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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
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02 : 知らない痛み。

差別用語が出てきます。

ご注意ください。





 ほとんど眠り続けたイチカの床払いは、意外にも遅かった。あのやる気のない医師は三日もすれば治るような話をしていたのだが、四日経った今もイチカは寝台にいる。微熱が続いているのだ。


「本当は藪かと思ったら意外に土手な医師だったのね」

「解釈に非常に困る判定をしないでください。素直に能無しって言えばいいでしょうが」

「能無し」

「きみはとことん失礼ですね。違いますよ。あの子は例外なんです」

「魔導師だから例外? そんなわけないでしょ。魔導師だって人なんだから」

「そういう例外ではありませんよ」


 イチカが目覚めた翌日、一日置いて昨日今日と訪れた医師に、アサリはイチカのいる部屋の前で目を据わらせた。

 目を眇めれば、扉の隙間からイチカの姿が見える。今日も上半身だけ起こして側面の窓から外を眺めているイチカは、初日以来まともな会話をしようとしない。アサリの祖父母に、世話になる旨を伝えて丁寧に礼を述べたくらいだ。

 初日のあれは奇跡だったのか、それとももともと寡黙な子なのか。

 まあそれ以前に、熱のせいで意識が朦朧としていたせいだろうが。


「身体が弱っている時期、と言いますか……表現が難しいのですが、彼はそんな状態にあるようです」

「持病、ってこと?」

「それに近しいところはありますが、そこまでのものでは……魔導師は力に枯渇したとき、その負担が身体に及ぶことがあるんです。その状態に近いと言ったほうがいいでしょう」

「力の枯渇?」


 そんなことがあるのか、と首を傾げる。なんの力もないアサリには皆目見当がつかないことだ。


「その状態に近い、としか診断できません。これまでにも魔導師を診る機会はありましたが、あの子のような症例は初めてです。上手い言葉が見つからない以前に、どう診断したらいいのかわかりません」

「……土手医師」

「いえですから、あの子は異例なんですって。というかわたしは薬師です」


 幾度言わせれば気が済むのだ、とさすがの医師も目を据わらせる。

 ということは、この医師の言っていることは正しいわけで、どうやらイチカは一味違う魔導師らしいということだ。


「はぁぁ……しかし、気になりますねえ。王都から来たんですよね? イチカくんでしたか」

「ええ。目的地は聞いてないけど、べつに急いでいるわけじゃないみたい。回復するまで休みなさいって言ったら、素直にああしておとなしくしているもの」

「この辺りで天災の被災地は……ありませんよね?」

「そうねえ。この前の大嵐はなんとか無事に過ごせたし、その前も古い小屋が壊れたくらいで小さなものだったから、ここ一年くらいはレウィンの村にもその周辺にも魔導師は来てないわね」

「……どこに向かっているのでしょうね」


 アサリは、医師とふたり揃って、扉の隙間からぼんやりとしたイチカを見つめる。その横顔はなにを考えているのか、ほとんど動かない表情からは窺えない。


「……、アサリさん?」


 視線に気づいたイチカがアサリを振り向く。

 医師は「また顔を出します」と言って立ち去ったので、見送ってからアサリは部屋に入った。寝台の近くに置いている丸椅子に腰かけ、少し乱れている布団を直す。


「ちゃんと寝てなさい。治るものも治らないわよ」

「……寝台で過ごすことに慣れていません」

「仕事し過ぎよ」

「……仕事、ですか」


 ふい、とイチカの視線が再び窓に戻る。どうやら畑にいる祖父母の様子をずっと眺めていたようだ。


「なにか珍しいの?」

「いいえ、特には」

「そう」


 会話が途切れてしまう。

 いろいろと訊きたいことはあるのに、イチカがまずアサリとあまり顔を合わせてくれないので、アサリは出鼻を挫かれて負けてしまうのだ。なかなか好機を見つけられないのも、イチカが顔を合わせてくれないせいだ。

 今日もまともな会話は成立しないかもしれない。


 そう思って、肩を落としたとき。


「この辺りに住む老年層は、ああして畑仕事をするのですか?」


 イチカが、視線をアサリに戻してそう問うてきてくれた。うっかり嬉しくなって、やっと自分を見てくれたことに安堵して、アサリは笑顔で頷いた。


「レウィンの村はなにもないところだけど、土の栄養が高いみたいで、年に二度の収穫ができる農作でわりと豊かなの。だから、うちのじいさまやばあさまみたいな年寄りでも、畑の面倒を楽に見られるのよ。放っておいても育つから。もちろん天災さえなければ、の話だけどね」

「今年はどうなのですか?」

「今のところ順調よ。この前の嵐には冷や冷やさせられたけどね。今年は豊作を期待できると思うわ」

「そうですか……」


 ふっと、イチカが微笑んだ気がした。それはここに来て初めて見せる彼の笑顔で、確かな感情だった。

 なんだ、可愛い笑顔じゃない。ちゃんと笑えるじゃない。

 と、アサリはほっとする。


「若年層の方々は、出稼ぎですか?」

「そうよ。でも天災のときに若手もいないと大変だから、半々といったところかしら。ちなみにわたしは残ったほうね。学校を出てすぐ戻ってきちゃったの。じいさまとばあさまと一緒にいたかったから」

