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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
14/77

12 : どこか、遠くへ。5





「い、いま、とんでもない、名前を聞いた……ような」

「カヤのことかい?」


 平然としたシゼは、わかっていたのだろう。それでもなおあの態度だったということは、シゼもとんでもない人物かもしれない。


「ユシュベルって……この国の、名前じゃないの」

「そうだねえ」

「あ、あの人、まさか……」

「王サマではないよ?」

「知ってるわよ! この国が今、女王さまの御代だってことくらい!」


 どんどん血の気が引いて行く。とんでもない人に、なんてことを言ったのだと、なんて口をきいたのだと、呼吸まで苦しくなってくる。


「あの人、なに者よ」

「カヤ・ガディアン・ユシュベルだよ。そして魔導師。なら出てくる答えは一つじゃない?」

「……うそでしょ」


 この国、ユシュベル王国は、女王ユゥリアの御代だ。そしてその女王には、脚色されているだろうが、ある逸話がある。魔導師に一目惚れして口説き落とした、という逸話だ。その魔導師との間には三人の息子がいて、今は四人めを妊娠中だとか。


「あの人、王公さま?」


 なぜあの魔導師と女王陛下を連想させられたか。それは王族が、魔導師のような力ではなく、異能と呼ばれる力を持っているので、魔導師にはならないと聞いたことがあるからだ。

 ユシュベルと名乗れるのはこの国の王族だけ、しかし魔導師団に所属しているなら、イチカの師であるあの魔導師は女王の夫、王公と呼ばれている人ということになる。つまり、女王に惚れられ口説かれた魔導師だということである。


「本人はそう呼ばれることをいたく気にして、呼ばれたがらないけどね。そう呼んでも返事しないし」


 ああ、あの魔導師は真に王公さまであるらしい。あんなに若いだなんて知らなかった。


「あの人いったい幾つよ」

「歳? さて……わたしの一つ下だったはずだから、二十七か八くらいかな」


 若い。いや、アサリからすれば充分な歳上だが、女王の逸話は今からだいたい十年と少し前の話だ。女王の息子たちも、第一王子はそれくらいの歳になっているはずである。世情に疎いアサリでも、そういう噂話は職場でしょっちゅう耳にするのだ。


「ねえ……第一王子って、十歳越してなかった?」

「アリヤは……十二歳だったかな」

「幾つのときの子よっ?」

「ああ、それは憶えてる。確か十五歳だ。成人する前に襲われてたからね」


 うわあ、とアサリは顔を引き攣らせる。女王さま素晴らしいです、と思ってしまった。

 ちなみに女王陛下のほうが王公より歳上だと聞いている。


「あのあほはものすごく鈍感でねえ。アリヤが五つになるまで自分の息子だって気づかなかったんだよ。それを聞いたときは思いっきり笑ったけど」

「……王公サマをあほと呼んで、王子サマを名前で呼ぶあんたは、なに者なのよ?」


 不敬を働いていたのはアサリだが、もっと不敬をしているのはシゼだと思う。しかし平然としているなら、シゼもあの魔導師と同じくらい、とんでもない人物に違いない。


「あの人、あんたのことシィゼイユって、呼んでたわね」

「ああ、長いからシゼって、愛称。シィゼイユが名前だよ」

「すべて名乗りなさいっ」

「シィゼイユ・ホーン・ユシュベルと言います。以後、お見知り置きを」


 にこ、と効果音まで聞こえてきそうな笑顔つきで、シゼは答えた。


 ああもう倒れていいだろうか。


「こ、国名背負ってるし」

「姉上にすべて押しつけたから、べつに背負うつもりはないけどねえ」

「え」

「あのあほの義弟っていうのもいやだしねえ。ああ、わたしのほうが歳上だから義兄かな? どっちにしてもいやだねえ」


 なんてこった、とアサリは項垂れた。このいつだってやる気のない医師、いや薬師は、王弟サマときた。


「数々の非礼をお許しください」

「ああそれはやめなさい。わたしは継承権を放棄した身で、今はただの薬師なんだから。言ったでしょう? 流れ者だって」

「王都からのね!」


 ただ者ではないとは思っていたが、範疇外な人物だった。なんでこんな村に薬師としているのか不思議だ。身近に魔導師がいたという話も、それが生活圏内だというもの、シゼが王族だからだ。どおりで魔導師に詳しいわけだ。


「ああもう、わたしとは天と地ほどの差がある人たちになんてこと……、え? ちょっと待って?」

「まだなにか?」

「イチカって、なに?」

「なにって……カヤの弟子」

「王子サマと兄弟のように育ったって」

「そうらしいね。たぶん侍従かなにかじゃないかな。わたしが知らない間のことだから、乳兄弟ではないだろうけど」


 イチカまでただの魔導師、いや魔導師というだけでもえらい違いではあるが、ふつうではなかった。

 アサリはひたすら項垂れる。よく無事に生きられているものだとさえ思った。


「アリヤって子が、殿下なのね……あはははは」


 力なく笑う。

 今さらだが、本当にとんでもないことをしてしまった。

 わたしは明日、生きていられるだろうか。


「ん……」


 ふと、忘れていたが腕の中のイチカが、身動ぎした。


「ああ、起きちゃったねえ。そんなに強くない薬なのに、アサリちゃんが大声出すからだよ」


 なんてシゼが言うので、アサリは慌てた。咄嗟に腕の中へと抱き込んで、そのままなのだ。

 寝台に戻そうとして、しかし、それより早くイチカは目を開けてしまう。


「アサリさん……?」

「お、おは、おはようイチカ」


 声が裏返った。

 この体勢になっている説明をまずしたほうがいいだろうか。


「アサリちゃんのような女性に抱きしめられるなんて、羨ましいことこのうえないねえ、イチカくん」

「シゼっ!」


 余計なことを言うな、とアサリは怒鳴ったが、表情の変わらないイチカを見るとなんだか胸中が複雑だ。頬を赤くするとか、動揺するとか、戸惑うとか、そういう反応があってくれたら少しは嬉しいのに、アサリにそういう魅力がないというのだろうか。

 少し自信のある胸でもイチカに押しつけてみようか。こう、ぎゅっと。


 しかし。


「アサリちゃん、イチカくんが可哀想なことになってきたから、離してあげたら?」

「へ?」

「ああ、もう遅いかな」


 イチカがなぜか再び意識を手放していた。


「ええっ? イチカっ?」


 胸を顔に押しつけたのが悪かったのだろうか。


「羨ましいなぁイチカくん。そして初心だったんだねえ」


 シゼのそんな呟きを聞きながら、しかしアサリはそれを無視して、意識のないイチカを揺さぶった。







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