35 : 眩しくも。
イチカ視点です。
「と、いうことで……イチカ兄さん」
「イチカです、殿下。いきなりの前振りでは意味がわかりません」
「カヤを捜しましょうっていう話ですよ、イチカ兄さん」
「イチカです。カヤさまでしたら、王都の外れにおられます」
「あれ、案外早く見つかりましたね」
「女王陛下が師の書物を大量に隠しておられました。王都中に」
「うわ……母上ったらお茶目」
一年の上半期の無事を祝い、下半期の無事を祈る中至の祭りに備えて、国随一の力を持つ魔導師を呼び戻しておこう、というのは毎年のことで、イチカはわが師であるその人を、師の息子であり探知機能が備わっているアリヤ王子と共に捜すことになった。
とはいえ、行方不明を趣味としている師に、師の妻である女王陛下が悪戯をしかけたので、今回は苦もなく見つけることができた。
行方不明になることを得意とし、帰ることを忘れてしまうような師だが、自室にある書物には随分と執着があるらしい。女王陛下にそれを隠されたと知って、師は王都中を捜し回っていた。
「実際はここにあるのですがね」
「……イチカ兄さん、いつから母上の悪戯に手を貸すようになったんですか」
「イチカです。つい最近のことです」
師が隠されたと思っているその書物は、一切がイチカの管理する部屋に移動しているだけで、実はどこにも隠されていない。これも女王陛下の命令だ。面白そうだから命令を素直に受けたら、本当に面白いことになったのでよしと思っている。
「もしかして、ここに大事な書物がありますよ、とか伝えたら、素直に帰ってきます?」
「燃やしますよ、とお伝えしたほうが確実かと」
「……最近の兄さんはカヤに容赦がないですね」
「イチカです。そうでしょうか」
「諦めの悪さは相変わらずですけど……どうしても、兄さんって呼ばれたくないですか?」
師が大事にしている書物の在処をアリヤに教えながら、イチカはその問いにふと黙る。
アリヤに「兄」と呼ばれるのは、どうしてもよいとは思えない。
「僕は、確かに殿下にとって、兄弟子でしょう。ですが殿下は、殿下なのです」
「……はい、それはわかります。この前のことで、そのことを痛いほど知りました」
アリヤの脳裏を掠めただろうできごとは、また記憶に新しいものだ。イチカも当事者であったから、鮮明に思い出すことができる。
アリヤは自分の大きな力を制御できず、器になっていたイチカにもどうしようもできず、結果的に暴走した力は師に意識不明の重傷を負わせた。
あの鮮血を、イチカは忘れられない。それはアリヤも同じだろう。
あれからアリヤは、己れの力を慎重に使うようになり、以前にも増して魔導師の力を学ぶようになった。大抵のことは人に訊かずとも習得していたが、わかってもわからなくてもまず力のことは魔導師の誰かに訊くようになったし、時間が許す限りイチカのそばでさまざまな教えを乞うようになった。
成長したものだ、とイチカは思う。
アリヤの面差しは、あれから随分と、凛々しくなったものだ。
「面倒ですね、ぼくの立場は……王子なのに魔導師で、魔導師なのに王子で……ぼく自身は魔導師だと思っているんですけど」
王族の異能が使えないから、とアリヤは悲しげに微笑む。
「兄弟たちのなかで、ぼくだけが、空を上手く飛べない……周りはそれを、カヤのせいだと言うんです。カヤが翼種族ではないから、僕が半翼種族だから……ぼくは、カヤと同じ魔導師だというだけのことなのに」
面倒ですね、とアリヤは繰り返す。
確かに、アリヤの立場は微妙だ。下の弟たちのように、王族の異能が使えない。王族で翼種族なのに、空を自由に飛ぶこともできない。その背にある翼は、一対の、美しい白い翼なのに。
「殿下は、魔導師であられる」
「そう言ってくれるのは、兄さんと師団長だけですよ」
認められたいわけではないけれど、その現実を受け入れて欲しい。アリヤはそう思っているのかもしれない。
