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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたに面映ゆく。】
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42 : その姿がいとしくて。1





 盛大に朝寝坊して、しかしそうなった原因を起きてすぐに思い出し、真っ赤に茹で上がって悶えたあとは、隣ですやすや眠っているいとしい人の横顔にほっと息をつく。


「おはよう、イチカ」


 まだ眠っているイチカは、アサリが声をかけて頬に口づけしても、目を覚まさない。

 ふふ、と笑って、アサリは身支度を整える。

 昨夜のうちに王城からシゼの別宅へと移動していたが、部屋は礼装が脱ぎ散らかされていた。もちろんそうしたのはイチカだ。だから、礼装姿の感想をもらっていない。せっかくだからなにか一言でも欲しかったのだが、それどころではなかった。

 思い出すと恥ずかしい。

 けれども、嬉しい。

 ひとりできゃわきゃわしながら脱ぎ散らかした礼装を拾い集め、綺麗に折り畳んで箱に戻した。王城で脱いだ靴は、手許に戻ってきている。王城から別宅への移動は、恥ずかしくも嬉しいことにイチカに抱えられたので、靴の必要性がなかったわけだが、持っていなかったことは確かだ。

 なぜここに、と首を傾げたとき、部屋にまた珈琲の香りが漂っていることに気づいた。


「ロザ? やだ……いたのね」


 いつのまに戻ってきたのか。確か昨日の時点ではいなかったはずである。

 アサリはイチカを起こさないようこっそり部屋を出ると、珈琲の香りがするほうへと足を進めた。


「おれより遅いって、あんたらどれだけお盛んだよ」


 こっそり覗いたつもりが、あっさり見つかった。


「お、おさか……っ、仕方ないじゃない」

「ま、いいけど。おれもそれなりに楽しんだし」

「ロザも?」


 どういうことだ、と訝しんだら、なぜか睨まれた。


「おれはあんたらの当て馬にされたんでな。八つ当たりでもしねぇとやってらんねぇの」

「当て馬?」

「ばっかばかしい」


 ふん、と鼻を鳴らしたロザヴィンは、手にした珈琲を呑みきると座っていた椅子を離れた。


「エコ、もう一つ」


 どこに行くのかと思いきや、厨房の奥、アサリからは死角になっていた場所にいた昨夜の少女に、珈琲を作らせた。


「昨日の……」


 厨房に入りきって少女を見る。昨夜は濃紺色の礼装を着ていたが、今は筒型の裾の長い衣装に、大きめのゆったりとした上着を羽織って、男性用と思われる下衣を履いていた。下衣は裾を引き摺るくらい長く、というか大きいだけなのか、少し汚れている。そしてそれらの色は黒ではなく、乳白色に統一されていた。

