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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
19/77

17 : 逃げていたのは。3





「あんたなにしたのよぅ、アサリぃ!」


 ハイネの激突にも近しい抱擁を受けて、アサリは半ば辟易しながらため息をつく。


「ハイネが喜びそうなこと体験したわねえ」

「やっぱりぃ? ああ、いいわねえ。この村でそんなこと起こるなんて、絶対にないと思ってたけどっ」


 嬉々としたハイネは、アサリの気持ちなどおかまいなしだ。どんどん妄想を膨らませ続ける。つき合っていられない。


「ああだめ、すごく気になるわ。気になって夜も眠れないわ」

「なにがよ」


 胡乱げに見やったら、ハイネは茶色い瞳をまん丸にしてアサリを見つめてきた。かと思ったら、ぱっとアサリから離れていく。


「イチカくんに訊いてこよーっと」

「ちょっとハイネ」


 なにを訊く気だ、とハイネの襟首を掴んで引き留めたが、ちょうどそこにイチカが来てしまった。


「イチカくーん」

「お疲れさまでございました、ハイネさん。なんですか」


 今日はもうこれで仕事は終わりなので、アサリもイチカも、ハイネも帰り支度をしていた。

 とはいえ、イチカはいつだって手ぶらなので、アサリやハイネに代わって次に交代で入る店員に引き継ぎをし、前掛けを片づけ外套を羽織るためだけに店裏の事務所に戻ってきている。アサリやハイネのように手間はかからない。先に事務所に入っても、先に出るのはいつもイチカだった。そうして裏口で、アサリが出てくるのを待っている。前に「先に帰ってていいわよ」と言ったのだが、祖父母になにを言われたのか「なにが起こるかわかりませんから」と頑なだった。ダンテに絡まれた一件は、イチカの中での決定打にもなっているようだ。


「ねえねえイチカくん、昨日、市で魔導師の力、使ったみたいね?」

「ちょ、ハイネ!」

「なによ、もう広まったことじゃないの。イチカくんが件の魔導師だって」

「そ、れは……そうだけど」


 ああ、そうだった。とアサリは項垂れる。


 ダンテに絡まれた一件は、村の人にイチカの正体を公けにするものになってしまっていた。アサリが倒れた魔導師を介抱したという話はすでに広まっていたことなので、その魔導師がイチカであると、村の人は合致させたわけである。

 おかげで今日の仕事は大変だった。客がイチカを一目でも見ようと押しかけたからだ。繁盛したが、店の回りは大変だった。本当は休みであるハイネが、わざわざ出勤したくらいである。ただ、イチカが発する冷気にも似た雰囲気のおかげで大した騒ぎにはならず、また話しかけられる勇者もいなかったので、客は本当にイチカを見にきただけだ。それくらいで済んでよかったと言えるだろう。

 けれど、とアサリは心の裡で繰り返す。

 イチカは魔導師であることを隠していた。おそらくそれは「食堂で働く」ということを考えてのことだ。魔導師である身の上を考えてのことではない。言い換えればアサリのため、食堂という店のためだ。だから店主ボルトルに「働きたいのですが、どうすればいいですか」などと訊いたのだろう。ハイネの夫ゼレクスンにそう訊いても、たぶんゼレクスンはイチカの魔導師という身の上に迷う。それを見越してのことだったのだろうと、アサリは今回のことで知ることになった。

 だからこそ。

 イチカは、魔導師であることを隠しておいたほうが、よかったのかもしれない。アサリはそう思うのだ。市でダンテに絡まれたせいで、イチカは魔導師であると知られてしまった。そして今日、イチカを見るために店には客が押し寄せた。騒ぎになることはなかったとはいえ、店が繁盛するだけになったとはいえ、これが続くこと、続いたあとのことを考えると、イチカの身の上は隠していたほうがよかったのかもしれないと、そう思えてならないのだ。


