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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたに面映ゆく。】
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53 : あなたに面映ゆく。8





 見えるたび、見るたび、アサリは小さく微笑む。

 手首で光る銀の腕輪は、守護の鐶。

 イチカからの贈りものであるそれは、ロザヴィンからもらった銀でイチカが自ら作ったもので、イチカの力が付加させられている。アリヤ殿下も、創作には携わったのだと聞いた。

 そしてイチカの後頭部で光る、アサリが贈った銀の髪飾り。アサリが作った装飾ではないが、同じ銀という素材で作られたものだ。

 思わず、ふふ、と小さく笑う。


「羨ましいわ」


 ふと、横からそう言われた。


「わたくしはなにかを贈ってもらったことがないの。アサリちゃんが羨ましいわ」


 少しだけ緊張する。アサリの横に腰かけているのは、豪奢な礼装に着替えた女王陛下で、街でイチカとはぐれたアサリを助けてくれた人でもある。その身分には驚いたが、イチカの恋人たるアサリに女王ユゥリアはとても興味津々で、そして優しい。身分になど囚われない気質は基からであるようだ。


 美しい女王は、遠く離れた反対側の窓辺にいる師を、泣いたあとの赤い目で見ながら、ときどきスンと鼻を鳴らし、寂しそうなため息をつく。


「人間味に欠けていたイチカのほうが、カヤより早くそれに気づいて成長して……まったく可愛くないわ」


 ユゥリアに「可愛くない」と言われた師は、それほど口が上手いわけではないイチカと、呆れ果ててもうものも言えないロザヴィンを傍らに置き、宥められている。ユゥリアが城を抜け出したことに師はかなり怒っているようで、こうして無事に帰ってきた今も機嫌を損ねたままだ。


「あのばかを常に可愛いとか思う姉上がおかしい。あれのどこが可愛いのかな」


 アサリから見て斜め右向かいの椅子に腰かけているのは、ユゥリアが城を抜け出す際に協力し、身代わりにまでなったというユゥリアの弟、そしてレウィンの村の医師兼薬師たるシゼだ。


「カヤはふだん可愛いのよ」

「どこが」

「ぜんぶ」

「……気色悪い」

「失礼ね。姉の夫に対して」

「弟というものは、姉の夫が嫌いなものだよ」

「あら、可愛い弟ね」

「あれのどこがいいのだか」

「ぜんぶ」

「無愛想で鉄面皮で思考回路意味不明な魔導師の、どこが」

「カヤの考えていることなんて簡単よ。実際にはなにも考えていないことのほうが多いのだもの」


 師の感情、思考をいとも容易く読み取るユゥリアに、どうしたって師を貶したいシゼは渋面を浮かべる。シゼが師を嫌うのは、単に姉をとられていい気分がしないだけの、弟の心情ではないかとアサリは思った。


「面白くないから、わたしはここで失礼するよ」

「あら、もう行ってしまうの? せっかくだから夕食を一緒しましょうよ」

「あのばかと一緒なんて御免です。今日はアリヤと一緒に食べますよ。また今度、誘ってください。……アサリちゃん、またね」


 面白くないから退室する、とシゼはさっさと椅子を離れた。部屋を出ていく前に、思い出したようにロザヴィンを呼び、一緒に連れていった。


「寂しいなら自分も早く好い人を見つけたらいいのにね」


 ぽそりと、ユゥリアは言った。


「あの子、アサリちゃんの村で薬師をやっていたそうね? 誰かそういう人いなかったかしら?」

「え、っと……」

「それとも、お見合いでもさせたほうが早い?」

「……そうかもしれません」


 シゼにそういう出逢いがあればいいのだろうが、レウィンの村でその機会は少ないかもしれない。中高年が多い村なのだ。


「シゼの子どもが見たいわぁ」


 残念そうに言われても、アサリにできることはない。ハイネに協力してもらえばそういう出逢いの場を作ることができるだろうか。

 そういえば、ハイネは今頃どうしているだろう。ゼレクスンと仲良く祭りを楽しんでいるだろうか。


 あれこれと考えていると、イチカが師のそばを離れてアサリたちのほうへとやってきた。


「どーお?」


 と、ユゥリアが問う。


「少し放っておく必要はありますが、だいじょうぶだと思います。ふらりとどこかへ行く気配はありません」

「ほんと?」

「はい」

「……イチカがそう言うなら、だいじょうぶかしら」


 勝手に城を抜け出したことを、これでも少しはユゥリアも反省しているようで、本気で怒ったらしい師の様子をとても気にしている。泣いて誤魔化すことも、泣いて許してもらうこともできなかったらしく、あとはもう師の機嫌が直るのを待つしかない。


