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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
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03 : 欠けているもの。





 イチカが寝台を離れたのは、翌日だった。ただし、自己判断の自主的なものだ。

 アサリが起きたときには、イチカはすでに目覚めていたようで、朝食の用意をして部屋に運んだとき部屋にいなかったのである。


「イチカっ?」


 驚いたが、窓が開いていたので慌てて駆け寄り身を乗り出したら、そこにイチカがいた。


「おはようございます。なんですか」

「び……っくりさせないでよ」

「はい?」


 なんでもないかのように、イチカは畑の前にいた。どうやら眺めていたらしい。


「こっちに来て。起きて平気なの?」

「昨日の時点で、行動を起こすことに問題はありませんでした」

「いやそうじゃなくて……もう、どうしてそういう言い方しかできないのよ」


 イチカを教育した者は、少しどころかかなり間違った言葉を教えていたのではないだろうか。

 本気でそう思ったが、アサリの言っていることがわからないとでも言いたげにイチカは首を傾げていたので、これはイチカの性格だなと思う。

 淡々としていて、真面目で、丁寧で、けれどもなにかが欠けている。いや、足りない。

 足りないものは、なんだろう。


「アサリさん?」


 窓辺に戻ってきたイチカは、まだ首を傾げている。その顔に表情はなく、アサリには感情を読めない。


「朝食よ。動けるようになったんなら、ここを出ていくでしょ? それにしても食事は必要だし、あと最後に医師に診てもらってからにしてね」

「食事はいただきますが……医師に診てもらう必要はありません。動ければ充分です」


 ああ、やっぱり出て行くのか。もう少し、彼と話していたかったのに。もうちょっとでいいから、かまっていたかったのに。

 そう思うと残念で、少し身体から力が抜けてしまう。


「それから、もう少しだけここに留まってもかまいませんか?」

「え?」

「畑が……」


 イチカは後ろを振り向き、「畑が気になるのです」と言った。

 アサリは、イチカが去っていくことを残念に思ったことの反動で、思わず嬉しくなって会話を続けたくなって、窓から思いきり身を乗り出してしまう。

 本当にもう少しでもここに留まってくれるのかと、そう言おうとしたときだ。


「ぅわ……っ」


 あ、と思ったときには、木枠に置いていた手が滑って、前のめりに倒れた。落ちる、とその衝撃に身体を強張らせ、痛みを覚悟したが、アサリが感じたものは温かいというより熱いものだった。


「だいじょうぶですか、アサリさん」

「は、え……?」

「危ないですから、ゆっくり、落ち着いて体勢を整えながら、床に足をつけてください」


 アサリの足は床から離れていたが、イチカが抱きとめてくれていた。そっと、まるで壊れものを扱うかのような手つきで、不安定な体勢をイチカが押して戻してくれる。


「ご、ごめん、ありがとう」

「いいえ。怪我はありませんか」

「ないわっ」


 以外にもしっかりとした肩だった。けれども繊細な手だった。優しかった。そしてなにより、まだ微熱があるのだとわかるほど、熱かった。

 思ったこと、感じたことに、急激な羞恥に襲われたアサリは、身体の均衡を取り戻すとすぐ窓辺から離れた。


「……アサリさん?」

「あ、いや、なんでもないっ」

「? そうですか。それで、かまいませんか?」

「な、なにがっ?」

「話を聞いていなかったのですか? 畑のことですよ。少し気になるので、ラッカさんと話がしたいのです。それを礼にさせていただきたいとも思うので、今少しここに留まりたいのですが、かまいませんか?」

「いいわよ! うん、何日でも泊まってくれてかまわないわ!」

「ありがとうございます。では、この辺りにある宿屋を教えてください」

「宿屋?」


 なぜ急にそんな話に、と目が丸くなる。


「ないのですか?」

「いや、あるけど……なんで?」

「僕が部外者であるからですが」

「部外者?」

「僕はこの家の者ではありません。宿屋があるなら教えてください。そちらに移動しますから」

「そ……そんなことしなくても、この部屋を使っていいわよ!」

「? 身体は回復しました。行動を起こすことに問題はありません。これ以上の世話をかけることは承伏しかねます」


 かくん、と肩の力が抜ける。

 どうしてこういう言い方しかできないのだろう。もう少し甘えてくれても、今さら遠慮なんかしなくてもいいというのに、イチカの感覚はずれている。


「この部屋、使っていいから。誰も使ってないし、宿屋からここに通うなんて面倒もないわ。料金だって、畑のことを礼にしてくれるなら、それでかまわないのよ」

「世話になった分をお返しするのに、さらに世話になることなどできません」

「いいから、そうしなさい。面倒でしょうが」

「……そんなに面倒、ですか?」

「そうよ。だから、ここに……この家にいて」


 苦笑しながらそう告げると、どうも納得できないでいる様子のイチカだったが、少しすると「お手数をかけます」とまた口にし、頭を下げた。

 やっぱり丁寧で真面目な子だ。


「そうと決まれば朝食ね。少し冷めちゃったわ。温め直すついで、みんな一緒に食べましょ?」

「……いただきます」


 ふっと、イチカが目を細める。

 表情から感情が窺えない分、仕草の一つ一つがアサリには目に入るものだ。それは些細な、ほんの僅かな、とても小さなものだが、かまいたくなる衝動はたぶんそれらが見えてしまうからだろう。なぜ見えてしまうのか、それはアサリの性格だろうけれども。


 兎にも角にも、イチカはもう少し、ここにいてくれる。人を拒絶しているようでも、話しかければ答えてくれる。そしてなにより、まだ僅かに、自分を見失っていないようだ。

 イチカがいる間に、少しでもイチカの笑顔を見られるよう、打ち解けられるよう、努力しようとアサリは思った。


 だから、やれることから始める。


「ねえイチカ」

「はい」


 アサリは窓辺近くに戻って、以前一度触ってからもう一度触れてみたかったイチカの柔らかな髪に、手を伸ばす。

 さらさらとした琥珀色の髪は、少し寝癖がついている。食事が終わったら櫛で梳いてやろう。


「字、教えてあげる。ここにいる間に、自分の名前くらいは書けるようになったほうが、今度から代筆を頼まなくていいわよ」


 頭を撫でられたイチカはちょっとだけ擽ったそうに身を捩ったが、アサリのその手を弾くことはなかった。


「べつに、困ってはいませんが」

「覚えて損はないってことよ」

「……そうですが、礼ができません」

「いいわよ。わたしの勝手だもの。イチカが覚えてくれる気があるなら、それがわたしへのお礼になるわ」

「そういうものですか?」

「そういうものよ」


 手櫛では直らないイチカの髪の寝癖は、たぶん少し長いせいだろう。襟足で小さく結えられそうだ。結えてみたら怒るだろうか。


「さ、家の壁伝いに庭を回って、玄関から入ってらっしゃい」

「ここからでも入れます」

「そ? じゃ、入って。朝食よ。先に行ってるから、家の中を冒険しながら居間まで来るといいわ」

「案内はしてくれないのですか」

「狭い家だもの。必要ないでしょ。それから、医師には診てもらうわよ」


 アサリは寝台の横に置いていた、冷めてしまったイチカの朝食を手にすると、さっさと部屋を出る。間際にちらりと後ろを見たら、軽やかに窓から中に入ってきたイチカの姿が見えた。微熱があっても問題はないというのは、本当なのかもしれない。







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