23 : 僕は生きたい。2
魔導師団棟は、随分と大きい邸宅のような造りをした建物だった。多くが出払っているのか人気がなく、アサリはその中へ、ロザヴィンに案内される。
「あんまり離れて歩かないでください。迷いますよ」
「え?」
「ここ、研究所も兼ねてあるんで、そういったもんを護るために迷路を作ってんです。悪用されちゃたまったもんじゃないですからね。で、瞬花がいるところはそういう施設なもんで、なおさら迷うぞって話です」
ふつうの宿舎のような造りだと思っていたら、とんでもない構造をしているようだ。アサリはロザヴィンのすぐ後ろに、くっつくようにして歩く。
「あの、ところで……瞬花、というのは?」
「うん? ああ、渾名ですよ。あいつ、足での移動だけはすげぇ速いんで、師団長がそう呼び始めたんです。魔導師ってのは、そういう渾名がつけられんですよ。ちなみにおれは雷雲の魔導師、あいつの師で王公のカヤは、堅氷の魔導師。意味を複雑に考える連中もいますが、まあ適当な渾名ですよ」
つまりイチカのことを、瞬花と呼んでいるらしい。魔導師はどうも渾名でばかり呼び合うので、互いに名前を知らないこともあると、ロザヴィンはそんなことも教えてくれる。
もしかすると、こうして彼ら魔導師が名前に拘らないから、名無しでもイチカはここに受け入れられたのではなかろうか。そして彼らも、そんなふうだから、身分などまったく気にしないのだろう。ロザヴィンなど、翼種族であるからには貴族だということなのに、平民たるアサリに口調はわりと乱暴だがいやな感じを起こさせない。
これが魔導師なのか、と思った。
「ん、この階だな」
階段を上り、三階の部分に到達すると、ロザヴィンはアサリを気にかけながら「あっちです」と方向を示す。その方向には、魔導師らしき人がひとり、ある部屋の前の長椅子に座っていた。その魔導師のほうへと進んでいくと、座っていた彼が気づく。身なりは魔導師だが、その雰囲気は貴族だ。しかし、やはりロザヴィンのように、いやな感じはしない。
「ロザヴィン? どうした」
「瞬花ってここにいんの?」
「いるよ。なにしたのか知らないけど、宰相命令で拘束中。わたしはその見張り役。なに?」
「おれが見張り役やる。シィゼイユ殿下と堅氷の命令。あんたは戻っていいぞ」
「王弟殿下とカヤ? 珍しくどっちもいるのか……まあいいけど」
ただいるのも退屈だったから、と言ったその魔導師は、ロザヴィンの後ろにいたアサリを怪訝そうに見やりながらも椅子を離れ、素直にその場を立ち去った。その呆気なさには、意外さを感じる。
「あんなに簡単に……」
「魔導師ってのはそんなもんですよ。おれらは王命があれば従いますけど、基本的に自分たちのやりたいようにやるんで」
「そ、そうなの……」
自由な人たちらしい。
「で、どうします? この部屋に瞬花はいますよ」
本来の目的に、アサリはびくりと肩を震わせる。抱えたイチカの官服をぎゅっとして深呼吸すると頷いた。
漸く、逢える。やっと、そばに行ける。
離れてから一日も経っていないのに、随分と長く逢っていないような気がした。
「イチカに、逢いたい」
「じゃ、結界を一旦解くんで、ちょっと離れてください。ばちっときますよ」
「結界?」
ロザヴィンに言われたとおり少し距離を開けながら、アサリは首を傾げる。
「ただ部屋に突っ込んどくのが、隔離だと思ってんですか? さっきの魔導師が言ってたでしょ、拘束って。部屋から出られないようにしてんです。魔導師が犯罪に手を染めた際に使われるんですよ」
そう言いながら、ロザヴィンは閉じられた扉に手をかざす。そこに、まん丸の図形が浮き上ってきた。ロザヴィンはその図形を押すように触れる。ばちっと、まるで小さな雷が落ちたような音がした。
