49 : あなたに面映ゆく。4
女王と魔導師、つまり師と師の奥さんの物語を、最初から最後まで知っているわけではない。皆そうだ。
だからこれが真実とは限らない。
これが真実なわけがない。
そのはずだ、と思いながら芝居を見ていたアサリは、途中でふと違和感を覚えた。どこに違和感があるのかわからなかったが、どうも納得できない物語の進行に、つい考え込んでしまう。
しかし、考え込んでしまったせいで、イチカと繋いでいた手が離れてしまったのは大きな問題だった。
「ど、どうしよう……」
はぐれないようにと気をつけていたのに、気づいたらイチカと手が離れていて、振り向いたときにはもうイチカの姿はなく、またアサリも人混みに押されて道を流されてしまった。立ち止まろうにも、移動を開始した役者を追う人たちに邪魔されて、なかなか立ち止まれない。
「っと、とと……あ、ごめんなさい」
あちこちでふらふら人にぶつかりながら、どうにか人気の少ないほうへと逃れる。
ふう、と息を整えて周りを見渡したが、イチカの姿はどこにもなかった。
「イチカ……どうしよう、はぐれちゃった」
きょろきょろと見渡しても、琥珀色の頭はどこにもない。なにがあるかわからないからと、魔導師の外套を裏返しにして羽織っていたが、その外套姿も見えない。
イチカがそばにいないことに、急に不安になった。
「イチカ……イチカ、どこ」
さっきまで一緒だったのに、手を繋いでいたのに、そのぬくもりがない。
どうしよう、どうしたらいい、迷子になったときはどうすべきなのだろう。
おろおろと、していたときだった。
「どうしたの?」
ふと、そう声をかけてきた人があった。
「とっても不安そう……盗みにあったのかしら?」
振り向くと、一際明るい金の髪と、そして深い蒼色の双眸が、アサリの視界を眩ませる。
「それとも、連れの人とはぐれたのかしら?」
ふわりと金の髪をなびかせた人は、とても綺麗で上品そうな女の人だった。その容姿には不似合いな地味めの衣装に、違和感すら覚える。
「あ、あの……人と、はぐれて」
「まあ、それは不安ね。どの辺りではぐれたの?」
「女王さまとお師さま……あ、役者さんがさっき合流した辺りです」
「合流……あら、もしかして王都は初めて?」
「そ、そうなんです」
「それでは寂しかったわね。あの辺りは露店も多かったから、はぐれてしまっても仕方ないけれど」
もうだいじょうぶよと、女の人はアサリの頭を優しく撫でた。
「あ、の……?」
なぜ慰めてくれるのだろう、と不思議に思っていたら、彼女はにっこりと、眩しいくらいに綺麗な笑みを浮かべた。
「さっき、あなたと魔導師が一緒に歩いている姿を見かけていたの。仲がよさそうに歩いていたから羨ましくて」
「え……」
「魔導師を捜すのは簡単よ。だからだいじょうぶ、もう心配要らないわ」
「……どうして、魔導師だって」
「ん? ああ、そうね。中至の祭りで野暮ったい黒の外套を着ているのなんて、魔導師くらいだからよ。それとも、違ったかしら?」
「い、いえ、魔導師です」
なるほど、確かに周りを見れば、黒い外套を着用している人はいない。どの人も明るい色の衣装を、晴れやかに着用している。外套を羽織っていても、その色は薄茶だ。黒い外套など、そう滅多に見られない。
「ふふ。恋人よね?」
「えっ」
「野暮ったいなんて言ってごめんなさい」
うふふ、と楽しそうに笑む彼女に、ちょっと照れ臭くなってしまう。周りから、きちんとそう見られているのだと思うと、なんだか嬉しい。
「こっちよ、ついて来て。芝居を見ながら、魔導師の彼に捜してもらいなさいな」
くん、と彼女に腕を引っ張られて、アサリは再び人の流れる道へと入った。
「さ、捜してもらうって」
「魔導師の恋人なら見つけてくれるわ。実はね、わたくしも捜してもらっているの」
「あなたも?」
「わたくしははぐれたわけではないけれど、ね。だって、いつも捜しているのはわたくしなんだもの。たまには捜してもらいたいでしょう?」
