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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたに面映ゆく。】
43/77

41 : 中至の祭りで遊ばれました。5





 人生で初となる美しく豪奢な礼装(ドレス)を着た。濃紺の、とても艶やかな礼装だ。背中と胸元が大きく開いていて少し恥ずかしいが、薄い紗を肩にかけることで露出部分は薄っすらと隠れる。首には礼装と同じ色の布を結んで飾り紐に、長い赤茶色の髪は結い上げられて同じように飾り紐が括られた。

 アサリにそれらを着つけてくれたのは王城で働く女官で、アサリのでき映えに満足していた。とてもお美しいです、と言われて、たとえ社交辞令だったとしてもそれは嬉しい言葉だった。

 その姿で、見てもらいたい人には見てもらえないけれども、それは寂しいことだけれども、と少し躊躇いを感じながらも、アサリはシゼに連れられて王城の宴に参加した。

 宴は煌びやかで、アサリの緊張を極限にまで引き上げる。どうしても挙動不審になってしまうのは、その視線のせいもあるだろう。


「シ、シゼ……なんか、視線が痛いんだけど」

「ん? ああ、わたしの同伴相手だからねえ」

「え、なにそれ?」

「わたしは独身だから」

「……それがなに?」


 シゼが隣に立っているせいだというのはなんとなくわかるが、それと独身であることと、なんの関係があるのかアサリにはわからない。


「出自が王族で独身というのは、ね……いろいろと面倒なんだよ」

「はあ……よくわからないけど、大変なのね」

「本当にねえ。だから協力してね、アサリちゃん。最初に言ったとおり、適当に笑っていたらいいから」

「まあ、いいけど……」


 にこにこと笑いながら、シゼは近づいてくる貴族だろう官吏たちに挨拶されたりしたり、立ち止まって世間話をしたりしなかったりする。その間アサリは、事前にシゼに言われた通り終始俯き、シゼに声をかけられたときだけ顔を上げて適当に微笑む。

 しかしながら、シゼにつき合って愛想笑いするのにも、疲れる。ただでさえこんな煌びやかで荘厳な宴は身に余るものだ。


「シゼ、疲れてきたわ……まだ?」


 宴は食事をするまでに少し時間がかかる。食事が始まる前まで、ということだったが、そろそろ限界に近かった。特に、これまで履くこともなかった踵の高い靴は、アサリの足を痛めつけている。立っているのはまだいいが、歩くのにはつらい。踵の高い靴には憧れたものだが、実際に履いてみると実用的ではなさそうだ。これを毎日履くという貴族の令嬢はどれだけ足を鍛えられているのだろう。尊敬に値する。


「まあそろそろ……いいかなとは、思うんだけど」

「なに?」

「うん、ちょっとね……」


 シゼが、それまで囲まれていた官吏たちから少し離れ、なにかを捜し始める。アサリの足のことは気づいたようで、開けたところにくると立ち止まり、くるりと周りを見渡した。


「おかしいなぁ……」

「なにが?」

「いや、いるはずなんだけどね」

「だれが?」

「アリヤだよ。ほら、言ったでしょう? きみのその礼装、アリヤからなんだよ」


 そういえばそうだ。この濃紺の礼装は、アリヤがアサリにわざわざ贈ってくれたものなのだ。お礼を言わなくてはならない。たとえ着用がこの一度きりだとしても、一生に着られるかわからない礼装をさせてもらったことになる。


「そうよ、お礼を言わないと……どこにいるの?」

「それが見当たらなくて……おかしいなぁ。もう挨拶も済ませているはずなんだけど」


 きょろきょろと周りを見渡すシゼを真似て、アサリも周りを見る。そうすると視線が痛いのだが、それに負けずにアリヤの姿を捜す。しかし、とんと見つからない。


「あ」

「いた?」

「ロザだわ」

「なんだ、ロザか……」


 アリヤの代わりにロザヴィンを見つけた。王城に来たときに別行動となったのだが、それは魔導師に言いつけられた警備の任務だとかで、食事が始まる頃にまた来ると言っていた。基本的にロザヴィンは、こういった席では、王弟でもあるシゼの護衛につけられる魔導師らしい。


「殿下、アサリ嬢」


 小走りに寄ってきたロザヴィンは、その後ろに小柄な少女をひとり、連れていた。アサリと同じ濃紺色の礼装を着ているが、アサリとは形が違う。アサリの礼装が艶やかなら、少女の礼装は爽やかで質素だ。誰だろう、魔導師だろうか、と思わずじっと見てしまったら、頬を朱に染めた少女は控えめに微笑んだ。


