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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
31/77

29 : あなたに捧ぐ。

前半アサリ視点、後半イチカ視点です。





 シゼとたくさん話をした。知りたいと思っていたことを、さまざま聞けたと思う。一日はそれで消えた。というか、そうやって落ち着かない時間をどうにか紡いだ。シゼは、アサリの落ち着かない心を宥めるかのようにつき合ってくれたのだ。

 そして、女官や侍女に世話をされるという、本来なら経験しえないだろうものに驚愕しながら体験させられた翌朝、世話をするのはいいが世話されるのはいやだとつくづく思っていたところで、アサリは漸く心許ない状況にほっと息をつくことになる。

 それは朝から疲れ果て、シゼが用意してくれた着替えの衣装、貴族が着ていそうな華美なものではなく、アサリが着ていても問題ない質素なそれに袖を通し、ひとりになって安堵したときのことだ。

 昨日の午後も中頃に目覚め、それからは目覚ましい回復力を見せ起き上がれるようになった魔導師、イチカの師でアリヤの父たるカヤが、姿を見せた。


「お師さま……!」


 と、歩き回るという回復力に吃驚してそう呼ぶと、なぜかその人も吃驚していた。


「おれは、きみの師にもなるのか……?」


 不思議な疑問を投げかけられた。

 イチカの師だから「お師さま」と、それまで呼んでいたわけだが、本人に対してそう呼びかけるのは適切ではないらしい。

 だが、今さら呼び名を変えるのも難しい。


「あの……イチカの師匠だから、お師さまと呼んでもいいですか?」


 初めて逢ったときの玲瓏な印象が強く残っていたが、すっとぼけたところがあるのは知っている。かの有名な、女王に口説かれた魔導師であるくらいだから、心が冷たいわけではない。

 アサリの申し出に、その人は「……ああ」と、頷いてくれた。


「来ていると聞いて、様子を見に来たのだが……不自由はないか? シィゼイユのことだからきちんと手を回していると思うが」

「お心遣いに感謝します。お師さまこそ、だいじょうぶですか?」

「大したことはない。おれも昔はよくああした怪我をして、師に面倒をかけたものだ」


 ふっと、師の表情が和らぐ。

 その表情があったから、ああもうこの人はだいじょうぶなのだと、思うことができた。


「アリヤ殿下のほうは、だいじょうぶでしょうか?」

「大泣きされたが、まあ……あれは魔導師だ。その責務を理解するには、ちょうどよかっただろう」


 国にとっても、王族にとっても、魔導師にとっても一大事に等しかった今回のことだが、師にかかると大したことではなくなってしまう。無頓着なのかそうでないのか、師にしたら命がけであったものだろうに、息子が無事ならそれですべてよしと済ませられるのかもしれない。


 ただ気になるのは、イチカのことだ。

 師はイチカを、今どう思っているのだろう。


「お師さま、その……イチカは……」

「ああ、呼んでいる。もう少しで来るだろう」

「え……?」

「ここへ来る前に寄ってきた。ただ、済まないがイチカへの罰は、魔導師の領分だ。アリヤへの罰も。きみを関わらせるわけにはいかない」

「それは承知しています。師団長さまに聞きました。でも……イチカ、だいじょうぶですか?」

「あれは存外に、執着心がある」


 師の言葉には首を傾げたくなったが、とにかくイチカはここへ来てくれるらしい。

 どんな罰を受けたのかはともかく、いつまでもこうして王城に留まることはできないアサリにとって、イチカに逢える機会は少しでも多くあって欲しい。自分がどういう理由で王城に滞在を許されているのかも、アサリはわからないのだ。シゼに連れてきてもらったので、それを言い訳にして滞在を伸ばすことはできるだろうが、アサリには村での生活がある。同じようにシゼにも生活があって、師やイチカやアリヤにも、今までと多少は変わるだろうが今後の生活がある。アサリが王城にいることは、異質でしかない。