「……いろいろと、事情がありそうですね」

「そうでもないわよ? わたし、もともと名無しなの。あ、名無しってわかる? 生まれてすぐ両親を亡くした孤児のことね。最近はあまり聞かない言葉だけど。じいさまとばあさまには、わたしが三つくらいのときに引き取ってもらったの。だから、学校を出てすぐ戻ってきたのよ。ふたりと一緒にいたかったからね」


 名無し、という言葉は、差別用語だ。今では使われなくなってきているが、アサリが産まれて間もない頃は横行していたひどい言葉である。

 名前がないから、名無し。名前をつけられなかったから、名無し。孤児院に入った子どもの半数は、その名無しだ。

 アサリもそのひとり、名無しだった。幸いにも祖父母に引き取られ、アサリ、という名をもらったので、アサリは過酷な運命を辿らずに幸せな道を歩むことができている。ひどい者では、一生を名無しで過ごし、道具のように扱われるのだ。


「……名無し、だったのですか」

「今は違うわよ? アサリ・ベルテっていう、じいさまとばあさまからもらった素敵な名前があるもの」


 幸せよ、と微笑めば、イチカは顔が髪で隠れるほど俯いた。その様子に、少し焦る。


「イチカ……?」


 変な話を聞かせてしまっただろうか。なにか、いやな思いをさせてしまったのだろうか。


「僕も名無しです」

「え……?」


 アサリは思わず、瞠目してしまう。


 魔導師には貴族階級出身の者が多い。稀に平民からも魔導師になることはあるが、もともとの数が極端に少ないせいか、彼らは身分にさほど拘らない。貴族階級にあっても平民であっても、魔導師は魔導師なのである。

 イチカも貴族階級出の魔導師だろうと、アサリは勝手に思っていたのだが、平民出の、それも名無しという境遇にあった魔導師らしい。


「ご、ごめん」

「……、はい?」

「いやな話、聞かせちゃったね」


 魔導師になったくらいだから、名無しであった過去について後ろ指をさされることはないだろうが、それでも、その過去がイチカにとってどれだけのものであるかは、誰も知りようがない。


 申し訳ないことをしたとアサリは肩を竦めて落ち込んだが、ちらりと見たイチカは、顔を上げてぽかんとしていた。


「い、イチカ?」

「はい? ああ、ええと、あの、どこがいやな話なのでしょう? アサリさん、おつらかったのですか?」

「え?」

「しあわせというのは、つらいものなのですか? わからなくはありませんが」


 あれ、とアサリは首を傾げる。


「つらくないの、イチカ?」

「僕は名無しであることが当たり前でしたので……そもそも僕は、名無しであったということに気づいたのが、イチカと呼ばれるようになってからです。名の意味がよくわかっていませんでしたから」


 それは、ひどい扱いをされていたからだと、アサリは瞬間的に蒼褪める。イチカは道具のように扱われていたに違いない。そうでない限り、イチカのように話せる人はいない。

 イチカは知っているのだ。名がある、名をつけられる、その喜びを知っているから、そう言えるのだ。


「イチカ、幸せ?」


 そっと訊ねると、イチカは眩しいものでも見ているかのように、目を細めた。


「しあわせですよ」


 思わず、本当に、と問いたくる。

 透き通った綺麗な黄緑色の双眸が今にも泣き出しそうだった。けれども、どれだけの気持ちを込めて「しあわせ」だと言ったのか、それはアサリにはわからないことだから、唇を噛んで言葉を呑み込んだ。


「アサリさん?」

「なんでもない。アサリでいいわよ」

「……僕はなにか変でしたか?」

「違うわ。気にしないで」

「……なにか不快になるようなことを口にしていたのなら、謝罪します」

「本当になんでもないの。ほら、ちゃんと身体を横にして。熱はね、たぶん疲れが溜まってるんだろうってことらしいの。だからしっかり休んでおかないと、いざというときに動けないわよ」


 ほらほら、とイチカを寝台に寝かせると、少し戸惑っていたイチカも身体の不調が及ぼす影響には敵わないようで、素直に従った。


「世話をかけて申し訳ありません」

「勝手にやっていることよ。あとでこの分、働いてもらうから」

「そうさせてください。僕にできることは少ないですが」

「魔導師っていうだけでも充分よ」


 イチカがどんな状況にいて、なにを考えているのか、魔導師でもないアサリには到底知り得ない。けれども、こうして出逢った縁があるのだから、ここにいる間はただゆっくり休んでいればいい。アサリはわりと世話好きであるし、祖父母ものんびりとしたもので孫がもうひとり増えた気分でいる。