「ねえ、アサリちゃん」

「あ、はい。なんですか?」

「夕食、一緒に食べましょ? カヤがあれだから、わたくし、ひとりなの。アリヤは子どもたちと一緒だから」


 寂しいから夕食は一緒に、と誘ってくるユゥリアに、アサリはちらりと視線をイチカに向け、苦笑する。イチカも苦笑していた。


「イチカも一緒にいいですか?」

「もちろんよ。イチカも一緒なんて嬉しいわ」


 ありがとう、と礼を言ってくるユゥリアに、「とんでもない」と慌てながらも、アサリはその日の晩、王城の美味な食事をいただくことになった。











 大変な一日だった。けれども充足感のある一日だった。明日はもうレウィンの村へ帰るのかと思うと、少し寂しく思う。ずっといたいと思う場所ではないけれども、ここにいればイチカと毎日逢えるかもしれない。ほんの少しだけ、ここにいたいなと思った。


「アサリさん?」


 声に振り返る。ゆったりした夜着姿のイチカは、眠る直前になるまでつけたままにしておきたいと、昼間にアサリが贈った髪飾りで後ろ髪をまとめていた。


「今日で終わりね」


 微笑んで言うと、言葉の意味を理解したのか、イチカも残念そうに微笑んだ。


「そうですね」

「あっというまだった」

「時間の経過は早いものです」

「いろいろな経験をしたわ」


 思い返せばたくさんのことがあった。それがたった三日間のことかと思うと、経験としては充分かもしれないと思う。


「楽しかったですか?」

「ええ、すごく」

「よかった……」

「イチカは?」

「はい、楽しかったですよ」


 隣にきたイチカを、アサリは見つめる。

 出逢った頃と比べると、少しだけおとなになった気がする。少年っぽさが消えて、青年になろうとしている。同じくらいだけ、アサリも成長しただろうか。


「陛下との夕食はいかがでしたか」

「緊張した。でも、美味しくいただけたわ。意外と質素な食事なのね? こう言っちゃうと失礼かもしれないけど、食べ易かったわ」

「陛下は偏食がひどいのです」

「え、そうなの?」

「ええ。それで料理長が、どうすれば陛下に食べてもらえるかと思案して。食べ易さと栄養の均衡が取れたものをと、それらを重視した結果があの料理です」


 女王陛下といただいた夕食は、アサリの家の食卓でも並びそうな食事だった。美味しかったそれにはほっとしたが、女王が食すものとしてはどうだろうかと思った。だが、あれでないと女王陛下は食さないらしい。


「陛下の偏食には、師のほうが躍起になっていましたね」

「治そうと?」

「治っていませんけどね。アサリさんはありますか?」

「嫌いなもの? んー……わたし、わりとなんでも食べちゃうなぁ。お店の新作料理とか、わたしが味見係やっちゃうくらい」


 イチカは、と訊くと、少しばかり首を傾げたイチカは、「僕は食事に拘りがありませんからねぇ」と呟いたあと、「アサリさんが作る料理はすべて好きです」と答えた。


「美味しいので」

「そ、そお?」


 ちょっとどころかかなり嬉しい言葉に、どきどきする。


「食事は身体を動かすために必要なものとしか考えていませんでしたが、アサリさんと出逢ってからなんだか変わりました。誰かと一緒に食事するというのは、よいものですね。それが僕のために作ってくれた食事なら、なおさらです」


