36 : 王都レンベル。
祭りを見に行く、という口実のもとに、イチカに逢いに行くため村を出て二日めの昼だった。
昼食を終え、さあ夕刻には王都レンベルへ入ろうと馬車を走らせようと支度を整えたところで、ふと空が陰る。快晴が続くと予報があったのに雨が降るのかと空を見上げたら、それは雨雲ではなく、人の影だった。
「あ、見っけ」
と言ったその人は、空から降りてきた。
「へ? だれ?」
「ロザだ。憶えてんだろ。ちょうどよかった、あんたを迎えに行くところだったんだよ」
現われたのは、魔導師の外套に全身すっぽり包まれ、見えているのは目許と口許だけという、雷雲の魔導師ロザヴィン・バルセクト。貴族出身の魔導師である彼は、ついこの間までアサリたちの村で薬師兼医師を生業としていたシゼという名の、実はシィゼイユ王弟殿下であった彼の幼馴染だ。
「アサリ、なにこの魔導師! 翼あるんだけど! 空飛んできたんだけど!」
こちらは王都の祭りを本当に見に行くハイネは、ロザヴィンの登場にやたら興奮していた。その姿にハイネの夫、ゼレクスンが呆れて抑えるほどに。
「どうも。魔導師のロザヴィンです」
「空飛べちゃうのっ?」
「……、はあ。一応、翼種族なもんで」
「貴族っ? 貴族が翼種族だっていうの、本当だったのっ?」
「おれみたいに飛べる奴は少ないですけど、まあ」
「すっごーい!」
興奮冷めやらぬハイネに、なんだこのひと的な顔をしたロザヴィンだったが、ゼレクスンが完全にハイネを黙らせると、その視線をアサリに戻した。
「あんたを迎えにきた」
「……わたしを?」
「殿下があんたを迎えに行けって」
「シゼが? それとも王子さま?」
「どっちも。けど……あんた、どこかに行く途中? この道なら王都だけど」
「イチ……祭りを見に行こうと思って」
「ああ、それなら本当にちょうどいい。あんたに祭りを見せたいって、殿下方が仰せだ。てっきり村にいるもんだと思ってたけど、この装備ならいいな。夕刻には王都に入るし、このまま来い。宿は?」
「まだ決めてないわ。急な出発だったから」
「そっちの……夫婦? も?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、そっちの面倒はおれが看るから、あんたは殿下の別宅に泊まれ」
そんなお世話になっていいのだろうか、とアサリは言葉もなく驚いたが、代わりにゼレクスンの拘束から逃げたハイネが嬉々として「お世話になります!」と叫んだので、ロザヴィンは頷いてしまった。
「じゃ、おれは先に知らせてくる。王都の門にいるから」
「あ、ちょっと待って」
再び飛んで行こうとしたロザヴィンを引き留めると、アサリは近くまで駆け寄った。
「あの、どうしてそんなこと」
「ん? 言っただろ、殿下方が祭りを見せたいって言ってんだ」
いやでも、とアサリは口ごもる。
本当なら尊く近寄ることもできない王子と王弟に、知り合い親しくなるきっかけがあったにしても、こうして招待されるのは、とても光栄なことだ。
しかし、アサリが祭りを見るべくして王都へ行くのは、本当はイチカに逢うためだ。
「わ、わたし……その、イチカ、に……」
アリヤにもシゼにも久しぶりに逢いたいとは思うが、それよりも今は、イチカへの想いのほうが強い。
「……心配いらねえよ?」
「え?」
「行きゃわかる。じゃあな」
意味不明な言葉を残して、ロザヴィンはばさっと灰褐色の翼を鳴らしながら空へと飛び立ってしまった。
「ちょ、ロザ!」
呼びかけたが、ロザヴィンの姿はあっというまに天高く昇っていき、見えなくなってしまった。
「ちょっとアサリ! あんたいつのまにあんな魔導師と仲良くなったのよ」
「仲良くなんかないわよ。たまたま知り合っただけで……あの人はシゼの幼馴染だし」
「シゼ? 薬師の?」
あ、と口を閉じる。シゼが王弟殿下だというのを知っているのは、あのレウィンの村ではアサリだけなのだ。
