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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたがいるだけで。】
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02 : 目覚めた力。1





「なんだこの錬成陣」


 と、イチカの同胞たる魔導師、雷雲の魔導師ロザヴィンが目を丸くした。


「ああそれ、シュエが描いたの」

「シュエオン?」

「そう。あちこちに白墨で描くから、さすがにちょっとね……注意したら、先の尖った枝でガリガリやられちゃって……消えないのよ」


 シュエオンのやることに口を出さず見守っていたら、家中に錬成陣を描かれた。おかげでイチカの白墨はなくなり、シュエオンの力が目覚める兆候が表れ始め、床板の隙間からは花が咲いてしまっている。さすがにこれは、と思って注意したら、今度は彫られてしまった。彫られた場所には、小さな花畑ができあがっている。


「二世代で魔導師か……珍しいな」

「そうなの?」

「現存だと、堅氷とアリヤ殿下だけだな」

「ああ、そっか。遺伝性があっても、稀なんだったわね」

「おれも母親が魔導師だったけど、翼種族だったからな」

「ロザのお母さん、魔導師なの?」

「ああ。おれが産まれてすぐ死んでるけどな」

「あ、ごめんなさい」

「憶えてねぇから」


 気にするな、と飄々としてみせたロザヴィンは、無遠慮に家中を見渡し、錬成陣を見つけるとじっと見つめる。


「シュエオン、いくつになった?」

「今年で五つよ」

「瞬花のやつ、これについてなんか言わねぇの?」

「これって、シュエの錬成陣?」

「ああ。なんか考えてんのか?」


 ロザヴィンに出すお茶を用意しながら、アサリは「はて」と首を傾げる。シュエオンの言葉を否定しないほうがいい、と言ったあれ以来、イチカはとくになにも言ってこない。アサリも訊いていない。


「錬成陣については好きにさせようって、そういうことにはしたけど」

「好きに、ね」

「……なに?」


 なにか言い含んでいるロザヴィンに、アサリは眉をひそめる。肩を竦めたロザヴィンは、眺めていた錬成陣から離れ、アサリが用意したお茶に手を伸ばした。一口飲んでから椅子に座り、視線をまた、シュエオンが描いた錬成陣に戻す。


「力が目覚めた兆候にある」

「ええ……それはイチカも言っていたけど」

「時期じゃねぇか?」

「時期?」


 なんの、と首を傾げたとき、ロザヴィンは唇を歪めた。


「早いほうがいい」

「早いって……」

「善悪を叩き込むのは、早いほうがいいんだよ」


 ハッとする。


「シュエに魔導師の力の使い方を、教えるの?」

「もう覚え始めてんじゃねぇか」

「錬成陣みたいなものを描くようになっただけよ」

「充分だ」


 ずず、と行儀悪く、ロザヴィンがお茶を飲む。アサリはただ、呆然と、ロザヴィンのその姿を見つめた。


「……連れていくの?」


 漸く声が出せるようになったとき、それはロザヴィンがお茶を飲みきったときだった。


「力に目覚めたやつは、例外なく」

「シュエはまだ四つよ」

「今年で五つ。来年には学校に通い始める」

「いやよ!」


 思わず、叫んでいた。自分でもその声の大きさには驚いてしまう。それくらい、動揺してしまったのかもしれない。


「イチカは……そうよ、イチカは十歳くらいだったわ。そのくらいの歳からお師さまに力の使い方を教わったって」

「瞬花は遅かったんだ」

「遅くないわ!」

「遅いんだ。それに、瞬花は学校に通ってなかった。言葉もろくに話せなかった。あいつはかなり苦労して魔導師になったんだよ」


 イチカは名無しだった。師に拾われる十歳くらいのときまで、名前がなかった。とても悪劣な環境の中にいた。そこから魔導師と呼ばれる稀少な存在になるまで、どれだけの苦労があったか。アサリと出逢ったときでさえイチカが名無しであった名残は色濃く、国民の大半が持っている識字能力がなかった。

 シュエオンはどうだろう。

 イチカに比べたら、シュエオンの環境は恵まれていると言えるのかもしれない。魔導師の力を持ち、それを確実に教えてもらえる環境が、産まれた瞬間から整っている。イチカという魔導師が、父親だから。