「早いね、ロザ。食事はまだだよ?」

「堅氷から伝言です」

「は? ばかがどうしたの」

「すぐに来い、と。アサリ嬢を連れて」

「アサリちゃんをって……なんでまた? アリヤは?」

「急ぐんで、説明はあとで」


 なにかを急ぐらしいロザヴィンは、説明も適当にとにかくついて来てくれと、シゼとアサリを促してきた。


「ちょ、ちょっと待って、わたし足が」


 足が痛むせいで急げない、と訴えようとしたら、宴の会場から廊下へ出たところで、ロザヴィンについてきていた少女がアサリの手を取った。


「ロザさま、お待ちに」


 少女がロザヴィンを呼び止める。先行していたロザヴィンと、シゼも一緒に、立ち止まると振り向いた。


「ああそうだった。足、痛むんだったね」


 思い出してくれたシゼに、アサリは靴を脱いでもいいかと問う。幸いにも素足は礼装の裾で隠れるし、清掃が行き届いた王城の石畳は痛みで熱を持った足にはひんやりとするだけだ。

 了承を得て踵の高い靴を脱ぐと、踵や爪先が赤く擦れていた。あと少し我慢していたら擦り切れていただろう。

 ほっと息をついて脱いだ靴を持とうとしたら、先に少女が手を伸ばした。


「あ、自分で……」

「お気になさらず」


 にこ、と控えめに微笑んだ少女は、アサリが脱いだ靴を持つと、さあ、と前を促した。少女は手を取ってくれているままので、身体は支えられ歩くのに不便がなくなった。


「ありがとう」

「いいえ」


 アサリは少女の手を借りながら、再び先行するロザヴィンとシゼの後ろに続いた。とにかく急ぐらしく、歩くというより小走りだ。靴から解放された足はそれほど負担もなく、小走りについて行くことができる。


 そうして、どれくらい廊下を進んだのか。

 どこを見ても同じような造りをしていた廊下が、突然と開ける。それは別棟へと続く渡り廊下のようで、左右を木々が守護していた。すごい空間だ、と思いながらも先へと進み、辿り着いたのは小さな邸宅の前だった。


「ここって……」


 シゼの別宅のような邸だ。王城内になぜ邸があるのだろう。

 不思議に思ったが、ロザヴィンは躊躇いなく邸の玄関を開け、中に入って行く。シゼも続いたので、アサリも慌てて中へと入った。すぐに左手にある部屋、おそらく広間か応接間だろう部屋の扉も開けられ、全員が雪崩れ込むように入室する。


 そこで、聞こえたのは。


「アサリぃ……っ」


 自分を呼ぶ、イチカの声。


 ハッと見れば、アサリのいとしい人が、師たるカヤに胴を抱えられ押さえつけられていた。


「イチカ……?」

「アサリぃ…っ…あさりぃ」


 切ない声。

 胸が締めつけられる声。

 今朝のことなど一気に頭から吹き飛んだ。

 イチカの声が、涙を浮かべるその顔が、確かにアサリを求めている。


「イチカ……」


 よろめきながら一歩を踏み出したとき、イチカと目が合った。


「あさり……っ」


 見開いた目からぼろっと涙がこぼれ、その手のひらがアサリに伸ばされた。


「ぼくの……ぼくの、あさり……っ」


 まるで、懇願されているようだった。

 お願いだから抱きしめてと、訴えられているようだった。

 アサリを呼びながら、必死に腕を伸ばして、師の拘束から逃れようともがいているその姿が、すべてアサリに向けられていた。


「い……イチカっ」


 アサリは腕を広げると、イチカに駆け寄った。ちらりとアサリを見た師が、その拘束を解いてイチカを自由にしてくれる。

 呼吸を荒げたイチカが、自由を得てアサリに飛び込んできた。そうしてぎゅっと、強く抱きしめられる。


「アサリ…っ…あさり、アサリ」

「イチカ……」


 互いに抱きしめ合って、ぬくもりを確かめて、息をつく。

 どうしたというのだろう。

 イチカを腕に閉じ込め、閉じ込められながら、アサリは状況の説明を求めて顔を上げた。


「なにかあったんですか?」


 はあ、とため息をついている師に、アサリは問うた。


「暴走しかけたから、きみを呼んだ」

「暴走?」

「それで遊んだ者が、ふたりほどいてな」

「……遊んだ?」


 なんのことだろう、と首を傾げたとき、師の後ろからこっそりと、師にしがみつきながら、気まずそうにしたアリヤが顔を出した。


「ごめんなさい」


 しょんぼりと謝られて、さらにアサリは首を傾げる。


「どうして謝るんですか?」

「兄さんで遊びました」

「……はい?」

「ごめんなさい」


 いやいや、とアサリは内心で突っ込む。

 イチカで遊んだとは意味がわからない。


 混乱していると、師が、補足するようにアサリの後ろにいるシゼを呼んだ。


「シィゼイユ」


 呼ばれたシゼを振り向けば、笑いともつかない顔で、シゼは師の睨みを受け流していた。


「ここまでとは知らなくてね……いやまったく、おまえの弟子は面白いね」

「遊ぶな」

「べつに遊んだつもりはないけど。まあでも、いいものが見られて楽しかったな」

「シィゼイユ」

「はいはい、わかっているよ。もうしないって」


 師とシゼの会話は、まるでなにかを策謀した結果の言い争いだ。

 どういうことだろう、とアサリは混乱しながらも再び考えてみる。

 イチカで遊んだことを謝ってきたアリヤ、なにかを含ませて笑うシゼ、それを叱責する師。そこから察するにつまりはイチカになにかをやったということだが、それが「遊んだ」ということならいったいどんな遊びだったというのか。

