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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたに面映ゆく。】
39/77

37 : 中至の祭りで遊ばれました。1





 見慣れない部屋で起きて、そういえば昨夜王都に到着したのだったと思い出しながら、アサリは寝台を離れ背伸びをする。

 ふと香ってきた珈琲の匂いに首を傾げた。


「ロザかしら」


 手早く身支度を整えると、用意してもらった客室を綺麗にしてから、アサリは部屋を出た。

 昨夜のうちに邸、とはいえ王族の別宅にしては小さ過ぎるらしい家の案内はしてもらっていたので、経路を思い出しながら厨房のほうへと向かう。

 アサリが働く食堂の厨房より少し広くて、少し器具も多い厨房の作業台を前に、ロザヴィンはいた。


「おはよう、ロザ」

「おー……」


 顔が半分以上眠ったままのロザヴィンは、アサリの護衛を頼まれているとかなんとか言って、邸に泊まっている。以前から勝手に使わせてもらっている邸のようで、昨夜はアサリを部屋に案内すると慣れた足取りで邸内を歩いていた。


「眠いならまだ眠っていればいいのに」

「んー……」


 自分で淹れたらしい珈琲を音を立てながら飲んでいるロザヴィンは、適当な椅子に腰かけてぼーっとしている。半分以上というより、まだ眠っているその姿は、魔導師にも貴族にも見えない。


「朝食、作るけど、食べる?」

「おー……」


 起きてくれないロザヴィンの生返事に、ふと、イチカの姿が重なる。

 イチカの寝起きはロザヴィンほどひどくはないが、起きがけはぼーっとしていることが多い。それでも、数秒だけぼーっとして、いきなり起き出すのがイチカだ。そしてぴょんぴょん跳ねた髪の寝癖を放置して動き出す。だから、ロザヴィンとはまったく違う。


 小さく笑って、アサリは朝食作りに入った。

 食糧は、昨日のうちにロザヴィンが買ってくれている。滞在費があるので自分で買うとアサリは言ったのだが、「この貨幣はおれのじゃない。おれも邸に泊まるから」と言ったロザヴィンがほぼ強引に購入資金を出したのだ。


 ちなみに昨夜の夕食は、本当に食べ歩きで済ませた。ロザヴィンは大衆食堂のような、人が集まって食事する場所があまり好きではないらしい。その結果、昨夜の夕食は露店で売られているものを食べ歩くことになったのだ。これが随分と満腹感があり、それなりに楽しかったし面白かった。ぜひイチカとも食べ歩きをしてみたい。


「卵、半生でいい?」

「んー……」


 いつになったらロザヴィンは起きるのか。珈琲をこぼさずに飲んでいるからとりあえず意識は手放していないようだが、起きてくれないと今日の予定も立てられない。

 祭り初日の今日は、昼過ぎからそれが始まる。アサリは、その前にイチカのところへ行きたいと考えている。イチカの予定を、ロザヴィンには訊いてきて欲しいのだ。


「ぼくも卵は半生でお願いします」

「ええ、わかったわ。野菜も食べ…………え?」


 ロザヴィンではない幼い声に、アサリは背後を振り向き、そして固まる。


「ロザヴィン、起きてください。ぼくが来ましたよ。ロザヴィン」

「んー? あれ……なんでいるんですか」

「姉さんの朝食をいただこうと思って、早起きしたんです」

「はあ。てことは、城を抜け出したんですか」

「朝でしたので楽勝でした」


 にこにこと満面笑顔を浮かべた少年は、ロザヴィンを覚醒させ、そしてアサリを驚かせ、野菜も食べますよと言った。


「……王子さま?」


 にこやかに微笑むのはこの国の王子殿下。お目にかかるのはこれで二度めだが、遠目からでも一度見たらその姿は忘れようもない。神々しさが異常なのだ。さすが王族、さすが翼種族、さすがアリヤ王子殿下、である。


「お久しぶりです、姉さん」

「おひさし、ぶりです……ねえさん?」

「姉さんが王都に入ったって聞いて、いてもたってもいられなくなって、来てしまいました。しかも叔父上の邸に滞在と聞いたので、もしかしたら姉さんの手料理が食べられるかもしれないと思って、朝一に失礼ですがお邪魔してしまいました」


 どこからどうやって入ったのかとか、いつのまにロザヴィンの隣に腰かけたのだとか、そういう疑問もあったが、アサリは「姉さん」という自分の呼び名に首を傾げたい。


「あの、殿下?」

「いやだなあ、アリヤって呼んでください」

「はあ……アリヤ殿下?」

「ふつうに、アリヤ、と。ねえ姉さん、ぼく卵は半生がいいです。野菜も食べます。あと麺麭はそこの丸いのを切って両面を焼いて欲しいです。その上に焼いた卵を乗せて食べてみたくて。城ではそうやって食べたことがないので……あ、果物は持参しました。食後に切ってもらっていいですか?」


 にっこり笑顔に敵う気がしない。愛らしさに負けてしまう。くらくらと、目が眩んでしまう。なんでも言うことを聞いて頷いてしまいそうで、少し焦った。


「ああ、大事なことを言っていませんでした、姉さん」

「その、姉さん、というのは……」

「はい、姉さんのことです。姉さん、おはようございます」


 にこぉ、と微笑まれて、ああもう負けた、とアサリは思いながら苦笑した。アリヤのこの愛らしさに勝てるとしたら、それはたぶん、彼の侍従でもあるアサリのいとしい人だけだろう。


