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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたに面映ゆく。】
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38 : 中至の祭りで遊ばれました。2

イチカ視点です。





 簡単に空間転移を使ってみせたアリヤ王子殿下に。


「今日はもう兄さんの顔を見たくありません」


 そう言われて頬を叩かれた。


「今日一日、ぼくの前に現われないでください」


 などという命令までされて、イチカは俯いたまま去りゆくアリヤに弁明もすることなく、追いかけることもできず見送った。


 ぽつん、とひとり立ち尽くして、アリヤの言葉を反芻し、そして久しぶりに逢えたアサリの姿を思い出し、そこに広がっていた光景を思い出すと拳を強く握る。


 台所で、袖を捲って料理していたアサリ。

 そのそばで、アリヤを膝に乗せて気だるげにしていたロザヴィン。


 思い出した光景に、唇を噛む。

 ただ悔しい、と言えたらよかった。

 イチカは、その自然な光景に、ひどい寒さを感じたのだ。それは目の前を真っ白に染め上げ、胸をしめつけ、呼吸を乱すほどの、頭を殴打されたがごとく強い衝撃でもあった。


「アサリ……」


 わからない。

 このひどい寒さが、このひどい苦しさが、荒れ狂うこの激情が、己れの中に潜むそれらがなんなのか、わからない。


 イチカは握った拳で目許を覆い隠し、ともすれば溢れそうになるその激情を抑えつけようとする。


 それでも。


「アサリ……アサリ……っ」


 溢れてくる、アサリへの想い。

 アリヤに叩かれた頬よりも、その想いの苦しさのほうが強く、痛んだ。

 こんな想いは今まで感じたことがない。


「アサリ……っ」


 いつも自分から、それは魔導師という生業だからそうするしかなくて、逢いに行っていた。いつも待ってくれているから、笑顔で迎えてくれるから、甘えると甘やかしてくれたから、当たり前のように逢いに行っていた。

 だから。

 逢いに来てくれたことが、嬉しい。こんなにも嬉しいことだなんて、知らなかった。自分が逢いに行って、同じような想いを抱いてくれているのだろうかと思うと、もっと嬉しくなった。

 イチカ、と嬉しそうに呼んでくれた声が、胸をしめつける。


 それなのに、目の前の自然な光景に思考が停止し、その笑みを見ることができなかった。傷つけることしかできなかった。

 最低だ。

 なんてひどいことをしたのだ。

 逢いに来てくれたのに。

 逢いたいと、想ってくれていたのに。


 想いとは、心とは、感情とは、なんと厄介なことか。


「アリヤのそばにいないと思えば……ここでなにをしている、イチカ」


 頭上からの声に、イチカはびくりと肩を震わせる。ゆっくりと顔を上げれば、師が、呆れた様子で目の前に立っていた。


「カヤ、さま……」

「アリヤを怒らせたのはおまえか。八つ当たりされたぞ」


 ため息をついた師は、息子の態度にいたく傷ついたようだ。息子にそんな態度を取らせた原因を、捕まえにくるほどに。


「おいで」


 と、師は言った。


「おまえはアリヤの侍従だろう」


 魔導師で侍従だから、祭り初日の今日はアリヤのそばで警護にあたる予定だった。けれども、今日一日、僕の前に現われないでくださいと、アリヤに言われてしまった。それは命令だ。命令には従わなければならない。アリヤの目に触れない場所で、イチカは魔導師としての役割を果たさなければならない。