 しかしながら、ハイネはそう考えていないようだが。


「アサリを護って、ダンテの前からパッと姿を消したらしいじゃないの。すごいわね、魔導師って」


 脳内妄想を繰り広げながら、ハイネは嬉々としてイチカに言う。表情を変えないイチカがいつ冷気を発するかと、アサリはハラハラした。


「この命に代えても、アサリさんは護らなければなりません」

「きゃー! いいわねえ、その言葉!」

「村の中とはいえ、危険は多く潜んでいるのだそうです。日暮れまでには帰らないと大変なことになると言われましたので、悠長に話などしていられませんでした」

「それでいいのよ、イチカくん! そう、村の中でも危険はたくさんあるの!」

「やはり……ハイネさんもお気をつけください。ひとりで出歩かず、必ずロウエン氏と一緒におられますよう」

「ええ!」


 がく、と肩が落ちる。ハイネの妄想になにをどうすれば同調できるのか、やはりイチカの思考回路は迷路だ。

 そして祖父母に対し、些か怒りを感じる。

 イチカになにを吹き込んでいるのだ、あの老夫婦は。


 はぁぁ、とアサリはため息をつき、帰り支度を済ませるために掴んでいたハイネの襟首を離した。妄想に息まいたハイネは、淡々とだが答えるイチカに頬を赤くしてまで話しかけ続ける。

 イチカの冷気にハラハラしていた自分がばからしくなって、帰り支度を終わらせた。


「イチカ、わたし帰るね」


 イチカの思考回路は迷宮、到底アサリには理解できない。それが悔しくも寂しく感じるアサリは、心配などするのではなかったと思いつつ、布鞄を肩にかけて事務所を出た。

 裏口から外に出ると、まだ午後も半ばなのに空が暗い。冬がもう間近に迫っている証拠だ。


「おやアサリちゃん、お帰りですか?」


 道に出るとすぐ、食糧の調達でもしていたらしいシゼと出くわした。狭い村だが、イチカの師であるあの魔導師の一件以来まともに顔を合わせていなかったので、久しぶりのことだ。


「ふつうに話してくれないかしら、王弟サマ」

「ああ、駄目だめ。わたしはただの薬師だからね」

「そうね、王弟サマが食糧抱えて、しかもそれを自分で料理してるなんて、あり得ないわ」

「これでも料理は得意でね。あ、ボルトルさんの料理も美味しいよね。いつか教えてもらいたいなぁ」

「自分で言いなさいよ」

「あんもう冷たい。さすがアサリちゃん」


 シゼも思考回路は迷路になっている、と思うこのごろだ。


「イチカくんはどうしたんだい? きみたち、働いている時間帯が一緒で、帰りも一緒だったよね?」

「よくご存知で」

「狭い村だからねえ。で、イチカくんは?」

「ハイネに捕まってるわ」

「あの元気な娘さんにはイチカくんも敵いませんね……あれからどうかな? なにか変わったことはあった?」


 なにかあったというか、ダンテに絡まれたことでその顔が魔導師の正体だと広がってしまった。それをシゼに言うと、苦笑したシゼは「災難だったねえ」と意味不明なことを言った。


「なにが災難よ」

「今の状況が、だよ。イチカくんもなにを考えているのだか……ああ、もしかしたら準備かな」

「準備?」

「ここを出て行く準備だよ」

「え……」


 瞬間的に、アサリは言葉を失う。

 どくん、と心臓が跳ねた。


「働き始めたと聞いて、なんとなくそうかなぁとは思っていたんだけどね。働き始めて今日で……三週間か。この日給なら、隣の街に行ってまた働き口を捜すまでに足りる額になる」

「で、でも……っ」

「カヤの言うことを、イチカくんが素直に受け入れると思っていたのかい? まさか。あの子は、逃げてきたんだよ?」


 逃げてきた、という言葉に、アサリは愕然とする。

 そう、その言葉を最初に聞いたのは、アサリだった。そしてあの魔導師がやって来たとき、アサリは魔導師にそれを伝えた。魔導師はアサリの言葉を受け入れ引いてくれたが、イチカはどうだったか。


「おや、噂をすれば……久しぶりだね、イチカくん」


 ハッと後ろを振り向く。魔導師の外套を裏返して羽織り、そして外套の帽子を目深に被ったイチカが、こちらに歩いてきていた。


「お久しゅうございます、シィゼイユ殿下」

「殿下はよしてくれないかな。シゼでいいよ」

「いいえ、殿下は殿下であらせられます」

「じゃあせめて、シゼさま、で」

「シィゼイユさまと、呼ばせていただきます」

「頑固だなぁ」


 あの魔導師が来た折りにシゼのことは話したので、それからのイチカはシゼに対して慇懃だ。もともと誰に対しても一様に丁寧ではあるのだが、なんというか、アサリたちに向けるものとは違う視線で、シゼと接しているように見える。アサリたちには親しみを向け、シゼに王族への畏敬を向けている、といったところだろうか。