なんだか楽しそうな彼女は、アサリの腕に自身の腕を絡ませ、ずいずいと道を進んでいく。上手く人混みを避けて歩いてくれているようで、イチカとはぐれたときのように人混みに押し流されることはない。
「だいじょうぶ。見つけてくれるわ」
自信たっぷりな言い方に、なぜだろう、納得してしまう。彼女が言うように、イチカなら必ずわたしを見つけてくれると、そう思える不思議にアサリはほっと息をついた。
「あら見て、芝居よ」
イチカとはぐれたことで見失った芝居の一団が、視界に入ってくる。見ていない間に物語は随分と進んでいて、魔導師役の役者は女王役の役者と合流し、言い争いにも似た展開を演じていた。
「……あんなに口達者ではないのよねえ」
「え?」
「ひとり言よ、気にしないで。ねえ、あの芝居を見るのも初めて?」
「あ、はい。王都に来たのも三日前で、初めての旅だったから」
「そう。わたくしは幾度か見ているのだけれど……あの物語は面白いかしら?」
「面白いというか……」
芝居は見て楽しむものだが、物語として面白いかと問われると、少し迷う。面白いとか、楽しいとか、そういう物語ではないとアサリは思っているのだ。
「すごいなぁって、思うわ。女王さま、本当にお師さま……魔導師さまが好きなんだなぁって」
見ていて幸せになる、そんな物語だとアサリが言えば、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。
「誰かを好きになって、愛することは、とても力を使うわ。わたくしも人を愛して、とても力を使ったの。その人にしか使いたくなかった力よ。ほかにも力を使わなくてはならなかったけれど、唯一の力はその人だけのものにしたの」
少しだけ遠い目をした彼女に、アサリもゆっくりと頷く。
誰かを愛するというのは、とても力を使うのだ。
「わたし、イチカを……恋人を愛するようになるまで、人を愛することがこんなにも力を必要とするなんて、思わなかった。当たり前のように愛してもらっていたから、自分がこんなに振り回されるなんて考えてもみなかったの。だから……恋人を愛して初めて、すごく力を使うんだなって、思ったわ」
思い返せば、たった三日だ。イチカに逢うことを楽しみに村を出て、王都へ来た。王都へ来てから今日まで、いろいろなことがあった。その一つ一つに、それまで自分が使わなかった感情や心が動かされている。きっとこれからも、そんないろいろなことがあるだろう。それが、とても楽しみだ。力をたくさん使うことになっても、後悔はない。
「ねぇえ? なんだかわたくしとあなた、同じようなことを思っているみたいね?」
「そう、ね」
「ふふ。ねえ、少しわたくしにつき合ってくれないかしら。恋人に見つけてもらうまででいいわ。わたくしも捜されている側だもの」
もうすでに、彼女に腕を絡まれている時点で、つき合っているも同然だ。彼女の自信ある言葉に安堵していたアサリは、今さら、と苦笑しながら頷く。
「芝居を見ながらでいいわ。わたくし、たくさん歩いて、たくさんのものを眺めたいの」
「いいわ。わたしもそうだから。あ、そうそう、あなたこの辺りに詳しい?」
「なにか気になるの?」
「髪留めが欲しいの。せっかくだから一緒に選んでくれない?」
「あら、いいわね。贈りもの?」
「恋人に。ちょっと髪が長いの」
「まあ、わたくしの好い人も髪が長いのよ。そう、髪留めね……いいわね、わたくしも贈りたいわ。一緒に選びましょ」
うきうきとし始めた彼女に、アサリもなんだか楽しくなる。ここにもしハイネが混ざっていたら、煩いくらいきゃあきゃあ言っていたかもしれない。
さっきまではイチカとはぐれたことをとても不安に思っていたのに、彼女のおかげで少し気分が楽になって、気持ちも大きくなった。
ねえイチカ、とアサリは心の裡から呼びかける。
ねえ、わたしを見つけられる?