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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
20/77

18 : 言葉の先に。1





 イチカのぼんやりとした取り留めのない姿に、祖父母が心配した。だから、なにか考えごとをしているようだから、今はそっとしておいて欲しいと、アサリは頼んだ。


「また具合を悪くしてるんじゃないだろうね? あの子、身体が弱いでしょう?」

「身体が弱いかどうかはともかく、とにかくなにか考えてるようなの。だから答えが見つかるまで、そっとしてあげて」

「本当にだいじょうぶなんでしょうね?」


 祖父はすぐに納得してくれたが、祖母はそう簡単に納得してくれなくて困った。イチカが、ただでさえ小食なのに、いっそう小食になってしまったからだ。

 しかし、翌日の朝にはいつもの食事量、とはいえやはり小食なのだが、それでもしっかりと食していたので、そこで漸く祖母は納得してくれたようだった。

 その日は朝食をゆっくり食べたあと、まだ考え続けているらしいイチカと仕事に出た。ときおりぼんやりとしていたイチカだったが、客入りが多くなる時間はそんなこともしていられないので、黙々と働いていた。客の好奇な視線は一切無視、なにか話しかけようとする客には冷気も発し、たまに女性客を喜ばせてもいた。


「おいアサリ、なんかよ、イチカが怖ぇんだけど」


 店主ボルトルはそんなイチカに吃驚というか、見てはいけないものを見てしまったような顔でそう言ってきたが、アサリは笑った。


「昨日ちょっと、言っちゃったのよ。それで考え込んでるみたいなの」

「はあ? おまえ、なに言ったんだよ」

「まあいろいろと」

「はあ……まあ、いいけどよ。仕事に支障はねえからな」


 イチカの様子を見ないことにするらしい店主は、それからはイチカのことをなにも言わなくなった。

 ただイチカの様子を楽しん者はいた。ハイネである。しかしハイネも、おそらく初めてだろうイチカの冷気を身に感じて、声をかけるのは控えているようだった。


「なんかイチカくん、面白いことになってるんだけど」


 うきうきと言う時点で、イチカの冷気はハイネには少々無駄であるらしいとわかるが。


「どこが面白いのよ」

「だってほら! ダンテが絡んでる!」

「えっ?」


 ハイネに言われて初めてその事態を知ったアサリは、慌てて厨房から店内に出る。

 ダンテがまた、剣呑な顔つきでイチカに絡んでいた。

 しかし、確かに、ハイネの言うとおり面白いことになっていた。


「おまえ、あほか。真面目な顔して言うことかよ、それ」

「不思議に思うのです」

「おれはおまえが不思議だ。なに当たり前なことに首傾げてんだよ」

「僕は両親を知りません。もちろん祖父母も知りません」

「は? え? おまえ、まさか、名無し?」

「はい。七年ほど前まで、名無しでした。未だイチカという名には違和感がありますが、おい、そこの、と呼ばれないだけ気分はよいものです」

「おまえ、魔導師だろうが」

「はい。素質があったので、師に拾っていただけたのです」

「……嘘だろ」

「ここで嘘を申し上げる意味がわかりません」


 イチカが、ダンテと、会話を成立させていた。それも、内容はよくわからないが、どちらかというとイチカのほうからダンテに話しかけたというか、勇者なダンテなら答えてくれると思ったからか、とにかくイチカのほうから口を開いている。


「なにがどうしたの?」

「最初はね、魔導師のくせにっていう難癖から始まったのよ。それでイチカくんが、もんのすごく冷たい目をしてねえ……でも気づいたら、ああなってたわけ」


 ハイネも詳細は知らないようだが、少なくともアサリに知らせる前にその様子を窺っていたようだ。


「あのふたり、なんの話してるの?」

「うーん、なんだろ? 両親のことをどう思うか、から始まったとは思うけど、どうしてそんな話になったのかはわからないわね。でも、そんな話よ」

「両親って……イチカは」

「うん、今聞こえたわ。名無しだったのね、イチカくん。字が書けなかったのも、その過去があったからだったのね」


 そういえばハイネや店主には、イチカが魔導師でけれども文字が書けないことは言っていたが、名無しだったということは言っていない。偏見を気にしたわけではないが、あまりよい言葉でもないので言いたくなかったのだ。


「名無しで魔導師っていうのは、並々ならぬ努力が必要だったでしょうね……その過去を口にすることも、すごく勇気がいることでしょうに」

「……ハイネは、そう思ってくれるの?」

「あんた、イチカくんが名無しだって、知ってたのね」

「わたしもそうだったから……」

「あんたも? なによ、あたしってそこまで信用ないわけ?」

「いや、違くて。わたしはほら、じいさまとばあさまがいるから。それに、いい言葉じゃないでしょ」


 そうねえ、と呟きながら息をついたハイネは、その視線をアサリからイチカに移し、唇を尖らせた。


「名無しは、好きじゃないわ」

「ハイネ……」

「その言葉がね。親がいなかったから、名前を与えられなかったから、そういう言葉が生まれた。でもね、望まれずに生まれる子どもは、どこにもいないの。子どもは望まれて生まれてくるのよ。天からの授かりものなのよ」


 一児の母たる、ハイネの言葉だった。それは両親の顔を知らないアサリに、とても嬉しい言葉だ。

 こんな人がたくさんいてくれたら、とつくづく思う。


「ありがとう、ハイネ」

「感謝されるほどの言葉じゃないわよ。あたしは子どもが好きなの、それだけよ」


 それでも、そういう親がいるというのは、名無しだった者には救いになるのではなかろうか。


「でも、イチカくんが魔導師っていうのは、その境遇にある人たちにとって、ある種では妬ましいものになってしまうかもしれないわね」

「……希望にはならない?」

「どうかしら……魔導師っていうのは、なりたくても、そう簡単になれるものじゃないでしょ? まずその力がないと、魔導師になろうって志すこともできない。イチカくんの努力を知らない限り、妬ましいものになりかねないわ。人っていうのは、そういう生きものよ」