「おはようございます、アリヤ殿下。突然いらして、吃驚しましたよ」

「驚かせてごめんなさい。にしても、姉さんも兄さんみたいに頑固ですねえ。アリヤって、呼んでくれないんですか」

「殿下は殿下ですから、お許しを」

「むぅ……」


 ぷく、と頬を膨らませるアリヤも愛らしい。おとなびて見えるアリヤだが、やはり歳相応の顔は持っている。王子殿下には失礼なことだが、自分に弟ができたみたいに可愛い。膨らませた頬をロザヴィンに指先で潰されて怒った姿も、可愛い。


「少し、待ってくださいね。朝食の用意をします」


 くすくすと笑いながら、アサリは朝食作りに戻る。


 が、しかし。


 いくらもしないで、どたどたと誰かが走ってくる足音が、邸内に響いた。


「漸く気づいたか……殿下、どこで撒いたんです?」


 足音の犯人に憶えがあるらしいロザヴィンが、アリヤに問う。


「撒いてませんよ。目の前で消えましたから」

「ああ、だから遅かったのか……殿下、おれの盾になってくださいよ」


 よっこいしょ、とロザヴィンがアリヤ殿下を膝の上に座らせたときだった。


「殿下、ひとりで勝手に城を抜け出されては困ります!」


 肩で息をしながら飛びこんできたのは、アサリが自ら逢いに行こうとした、いとしい人だった。


「イチカ!」

「! ア、アサリ……さん?」


 息を切らせながら、いとしい人、イチカは、きょとんとその黄緑が渦巻く双眸を丸くした。


「なぜ、アサリさんが…………殿下、これはいったい……」


 視線を彷徨わせて見つけたアリヤ殿下に、イチカは困惑しながら訊ねた。


「ロザヴィンに頼んで連れてきてもらいました!」

「は……?」

「だって兄さん、ぼくが呼んでくださいねって言ったのに、手紙の一つも書かないんですもん」


 ロザヴィンの膝の上に抱っこされながら、ぶう、とアリヤはまた頬を膨らませる。イチカは閉口していた。


「叔父上も姉さんを呼ぼうかなって言ってくれたので、ロザヴィンに頼めたんです。姉さんの顔を知っている魔導師はロザヴィンだけでしたし」


 ねえ、とアリヤに問われたロザヴィンは、のんびり「そうですねえ」と答える。

 イチカの沈黙は続いた。

 なんだか居た堪れなくなったアサリは、逢えて嬉しい気持ちを抑えながら、口を開いた。


「イチカ……その、迷惑、だった?」


 おずおずと問うも、イチカの沈黙は続く。

 王都に来たのはまずかったのだろうか。やはりイチカが来てくれるのを待っているほうがよかったのだろうか。せっかく祭りがあるのだから、イチカと楽しめたらと思ったのは、いけなかっただろうか。

 ぐるぐると考えていると、イチカがふっと息をついた。


「殿下」


 イチカはアサリを呼ばなかった。その視線をアリヤに向けた。


「中至の祭りには殿下も参加されるのです。初日だけとはいえ支度も忙しいのですから、勝手な行動は控えてください。周りの者たちが困るのだと、ご存知でしょう」

「……兄さん、それはないでしょう?」

「城へお戻りください、殿下。雷雲さまも、殿下のお戯れには気をつけてください」

「兄さん」

「イチカです。城へお戻りください、アリヤ王子殿下」


 ひんやりとしたいやなものが、アサリの中に落ちてくる。それはじわじわと内部に浸透していき、腹の底から寒さを感じさせた。唇が、指先が、その冷たさに震えてくる。


「殿下、城へ」

「それ以上なにか言ったら、ぼくは兄さんを許しません。口を閉じてください。城に戻ります」


 ロザヴィンの膝から降りたアリヤが、とことことイチカのそばに歩み寄り、その腕を掴む。


「姉さん、ごめんなさい。改めてまた来ますね」


 ちらりとアサリを振り向いたアリヤは笑ってくれたが、アサリは返事もできなかった。


 魔導師の力を使ったのか、ふっとアリヤ殿下とイチカの姿が忽然と消えても、しばらくは呆然としたまま、立ち尽くして動けなかった。


「アサリ嬢」


 そう、ロザヴィンに呼びかけられて、ハッとわれに変えるも、震えた身体は抑えつけられなかった。


「怒っていいぞ?」


 ロザヴィンはそう言ってくれたが、アサリは怒鳴ることもできない。


「わ、わたし……来るんじゃ、なかった?」


 声が掠れる。自分で言っておいて、ひどく悲しくなって、涙が込み上げた。

 かくん、と足の力が抜けて、床に座り込む。込み上げた涙は、次第に身体の震えとともに、ひどくなった。


「わ、わた、わたし……」


 イチカに見向きもされないことが、こんなにも悲しくて、苦しくて、寂しいことだったなんて、知らなかった。


「嫌われ、ちゃった……?」


 来るのではなかったと、そう思っても、今さらだ。今さら後悔しても、もう、イチカはそこにいない。謝ることもできない。


「イチカ……いや、イチカ……っ」


 アサリは自分自身を抱きしめ、溢れた涙をこぼした。


 来てはいけなかったのだ。

 イチカが来てくれるのを、待っているべきだったのだ。


「照れ隠しだかなんだか、あそこまでくりゃひでぇな……」


 ロザヴィンはそう呟いたが、アサリには聞こえず、ただただ、身体を震わせて涙した。







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