彼女の家 :約7500文字 :淫
「いい家だね」
おれは彼女の家を見上げ、そう言った。ところどころ欠けた瓦屋根、煤けたガラス格子戸、年季の入った壁。手入れは行き届いているが、新しさとは無縁の昔ながらの日本家屋だ。平屋のようだが、塀の長さや奥行きからして敷地はかなり広そうだ。
おれは本心から褒めたつもりだったが、彼女は古さを気にしているのか、少し恥ずかしそうに「ありがとう」と小さく答えただけで視線を逸らした。それ以上、この話題には触れてほしくなさそうだった。
彼女の後について、石畳の小道を進む。玄関のガラス戸を開けると、彼女は「ただいま」の「ただ」だけを大きな声で言い、残りは喉の奥で消すように呟いた。おそらく、おれの存在を意識しているのだろう。普段はもっと張りのある声で言っているのだと自然に想像できた。
家の中は薄暗いが、ちらりと振り返った彼女の頬がわずかに赤く染まっているのがわかった。おれが小声で「かわいい」と囁くと、彼女は耳まで真っ赤にして俯き、唇をきゅっと結んだ。
玄関で靴を脱ぎ、彼女の部屋へ向かう。歩くたびに紺のロングスカートがふわりと揺れ、視線が吸い寄せられてしまう。その奥が見たくてたまらないのだ。
彼女の部屋は玄関からすぐの和室だった。他人の家をむやみに歩き回らずに済むのはありがたい。四畳半ほどのこぢんまりとした空間だが、二人で過ごすには十分だ。畳の匂いに混じって、彼女のものだろう甘い香りがほんのりと漂っている。
おれが腰を下ろすと、彼女も少し間を置いて隣に座った。
――今日は親がいないの。
教室で耳打ちされた言葉が鮮明に蘇った。彼女の吐息と照れた顔も一緒に。背筋にぞくりと快感が走った。
ドアが襖で、鍵がかからないのはどこか心許ない。だが、まあ仕方ない。それを口にしたところで、せっかくの空気を壊すだけだ。そう、彼女にはご機嫌になってもらわないとな。
彼女がもじもじと太ももを擦り合わせる。
おれは彼女の肩に手を回し、ゆっくりと彼女のスカートをまくり上げた。指先が太ももに触れた瞬間、彼女は小さく声を漏らし、そっと足を開いた。
おれは彼女の首筋に唇をつけ、そして――
「おねーちゃん、帰ってるんですかー?」
不意に聞こえた声に、二人の体が同時に強張った。
おれは反射的に襖のほうへ目を向けた。彼女は「甥っ子」とだけ囁いた。振り返ると、ひどく険しい顔をしていた。
廊下を小走りする足音が響く。近づき、遠ざかり、また戻ってくる。やけに耳障りで、邪魔されたことも相まってひどく苛立った。
「あれー? これ、誰の靴ですかー?」
玄関まで戻ったらしい。まずい、靴を見られた――いや、別にそこまでまずくないのだが、胸の奥がざわついた。
たぶん、欲情しているせいだ。生殖行為というものは静かに、他の個体から隠れて行うものだ。おれはもっともらしくそう考えた。
おれは深く息を吸って心を静め、『ただの高校の友人として遊びに来ている』という無難な表情を作った。彼女も静かに髪とスカートを整え始めた――えっ。
「さ、入って。早く……!」
おれは思わず目を見開いた。突然、彼女が畳をめくったのだ。その下には、ぽっかりと黒い穴が口を開けていた。彼女はためらうことなく、すっと身を滑り込ませたので、おれも慌てて後に続いた。
下は土ではなく、木の床だった。天井は低く、四つん這いで進むしかない。埃っぽい匂いとひんやりした空気が肺に流れ込む。
「隠し通路……?」
小声で訊ねると、前を行く彼女は短く「うん」と答えた。小刻みに揺れる彼女の尻が返事をしているように見えて、どこかコミカルで笑いそうになった。
しかし、なぜこんなものがあるのだろうか――そう考えた瞬間、彼女がぽつりと「プライバシー……」と呟いた。それ以上は触れられたくないらしい。まあ、別に構わない。触れたいのは別のモノだ。暗がりで揺れる尻を見ていたら、再び火がついたようにおれのモノが熱く膨張し始めた。
大昔、人類が二足歩行を獲得する前も、きっとこんなふうに興奮していたのではないだろうか。やっぱり、おれは胸より尻派である。
「……昔はさ、下着が見えそうなくらい、短いスカート履いてたよな」
