27 : 魔導師の領分。1
シャンテに案内された場所は、アサリにはよくわからない。ただ、通された部屋はとても華美で、到底アサリのような平民が当然のように使える部屋ではなかった。
アサリをひとりその部屋に置き、シャンテが去ったあと、そわそわとしていたら扉が軽く叩かれて、半日ぶりのシゼが姿を見せた。
「シゼ!」
「おはよう、アサリちゃん」
やや疲れていそうな顔をしたシゼは、全体的になんとなくくたびれていて、だいじょうぶかと訊いたら「徹夜したからね」と返された。
「魔導師としてはバケモノでも、奴は人間だったよ。失血が多かったから、さすがに今はまだ起き上がれやしない」
「お師さまはもうだいじょうぶ?」
「わたしが治療したんだから当然」
イチカの師は、本当に命の危機から脱したようだ。今はまだ起きないが、遅くとも今日の昼には目覚めるだろうとシゼは言った。王子殿下のほうはどうかと訊ねれば、こちらは精神的に疲れ果ててはいるが、身体的な問題はないという。このことを当人がどう乗り越えるか、そこだけは注視する必要があるらしい。
「イチカくんのほうはどうだった? 逢えたんだろう?」
「あ……うん」
「なに?」
「鎖……腕に、つけられていて」
「くさり? 戒めの鎖?」
イチカの様子を話すと、シゼは幾分か面白くなさそうな顔をして、大きくため息をついた。
「アリヤが悪いって言っているのに……こういうとき王族とか貴族は面倒だな」
「でも、宰相さまからいやな感じはしなかったわ。シャンテ? とかいう人からも」
「宰相も王佐も、基本的に姉上贔屓で悪い人じゃない。話せばわかる人たちだ。だから、体面だけの処置を取ったんだよ」
「体面、だけ?」
「そう。だからいやな感じがしない。でもね、アサリちゃん。イチカくんは必ず罰せられるんだよ」
采配した人たちに悪い人はいない。だから悪いようにはしないと思わせぶりな態度に見える。けれども、イチカに刑罰があることだけは変えられないのだと、シゼは言う。
「姉上も……王陛下も、イチカくんを罰することに異を唱えられないんだよ」
「イチカは悪くないのに?」
「そうだよ。もちろん、アリヤかイチカくん、どちらか一方が悪いというわけでもない。これは事故みたいなものだからね」
「じゃあ、なんで?」
イチカは、呪いを施されている。それはイチカの師が、アリヤのために施した呪いであり、確かに今回のような暴走を起こさぬために施した力かもしれない。
それでも、だからといって、今回のことでイチカだけが罰せられるのはおかしい。罰するなら、アリヤも同じく罰せられなければならないはずだ。
「王族と魔導師は、対等ではないんだよ、アサリちゃん」
「イチカが名無しだったから? 貴族じゃなくて、平民だから?」
「そうじゃない。問題なのは、イチカくんが、アリヤの力の器だということにあるんだよ」
「だってそれはお師さまが……」
「そう、カヤの責任だ。今回のことで一番に罰を受けるべきは、判断を誤ったカヤにある。けれどね、カヤは、王公なんだ」
けっきょく、身分がものを言うのか。
「イチカがなにをしたって言うのよ!」
気づくとアサリは怒鳴っていた。
アサリの怒りももっともだと言わんばかりに、シゼは渋面を浮かべて押し黙る。
「確かにイチカは願ったかもしれないわ、生きたいって。その代償が王子さまの力の器かもしれないわ。でも、だからって、どうしてイチカだけが罰を受けるの? 強い力を欲したのは王子さまじゃない!」
「アサリちゃん……」
「イチカは王子さまの暴走を止めたじゃないの! なにも悪いことなんてしてないのに、どうして罰せられる必要があるのよ!」
どうしても、納得できない。イチカが王子殿下の所有物扱いされることが、どうしても、いやでたまらない。
イチカは人だ。
道具じゃない。
もう名無しでもない。
人として生きたいと願った、ひとりの人間だ。
「どうしてイチカを人として見てくれないの……っ」
こんなに悲しいことはない。寂しいことはない。
ぼろぼろと、涙がこぼれてくる。
いくらイチカが人としての道具であることを享受していても、アサリは、やはりそれを理解することができない。それはけっきょくのところ、道具であることに変わりはないのだ。
「イチカは、道具じゃないのよ……心のある、人なのよ……っ」
寂しい。
悲しい。
名無しは、どうしてここまで、人権を奪われるのだろう。奪われ尽くされるのだろう。名無しというだけで、どれだけのものを奪われなければならないのだ。
「アリヤ王子殿下にも、力を封じる呪いを施させてもらいました」
ふと、そんな声が割って入ってきた。
「これ以後、アリヤ殿下が力を暴走させることはありますまい。多くの力を求めた際、瞬花の魔導師が苦しむことになるゆえに」
姿を見せたのは老人だった。魔導師の官服を、イチカが着ているそれとは少し形は違うが、確かに魔導師だとわかる恰好をした老人が、王子殿下もイチカと同じように罰を受けたと言った。
「ロルガルーン、それはどういう意味だ」
