20 : 言葉の先に。3
仕方ないから協力してあげる。
シゼは、イチカへの恋慕を自覚したアサリにそう言った。
「師団長に城でなにかあったのか訊いてみたけど、返事がない。つまりなにか起こっているということだから、気づいた者としては駆けつけないわけにはいかないでしょう。アリヤになにかあったというのも、考えるだけでいやだからね」
これでも甥はそれなりに可愛い、心配になる、と言ったシゼは、アサリに出かける準備をしろとも言ってきた。
「連れて行ってあげる」
「……どこへ?」
「イチカくんがいるところへ」
その誘いに、アサリは胸を高鳴らせる。
「本当に連れて行ってくれるのっ?」
「その下心はあったでしょう。わたしは王弟だからね」
下心というか、イチカに「なにかあればわたしのところにおいで」と言っていたくらいだから、イチカに関係することなら手を貸してくれるだろうとは思っていた。
「ラッカさんとアンリさんに出かけることを伝えて、ついでに仕事も休みをもらってくるといい。準備ができたらここに戻っておいて」
「わかったわ!」
シゼの気持ちが変わらないうちにと、アサリはここへ来たときと同じくらい急いで家へと一旦帰った。
アサリの帰りを待っていた祖父母にイチカが王都へ戻ってしまったことを伝え、けれども様子がおかしかったからシゼと一緒に追いかけると言うと、黙ってアサリの話を聞いていた祖父母は互いに顔を見合わせたあと、気をつけて行っておいでと言ってくれた。
「我儘言ってごめんなさい。でも、わたし、イチカが心配なの」
「仲良くしとったからなぁ。まあ仕方ない」
アサリの気持ちはわかっている、と言いたげな祖父母の視線に、少々居た堪れなくなる。
「あ、あの、わたし……」
「なにが起きても、わしらはおまえの味方だ、アサリ。心配するな」
「……じいさま」
「ただな、本当になにがあるかわからん。イチ坊は魔導師だ。本来なら近づくこともできんだろう。だがわしらはその幸運に恵まれた。アサリよ、幸運だと思うことだ。それ以上は望まんほうがいい。おまえが傷つくだけだ。わかるな?」
アサリがイチカのもとへ行くのは、アサリの勝手で我儘なことだ。それを自覚して、なにがあっても後悔することがないよう、覚悟を決めていけと祖父は言う。
「人は、想いだけでは生きられんのだ」
それを承知して行け、と言われて、改めてアサリは考える。
イチカへの想い、それだけで自分は、その姿を追おうとしている。
そばに行こうとしている。
だがそれらは、アサリの想いであって、イチカの想いではない。勝手な期待を抱いているのはアサリであって、イチカがそれに答えないからといって落ち込むのは筋違いだ。
アサリはそれを承知のうえで、イチカを追わなければならない。
「……うん。ありがとう、じいさま。わたし、覚悟を決める」
「ああ、頑張ってこい」
「うん」
アサリは笑顔で頷くと、出かける準備をし、家を出た。職場への連絡は、祖父母に頼んでおいた。
厚着だけして、手荷物は必要ないとシゼに言われていたので、アサリが今持っているのはイチカが置いて行った魔導師の官服だけだ。嵐の日に汚れていたのを洗って、乾かして、今日まで袖を通すことなく部屋に置かれていたものを、アサリは持ってきたのだ。
布に包んだそれをぎゅっと胸に抱きしめて、シゼの家を目指す。
陽が傾き始めた空は、夜に包まれようとしていた。
「ああ、来たね」
家の前で待っていたシゼは、驚いたことに、真っ白な衣装を着ていた。アサリの目からも上質なものだと一目でわかるそれを、シゼは「これが医務局の正装だよ」と教えてくれた。
「医務局?」
「王立の組織。医師や薬師のほとんどは所属しているよ」
そういえば、医師や薬師は国に登録され、人数が把握されていた。昔、なりすましの詐欺行為が横行した事態があり、たくさんの人が被害に遭ったことから、医師や薬師は国の登録を受けて漸くその職種を名乗れるようになったのだ。もちろん登録には、試験に受かる必要がある。