 アサリは、イチカが魔導師であることは、名無しである者にとって救いに、希望になると思った。だが、ハイネの言うように、人という生きものはどうしたって、妬みや嫉みといったそういう心も持ってしまう。よいことばかりではないのだと思うと、先にハイネが言っていたように、イチカが己れの過去を口にするのは、とても勇気がいることだ。


「今はもう昔みたいに差別することもなくなったけど……やっぱりまだ、名無しっていう言葉は根づいているのね」

「まあ、本人の心持ちも必要でしょうよ。今はもうそういう施設も確立してるし、制度だってちゃんとしてるんだもの」


 永遠に救われない、なんてことはないはずだ。ハイネはそう言う。アサリも、そうであって欲しいと願うばかりだ。


「おい、アサリ!」


 ふと、ダンテに呼ばれて、アサリは顔を向ける。困り顔のダンテがいた。


「こいつ、すっげえ恥ずかしいんだけど!」

「は?」


 魔導師に向かってなにを言うかと思ったが、イチカとダンテの話はいつのまにか変な方向へと進んでいたようで、イチカがアサリを「護る」というその羞恥を煽る話になっていた。


「まっ、またなに変なこと言ってるのよ、イチカ!」

「はい?」

「じいさまとばあさまに、またなに言われたのよ!」

「……アサリさんを護る騎士がおられたと聞きました。ですがそのお方はその意志も半ばにお倒れになり、そこへ僕が来たので、当面の間だけでもよいのでアサリさんを護ってくれないかと、そう言われました。僕は騎士ではありませんが、防御には特化した力が使える魔導師ですので、それでもよろしければと引き受けさせていただきました」

「騎士って誰よっ?」

「僕は存じませんが……アサリさんの騎士でしょう?」


 とんだ作り話を聞かせてくれたものだ。嘘も方便とはこのことを言うのだろうか。

 しかしながら真顔で言うイチカもイチカだ。その話を本気に取るのはイチカらしいところだが、表情一つ変えず口にできるものでもないと思う。


「僕がここにいる間は、この命に代えても、アサリさんを護らせていただきます」


 真面目な顔をして言うな、と叫びたい。叫びたいがしかし、恥ずかし過ぎて言葉が閊える。ハイネが楽しそうに笑っているのが気に喰わない。

 それに、言われて虚しいという気も、ある。

 イチカはアサリの、恋人でも、なんでもないのだ。


「そ、そういうことは、こ、恋人にでも言いなさいっ」

「……恋をしなければ口にしてはいけない言葉なのですか?」

「そうよ!」

「……そうですか」


 ふむ、となにか考える素ぶりを見せたイチカだったが、そこに店主ボルトルがひょっこり顔を出して、低い声で「仕事しろよ、おまえら」と言ったので、イチカはさっと動き出した。ちなみに、イチカに質問攻めにされた挙句羞恥攻めまで受けたらしいダンテは、その後もイチカにちょろちょろ質問されたり顔を真っ赤にさせられたりしながら、食事をして帰っていった。

 アサリはといえば、イチカに言葉攻めされたが、自分で言った「恋人にでも」という言葉に、どんよりとしながらその後の仕事を終わらせた。


 わたしはイチカの、なんだろう。

 なにかに、なりたいのだろうか。

 わからなかった。

 わからなかったけれども、なんでもない存在にはなりたくないと、思った。


「帰りましょう、アサリさん」


 帰り途、イチカはいつものように、手を差し伸べてくる。この手のひらを、アサリはいつまで握り返せるだろう。


「アサリさん?」


 イチカは、いつまでこうして、アサリに手を差し伸べてくれるだろう。

 祖父母に吹き込まれたからとはいえ、アサリを護ろうとしてくれているこの手のひらを、アサリは手放したくなかった。


「ねえイチカ、昨日シゼが言ってたことなんだけど……」


 それを問おうとしたとき、手を差し伸べてくれていたイチカが、がっくりと地面に膝をついていた。


「え、イチカ? どうしたの?」

「殿下……?」

「え?」


 イチカは胸をぎゅっと押さえ、前屈みに倒れかかった。


「イチカ!」


 アサリは慌てて地面に膝をつき、イチカを支える。胸が痛むのか、強く抑えてイチカは苦しげに息をついた。


「イチカ、どうしたの、ねえ、イチカっ」

「殿下が、力を……求めておら、れる」

「殿下?」

「いけません、殿下……この力は」


 なにかを抑え込むように、イチカは身を丸める。殿下の力がどうこうという呪いの影響のようで、しきりに「殿下」と口走った。


「ああ……行かなくては」

「行くって、殿下のところに? 今から?」

「早く行かないと、殿下が……」

「今からどうやって行くのよっ」


 ふらつきながら立ち上がったイチカは、どうやって行くのだと動揺するアサリの言葉など聞こえていない様子だった。

 王都へは馬で丸二日、馬を休ませず走らせ続ければ丸一日で行けなくもないが、この状態のイチカが馬に乗れるわけもなく、また急ぐこともできない。


 だが。


「殿下……」


 イチカが、なにかを求めるように、前へと腕を伸ばしたその瞬間、アサリの目の前からイチカが消えた。


「え……?」


 手のひらにはまだ感触が残っている。それなのに、イチカの姿はない。


「イチカ……?」


 どこにも、イチカはいなかった。







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