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あなたと生きたいと思うのです。  作者: 津森太壱
【あなたと生きたいと思うのです。】
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08 : どこか、遠くへ。1





 翌日、アサリが早番の仕事を終えて帰ってくると、祖母から「イチカが起きてこないのよ」と聞かされた。アサリが仕事に行くときも部屋から出て来なかったイチカは、アサリが帰ってきた今もまだ、部屋に籠もったままらしい。

 祖母は朝食も昼食も部屋に運んだが、返事もない部屋に無断で入るのは気が引けて扉の前に置いたという。それには一切手がつけられていなかったそうだ。


「じゃあ一食も?」

「そうなのよ。だいじょうぶかしら」


 出てきてくれたときのために軽食は用意していたという祖母に、見てきてちょうだい、と頼まれ、そうでなくてもアサリも心配だったので、慌ててイチカがいる部屋に向かう。


「イチカ、起きてる? イチカ?」


 扉を叩いて、イチカの返事を待つ。しかしいくら待っても、いつもの「なんですか」か「はい」がない。


「イチカ、入るわよ」


 まさか出て行ったのだろうかと、この前のようにどぎまぎしながら、アサリは扉を開ける。

 すると。


「晴れていますね……」


 と、イチカの暢気な声が最初に聞こえた。

 扉を完全に開けて中を見れば、窓を開けて天を仰ぐイチカの姿があった。一気に気が抜ける。


「いるじゃないの……返事くらいしてよね」


 言うと、イチカがアサリに振り向いた。


「今起きました」

「え?」


 本当にそれだけか、と思ったが、後頭部と側頭部の髪がぴょんぴょん跳ねていて、眠っていたのだろうことを物語っていた。服も、祖父から借りているそれから着替えていない様子を見ると、昨日のあれからずっと寝台にいたようだ。


「だいじょうぶなの?」

「僕が意識を手放しても天候が荒れなかったようなので、次がくるまでに守護石を直せばだいじょうぶでしょう」


 またこの子は、自分のことではなく村のことを訊かれたと思ったらしい。そうではなく、アサリはイチカを心配したというのに。


「あなたはだいじょうぶなのって、そう訊いたつもりなんだけど」

「僕ならこのとおりです。気づいたら意識も手放してしまいましたから」

「気づいたらって……まさかずっと起きてたの?」


 そういえば、意識を手放すと力を維持できなくなるとか、そんなことをイチカは言っていた。


「アサリさんが出かけられたあとしばらく……そこまでは記憶があります」


 ほぼ丸一日起きていたらしい。なんて無理をする子だ。それなら今起きたというのも頷ける。


「そんなに頑張らなくてもいいのに……イチカが倒れたら元も子もないでしょうが」

「僕は関係ありませんよ」


 相も変わらず可愛くない答えだが、イチカの顔色は昨日よりだいぶよくなっている。もともと頬に赤味がない体質のようなので、白いが蒼くないだけでも充分回復したと言えるだろう。シゼが用意してくれた薬が無駄になりそうだ。


「まったく……とりあえず顔洗ったら着替えて、居間に来なさい。ばあさまが軽食を用意してくれてるわ」

「いえ、べつに空腹は感じて……」


 いません、と言う前にイチカの腹が「ぐぅ」と鳴った。

 あまりの似合わなさに、思わず笑ってしまう。


「身体は正直なようね」

「……不愉快ですがそのようです」


 ムッとしたイチカが、己れの腹をさすりながら不服そうにする。

 どうもイチカは、自分を粗末に扱う傾向にある。それは出逢ったときも思ったことだが、粗末に扱うというよりも、自分をよくわかっていないだけなのかもしれないと、アサリは思った。