 アサリに気づいて振り向いた少女が、昨夜と同じように控えめに微笑んだ。


「おはようございます、こんにちは」

「おはよう……えーと」


 そういえば、名前を聞いていない。そもそも紹介すらされなかったが、この少女はなに者なのだろう。


「エコだ。おれの嫁」


 と、ロザヴィンがさらりと言った。


「……、は?」

「んだよ、その反応。おれに嫁がいちゃ悪ぃかよ?」


 いや悪くはないが。


「嫁?」


 結婚していたのか、と吃驚だ。

 しかもこの、少女と、である。吃驚しないわけがない。


「エリク・レクト・バルセクトと言います。以後お見知り置きを」

「……ほんとに、ロザの?」

「はい」


 思わず凝視し、そしてロザヴィンを見る。


「犯罪じゃないの?」


 と言ってしまったら、とたんにロザヴィンは凶悪的な顔になった。


「こいつが童顔なのはおれのせいじゃねえ」

「……童顔?」

「あんたより歳上だ、エコは」


 世の中不思議なことに溢れている。

 いや、不可解なことか。


「うそでしょ」

「おれも嘘だと思いてぇがな、エコがそうだって言ってんだよ」

「……あなた、幾つ?」

「ああ? 二十三だが?」

「あら、シゼより歳下……」

「あんたな……おれは老けて見えんのかよ」

「エリクさん? は、いくつ?」

「自称、二十歳だ」


 あはは、とアサリは笑う。どこからどう見ても十五歳くらいの少女にしか見えないのに、アサリより歳上なんてあり得ない。


「自称ではないです、ロザさま。わたし、二十歳になりました」


 少女、もとい少女に見えるエリクはそう言った。その目は真剣である。


「餓鬼にしか見えねぇのに、おれと三つしか離れてねぇんだと」


 はん、とロザヴィンがばかにしたように鼻で笑うと、エリクはちょっとしょんぼりしながら「二十歳なのに……」と肩を落とした。

 本当、なのかもしれない。

 エリクは少女にしか見えないのに、どうやらアサリより歳上である。


「世の中不思議なこともあるわ……」

「そりゃおれに言ってんのかよ?」


 もちろん、エリクの童顔に、である。


「わたし、アサリ・ベルテ。アサリって呼んでください」

「アサリさん」

「そう、アサリさん……って」


 エリクが呼んでくれたと思ったら、起きてきたらしいイチカに呼ばれて、しかも後ろから抱擁された。ちょっと吃驚したが、そのすり寄ってくる仕草は微笑ましい。


「驚かせないでよ、イチカ」

「起きたら、いなかったので……」


 置いてかれたかと思った、とイチカは猫のように甘えてくる。首許にイチカの柔らかい琥珀色の髪がふわふわとあたり、擽られた。


「朝から甘ぇこって……うへ」


 アサリとイチカを見て失礼な悲鳴を上げたロザヴィンは、そう言いつつも腕が妻の、エリクの腰に回されている。

 なんだかんだ言っても、愛する者がいる人はみんな、同じような態度になるのではないだろうか。


「まあおれは好きにするから、あんたらも好きにしろ。食事にすんなら、エコが今から作るけど?」

「あ、わたしも手伝う。お腹すいてるのよ。昨日はろくに食べられなかったし」


 すべてにほっとしたせいか、起きてからこちらずっと空腹感をひどく感じていた。

 察してくれたようにロザヴィンが提案してくれたので、アサリはそれに便乗するとイチカの腕の中でくるりと身体の向きを変える。


「食事にしましょ?」


 誘うと、にこっと笑ったイチカにちゅっと口づけで応えられた。それに小さく笑って、腕から解放してもらう。


「エリクさん、わたしにも手伝わせて?」

「はい。お願いします、アサリさん」

「敬語はよして。わたしのほうが歳下なんだし……信じられないけど」

「おいくつなんです?」

「そろそろ十九になるわ」

「じゃあ、アサリちゃん」


 控えめに微笑むのはエリクの癖なのか、アサリと同じようにロザヴィンの腕から解放されると、これから作るところであったのだろう材料の前に移動して、包丁をアサリに預けてまた微笑む。アサリは背が高いほうなので、華奢なエリクはなんだかそれだけで愛らしかった。


「エリクって名前なのに、どうしてエコ?」


 愛称の由来を訊いたら、エリクは困ったような顔をしてロザヴィンを振り向いていた。その仕草も可愛らしい。

 自分で珈琲を淹れて、イチカにも淹れてやって飲んでいたロザヴィンは、振り向いて首を傾げているエリクに顔をしかめ、誤魔化すかのように無言を貫くとくるりと背を向けた。イチカの肩を掴み、イチカまでも背を向けさせる。

 どうやら愛称の由来は、エリク本人にもわからないらしい。ロザヴィンが勝手にそう呼んでいるだけで、ほかの人はちゃんとエリクと呼ぶのだとエリクは言った。

 料理の手を動かしながら、エリクは「はあ」と肩を落としていた。


「ロザさまは欲しい言葉をくれないの……」


 しょんぼりするエリクを見ていると、ロザヴィンを殴りたい衝動に駆られる。アサリになんでも言うイチカとはえらい違いだ。

 ロザヴィンを殴りたい衝動を抑えながら、アサリはそれからエリクといろいろ話し、食事を作った。


「片づけはエコがやるから、おまえらもうどっか行け」


 食事を楽しんで満腹感を得ると、とたんにロザヴィンに厨房から追い出される。せっかくだからエリクともう少し仲良くしたかったのだが、すり寄ってくるイチカの様子にはロザヴィンもエリクも閉口するところがあったようで、アサリは苦笑すると甘んじて片づけをエリクに任せ、イチカと部屋に戻った。


