22 : 僕は生きたい。1
流血描写があります。ご注意ください。
前半イチカ視点、後半アサリ視点です。
とても強い力に引き寄せられている。抗いようのない引力は、イチカをその領域へと誘う。
駄目だ、と言い聞かせても。
いけない、と呼びかけても。
力はイチカの意思を裏切る。
「おやめください……殿下」
イチカが持っている力は、紛いものだ。
その力のほとんどは、器として、道具としての役割しか持たない。
本来は自分の力ではないそれを、イチカの意思で使うことはできない。
「殿下……アリヤ殿下」
やめてください、と祈った。
どうかお治めください、と願った。
アリヤの力は、まだ幼い王子には負担にしかならない。その負荷に耐えられる年齢に達していない。そもそも、そんなに優しい力ではない。
この強大な力は、アリヤを苦しめるだけだ。
今、イチカが苦しいように。
「どうか、おやめください、アリヤ殿下……っ」
半ば身体を引き摺るようにして、イチカは壁を支えに前へと進む。空間転移で体力が削られたせいで、足が泥沼に取られたかのように重く、感覚が遠い。それでも、吸い取られていくような引力には抗えず、またそれを阻止するためにも進まなくてはならない。
導かれるように僅かずつ歩を進めて、空間転移した場所から漸く外に出た。
そうして、その光景に、瞠目する。
「殿下……っ」
イチカは叫んだ。
「アリヤ殿下…っ…おやめください!」
間に合わなかったのか、と後悔しても、もう遅い。
中庭に大きく描かれた光りの陣、その中央に佇む弟弟子は、発光する大きな陣に戸惑っていた。
「イチカ兄さん……!」
イチカに気づいた弟弟子、アリヤは、泣き顔で振り向いた。その小さな身体には幾つもの傷がつき、愛らしい頬にも鮮血が滲んでいる。
なんてことだ。
「どうしよう、兄さん! 力が…っ…力が!」
こぼれた涙に血が滲む。
傷つけられた身体に、またさらに傷が増え、血が流れる。
ぼたぼたと、アリヤを血塗れにしていく。
力の暴走が、宿主を蝕み、傷つけていた。
「ぼく、兄さんに逢いたくて、でも、カヤを捜すときみたいに兄さんを捜せなくて…っ…だから、なにか媒体があればいいのかと思って……っ」
力を求めた、とアリヤ殿下が言ったとたん、その口からは鮮血がこぼれ、アリヤが倒れた。
「殿下っ!」
イチカは震える身体を叱咤し、よろめきながらアリヤのそばへ行こうとした。だが、発光し続ける陣の障壁がイチカの行く先を阻み、倒れたアリヤのもとへ行くことができない。
「殿下…っ…殿下!」
「イ、チカ……兄さ……っ」
アリヤの小さな呻き声に、全身が引き裂かれそうになった。
「アリヤ殿下ぁ!」
進行を阻む陣の障壁に爪を立てながら、イチカは叫ぶ。
この幼き子を助けてください、と。
このお方がおられたから自分は生きられたのだと。
この小さき御子が、生きたいと願った己れを救ってくれたのだと。
だからどんなことをしてでも、失うわけにはいかないのだと。
イチカは祈り、願った。
そして抗った。
自身も力を欲した。
僕は生きたい。
「わが身の力よ、器よ…っ…己が役割を心得よ!」
イチカは狂ったように叫ぶ。
その手を光りの陣に傷つけられながら、阻まれながら、アリヤに流れようとする力に抗った。
こちらにこい。
流れてこい。
器はここにある。
この力は、器たるものの中に、あるべきだ。
「アリヤ! イチカ!」
その声が聞こえた瞬間だった。
イチカは、胸に強い衝撃を感じる。次いですぐ、吸い取られていた力が、逆に己れが吸い取っているような感覚に襲われた。
発光し、進行を阻んでいた陣の障壁に触れていた手のひらから、その感覚が消えていく。
「カヤ、さ……ま……っ」
ああ、師が来てくれた。