「アサリさん」

「ん?」


 洗面台にイチカを促し洗わせ、濡れそぼったその顔を拭かせるために手巾を手渡すと、顔を拭いながらアサリを呼んだイチカは小さく首を傾げた。


「仕事中、天候は荒れませんでしたか?」


 問いに、アサリはふっと微笑んだ。


「イチカのおかげね。乗り切ったようよ。朝からずっと晴れてるわ」

「……そうですか」


 ほっと息をついたイチカが、安堵したように淡く笑んだ。

 その笑みに、うっかりときめいてしまう。

 滅多に動かない表情が、あまり見せない感情が、ぽろりとこぼれると意外と厄介だ。つい、可愛いと思ってしまう。


「先に行っていてください。着替えながら畑の様子を見て、それから居間に行きます」


 イチカの淡い笑みは一瞬で消えてしまったが、貴重なそれを見られただけでもいい。


 寝癖のついた髪を櫛で梳いてやってから、なぜか逃げるイチカに笑って、アサリは居間に戻る。祖母にイチカが朝まで起きていたことと、だから今まで眠っていたことを説明すると、ほっとしていた。

 少しして、着替えたイチカが居間に現われると、祖母は心配を口にしながらも微笑みを浮かべて出迎え、イチカに食事を促した。昨日はほとんど食べられなかったイチカも、このときはぺろりと平らげ、祖母を満足させていた。


「村の畑の様子と、守護石の状態を見てきます」


 食べ終わったあとイチカがそう言ったので、アサリもついて行くことにした。元気そうだが病み上がりに近いイチカをひとりで出歩かせるのは少し心配であるし、畑の様子や守護石というものも見てみたい。守護石は人目につかないところにあるらしく、アサリは見たことがないのだ。なので、今夜の夕食は祖母に任せることにした。


「ラッカさんはどこにいますか?」

「ゼレクスンのところに行って、そのまま役所に向かったみたい。ばあさまがそう言ってたわ」


 家を出て、森に向かう道をイチカと並んで歩く。森の手前にある丘から、村が一望できるからだ。守護石はその森に少し入ったところに置かれているらしい。

 空は昨日のように、真っ白な雲が流れ、綺麗に晴れていた。


「高位の魔導師が来てくれるとよいのですが……僕が代替えできるのはせいぜい数回ですし」

「無理しないで、イチカ」

「ここで役に立たなければ魔導師ではありません」

「確かにわたしたちには魔導師が必要よ? でも、イチカひとりに頑張らせるなんてできないわ」


 イチカが魔導師という職に誇りを持っているのは、これまでの言動からもわかることだ。だがイチカの場合は無理をし過ぎると思う。なにかはわからないが呪いを受け、その状態で大きな力を平然と使ってしまうのだ。

 思わず、頼って欲しい、とアサリは思ってしまう。なんの力もないアサリでは役に立たないけれども、イチカひとりにこの村のことをすべて任せるのは、村の住人として納得できない。できることがあるなら、なにかしたいと思う。

 それに、イチカは介抱された礼としてこのレウィンの村に留まっているだけで、行き倒れなければどこかへ行く途中だったのだ。イチカの目的を邪魔し続けてはいけない。


「わたしにも力があれば、よかったのに」


 そう口にしつつも、いつまでも引き留めてしまって申し訳ないと思う半面で、アサリは、このままイチカが村に残ってくれたらいいのにと、ここがイチカの目的地であったらよかったのにと、そう思い始めていた。


「無闇に力を求めてはいけません」


 アサリの小さな呟きに、イチカが淡々とした声で反応を寄越した。


「人には、できることとできないことが、たくさんあります。アサリさんが自分で言ったことです。僕は、そのとおりだと思いました」

「……耳を傾けてくれていたのね」


 ふと見やったイチカの横顔は、少し邪魔そうな前髪のせいでちゃんと見えない。だが、もともとその端正な顔は感情を読ませない。人には見せない感情のその裡で、いったいどれだけのものを考えているのだろう。