「兄さん。できるだけ気をつけますから、こういう、ふたりきりのときとかは、兄さんって呼ばせてください。ぼく、魔導師で在りたいんです」
王族であることよりも、王子であることよりも、魔導師であることを選びたいとアリヤは言う。
「だってぼく、カヤの子どもです。たくさん兄弟がいるんだから、ひとりくらいカヤにそっくりでもいいでしょう?」
アリヤは、女王陛下に似ている。下の弟たちもそうだ。師の子どもたちは、誰も師の面影を持っていない。まるで師が拒絶したかのように、子どもたちの容姿は女王陛下の血を色濃く感じさせる。アリヤから感じる師のものといったら、その強大な力と質だけだ。
寂しいのだろう、と思った。
聡い王子だから、己れの父が周りからどう思われているかなど察しているだろうし、だからそばにいないのだということも理解している。家出はするは行方不明にはなるは、母を悲しませるは、碌でなしと思うこともあるだろうが、力の暴走をきっかけに父が父であったことを知ったアリヤだ。
「兄さんって……呼ばせてください」
そこにいるのは王子殿下ではなく、ただただ親を慕う子どもだった。
はあ、とイチカは息をつく。
「殿下がお許しになられる限り、僕はそれに答えましょう」
「! ほんとですかっ?」
ぱっと笑みを取り戻したアリヤは、嬉しそうにイチカに飛びつく。イチカは、王子殿下の子どもらしいその姿に、ふっと微笑んだ。
「殿下は僕の……大切な弟弟子ですから」
イチカの笑みに、アリヤが少し驚く。だがすぐに気を取り直すと、ぎゅっと抱きつく腕に力を込めた。
「ありがとうございます、兄さん」
「礼には及びません。僕のほうこそ……僕のような者を兄と呼び慕っていただき、ありがとうございます」
まだイチカの肩にも届かない小さな弟弟子の頭を、イチカはぽんぽんと撫でる。嬉しそうに笑ったアリヤは、女王陛下が微笑んだときのように、大輪の花も霞む眩しさがあった。
「兄さんができて、姉さんができて、ぼくは嬉しいです」
「そうで…………、ねえさん?」
「はい、姉さんです」
顔を上げたアリヤの笑みは眩しい。
しかし、その眩しさに負けていられない。
「……どなたのことですか?」
アリヤは長子だ。姉はいない。
「アサリ姉さんです」
思わぬ爆弾投下に、イチカは硬直した。
「あ、中至の祭りに姉さんを呼んでくださいね? ぼく、きちんと挨拶したいんです」
「……あの、殿下」
「祭りに合わせた贈りものも用意しました。姉さん、喜んでくれるでしょうか。楽しみです」
「殿下、お待ちください」
はしゃぎ始めた王子殿下に、イチカは少々、いやかなり動揺しながら、その肩を後ろに押した。
「なぜ、アサリさんが、姉なのですか」
「え? だって、兄さんのお嫁さんでしょう?」
二度めの爆弾投下に、息が詰まった。
「兄さんのお嫁さんは、僕にとって姉さんです。ねえ兄さん、式はいつにします? ぼく、母上と神官長に相談したんですけど、姉さんが十八歳だから、誕生日の前がいいだろうって言われたんです。そうなると豊穣祭のすぐあとですよね」
「で……でんか、おまちください」
「ああそうだ、師団長にも相談したんです。兄さんの戸籍が必要だったので」
戸籍をなにに使うつもりなのか、にこにこと微笑みながら言うアリヤに、イチカは焦りを感じる。
「殿下、お気を確かに」
「はい? なに言ってるんですか、兄さん」
「僕のことより」
「はい、姉さんの都合のほうが大事です。衣装はどんなものが姉さんの好みなんでしょう? それを知る手段に、今回の贈りものを用意したんですけどね」
頬に、いや顔中に、やたら熱いものが込み上げてくる。これが羞恥というものだろうかと、イチカは動揺した。
明らかに動揺したその姿が、アリヤを楽しませているとも知らずに。
「姉さんに逢えるのがとっても楽しみです」
「…………」
熱が許容量を超えた。
アリヤが、きょとんとする。
「兄さんったら……意外と恥ずかしがり屋さんだったんですねえ」
にまぁ、と笑ったアリヤに、イチカはその赤面を隠した。