家の窓の内側に見える姿に流した。泣き止んで笑っているシュエオンを、アサリが苦笑しながら撫でている。
「アサリさんも、わかってくれると思います」
目覚めた力を、そのままに放置することはできない。それはアサリもわかってくれる。魔導師の力は貴重で、存在そのものも稀少だ。アサリにはむしろ、シュエオンを誇りに思って欲しい。さすがはわたしの子、と言って欲しい。
「いいのか」
確認してくるロザヴィンに、イチカは微笑んだ。
「アサリさんを王都に呼びます。それで、許してもらいますよ」