 この縁を少し新鮮に思ってもいいはずだ。


「ねえ、訊いてもいい?」

「僕に答えられることでしたら……なんでしょう?」

「歳、いくつ? その言葉遣い、どうにかして欲しいんだけど」

「言葉遣いは……こちらのほうがいいのだと、教わりました。よほどひどかったのだと思いますが、まだひどいですか?」

「丁寧過ぎて痒いのよ。ひどくてもいいから、わたしは砕けてくれたほうがいいんだけど」

「ひどくないなら、このままにさせていただきます。ああ、歳は十七になります」

「十七?」


 若い、と思っても、まあ自分と大差ない。そもそも魔導師を凝視したこともないし、見かけても遠くからで官服くらいしか目にしたことがなかったので、魔導師という枠組みだけで年齢を断定することはできない。

 しかし、やはり世話好きとしては、歳下に引っかかったか、と思う。


「わたし、十八になるの。それでもやっぱり敬語はいやねえ」

「癖づけは必要です」

「なによ、それ」


 まるで躾けされているみたいに、イチカは言う。それくらいひどい言葉遣いだったのだろうかと、アサリはくすくす笑った。


「どうも言語を発していなかったようなので……最初は驚かれました」

「……、え?」


 笑顔のまま、アサリは口許を引き攣らせる。


「声を出さないことが当たり前だったせいか、どうやって声を出せばいいのか初めはわからなかったのです。教わってすぐに声は出せるようになりましたが、それが言語というにはほど遠く」

「ごめんなさい」

「……はい?」


 ああそうだった、とアサリは両手で顔を覆う。

 この魔導師は、名無しだったのだ。名無しがひどい扱いを受けることがどういう道理かわからなくても、イチカの場合のように言葉を知らずに育つこともあるのだ。声帯を潰されなかっただけよかった、と考えるべきである。


「わたし、あなたと出逢えてよかったわ」

「はあ……世話をかけているだけですが」

「いいの。わたし、わりと世話好きだから」

「ご厚意に甘えさせていだきます」


 どうしたらこんなに丁寧な子になれるのだろう、と思う。

 ひどい扱いを受けていた名残りか、それともイチカを引き取ったその人の教育がよかったのか、はたまたイチカの本質か。


「夕食の用意をするわ」

「そうしてください。僕は休ませていただきます」

「ゆっくり休んで。あ、そうだ」


 丁寧というより真面目なだけなのだろうイチカの本質を感じたところで、夕食作りに入ろうと思ったアサリはふと、思い出す。


「魔導師団に連絡を入れないといけないでしょう? 手紙なら届けられるから、筆と紙を用意するわよ」


 倒れていたことや続いている熱のことでうっかり忘れていたが、魔導師は王立の魔導師団に所属し、宮廷魔導師であることが前提だ。そして人数が少ないため、所在地は常に把握されていると聞く。

 イチカがどこかへ向かう途中であったなら、ここで足止めされているその理由を魔導師団と目的地のほうへ伝える必要があるだろう。


「明日は行商の隊がレウィンの村に立ち寄る予定日なの。だから手紙、出せるわよ」


 連絡したほうがいいのでは、とアサリは気軽な気持ちで進言したのだが、返ってきたのは沈黙だった。

 アサリは椅子を離れて扉に手をかけていたが、いつまで経っても返事がないので、どうしたのだろうと振り向く。


「イチカ?」


 イチカは窓から、今度は祖父母ではなく空を、見るともなしに眺めていた。


「……手紙はけっこうです」

「え、いいの?」

「僕は文字を書けません」

「あ……」


 またやってしまった、とアサリは息を詰まらせ、そして肩を落として息を吐き出す。


「ごめん」


 魔導師だから、文字くらい書けると思ったのだが、どうやら名無しだったという過去はイチカにとんでもない傷を与えている、いや与え続けているようだ。


「大して困っていませんから、謝らないでください」

「いや、困るでしょ。魔導師なのに、字が書けないなんて」

「文字を書く必要はそれほどありません。どうしても必要な際は、代筆を頼めばいいだけです」


 随分と割り切っている。それとも、諦めているのだろうか。


「僕のことはいいですから、夕食を作ってください。ラッカさんとアンリさんを飢えさせるつもりですか」

「……。もうちょっと言葉選ぼうよ、イチカ」


 がくん、とくる辛辣な言葉だ。


「食事をしなければ飢えるでしょう?」


 ああなんて真っ直ぐな言葉だろう。

 真っ直ぐ過ぎて涙が出る。

 そして腹も立つ。

 けれども、アサリにイチカの傷がわかるわけもない。それが傷だとわかっているかもわからないイチカに、傷の痛みを知らないアサリが腹を立てるのはお門違いだ。


 だいじょうぶだろうか、と思った。

 あんなふうに生きていて、だいじょうぶだろうか、と。

 イチカの横顔はなんだか頼りない。


 なんだかんだ思いながら夕食を終え、就寝時刻になってから、魔導師団に連絡を入れる云々を誤魔化されたことに、アサリは気づいたのだった。







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