「シゼ、王都の出身で、ほら、魔導師って身分に拘らないでしょ? それで小さい頃から仲良かったみたい」
「ふぅん? シゼって王都出身だったんだ。まあ薬師なんだから当たり前っちゃ当たり前か」
隠す必要があるのか不明だが、現在は王城に留まっているシゼはレウィンの村に戻るような話をしていたので、教えるとしたら本人からのほうがいいだろうと、アサリは曖昧に誤魔化した。
「まあいいわ。これで急な出発で不安だった宿も確保したし。で、あんたは殿下がどうこうって言われてたけど」
「イチカが仕えてる人のことよ」
「ああ、そういうことね」
魔導師だから王族や貴族とは関わりがある。そのことを大雑把に理解したらしいハイネに、内心でほっとする。イチカが王子殿下の侍従でもあるのだと教えたら、ハイネのことだ、大変な妄想を広げて煩くなりそうだ。
「さあ、急ぎましょ。祭りの前日だから、王都の門が混むわ」
宿の手配という最後の心配が消えたので、ハイネは出発時よりも嬉々として、馬車に乗った。
「うるさくてすまんな、アサリ」
と、ゼレクスンの苦笑には、アサリも肩を竦めて笑う。
「元気なハイネが好きなんでしょ?」
「……まあな」
ゼレクスンは言葉が少ない。それでも全身から、ハイネに対する愛情が滲み出ている。それは羨ましいほど真っ直ぐなものだ。
いいなあ、と思いながら、アサリは馬車に乗り込み、あれこれ話しかけてくるハイネの相手をしながら王都へと向かった。
王都への道程は、その大きな門が近づくにつれ、人混みが激しくなる。祭りの効果もあって、門が視認できたのに、あまりの人混みに近づくこともできない。これはしばらく時間がかかるな、と気長に待ちながら、少しずつ門へと進んでいく。
王都の門で待っていると言ったロザヴィンと合流できたのは、空が暗闇に包まれ始めたときだった。昼に逢ったときはまるで自分を隠すように外套に包まれていたが、このときは目深に被っていた帽子も後ろに流して、その灰褐色の髪を夕焼け色に染めていた。
「馬はあそこに預けろ。声かけといたから安く預かってくれる。面倒看はいいところだから心配は要らねえし。そこの人間に宿まで案内してもらえ」
「お世話になります、魔導師さまっ」
「いや。その子連れてきてもらっただけ、おれの仕事も楽だったから。じゃ、ここで連れてくけど、いいよな?」
「ええ。じゃあね、アサリ! 本当にありがとうございます、魔導師さま!」
ハイネとゼレクスンはロザヴィンに礼を言うと、ここからは夫婦水入らずだと言わんばかりにアサリを置いて、さっさと行ってしまった。
「なんだか面倒をかけて、ごめんなさい」
「は? べつにおれ、なんもしてねえけど。馬屋と宿屋に声かけただけで、あとはあんたが来るまでぶらぶらしてたし」
ロザヴィンにとってはなんでもない行為でも、慣れない王都へ来たアサリやハイネたちにしてみれば充分な厚意だ。ありがとう、と礼を述べると、ロザヴィンは首を傾げていた。
「なんもしてねんだけどな……ま、悪い気はしねえからいいか。ついて来な。殿下の別宅に案内する」
「あ、そのことなんだけど、本当にわたしなんかがお邪魔していいの? 殿下って、シゼのことでしょう?」
アリヤでもシゼでも、どちらにせよ王族であるから、そんな人の別宅にお邪魔するのはさすがに気持ちが落ち着かない。気後れするどころの話でもない。恐れ多くて、畏縮してしまう。
「ああ、気構えなくていい。使ってねぇから」
「え?」
「邸みたいな家があるだけ。使用人もいない。言っちまえば宿よりひでぇかも。食事なんかは自分で手配してもらうし」
「……そうなの?」
呆気に取られた。なんだ、と気が抜けた。
「まあ今日の夕食くらいはおれが奢るけど。明日は殿下な」
だから食糧の調達をしながら案内する、と言ったロザヴィンは、その足を店があるほうへと進めた。
「食い歩きで済ませていいか?」
などと言ったロザヴィンを、慌てて追いかけたのは言うまでもない。
思ったより気楽に王都に滞在できそうで、アサリはほっとした。