 頬に熱が少し集まる。イチカがそう思ってくれているのは、素直に嬉しい。祖母だけでなく、食堂の店主ボルトルにも料理を教えてもらおうと思った。


「今度イチカが家にきたとき、もっと美味しい料理をご馳走するわね。練習しておくわ」

「それは楽しみです。ですが、練習までしてくれるなら、僕で練習してください。ラッカさんやアンリさんばかり、アサリさんの料理が食べられるなんて、羨ましいですから」

「練習したやつなんてイチカに食べさせられないわよ。その……失敗とか、するもの」

「失敗したものも、僕が食べたいです」


 ぐっと顔を寄せてきたイチカが、「ね?」と小さく首を傾げる。顔の距離が近くて照れるが、仕草としては可愛い。言葉に詰まったのに、うっかり頷いてしまった。


「ふふ……またしばらくはアサリさんの手料理が食べられそうですね」

「……しばらく?」


 はい、と頷いたイチカは嬉しそうで、しかしアサリは首を傾げる。

 アサリは明日、王都を発つ。約二日の時間をかけて、レウィンの村へ帰る予定だ。


「イチカ、わたし明日……」

「ああ、そうです。出立の準備がありますね。荷物はまとめ終わりましたか?」

「え、ええ、あと少し」

「ラッカさんとアンリさんへのお土産は、道中で用意しましょう。ハイネさんとロウエン氏も、一緒の帰りですよね? 合流場所はどこです?」


 王都の門だけれど、と答えると、イチカは少し考えて、明日は早めに出立したほうがよさそうですねと、暢気にも言った。


「……イチカ、明日」

「はい。僕も行きますよ」


 予想外な言葉に、吃驚する。


「ほ……ほんとっ?」

「言いましたでしょう? 初めての長期休暇ですから」

「そ、それ、いつまでなの?」

「一月くらいでしょうか」

「そんなにっ?」


 アリヤ殿下の侍従でもあり、魔導師のイチカが、そんなに休んでいいのだろうか。

 そう心配したアサリだが、昨夜は心配して王城に出向いたイチカはあっさりしている。休んでいいと言われたから休むのだと、堂々としたものだ。


「少しは仕事を持って行きますが」

「仕事?」

「僕は本来、魔導師なので」


 アリヤ殿下の侍従としては少し休ませてもらうが、魔導師としては休むつもりはないらしい。


「魔導師の仕事って、任務って言うのかしら? いいの? レウィンの村まで行って」

「レウィンの村の水質調査があります。あと地盤の調査ですね。守護石の状態も確認しなければなりません」


 やることは意外とたくさんある。終われば食堂でまた少し働いてみたいし、どうやらシゼも近いうちにレウィンの村へ帰るようなので、彼の仕事を手伝うことにもなるだろう。

 イチカはそう説明して笑った。


「またアサリさんの家に、お邪魔しますね」


 お邪魔なんてそんな、とアサリは思いっきり首を左右に振る。


「もうイチカの家でもあるのよ」

「それは……嬉しいですね」


 ありがとうございます、とイチカは嬉しそうだ。


「でも、お師さまや王子さまのそばを離れていいの?」

「問題はありません」

「ほんとに? 今日、すごい喧嘩だったけど……」

「今頃は仲直りしていると思いますが。そもそも、あの方々の喧嘩は長く続きませんからね」

「そうなの?」

「陛下がとても落ち込んでおられたでしょう? 師が、そんな陛下をいつまでも無視していられるわけがありませんから」


 それは師の、いかに女王陛下に惚れているか、という惚気にも似た話だったが、弟子がそう断言してしまえるくらいには、喧嘩をしたふたりをそのままにしていても問題はないようだ。


「明日は早めに出発して、市でラッカさんとアンリさんのお土産を捜しながら、村へ帰りましょう?」


 師やアリヤ殿下のことは、だいじょうぶですから。

 アサリを安心させるようにイチカは言って、手のひらを差し出してきた。引き寄せられるように手のひらを重ね、きらりと光った銀の腕環にアサリは目を細めた。

 銀の腕環に模された花の彫刻は、フューネの花。


「……ねえ、イチカ」

「はい」

「これ、フューネの花よね? 花言葉、知ってる?」

「……いえ」


 やっぱりそうか、と苦笑する。

 入れ知恵したのは、これを作らせたロザヴィンか、それともアサリを「姉さん」と呼ぶアリヤ殿下か。


「アサリさんは知っているのですか?」

「まあね」

「どんな意味があるのですか?」


 ふふ、と笑って「内緒」と答えた。


「アサリさん」

「自分で調べて」

「……教えてくれてもいいでしょうに」


 意地悪ですね、と言ったイチカは苦笑していたが、言及するつもりはないらしい。あとできちんと自分で調べるのだろう。


 フューネの花言葉を知ったら、イチカはどうするだろう。


「ふふ」

「アサリさん?」

「ん、ちょっと楽しみ」


 怖いようで、けれども楽しみ。

 それは押し花にしようかと考えた、実際のフューネの花をもらったときにも思ったこと。


 フューネの花。

 花言葉は、『あなたに面映ゆく』。

 古い言葉で、今では使われなくなったが、その昔は婚姻を申し込む際に口にされた言葉で、婚姻のあとには意味が変わる。

 婚姻のあとに使われる花言葉は、『いとしいあなたは、わたしのもの』。


「楽しみだわ」

「? はい」


 意味がわかっていないイチカに笑ったあと、アサリは抱きついた。


「あなたと生きたいと、わたしも思うの」

「……アサリさん」

「だから、楽しみにしているわ」


 耳許で囁くと、イチカは少しだけくすぐったそうに肩を竦めたが、アサリにその頭を寄せてきた。


「僕も……あなたと生きたいと思うのです」

「……ええ」

「ずっとそばに……そう、誓います」


 ぎゅっと強く抱きしめてくるイチカに、僕と結婚してください、と婚姻を申し込まれるのは、それから少しあとの話になる。

 アサリの中で、新しい命が育っていると知るのは、さらにあとの話。

 新しい命にイチカが涙するのも、その先のこと。








これにて【あなたに面映ゆく。】は終幕となります。

読んでくださりありがとうございました。

お気に入り登録してくださった方々、ありがとうございます。


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