 だが師は、予告なくイチカの手首を掴んで、強引に歩き出した。


「カヤさま、僕は……」


 アリヤの命令がある。従わなければならないものだ。無視などできない。

 だのに、師は聞いてくれない。その足を、祭りの支度をしているアリヤのところへと向けている。


「カヤさま……っ」


 アリヤの命令に背くわけにはいかない。だからアリヤの前へ行くわけにはいかないのだと、イチカは師の力に抵抗する。

 しかし、あっさりとしたものだ。


「うるさい」


 一蹴され、ずるずると引き摺られた。あっというまにアリヤがいる王宮の奥、ひっそりと佇む邸の内部へと連れて行かれる。

 アリヤの自室の扉を叩くと、返事がくる前に師は扉を開けて中に入った。

 侍従たるイチカがそばにいないので、アリヤの支度は女王陛下の女官や侍女が整えてくれたらしく、アリヤはすでに着替えを終えていた。


「アリヤ」


 と、師はアリヤを呼ぶ。


「なんですか、カヤ」


 アリヤは不機嫌そうにそっぽを向き、こちらを見ようともしない。


「理解しろ、アリヤ」

「なにを理解しろと?」

「これは、漸く人らしくなり始めたばかりだ」


 これ、と師はイチカをアリヤのほうへと放り投げる。躓きながら前に進み出たイチカは、しかし命令があるのでその顔をアリヤに向けられず、俯いた。


「兄さんが悪いんです。せっかく姉さんが来てくれたのに、あんな態度……ぼくは許せません」

「それを理解してやれと言っている」

「ぼくは子どもです。理解できません」

「アリヤ」

「姉さんはとても傷ついた顔をしていました。すごく可哀想でした。ぼく、あんなのはいやです。心が痛いです。とても寒いです」

「……それがわかるなら、イチカを理解してやれ」


 些細な親子喧嘩は、今日は師が勝利したようだった。


 俯いていたイチカの袂に、いつのまに移動したのか、とすん、とアリヤが入り込んでくる。


「……殿下」

「ぼくは怒っています」

「……はい、殿下」

「まだ許していません」

「はい、殿下」

「でも」


 アリヤはイチカの胸元に顔を埋めて、ぎゅっとしがみついてきた。


「ぼくは兄さんが好きです。姉さんを好きな兄さんが、姉さんを好きになる前の兄さんより、好きです。だから怒るのは我慢します」


 ぎゅうぎゅうと抱きついてくるアリヤの声は、少し、震えていた。怒っているけれども、怒っていることを後悔しているようだ。


「申し訳ありませんでした、殿下」

「そこは、ごめんなさい、と言うんです、兄さん」


 もごもごと、袂でアリヤは不服そうに言う。

 イチカは、自分を襲った激情をどう説明すればいいのか考えながら、しがみつくアリヤをぎゅっと抱きしめた。


「ごめんなさい、殿下……自分でも、よくわからないのです。せっかくアサリさんに逢えたのに、なぜあのような態度を取ったのか」

「……わからないんですか?」

「目の前が、真っ白になって……嬉しいはずなのに、なんだか壊したくなって……寒くて」


 もぞもぞとイチカの腕の中で動いたアリヤは顔を上げ、その深い蒼色の双眸をまん丸にした。


「兄さん、それ、嫉妬ですか?」

「……しっと?」

「兄さん、なにに嫉妬したんです。ぼくはロザヴィンに便乗して姉さんの手料理をいただこうと思っただけですけど……え? もしかして、ロザヴィンに嫉妬しました?」

「? 殿下、しっと、とは……」

「焼きもちですよ」

「……殿下、意味が……?」

「兄さんっ」


 パッと、アリヤがいきなり嬉々とした笑みを浮かべた。


「姉さんが兄さんに逢いにきてくれたのに、そばにいたのがロザヴィンだったから、悔しかったんですね? 羨ましかったんですね?」

「は……」


 アリヤがなにを言っているのか、理解できなかった。


「兄さん、姉さんをものすごく愛していますよね」


 とたん、ぼっと、顔が熱に火照った。


「ああその顔、その顔です」

「なんのことですか……」

「いやならいやって言えばいいのに」


 ぐっと、言葉に詰まった。


「どうして言わないんですか。言わないから、こんなことになるんですよ」


 ぱん、とアリヤに小気味よく両頬を手のひらで包まれる。


「兄さんが素直に姉さんに手紙を書いて、迎えに行けばよかったんです。ぼくはその時間を作ったはずですよ。どうして行かなかったんですか」

「……それは」


 アサリへ手紙を書かなかったのには、曖昧ながらもきちんとした理由がある。

 中至の祭りで、なにが起こるかわからなかった。師がいても、対処できないなにかが起こるとも限らない。アサリのことよりもどうしてもアリヤのことを、魔導師として、侍従として優先させてしまう。

 それは、アサリを悲しませると思った。

 そばにいてくれないならもういいと、言われたくなかった。

 拒絶の言葉を聞かないようにするために、保身に走った。

 それに。

 アリヤの力の器としての自分を、裏切りそうで怖かった。アサリを優先させて、アリヤを蔑ろにするかもしれない自分が、いやでたまらなかった。

 イチカにとって、アサリもアリヤも、自分を生かしてくれる人だ。失っては生きられない。


「考え過ぎですよ、兄さん」


 聡い王子殿下は、侍従たる魔導師の考えを読み取ったがごとく、淡く微笑んだ。


「兄さんは、兄さんの幸せを、謳歌していいんです」

「……僕のしあわせは、殿下の器であれることです」

「そうじゃないでしょう。今の兄さんには、アサリ姉さんが必要なんですよ?」


 ぽんぽん、と包まれた両頬を撫でられる。


「アサリ姉さんと出逢わなかった兄さんなんて、今の兄さんではないです。ぼくは言いましたよ。姉さんを好きになった兄さんが、以前の兄さんより好きですって」


 ふわりとイチカから離れたアリヤは、その眩しさに目を細めたイチカに、もっと深い笑みを浮かべた。


「ああもう、人間らしい兄さんって、すごくいいですねえ」


 ふふふ、と秘密を知ったかのように笑い、愛らしくくるりと回ってみせる。今日のために新調した淡い蒼の礼装の裾が、ひらりと舞った。


「殿下……」

「そうだ! 花を届けましょう、兄さん」

「……花?」

「姉さんに、白い花を」


 窓辺に活けられている白い花を一輪手にすると、アリヤはそれをイチカに差し出す。


「たくさんでなくていいんです。たった一輪でも、その意味は伝わりますから」


 ね、と愛らしく誘われて、ふだんならそうはいかないが、今は断れるイチカではなかった。


「……僕の誤った態度を、アサリさんは許してくれるでしょうか」

「もちろん」


 視界が、開ける。

 イチカにとって、アリヤもアサリも、どちらも失くせない存在だ。どちらか一方だけを選ぶこともできない。ふたりがいなければ、この生に意味はない。もちろん自分を拾い育て、アリヤに出逢わせてくれた師にも、いてもらわなければ意味がない。

 それは、愛しているから。

 なによりも、大切な人たちだから。


「僕は……」


 ただ一緒にいたいのではない。

 一緒に、生きていきたいのだ。

 一緒に、幸せになりたいのだ。


「僕は、アサリを愛しています」


 愛し愛され、幸せに生きたい。

 それを、イチカは願ったのだ。







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