「たくさん食べられたわね、イチカ」

「少し食べ過ぎました」

「イチカはもっと食べないと」


 いつでも小食のイチカは、ほどよく食べるアサリやロザヴィンより、やはり食べる量が少なかった。心配だが、もとよりそれほど多く食べられるほうではない。アサリの家に居候していたときより食べていたと思えば、改善されたほうだろう。


「アサリさん、祭りに行きましょうか」

「あ! そうよ。イチカ、仕事は?」


 うっかり寝過したうえ幸せな一時の中にいたので忘れていたが、今は祭りの最中だった。イチカには仕事がある。

 しかし。

 もしかして、とアサリは顔を引き攣らせる。

 イチカは魔導師で、アリヤの侍従だ。国には、アリヤの力の器として、道具として扱われる。

 昨夜のことでなにかお咎めでもあったのかもしれない。


「雷雲さまから、おまえは休みだ、と言われましたが?」


 不思議そうに首を傾げられて、アサリは思わずホッとする。どうやらなにかしらの咎めというのはないらしい。


「どうかしましたか?」

「ううん。昨日のことで、なにか処分でも受けるのかと思って。ほら、イチカ、暴走しそうになったでしょ? だからちょっと心配なの」

「ああ……それが、どうもアリヤ殿下が、初めから僕のことは除外していたようで」

「除外?」

「もともと僕は、祭りの警護任務についていなかったようです。休暇申請が少し前に通されていて、僕は昨日からしばらく休みだそうですよ」

「え……それって」

「初めての長期休暇です」


 だからだいじょうぶですよ、とイチカは微笑み、その手のひらをアサリに伸ばし頬を擽ってくる。

 イチカは、アリヤに上手く言い包められていたらしい。アリヤのほうは、祭りの最中イチカが仕事とアサリのことで揺れるだろうことを見越していたようで、休暇申請を勝手に出していたのだとか。


「殿下にはいろいろと敵いません」

「そうね」


 本当は、祭りにきて欲しいという手紙を書こうと思っていた、とイチカから聞いた。書かなかったのは、やはり優先すべき事項を疎かにするかもしれない不安からで、けっきょくアサリは自ら来たわけだからアリヤの画策したとおりになったようだ。


「僕が手紙を書かないだろうことも、なにもかも、殿下は先読みしていらしたようです」

「……わたし、来ないほうがよかった?」

「いいえ。逢いにきてくれることが、こんなにも嬉しいことだったなんて……僕は知りませんでした。ですから、とても嬉しいです」


 アサリの両頬を包んで額に口づけしてきたイチカは、ふっと目を細めて小首を傾げた。


「ありがとうございます、アサリさん。いつも、僕を待ってくれていて。逢いに、きてくれて」


 息がかかるほど近い、唇に触れるか触れないかという距離で、イチカは囁く。


 この距離がじれったいと思うのは、イチカがいとしいから。


「……アサリさん」


 婀娜っぽい声に、名を呼ばれる。

 胸がどきどきして、顔中が熱くなった。その熱に耐えられなくて俯こうとしたら、許さないとばかりに強い力で引き寄せられ、唇を塞がれる。

 しっとりと湿り気を帯びて離れていったとき、アサリはイチカの胸にすがるように抱きついていた。


「もっと、いっぱい?」


 訊いてくるイチカに恥ずかしいと思いながら、それ答える自分もどうかしていると、アサリは自分から触れるだけの口づけを贈る。


「もう訊かないで」

「ふふ、可愛い……僕のアサリ」


 本当に嬉しそうに笑うから、どうしようもなくいとしいとその目が語るから、妖しく動き始めたイチカの手を止めることなど、アサリにはできなかった。







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