「……きみは、あれを好いてくれるか?」

「えっ?」


 師がいきなり訊くものだから、アサリはそれを隠すこともできなくて、ぱっと羞恥に頬を赤らめた。


 しかし。


「あれは名無しだ。イチカと、おれが名づけた。だがあれには、おれのガディアンという名を継ぐ気がない。そのせいで、まだ名無しだ」


 一瞬にして火照った頬が、徐々に落ち着いていく。


「まだ、名無し?」


 冷静になった頭が、理解に時間を必要としている。


 それはもしや、アサリに「アサリ・ベルテ」と名があるのに対し、イチカは「イチカ」でしかないと、そういうことだろうか。

 ただ一つの拠りどころもない、孤独にあるということだろうか。


 なんてことだろう。


 思い返せばイチカは、「イチカ」としか名乗ったことがない。そんな簡単なことに、今まで気づかなかった。


 なんてことだろう。

 まだ、名無しであったなんて。

 まだ、その過去の中にあったなんて。


「おれの名は教えたな?」

「……カヤ・ガディアン・ユシュベル、と」

「おれはイーヴェ・ガディアンという師から名を継いだ。そのガディアンの名を、あれは継ぐ気がない」


 師の言い方は、まるで自身も名無しであったかのようだった。


「お師さま……もしかして、お師さまも」

「ああ、名無しだった」


 あっさりと、師は肯定する。

 師は、自身も名無しであったから、同じ名無しのイチカを拾い、魔導師に育てたのかもしれない。

 そういえばシゼが、師は養子だとかなんとか、言っていた気がする。この国で名を知らぬ者はいない大魔導師イーヴェ・ガディアンの、その養子が師だ。

 師は、自分と同じように、その名をイチカに継がせる気であったのだろう。

 しかし、イチカがそれを拒んでいる。


「きみは、あれが名無しでも、好いてくれるか?」


 体験しているからこその、その言葉だろう。

 アサリが抱く、恋愛感情というものの「好き」ではなく、広い意味での「好き」を、師は訊いているつもりのようだ。


 だから、アサリはすべてを込めて、微笑んだ。


 この気持ちは、イチカが名無しだったからでも、今もまだ名無しであっても、揺らぐことはない。消えることもない。なかったことには、できない。

 もう変えられない。

 溢れ出す想いを、せき止めることなどできやしない。


「わたしの名をイチカに捧げるわ」


 祖父母からもらった名を、愛情を、アサリのすべてを、イチカに捧ぐ。

 イチカがなにを思って師の名を継ぐことを拒絶したのか、それはわからない。もしかしたらアリヤ殿下のことを考えてのことかもしれない。それならそれでいい。


 あなたにまだ名がないというなら、わたしが捧ぐ。

 あなたに、わたしを捧ぐ。


「イチカに、わたしをあげる」


 このすべてが、イチカのなにかになれるなら、アサリはこの身を差し出してもいい。

 師の穏やかな眼差しを見つめ返して言うと、そよりと、緩やかな風が頬を撫でた。


 いつのまにか開いていた扉の向こうに、呆然と立つ、イチカがいた。


「……イチカ?」


 呼ぶと、ぎくん、と身体を震わせたイチカが、一歩よろめいた。よろめいたその反動のまま、また一歩と前に足を出す。


「アサリさ……」


 よたよたと部屋に入ってきたイチカの、それからは早かった。


「アサリ……」

「! イ、イチカ?」


 なんと素早いことか。

 アサリが恋しさに腕を伸ばそうとするその前に、イチカはアサリのすべてを包み込んでいた。そのままぎゅうっと、信じられない強さで抱きしめてくる。

 一日ぶりのイチカは、アサリの恋い焦がれる心を、ひどく驚かせた。






   *   *






 朝、師が来た。脅威の回復力は、さすがは国随一の魔導師と言えるだろう。今少し顔色は悪いが、もう歩き回っても平気なくらいには、師は無事だった。

 これで、女王陛下もアリヤも、安心したことだろう。


「ご無事でなによりでございます、カヤさま」

「……ああ」


 ぽんぽん、と頭を撫でられた。背が師よりも低いので、どうしても師の手はイチカの肩よりも頭に乗ることのほうが多い。


「手間をかけたな、雷雲」

「瞬花を罰したのはおれだぞ」

「知っている」

「……不本意だった」

「ああ」

「ムカつく」

「すまない」


 言葉数少なく、師は監視役のロザヴィンに目礼する。アリヤの父としての姿だろう。


「どういう力が働く?」

「今までと特に変わらねぇよ。ただ、おれはおまえみたいなバケモンじゃねぇから、呪具に頼っても精密な力じゃねえ。おまえにしたら大雑把に思えるだろうよ」

「負荷も変わらないのか?」

「ああ。瞬花に向く」

「……そうか」


 俄かに影を落とした師の森色の瞳が、じっとイチカの双眸を見つめる。師は長身なので見上げる形になり、少々首が疲れるのだが、イチカは逸らすことなく見つめ返した。


「少しでもおまえのためになればと、思ったことだったのだがな……」


 呟いた師は、その手のひらで、イチカの視界の半分を塞ぐ。


「カヤさま?」

「この目と、その右腕に、おまえは縛られる」

「……承知しております」


 わかっていることだ、と頷く。