「僕にはできないことがたくさんあります。守護石を直せないことも、その一つです。ですが、できる人に任せるしかないのだとアサリさんに言われて、少しほっとしました」

「ほっとした?」

「僕にもできることがあったのだと、思い出せました」


 まるで、今までなにかを置き忘れていたかのような、けれども淡々とした言葉だった。


「わが身に受けた呪いは、そんな僕の、できることの一つなのです」


 アサリに合わせてゆっくりと歩いていたイチカは、そう言うと見えてきた森に視線を向ける。僅かに挑むような目つきが、ちらりと見えた。


「どんな呪いなのか、訊いてもいい?」

「害はありません。問題もありません」

「でもイチカは、具合を悪くしたわ」

「僕に力がないからです。アサリさんの言葉でいうなら……そうですね、無理をしただけです。ないものをあるように振る舞って、自滅したとも言うでしょう」


 魔導師は限りを知っていると、シゼが言っていた。ないものをあるようにすることはできないと、言っていた。

 イチカはそれをわかっていながら、力を使ったらしい。それはもしかすると、イチカの、魔導師としての矜持ゆえのことなのかもしれない。


「ねえ、イチ……きゃっ」


 イチカの横顔に気を取られて足許の注意を怠ったせいで、なんでもない小石に足の爪先が引っかかった。前のめりに転びかけて、咄嗟にイチカの腕に掴まってしまう。


「ああ、すいません。この辺りの道は歩き難かったですね」


 イチカは咄嗟に掴まったアサリの手を振り払うことなどせず、むしろ力強く身体を支えてくれた。


「ありがとう」

「いいえ。どうぞ」

「え?」


 どうぞ、とイチカは手のひらを、アサリに差し出してきた。その繊細な手のひらに、アサリは驚いてしまう。


「掴まってください。この道は歩き難いのだと、わかっていたのにあなたを連れてきてしまいました。気がきかなくて申し訳ありません」


 手を繋ごうと、そう言っているのだとイチカはわかっているのだろうか。


「アサリさん?」

「あ! ううん、なんでもない。ありがとう」


 ここでアサリだけ帰そうとしない分だけいいだろうかと、アサリは差し伸べられた手に己れの手のひらを重ねる。

 少しひんやりとした手のひらは、アサリの手が乗るときゅっと、掴んでくる。掴まれたのは手のひらなのに、同じように心臓まできゅっとなって、アサリはどきどきした。

 手を繋いで歩くなんて、どれくらいぶりだろう。幼い頃、祖父母に繋いでもらって以来ではないだろうか。


「ここから先は足許に注意してください。先導は僕がしますから、視線は足許に」

「わ、わかったわ」


 先日の嵐のせいか、まだ乾ききっていない土や、雨で流れたり崩れたりした道は、踵のない靴を履いていても歩き難い。イチカに言われたとおり足許に注意しながら、アサリは手のひらから伝わるイチカのぬくもりに少しどきどきしながら歩いた。


 森の手前まで到着すると、イチカは村の畑を黄緑色の双眸でゆっくりと一望し、しばらく無言で眺めたあと「行きましょうか」とアサリに声をかけた。ちなみに手のひらは、そのときもイチカに包まれたままだ。

 森に入ると、イチカはそれほど進まずに立ち止まる。視線が斜め下を向いていたので、アサリはそれを追い駆けて目を向けた。


「……これが、守護石なの?」

「そうです」


 大木の根元に、なにかの印が刻まれた平べったい石が、埋もれていた。その中心には真新しい亀裂が入っている。大きさにして鍋の蓋くらいか、それより少し小さいくらいの、これが破損してしまった守護石らしい。守護石というからには石だろうとは思っていたが、こんな石碑のようなものだとは思っていなかった。


「壊れてるというより、割れてるわ。これを直すって、どうやるの?」

「守護石の破損を師団に伝えましたから、同じものを持ってくると思います。壊れ方では亀裂を消してもう一度使えるようにすることもできるのですが、これではそれもできません。それでも、粉々になることもありますから、原型を留めているだけまだ働く作用が残っています」

「時間の問題ってことか」

「そうですね」


 ふと、イチカが守護石の前に屈む。必然的に繋いでいた手のひらが離れてしまって、一抹の寂しさがアサリの手のひらを包む。もう少し、繋いでいたかった。


 イチカはそれから少しの間、無言で守護石を眺めていた。ときおり触れて、その亀裂を確かめているようだったが、特別なにかすることはない。直せない、という言葉は、どうやら本当らしい。


「台風か嵐がこなければ、あと一月くらいは安心してもだいじょうぶです。その間に魔導師に来てもらってください」


 屈んでいたイチカが、立ち上がりながらそう言った。


「その間にって……え?」


 まさか、と思ったことを、イチカはアサリに振り向きながら口にした。


「僕はそろそろ行きます」


 帰る、ではなく、行く。

 そう言ったイチカを、アサリは呆然と見つめた。







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