老いた魔導師をロルガルーンと呼んだシゼが、その説明を求める。
「魔導師ではないあなたさまには、理解できかねるものでございますよ」
「わたしは当事者だよ」
「さようですか」
「ロルガルーン」
老魔導師は、シゼに睨まれても、皺の奥に隠れた瞳を揺るがすことはなかった。
「はぁぁ……師団長、教えてくれないかな」
なんと、老魔導師は、魔導師団長であるらしい。言われると、そんな気がしてくるから不思議だ。
「師団長さま、教えてください。わたしも知りたいです」
「そなたはまるで関係がない」
「それでも! それでも……わたしは」
アサリは勇気を出して老魔導師、師団長ロルガルーンに教えて欲しいと頼むが、ロルガルーンは首を縦に振らない。
「これは魔導師の領分であり、アリヤ殿下は魔導師であられる。いかな人間も踏み込むことまかりならぬ」
「そんな……」
「そなたに魔導師の責務は負えぬ」
なんでもかんでも話すわけにはいかないのだと、そういうことだ。言うなれば、アリヤ殿下も同じように罰を受けたのだと教えた、そのことだけでもよしとしなければならない。
「なれど、そなたには感謝しよう。あれは漸く認めた」
「え?」
「己れが違えようなく人という生きものであることを」
イチカのことだろうか。ロルガルーンは、感謝する、と述べると、にっこりと笑って目じりに皺を増やした。
「殿下や堅氷のことばかりであった瞬花は、今、漸くその視野に世界を捉えた。じゃからわしは、殿下を魔導師として扱った」
それはつまり、アリヤ殿下への処罰は、魔導師団長ロルガルーンの一存だということになる。そのことに、アサリはなにかしら関係しているようだ。
「瞬花を変えた娘に、わしは感謝しよう。あれは漸く人らしく、堅氷が望むように、生きられるであろうからの」
ロルガルーンの言葉は、イチカを名無しではなく、ひとりの魔導師として、見ていた。
「人が悪いな、ロルガルーン。最初からそう言ってくれればいいのに」
「わしは公平に述べただけにございます」
ほほ、と笑ったロルガルーンに、シゼが苦笑する。アサリも身体から力を抜いた。
それでも、けっきょくのところ、イチカが道具として扱われ続けることに変わりはない。それを思うと、気が重い。
「イチカは、道具ではないわ……」
呟くと、ロルガルーンは目を細めた。
「そなたがそれをわかっておれば、それでよいのではないか?」
「でも……」
「王族と魔導師は対等ではない」
ロルガルーンも、シゼと同じことを言う。
しかし。
「われら魔導師の領分に、王族は踏み込めぬ。逆も然り。わしらは対等だなどとは思っておらぬ」
「え……どういうこと?」
身分のことを言っているわけではなさそうだった。
「魔導師の力は王族の異能から派生したと言われておる。じゃが、力の本質は違う。わしらは対等ではない。異なる者同士じゃ」
「異なる、者?」
「魔導師のあるじは、緑じゃ」
はっと、アサリは目を見開いた。
「魔導師は支配されぬ。じゃが従う。緑の法則に」
ロザヴィンが言っていた。魔導師は、自分たちのやりたいようにやる、と。王命があるときだけ、従うのだと。女王陛下の命令のみが、彼らが動く言葉となる。
アサリはそれを、自由な人たちだと思った。
「魔導師は従うものが違う。わしらは対等にあるのではなく、対極にあるのじゃよ」
時限が違うのだと、ロルガルーンは言う。
だからいくらイチカが道具だなんだと、この国の人間に扱われようとも、魔導師たちはまったく気にしない。なぜならイチカは魔導師で、彼らもまた魔導師であるからだ。魔導師が関心を向けるのは王族でも、まして人間でもない。緑の自然だ。彼らはいつだって自然に目を向けている。世界に目を向けている。彼らの関心は人間に留まることを知らない。
だからこそ魔導師は、身分やそういった柵に縛られない。
そういう者たちの集まりが、魔導師団。
「娘よ、そなたがあれをわかっておれば、それでよいではないか?」
ロルガルーンの再度の問いかけに、アサリは、呆然としながらも頷いた。
アサリは知っている。イチカが、どんな人間で、どんな魔導師か。
イチカは、アサリに拾われて介抱されたとき、淡々としていたが恩義には忠実だった。その後も、それには誠実にあった。自分のことよりも、天災が人々にもたらすそれを気にかけ、そしてアサリを気にかけていた。
一所に留まらぬが魔導師だとしても、一所に留まらぬからこそ魔導師だと言える。魔導師は天災が、自然がもたらすものが人々にどれだけの苦難を強いるか、それをよく知っている。
魔導師が見ているものは、アサリには想像できないほど、あまりにも壮大だ。
「人がなにを言おうと、なにを思おうと、魔導師は変わらぬ」
見ているものが違うのだから、向き合っているものが違うのだから、誰がなにを言おうが思おうが、魔導師は魔導師で在り続ける。
ずっと心に蟠ったまま解れなかった気持ちが、するすると音もなく形を失っていき、アサリはロルガルーンの言葉に静かに感激した。