「身体の具合はどう? あれからなんともない?」

「はい。シィゼイユさまのおかげで、この通り回復いたしました。その節はありがとうございます」

「いやいや。あのあほの弟子っていうのは気に喰わないけど、きみ個人には興味があるからね。なにかあったら、わたしのところにおいで。いつでも協力してあげるよ」

「カヤさまのことはともかく、ありがとうございます」

「じゃあ、わたしはこの辺で。またね、アサリちゃん」


 ばいばい、と手を振ったシゼは、アサリに相当な衝撃を与えたのにも関わらず、笑顔で立ち去る。イチカはシゼに頭を下げて見送っていたが、アサリはイチカに声をかけられるまで動けなかった。


「アサリさん、アサリさん?」

「えっ? あ、なに?」

「? 帰りましょう。このところは陽も落ちるのが早まりました。夜道は歩き難いですよ」

「そ、そうね……」


 それが恒例になっているかのように、イチカはアサリに手を差し伸べてくる。アサリは癖になってしまいそうだと思いながら、イチカの手を握った。

 少し歩いて、思いきって顔を上げる。


「ね、ねえ、イチカ」

「はい」

「どうして、働こうって、思ったの……?」

「ここに留まる以上、働かずにいるのはどうかと思いました。働かざる者食うべからず、という言葉がありますし、介抱していただいた礼のこともあります。確かに宿にいては不便でした」

「……それだけ?」

「それ以上のなにがあるのでしょう?」


 考え過ぎ、だろうか。

 シゼの言葉を、真に受け過ぎただろうか。


「不思議なもので、家というのは、あるだけで安心します」

「……、え?」

「お借りした部屋に、僕は安心しています。そこではラッカさんもアンリさんも、アサリさんも、僕を僕として見てくれるだけでなく、認めてもくれるのです。人として生きている、僕を」


 イチカが、あの遠くを見るような目で、前を見据えていた。家に、部屋に安心すると言いながら、その眼は虚ろに見える。


 なんだかとてもいやなものを感じた。


「……イチカは人よ」

「はい。僕は人です」

「道具じゃないのよ」

「いいえ、僕は道具です」

「違うわ」


 虚ろな眼の正体は、イチカが名無しであったという、その過去のせいだ。

 だから、アサリは「ああそうか」と、霧が晴れたかのようにイチカの迷宮のような思考回路から脱した。

 イチカは自分が道具だと思っている。名無しであったせいでそう扱われていたからではない。自分から、自分は道具なのだと、認識しているのだ。そして道具であることが、人としてのイチカだ。そう自分に価値をつけているから、言動に傾斜があって迷宮を作っている。


「イチカは人で、道具じゃないのよ」

「僕は人で、道具です」

「違うったら! どうしてわからないの?」


 道具に意思はない。心はない。そこに人としてのそれらが生まれるとしたら、使い手に想いやる心がなければいけない。

 だが、名無しを使う者たちに、名無しと罵る者たちに、名無しを想いやる心はない。彼らは名無しを、意思のない、心のない道具として、扱うのだ。

 イチカは、そんな道具ではない。だのに、イチカは自分から、それを受け入れ認識している。

 あの魔導師は苦労したことだろう。


「……アサリさんも、師と同じことを、言うのですね」


 ぽそりと、イチカが言った。

 いつのまにか道には人の気配がなく、アサリの家までの一本道になっている。あと少しで家の全容が見えるだろうというところでアサリは立ち止まり、イチカはその前に佇んでいた。


「僕は、人であることを理解しています。なぜ、わかってくださらないのですか」


 見つめたイチカは、渋面を浮かべていた。


「僕の言葉はおかしいのですか? 人ではなかった頃と、なにも変わっていないのですか? 僕は人であると理解しました。人であるから、道具なのです。それ以外のなにが、僕を形成するのですか」