シゼの、外套まで白い制服の背には、医療に携わる者が背負う紋章が描かれていた。
「ちゃんとした薬師だったのね……」
「失礼な。わたしは十代で薬師免許を取った神童だよ? 加えて医師免許まで持っているのは、わたしくらいだろうよ」
「……そうは見えないわ」
「アサリちゃん、わたしに喧嘩売るの上手いよね」
シゼは顔を引き攣らせたが、いつもやる気のなさそうなその姿を見てしまっていたら、本当に薬師だったのかと思っても仕方ないだろう。
「まったく……さて、さっさと行こうか。今日中には王城に入ってしまいたいからね」
「どうやって行くの?」
「決まっているでしょう」
馬も車もないのに、どうやって王都へ向かおうというのか。そういえばそこまで考えていなかったアサリは、きょろきょろと周りを見渡す。「決まっているでしょう」と言ったシゼは、ふと空を見上げた。
「ああ来たね、ロザ」
「ろざ?」
シゼにつられるようにして薄暗くなり始めた空を見上げたアサリは、そこに吃驚なものを見つける。
「……鳥?」
灰褐色の鳥が一羽、頭上を大きく旋回している。いや、鳥にしては大きいかもしれない。
旋回していた大きな鳥が降下してくると、その体格が野生の鳥ではなく、人であることがわかった。
「まさか……」
「そう、そのまさか。翼種族だよ」
大きな灰褐色の翼を鳴らしながらアサリとシゼの前に着地した鳥は、翼種族だという人だった。
「早かったね、ロザ」
シゼが、翼を持った人に、気さくに声をかける。魔導師の官服を着用したその人は、被っていた外套の帽子を取って灰褐色の髪を揺らした。同色系の双眸が、アサリをちらりと見て、シゼを見やる。
「あんたのところに向かう途中だったんで、ちょうどよかったんですよ。で、王城に行きたいってことだけど、あんた帰る気になったんですか?」
「帰る気はまだないけど、急用ができてね。悪いけどつき合ってくれるかな」
「おれはあんたの守り役ですからね。帰るってんなら、喜んで連れて帰りますよ」
声は剣呑だがシゼと仲のよさそうな彼は、はあ、と短く息をつくとすぐ、アサリを見て首を傾げた。
「この子は?」
「アサリちゃんだよ」
「ふぅん?」
翼種族の魔導師は、アサリを頭の天辺から足先まで眺めると、にこっと笑った。
「ロザヴィン・バルセクトと言います。ロザって呼ばれてんで、そう呼んでください」
「あ……えと、アサリ・ベルテです」
魔導師のほとんどが貴族だというのはわかっているが、だからといって翼種族だとは限らないので、こうして翼種族の魔導師という人を見るのは初めてだ。その背にある二対の翼がどういう仕組みになっているのか、少し気になる。
「ロザは見たとおり魔導師ね。翼があって空を飛べるくらいだから、力が強い。わたしの幼馴染なんだよ」
ロザヴィン・バルセクトと名乗った魔導師を幼馴染だと言ったシゼは、「ここで話していても時間が勿体ないから」と、アサリに手を差し伸べてくる。ロザヴィンの翼が少々だが気になっていたアサリは、シゼのその手に首を傾げた。
「なに?」
「飛ぶよ」
「……、へ?」
「空路ってかなり早いんだよね」
シゼはそう言って、アサリがそれを理解する前に、アサリの腕を掴んだ。
「え、ちょ、なに?」
なにをする気だ、と思ったときには、アサリはシゼに引き寄せられ、ひょいと横抱きにされた。
「なっ、シゼっ?」
アサリは羞恥から顔を真っ赤にしたが、シゼはにんまりと意地悪そうな笑みを浮かべて、その背後に真っ白な翼を出した。
「白い翼……」
「これがわたしの、二対翼。綺麗でしょ?」
暗闇の中にあっても、その白さを鮮明にする二対の翼。とても綺麗な翼だった。
「さあ、行こうか」
シゼの白い翼が動く。
最初に感じたのはふわりとした浮遊感、落下するというよりも飛び上がる圧に似ている。
はたと気づいたときには、その目線はすでに、家屋より上にあった。
「え……ええっ?」
空を、飛んでいる。
「ちゃんと掴まっていてね、アサリちゃん」
言われるまでもなく、その不安定さと初めての経験に、アサリはいやでもシゼにしがみつくしかなかった。