「……どうしても、連れていくの?」

「完全に力に目覚めたら、そうだな」

「ここではだめ?」

「師に教えられることはたくさんある」

「ここにはイチカがいるわ」

「だが基本、瞬花は王都にいる。魔導師で、アリヤ殿下の侍従だからな」


 イチカの師は王公とも呼ばれている魔導師で、ユシュベル王国女王ユゥリアの夫だ。その繋がりで、イチカは王子アリヤの侍従として、兄と呼び慕われながらかれこれ十年を過ごしている。だから、アサリと婚姻してレウィンの村にいても、それは休みを得られたときだけで、基本的には王都を離れない。そして休暇の中にあっても、ロザヴィンが今日ここへ来たように、呼び戻されることは多い。長く逢えないこともある。

 ずっとイチカといられるわけではないのに、授かったシュエオンまでそうなるなんて、アサリには考えられなかった。


「シュエまで、行っちゃうなんて……いやよ」

「じゃあ、あんたが王都にくれば?」


 ロザヴィンはそう簡単に言うけれども。


「ここを離れられるわけ、ないでしょう。じいさまとばあさまがいるのよ?」


 今でも闊達としているとはいえ、祖父母のことを考えると、アサリの足は王都へと向けられない。


「今少し元気なら、王都にきてもいんじゃねぇの?」

「それは考えたけど……」

「田舎から出るのは怖いか」


 王都で暮らしていける自信がない、というのも、アサリにはあった。国が定めた教育は終えているものの、それがどこまで役に立つか、というところである。


「あんたなら、だいじょうぶだろ」

「……そうかしら」

「瞬花は来てほしいだろうよ。帰る場所が魔導師団棟でなく、あんたが待つ家になるんだ」

「一緒に暮らせるの?」

「申請すればな。家も用意される」

「家まで?」


 ちょっと驚く。好待遇だ。


「それが魔導師に許された唯一、だからな」

「許された……?」

「まあそれはいいとして。ちょっといいなって、思っただろ」


 う、とアサリは言葉に詰まる。確かに好待遇だと思ったし、イチカと一緒に暮らせるというのは魅力的だ。


「考えてみろ。悪い話しじゃねぇんだし。それに……」


 それに、と言ったロザヴィンが、ふいと視線を玄関のほうへと流した。聞こえてきた泣き声に、ぎょっとする。


「シュエっ?」


 それは明らかにシュエオンの泣き声で、アサリは慌てて玄関へと向かう。扉を開けると、畑を見に少し出かけていたイチカについていっていたシュエオンが、イチカの腕に抱かれて泣いていた。おまけにシュエオンは泥だらけ、イチカも足許を泥に汚している。


「なにがあったの」


 アサリは腕を伸ばし、イチカからシュエオンを預かる。「おかぁさぁん」と泣きついてきたシュエオンを抱きしめ、怪我の有無を確認し、ないことを確かめるとイチカに事態の説明を求めた。


「泥だらけ……畑に落ちたの?」


 ええ、とイチカは苦笑する。その顔の額に、擦り傷があった。


「シュエが畑に落ちて……イチカが怪我? イチカも一緒に落ちたの?」

「おかげで泥だらけです」


 遊びが過ぎたのか、それとも足許が滑ったのか、おそらくはどちらでもなく、シュエオンがはしゃぎ過ぎただけだろうが、それにしてもひどい有り様だ。


「シュエを叱らないでくださいね。僕が目を離してしまったせいですから」

「久しぶりのイチカと一緒で、嬉しかったのね」

「楽しかったですよ、泥遊び」


 にこ、と暢気にもイチカは微笑む。


「もう……笑ってないで、泥を落として。傷の手当てしなくちゃ。ロザが来てるから、手伝ってもらいましょう」

「雷雲さまがいらしているのですか」

「ええ、少し前に」

「そうですか……」


 少しだけ、イチカの表情が陰る。王都に呼び戻されるからだろう。アサリも、寂しく思う。泥汚れを落として、傷の手当てをしたら、イチカは王都へ戻ってしまうだろう。ただいま、と言ってここに帰ってくると、行ってきます、と言ってイチカは王都へ戻る。それはいつものことであるのに、この日はひどく、寂しく思えてならなかった。







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