 おそらくはあの魔導師には語られなかっただろう言葉を、今アサリは聞いている。アサリが名無しであったから、その過去を持っているから、イチカはそれを言葉にしてくれているに違いない。


「イチカ……」

「僕は人で、道具なのです。アリヤ殿下がおられなければ、僕にはなにもありません。アリヤ殿下が生かしてくれているこの身は、道具なのです。アリヤ殿下の力の器、それが僕です。なぜ、わかってくださらないのですか」


 苦しそうに、吐き出される言葉。

 わかって欲しい、理解して欲しい、そうであることを認めて欲しいと、全身で訴えている。


 これが、イチカなのかもしれない。


 そう思った。


「イチカにとって、アリヤ殿下は、生きる意味なの?」

「殿下は、僕を人として生かしてくれるお方です」


 その人のために生きる、のではなく、生かしてくれている人、というのは、不思議な響きだ。


「殿下がおられなければ、僕は今ここにいません」


 イチカなりに、人として生きようとしているのかもしれない。


 アサリはふっと息をついて心を落ち着かせると、唇を噛んでいるイチカの頬にそっと、手を添えた。


「わかった。もう、なにも言わない」


 イチカはイチカなりに、答えを見つけようとしている。今この瞬間も、自分という存在を捜している。人としての自分を、その在り方を、求めている。それはアサリが口出ししていいことではない。間違った方向にいってしまわない限り、アサリはイチカを見守るべきだ。


「でも一つだけ、言わせて」


 アサリは、イチカの不思議な色の双眸を、じっと見つめる。


「ときには逃げることも必要よ。でも、逃げずに見つめ直す必要もあると思うの。それだけは間違えないで」

「……僕は、もう逃げました」

「そうね。お師さまから逃げたわ。それは最良の選択かしら?」

「……わかりません」


 イチカは力なく項垂れ、繋いだままの手のひらを、強く握ってきた。


「ねえイチカ、イチカはお師さまがイチカを重荷に思うことから逃げたって言ったけど、お師さまはイチカを重荷になんて思ってなかったわ。それはわかってくれた?」

「……僕は重荷です」

「どうしてそう思うの?」

「僕は、殿下の力の、負荷制御を……封じられなければ、殿下が」

「そうね。王子さまがいなきゃ、イチカは生きられない」

「ち……違います。僕が封じられなければ、殿下はいつまでもご自分の力に怯えなければならないのです。僕がその役割を放棄したら……殿下が」


 空回りだ、とアサリは苦笑した。

 イチカは考え過ぎて、その呪いを想いやり過ぎで、空回りしている。そう思えてならなかった。なぜなら、その理由をアサリはあの魔導師から聞いている。


「王子さまは、イチカを恋しがっているそうよ」

「……それは」

「お師さまもそう。イチカを心配しているの。そんな人たちが、どうしてイチカを重荷に思うのかしら?」

「殿下は、僕が殿下の力を制御していると、知らないのです」

「だとしても、イチカは愛されているわ」

「愛……?」


 そうよ、とアサリは微笑む。


「わたしが、じいさまとばあさまに愛されているように、わたしがじいさまとばあさまを愛しているように、イチカも愛されているの。そうね……愛は重いものよ。軽くなんてないわ。そういう重荷なら、逃げる必要はないんじゃない?」


 提案するように言うと、イチカは戸惑うように視線を流した。アサリの逆転の発想は、イチカにはない考えだったようだ。


「お師さまや殿下はイチカの重荷、愛を、負担になんか思ってない。むしろ当然のように受け入れているわ。ならイチカも、お師さまの重荷から、そんなに逃げなくてもいいじゃない」

「……愛、から」


 小さく首を傾げるイチカに、アサリは笑みを深めた。


「イチカが逃げていたのは、愛だったのね」


 愛されることが、怖かったのだろう。愛されるということがどういうことか、わからなかったのだろう。だからイチカはそこから逃げた。根本的な部分から逃げてしまったから、あの魔導師とすれ違ってしまったのだ。もしかするとそれは、イチカが人として生きることを、邪魔してしまっているかもしれない。


 はあ、とアサリは息をつく。

 少しはイチカの、人として生きることへの、力になれただろうか。







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