 渦を巻く斑紋がある双眸には、アリヤのために師が施した負荷制御の呪いがあり、右腕には、自分に流れてくるアリヤの力を封じる呪いがある。

 二重の呪いは、アリヤの御身をもう二度と傷つけない。


「いいのか?」


 静かな問いにも、イチカは頷いた。


「僕は魔導師です」


 もともとイチカには、魔導師の力がそれほどあるわけではない。アリヤの力の器となれる体質という幸運に恵まれ、魔導師となったのだ。


「おまえは、今も昔も、可愛げがないな……」


 ふう、とため息をついた師は、手を離し、イチカに背を向ける。


「おいで」


 と呼ばれたが、身体は自由でも今はロザヴィンの監視下にあるため、いくら師の言葉でも素直に従えない。


「先に行け。おれが連れて行く」

「……わかった」


 ロザヴィンの言葉に、師は頷いて部屋を出て行った。


「飯、食え」


 昨日からそればかり言うロザヴィンは、今朝も食事に手をつけないイチカに朝から三度めである言葉を並べる。


「食いたくなくても、食え」

「……食べたくありません」

「餓死するつもりか」


 問答は、食事が用意されたそのときと同じだ。繰り返している。師が来る少し前にも、繰り返したばかりだ。


「そのうち、本能で食べますから、放っておいてください」

「おまえな……ったく」


 べしっ、とイチカの後頭部を叩いたロザヴィンは、「行くぞ」と声を荒げた。

 師も「おいで」と言ったが、ロザヴィンも、どこへ行こうというのか。

 不明ながらも、イチカはその背を追う。

 今朝はアリヤの姿もなく、宰相や王佐の姿もなく、彼らに連なる高官の姿すらなく、罰が下されたとはいえそれだけでは済まされないだろう己れの立場を考えていたイチカは、なんの音沙汰もなくて困っていた。

 ロザヴィンは定期的に部屋に結界を張って部屋を出入りし、なにかしら情報を仕入れてはいるようなのだが、イチカにそれを話すことはない。

 漸く処遇が決まったのだろうかと、イチカは淡々と考え、そしてアサリの姿を思い出した。

 もう一度、逢いたい。

 昨夜、アリヤに許可を申し出たことだ。逢ったあとのことは、胸の裡に秘めたままであるけれども。

 あの申し出は許されただろうか。


「……雷雲さま」

「あん?」


 この場でイチカが逃げるとも考えていないロザヴィンは、先をずんずんと進んでいく。振り向きもしない。


「どこへ向かわれるのですか」

「行きゃわかる」


 行けば、と言われても、この先の道を考えると、王城内上段にほかならない。魔導師団棟は王城内の下段にあり、師が作った転移門で王城内上段へと移動する。建物を出てすぐ横、石畳の階段に仕かけられた転移門で上段の王宮に入ることができるのだ。

 ロザヴィンは魔導師団棟の建物を出ると、転移門の階段を上った。景色は、転移しているとわからないほどに、変わらない。けれども目の前には王宮があり、魔導師たちが出入りする門には番兵が立っている。

 門を過ぎ、どんどんと中へ入っていく。それこそイチカが立ち入ることのない場所まで来ると、さすがにどうしたものかと迷ってしまった。


「雷雲さま、僕のような者がこれ以上進むわけには……」

「おまえ、魔導師だろ。いいんだよ、おれらは」

「ですが」


 入ったことがない。

 イチカの領域は、魔導師団棟と、王宮の奥に隠れた女王陛下の邸だけで、魔導師団棟とその邸は隠れた通路があるので、こんなにふつうに王宮内を歩いたことはないし入ったこともないのだ。


「おまえ、探索もしたことねぇのかよ?」

「僕の領域は師団棟と邸だけで……」

「は……さすが堅氷の弟子だぜ」


 どこか呆れたように言ったロザヴィンのそれはわからなかったが、とにもかくにもロザヴィンは先へ先へと進んでしまうので、仕方ない、イチカは諦めてその背を追う。


 ロザヴィンの足が止まったのは、客室らしき部屋が並ぶ棟の、ある部屋の前だった。


「ここだ」


 なにが「ここ」なのだろう。

 そう、首を傾げたとき。


「きみは、あれが名無しでも、好いてくれるか?」


 ロザヴィンが扉を叩かず静かに開けたので、その奥から、師の声が聞こえた。


 そして。


「わたしの名をイチカに捧げるわ」


 アサリの明瞭な声が、全身に舞い落ちる。

 師がアサリと会話しているらしいと知る前に、イチカは、浴びた言葉に瞠目した。


「イチカに、わたしをあげる」


 ぶわりと、その言葉だけが、胸に浸透する。


 アサリは今、なにを言ったのか。


 己れの名を、僕に。

 僕に、己れを。

 捧げ、あげる。


 そう言わなかっただろうか。


「……イチカ?」


 気づくとイチカは開け放たれた扉から中へ、一歩、よろめくように入っていた。


「アサリさ……」


 今言ったことは、本当なのだろうか。

 アサリは、アサリをくれるというのか。

 捧げてくれるというのか。

 本当に、僕の領分に、入ってきてくれるだろうか。


「アサリ……」


 イチカは手を伸ばした。

 眩しくも温かく、そして優しいその人へ、気づくと全身で縋りつくように抱きついていた。







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