「あー……手が痛ぇ。誰だ、こんな強力なやつにしたの……ったく」
ぶつくさ言いながら、ロザヴィンは痛むらしい手のひらをぶらぶらさせ、アサリを振り返る。
「あんたが入ったら、またこの結界を張ります。外に出たいときは呼んでください。おれは廊下にいるんで。どうぞ」
入ってもいい、と促されて、アサリは覚悟を決めると、一歩踏み出して扉を開けた。ひとり暮らし用の部屋になっているのか、入ってすぐ左手には水回りのものが集中している。ごくり、と息を飲みながら、部屋に入り切った。ロザヴィンの手で扉が閉められると、すぐにばちっという音がする。結界が張られたらしい。
アサリは少し迷いながらも、一歩、また一歩と部屋の奥に進み、そうして殺風景な部屋の片隅に、とても逢いたかった魔導師を見つけた。
「イチカ……っ」
それまで大事に抱えていたものを放り、アサリは駆け寄る。
寝台の横にぐったりと寄りかかっていたイチカは、その服を改められ、魔導師の官服を着ていた。そしてその両の手首は、図形が彫られた細い鎖が幾重も巻かれている。
ロザヴィンが言っていたように、犯罪者のごとく扱われた姿だった。
「イチカ、イチカ!」
アサリはイチカのすぐ目の前に膝をつくと、その身体を揺すった。蒼白い顔色は出逢った頃のようで、切なさで胸がいっぱいになる。
漸く逢えたのに、どうしてだろう、嬉しいけれども悲しい。
「イチカ……イチカぁ」
「そ、んなに……揺らさないで、ください」
「! イチカ!」
イチカの反応に、アサリはハッとその顔を覗き込む。薄っすらと黄緑色の双眸を見せたイチカが、怪訝そうにしていた。
「? アサリ、さん……?」
「よ……よかった、イチカぁ」
「なぜ……ああ、ゆめ、ですか」
「違うわ、現実よ。逢いにきたの。だって急にいなくなるんだもの」
びっくりするじゃない、と言うと、イチカが、ふんわりと笑った。思わずどきっとして、熱が頬に集中する。今まで見たことのない、優しい笑みだ。
「アサリさん……」
ふわふわと笑ったイチカが、ゆっくりと緩慢に、寄りかかっていた寝台から離れて、アサリのほうに倒れ込んでくる。慌ててそれを受け止めると、イチカはアサリの首筋に顔を埋めてきた。
「アサリさん……アサリさ……」
「イ、イチ、イチカっ?」
イチカに擦り寄られた。すんすんと鼻を鳴らし、自由にならないのだろう手でアサリの服を掴み、イチカはアサリに甘えてくる。
なにが、起こっているのだろう。
イチカの行動に、アサリは心臓をばくばくと震わせた。嬉しいとかそういうことの前に、息が止まりそうだ。いや、実に嬉しい行為ではあるのだが、嬉し過ぎて息が止まりそうなのだ。
けれども。
「逢いたかった……」
イチカが、そう言ってくれたから。
「アサリ……逢いたかった、アサリ……アサリ」
いくら言っても「アサリさん」としか呼んでくれなかったイチカに、幾度も「アサリ」と呼ばれて。
まるでしがみつくように求めてくる手の強さが、アサリを必要としてくれていて。
「アサリ……」
確かめるように擦り寄ってくる頬が、温かくて。
アサリは、胸いっぱいに込み上げたいとしさに、涙を浮かべる。
「イチカ……わたしも、逢いたかったの」
イチカの背に腕を回して、ぎゅっと、抱きしめた。ぬくもりがよりいっそう近くなる。より密着する。
ああもう、わたしは、本当にイチカが好きだ。
ここに来て、ここまでイチカを追いかけてきて、よかった。
後悔のないよう覚悟を決め、行動してよかった。
今この瞬間、イチカに求められている、必要とされていることが、嬉しくて幸せでならない。
「イチカ……っ」
強く抱きしめると、イチカがほっと、息をついた。アサリの鼓動に安堵しているのだと思うと、その喜びはもう、どうしようもなくいとしくて幸福だった。