43 : その姿がいとしくて。2
うとうととしているイチカを無視して、アサリはその琥珀色の髪に櫛を通す。寝癖であちこちにぴょんぴょんと跳ねた琥珀色の髪は、それだけではもちろん直らない。
「……結えてもいい?」
「はい……お好きに」
ゆらゆらと揺れるので、ちょっと動かないで、と注意しながら、少し長い髪を一つにまとめ、小さく結える。髪紐にはアサリが持ってきていたものを使った。
「うん、可愛い」
後頭部に、ちょん、と小さな尻尾ができ上がる。
せっかくだからイチカ用に髪止めでも買おうかしら、なんて思った。
「もう、いいですか?」
眠そうなイチカが、目を擦りながら振り向く。首許がすっきりして、結えきれなかった部分がさらりと流れると、なんだか色っぽい。
「ほんと、ダンテが言ったとおりね……」
「はい?」
「女の子みたい」
「……男の子です」
ムッとしたイチカがせっかく結えた髪を解こうとしたので、慌てて止めた。
「だめっ、可愛いのっ」
「可愛くないです。かっこいいがいいです」
「かっこいいからっ」
思わず言ってから、真っ赤になる。
イチカが笑った。
「可愛いですね、アサリさん」
臆面もなく言うイチカが羨ましい。アサリはひたすら恥ずかしく、まあ嬉しいのだが、イチカは「かっこいい」と言われても気恥ずかしくないらしい。
「髪、切らないでね」
ちょっとだけ唇を尖らせながら、アサリは以前からずっと思っていたことを言っておく。
「なぜですか?」
「結えたいから」
イチカの琥珀色の髪は、とても触り心地がいい。その色も、アサリは好きだ。
「邪魔なのですが……」
結えきれなかった部分を摘みながら、イチカは鬱陶しげだ。
「結えたいの!」
「……なら、僕もアサリさんの髪を結えてみても、いいですか?」
左右に流れるアサリの赤茶色の長い髪を一房、手のひらにそっと持ち上げたイチカが微笑む。
「……できるの?」
「できなくはないですよ」
自信があるのかないのか、イチカは座っていた椅子を離れると場所をアサリと交換し、櫛を手にすると赤茶色の長い髪を梳き始めた。その手つきは柔らかく、優しく、なんだか眠くなってしまう。
「人に頭を触られると眠くなるのって、なんでだろ」
「不思議ですね」
「あ、だから眠そうだったの?」
「アサリさんの手は温かいですから」
ことさらゆっくり時間をかけて、イチカは器用にもアサリの長い髪をまとめていく。後頭部だけの細かな編み込みで、残りは背中に流れる髪型になった。
「す……すごいわね」
「陛下がこのような髪型をされたことがあって、アサリさんに似合いそうだと思って見ていました。見込んだ通りですね」
「見ただけでできるのっ?」
「原理がわかれば」
嫌味だ、と思ったが、文字を書けなくとも文章は読めるという、奇怪な真似ができるイチカだ。
「なにか髪止めはありませんか?」
「あ、そこに大きいのが」
髪を挟みこむ髪止め一つで、編み込まれた髪はまとめられた。慣れたアサリより器用だ。
「さて……出かけましょうか」
「ええ」
差し出された手のひらに、己れの手のひらを重ねる。
クッと引っ張られると椅子を離れた。
「きっと混み合ってるわね」
「祭りですから」
互いに微笑み合って、寄り添い合って、夜の祭りへと一歩を踏み出す。
中至の祭り、二日めの夜、漸くアサリはイチカと祭りを冷やかしに外へ出ることが叶った。昼は甘えてくるイチカの相手が大変で、せっかくだから祭りを見たいと言っても離してくれなかったのだ。夕食のことを引き合いにしなければ、こうして陽が落ちてからでも出かけることができなかっただろう。
「なに食べたい?」
「さっぱりしたものがいいです」
「抽象的ね……んー、炒めものじゃないほうがいいかしら?」
本当は食べ歩きをしたかったのだが、アサリの手料理がいいとイチカが言うので、本来の目的は食糧の調達である。アサリはそれをついでにし、イチカと祭りを楽しもうと思っていた。
なので、わざと足を祭りのほうへ向ける。
アサリがそうしていることに、イチカは気づいているだろう。しかしなにも言わない。アサリの気持ちを汲んでくれている。そしてイチカ自身も、せっかくだからと思い直したのだろう。歩いていくと、見えてきた店や出張してきている露店のちょっとした説明をしてくれた。
「明日が本番なのに、すごい賑わいね」
「明日はもっと賑わうと思います。僕はこれまで遠目からしか見たことはありませんが、最終日は朝から晩まで賑わっていました」
「遠目からって……どうして?」
「僕は魔導師ですから」
街のその祭り騒ぎそのものは、イチカは味わったことがないという。魔導師はみんなそうなのかと訊いたら、それぞれだと言った。
「僕は特に見たいとも思いませんでしたから、警備のほうにいつも回っていました。それだけです」
だから、祭りというそのものに、参加したことがないらしい。興味もなかったという。
「ですが今年は……」
にこり、と微笑んだイチカに、思わず見惚れる。こんなににこにこしているイチカは珍しい。
「……アサリさんがいると、世界は変わるのですね」
「わたしで世界が?」
「すべてが真新しく、とても新鮮で……そうですね、夢が開けてくるような感じがします」
アサリの存在を過大評価するイチカに、少しだけ照れくさくなる。イチカはそう言うが、アサリも考えていることは似たりよったりだ。
イチカがいるだけで、目に見えるものすべてが変わる。
ふふ、とアサリは笑った。
「……アサリさん」
「なぁに?」
斜にかまえたイチカの笑みに、アサリは同じように見つめ返す。目を細めたイチカは、繋いでいた手に力を込めてきた。
「ずっと、そばにいてくださいね」
懇願にも似た誘う言葉に、アサリは笑みを深め、繋いだ手を軽く引っ張ってイチカを引き寄せると、その頬に口づけした。