わかったとたん、イチカの身体は衝撃に耐えられなくなり、苦痛から意識が遠退いていった。朧な視界には、アリヤを抱えて叫ぶ師の姿がある。師がアリヤになにかしらの力を施している。
ああ、殿下は助かる。救われる。
そう思うとほっとした。
そうして、完全に意識を手放す直前に脳裏を掠めたのは、微笑むアサリの、その温かな姿だった。
どうしてだろう。
こんなときなのに。
逢いたい、と思った。
* *
シャンテ、と呼ばれていた人が、シゼにことの顛末を説明した。アサリはそれを、身体を強張らせながら、黙って聞いていた。
曰く、イチカを捜して王子殿下が魔導師の力を使った。媒体として練成陣を描いたが、それが王子殿下の力を増幅させることになり、巨大化した陣が王子殿下の制御を離れた。それはイチカに施された呪いを引き寄せることになり、しかし王子殿下が暴発させた力は、なにをしたのかイチカが収束をつけたらしい。ただ最悪なことに、王子殿下は力の暴発により重傷を負った。それを、駆けつけたイチカの師たる魔導師カヤが、わが子のその傷を自分に移したという。
結果的にいえば、意識不明の重傷をカヤは負い、そんな父の姿に錯乱した王子殿下は、あとから駆けつけた魔導師が眠らせたという。
そして女王陛下もまた、夫とわが子の姿に、取り乱しているという。
「イチカくんはどうしている」
アサリが気になったことを、シゼが代弁するようにシャンテに問うてくれた。
「隔離しております」
「隔離っ?」
なぜそんなことを、とアサリが思ったように、シゼもまた顔をしかめた。
「イチカくんはアリヤの暴走を止めただろうが。それをなぜ」
「お言葉ですが、瞬花の魔導師はアリヤ殿下の力の器。このような事態を起こさぬようにするため、その役割を負った者です」
「だが、イチカくんは悪くないだろう」
「その判断は、われわれが今ここで下すものではありません」
シャンテはイチカの行いを、悪くは捉えないが善くも捉えないといった様子だった。
アサリは蒼褪め、愕然とする。
イチカは護られない立場にあった。王子殿下の力の器であるがゆえに、国には、完璧な道具として扱われている。
イチカを人として見てくれているのは、真に、師たる魔導師カヤと王子殿下だけだったのはないか。
「イチカ……イチカのそばに、いかせて」
アサリは震える指先で、シゼの胸元を握った。
「どうして……どうしてイチカを……イチカは」
イチカは悪くない。いや、善いとか悪いとかの問題ではない。イチカは己れに課せられた役目を、果たしているだけだ。
「わかってるよ、アサリちゃん。とにかく僕はカヤの治療をするけど、きみはイチカくんのところへ行きなさい」
だいじょうぶだから、とシゼは言ってくれる。けれども、胸中をざわめかせる気持ちは、それだけでは落ち着かせられなかった。
「シィゼイユ殿下、その女性は……」
「口出しは無用だよ、シャンテ」
アサリを訝しんだシャンテを黙らせると、シゼは眼下に広がった王城に降下を始める。こんな事態でもなければ興味津々で見渡しただろう王城も、そして王都も、アサリはまったく楽しめなかった。
「シャンテ、イチカくんの隔離場所は?」
「魔導師団棟の自室に」
「ロザ、アサリちゃんをそこへ。見張りにはわたしからの厳命だと言いなさい。カヤの口添えもある、とね」
王城のどの辺りなのか、衝撃もなく着地したシゼの腕から下ろされると、アサリはその身柄をロザヴィンに委ねられた。
「シゼ……っ」
「だいじょうぶ。まずはカヤを叩き起こさないと、イチカくんへの対処を決められない。それだけのことだから」
心配は要らない、とシゼは微笑み、シャンテと行ってしまった。
「こちらです、アサリ嬢。おれについて来てください」
ロザヴィンに促され、アサリは不安を抱えつつも、その背に続いた。