 アサリには考えもつかない。


「あの……けっきょくのところ、イチカはどうして……?」


 このイチカの動揺、いや混乱、いや動転だろうか、とにかくこの状態はなにが原因だというのだろう。

 答えたのはアリヤ殿下だ。


「嫉妬を自覚していなかったので、自覚させようと思ったんです。それに、今朝のこともあるので、謝らせたかったですし……」

「嫉妬……今朝……?」

「兄さん、姉さんをひとり占めできなくて、嫉妬したんです。その反応が、ぼく嬉しくて……」


 つまるところ、とアサリは考えて、閃いた。


「イチカ、が……嫉妬した、の?」


 今朝のあの、アサリを見ようともしなかったような態度は、嫉妬したからだということだろうか。


「羨ましかったみたいなんです。本来なら自分がいるべき場所に、ぼくやロザヴィンがいたので」


 瞬間的に、ぶわっと、アサリの裡で羞恥にも似た喜びが膨れ上がった。


 今朝の反応は、嫉妬からだったというなら。

 アサリは、イチカに嫌われてなどいない。

 むしろ、愛されている。

 ひとり占めしたいと、その独占欲から今のこの状態になるほどに。


「わ、わたし、朝食を作ってただけよっ?」


 嫉妬するような場面など一つもなかったように思うのだが、そうでもないらしい。


「アサリ姉さん、今の兄さんを見ればわかると思いますが、兄さんにとってはものすごい事件だったんです。ぼくには想像も理解もできませんけど」

「特別なにも、してないけど……」

「ぼくとロザヴィンが、兄さんの日常を奪ってしまったような形になってしまったんですよ?」


 確かに、アサリが朝食を作るということ自体は、イチカがアサリの家にいるときは当たり前のことで、そして日常だ。しかし、イチカはどうだろう。その当然だと思っていた日常が、自分だけのものだと思っていたのなら、今朝のアサリの姿はものすごい事件になってしまうかもしれない。


「……それで、あの態度?」

「どうしたらいいのか、わからなかったみたいです」


 だから仕事を優先させるような態度になったらしい。


「……なら、これは?」

「延長線です。姉さんに贈った礼装を兄さんに見て欲しかったですし、仲直りして欲しかったですし……もっと反応が見たいっていう下心はありましたけど、それだけです」


 本当にそれだけというわけではないが、アリヤは純粋に、アサリとイチカを宴の会場で引き合わせたかっただけだという。


「叔父上の同伴相手にしたのは、間違いだったようですけど」


 アサリはシゼに頼まれて宴に招待されたわけだが、そうされなければ登城しなかったであろうから、間違いだったとアリヤは言うが方法がなかったのであれば仕方ない。たとえそこになにかしら下心があったとしても、アリヤの考えることだ。イチカを兄のように慕う彼が、悪意あってそうしたわけがない。


 アサリはふっと肩の力を抜くと、苦笑した。


「やり過ぎたようですね、殿下」


 言うと、アリヤは「そのようです」としょんぼりした。

 イチカは暴走しかけるほど追いつめられてしまったのだ、これは予想外なことだったに違いない。


「イチカ、ねえイチカ、だいじょうぶよ。わたしはここにいるわ」


 抱きついて、というよりしがみついて離れないイチカに、アサリは囁く。ぽんぽん、と背中を撫ぜてやると、次第にその力も緩まる。


「アサリ……」


 ふふ、とアサリは笑みを深めた。

 今朝の光景、そして宴での光景、どちらもに嫉妬してくれたイチカを、とてもいとしく想う。


「好きよ、イチカ。わたしには、イチカしかいないの」


 イチカの仕草一つ一つに、一喜一憂するわたしを、あなたはどう思うだろう。


「好きよ……イチカ」


 イチカの両頬を手のひらで包み、額と額をくっつける。同じくらいの身長だからできることだ。


「…っ…アサリ」


 切なげな声でアサリを呼んだイチカは、もう今はその感情を理解しているのか、アサリの手のひらに己れの手のひらを重ねて、ぼろぼろと涙で濡らした。


「僕の、アサリ……僕の……っ」

「ええ、そうね。わたしのイチカ」

「僕だけ……僕だけを見て、アサリ」


 アサリを見つめてくる瞳は、一途だった。

 こんなときだが、ここへ来る前に聞いたハイネの言葉を思い出してしまう。ほかの女の子に奪われるわよ、と遠回しに言ったあれだ。そんなことはないと、あの場ではうろたえながらも言ったが、今なら自信を持って言える。


「わたしだけのイチカよ」


 それは少し、いやかなり傲慢で高慢なことかもしれないが、イチカにはアサリしかいない。

 そう思わせてくれるイチカに、いとしさがさらに募った。


「わたしを見て……わたしのイチカ」


 僕のアサリ、とイチカが言うから、アサリも口にする。

 わたしのイチカ、と。

 そう言わせてくれるイチカに、アサリは口づけを贈った。







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