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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたに面映ゆく。】
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46 : あなたに面映ゆく。1





 朝は、それまでには感じなかった騒がしさで目を覚ました。隣にイチカの姿はなく、その僅かなぬくもりだけが残っている。

 ゆっくりと身体を起こして少しぼんやりしていたら、部屋の扉が開く音がした。


「おはようございます」


 イチカが、その手に朝食らしい麺麭の袋を抱えていた。


 昨夜のイチカは、ロザヴィンに連れていかれてなかなか戻ってこないと思っていたら、作った夕食をすべて卓に並べ終わったところでひとりで戻ってきた。その顔はどこか、なんとなくだが、曇って見えた。


『なにかあった?』


 問うが、イチカは思い出したように笑みを浮かべると、『なにもありませんよ』と言う。


『そう?』

『不向きでも苦手でも、やはりもう少し学んでおくべきかとは、思っていますが』

『なにを?』

『体術を』


 そういえば、イチカは唐突に現われたロザヴィンになにかされて、椅子ごと後ろに転がっていた。不意を突かれて転んだのだろうとは思うが、その隙をロザヴィンに与えた己れの失態でも考えているのだろうか。


『美味しそうですね。いただきましょう』


 悔しそうには見えないイチカの様子には首を傾げたが、意識が夕食に向いたイチカはそれ以上その話題に触れることはなく、嬉しそうな顔で卓につくと食事を始めたので、アサリも決して美味しいとは言えないだろう自身が作った夕食に手を伸ばした。


『こんなものしか作れなくて、ごめんね』

『いいえ。アサリさんが作るものは、すべて美味しいですよ』


 嘘か本当か、それはわからないけれども、すべて「美味しい」と言って食べてくれるイチカにアサリは微笑む。


『ばあさまにもっといろいろと教わって、もっとたくさん作れるようになるわね』

『はい。楽しみにしています』


 にこにこと笑うイチカは、それでも食事の量が以前より極端に増えることはなく、アサリが食べる量よりも少ない食事で腹を満たしていた。それだけでだいじょうぶなのかと心配になるが、アサリよりも身体を動かさないから消費量が少ないのだと言われてしまうと、それ以上のことが言えなくなる。これでも以前より食べているとさらに言われてしまえば、もう頷くしかなかった。


『アサリさん、すみませんが少し出かけてきます』


 食事を終えてすぐ、食器を片づけていたらイチカはそう言った。


『出かけるって……今から?』

『はい。すぐに戻れると思いますが……先に休んでいてください』

『……どこに行くの?』


 仕事だろうか、と首を傾げたら、イチカは『私用です』と苦笑した。


『師団棟に忘れものを取りに行くついで、王城の様子を見てきます』

『やっぱり仕事が気になるのね』

『長期休暇は初めてなので』


 休めと上から命令されていても、長年そういったことがなかったせいか、すぐには馴染めないらしい。なにをしていても頭の片隅にはそれが残ると、イチカは小さく肩を竦めた。


『僕が心配する必要はないのですが、気になってしまって』


 イチカはアリヤ殿下の侍従で、そして魔導師だ。その役目を完全に放棄することは、どうしてもできない。その気持ちはわからないわけではないので、アサリは笑顔で出かけるイチカを見送った。


『僕の帰りを待つ必要はありませんからね』


 先に休んでいていいと、イチカはそれをアサリに念押しして出て行った。

 イチカがアサリのところに戻ってきたのは、待たなくていいと言われたのに待っていたアサリが、根負けして寝台に潜り込んでうとうととしていたときだ。


『ああ、起こしてすみません。眠っていていいですよ』


 寝返りを打とうとしたら、寝台に潜り込んできたイチカに背後から抱きしめられた。そのぬくもりにほっとすれば、イチカも安堵したようにアサリの赤茶色の髪に顔を埋めて息をつく。


『だいじょうぶだった?』

『僕がいなくても王城は変わりません。さあ寝ましょう、アサリさん』


 なんともないですよ、とイチカは言い、抱きしめてくる腕に力を込める。背にした人肌が気持ちいいと、そう感じているうちに、アサリはいつのまにか眠ってしまっていた。


 今考えてみると、なんだか微妙な空気に、昨夜は包まれていたような気がする。ロザヴィンに連れていかれてから、というのが正確だろうか。


「おはよう、イチカ。よく眠れた?」

「まあまあ、ですね。これ、いかがですか? もう街は騒ぎ出していますよ」


 イチカが抱えていたのは惣菜麺麭で、朝の喧騒で目覚めてからすぐに露店へと買いに行ったのだそうだ。どれがアサリの好みかなどわからなかったから、美味しそうに見えたものはどれも買ってみたらしい。抱えた袋の中には、ふたりでは食べきれないほどの麺麭が買い込まれていた。


「雷雲さまにお裾わけしてきます。先に厨房へ行っていますね」

「ロザがいるの?」

「今朝ばったりと」


 先に行っています、とイチカは部屋を出て行ったので、アサリも厨房へ行くべく身支度を整える。

 今日は祭りの最終日、明日には王都を離れ、日常が戻ってくるだろう。初めはうきうきと旅に出て、けれどもイチカの嫉妬に惑わされて、そのあとなんだかいい雰囲気になって、たった二日間のことなのにいろいろあったなぁと思う。

 今日はなにがあるだろう。


「おはよーさん」

「おはよう、ロザ。エリクは?」

「どっかにいんじゃね?」

「……あなたの奥さんでしょ」


 厨房へ顔を出すと、イチカと向かい合って席に座ったロザヴィンが、先に麺麭に齧りついていた。イチカは律義にアサリが来るのを待っていた様子であるのに、気の早いことだ。


「すみません、アサリさん。雷雲さまに……」


 アサリに選ばせる暇もなくロザヴィンが麺麭に手を出してしまったために、イチカは少ししょんぼりしていた。


「いいわよ。どれも美味しそうだもの」

「すみません。飲みものはなににしますか? 僕は珈琲ですが」

「わたしも珈琲でいいわ。甘くして」

「はい、わかりました」


 にこり、と柔らかく笑んだイチカに甘い珈琲を淹れてもらい、ロザヴィンも一緒という朝食をいただく。

 のんびりとした朝だ。


「なんだかいいですねえ、ゆったりしていて」


 アサリが思っていたようなことを、誰かが口にした。

 え、と思って瞬きをしたその次には、目の前が随分と眩しくなる。


「おはようございます、姉さん」


 王子アリヤがロザヴィンの隣にいた。


「また、突然と……」

「朝はちょろいんですよ。みんな頭が回っていませんからね」


 城を抜け出すことなど簡単だ、とのたまったアリヤの笑顔は、それはもう爽やかだった。







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