おれがそう言って彼女の尻を撫でると、彼女は「もう!」と小声でたしなめ、手を払った。しかし、声色に嬉しさが滲んでいた。スウィートな響きである。
もう、ここで始めてしまおうか――そう思ったとき、彼女が天井を軽く叩き、板を押し上げた。彼女は手際よく外へ出て行き、おれは心の中で「ちぇっ」と呟き、後に続いた。
カチッ――。
彼女が電気スタンドを点けると、淡い光が部屋の輪郭をそっと浮かび上がらせた。
ここもまた和室だった。狭いのはともかく、不思議なことにドアが見当たらない。四方はすべて壁で塞がれている。
なるほど、床板を押し上げたとき、光が差し込まなかったわけだ。だが、むしろ都合がいいのかもしれない。これなら邪魔も入りようがない。
おれは隅に積まれていた座布団を並べて手招きした。
彼女は小さく微笑み、こちらへ歩み寄ると、座布団に静かに腰を下ろした。おれは彼女の肩をそっと押して、座布団に寝かせると唇にキスをした。息が混ざり合い、微笑み合うと互いの体が再び生殖行為の準備段階に入ったことを確信した。
「ハァァァァァァイ!」
そのときだった。突然、頭上から大声が降ってきた。
「い、今の声は……!?」
「し、静かに……!」
彼女は素早くおれの口を手のひらで塞ぎ、天井を見上げた。おれもつられて視線を追う。確かに、声は上から聞こえたが……。
「ハーイ! ハアァァァーイ、ハイハハイハイハーイ!」
「イトコ甥。甥っ子と仲がいいの……」
おれが訊ねるより先に彼女が低く囁いた。その声には、わずかな苛立ちとあきらめが滲んでいた。そして、彼女はおれを押しのけ、壁をトントンと二度叩いた。すると、バカッと壁の一部が開き、細い隙間から弱い光が差し込んだ。
隠し扉……? と口にしかけたが、彼女の「早く、早く!」という小声に遮られた。
手招きされ、おれは慌ててその中へ飛び込んだ。急かされたせいだけではない。天井の板が大きく軋み、裂け目から指のようなものがもそりと伸びてくるのを目にしたからである。
だが、焦りすぎた。勢い余って足をもつれさせ、彼女にぶつかった。そのまま押し倒してしまい、馬乗りになる。
転がり出た先は薄暗い廊下だった。フローリングの冷たさが手のひらに伝わる。だが、そんなことよりも、この体勢がもう辛抱たまらない。この場でおっぱじめてしまいたかった。
股間を彼女の下腹に押しつけていたために、その固さが伝わったのだろう。彼女は一瞬びくりと体を震わせ、唇をきゅっと結んだ。ふわんと甘い匂いが鼻をかすめた。おれはもっと嗅ぎたくなり、彼女の首元へ顔を寄せた。
「ここではダメよ……」
耳元でそう囁かれてしまえば、鎖に繋がれた犬のように大人しく従うしかない。
おれは彼女のくすぐるような声の余韻を耳の奥で転がしつつ、わざとらしく口をへの字に曲げて立ち上がった。
その瞬間だった。
足首にぞわりと柔らかい感触が絡みついた。猫だ――犬ではなく、猫がおれの足にすり寄ってきていた。
猫は嫌いじゃない。だが、可愛いと思うより先に、その数にゾッとした。尋常じゃない。一匹や二匹ではない。十、二十……いや、それ以上だ。暗がりの中、無数の目が点々と光り、影が波打つように蠢いていた。
「オスの飼い猫の仕業よ。盛りがついて、近所のメス猫を次々に孕ませたの」
彼女が冷ややかに言い放った。なぜだか自分が責められたような気分になり、おれは肩をすくめた。
「それより、早く。こっちに来て」
急かされるまま、おれは彼女の後を追って暗い廊下を進んだ。彼女が壁に手を当てると、パコッと軽い音を立てて壁の一部が開いた。回転扉である。
「忍者屋敷……?」
おれが訊ねると、彼女は振り返りもせず、「リフォームしたの」とだけ答えた。やはり、それ以上は触れてほしくなさそうであった。
中は物置のような部屋になっていた。狭く、段ボール箱や家具が雑然と積まれている。だが、もはや場所などどうでもいい。
おれは彼女を抱き寄せ、その細い体を強く抱きしめた。驚いたらしく体がびくりと跳ねたが、彼女はすぐにそっとおれの背に腕を回した。互いの体温が重なり合うと、押さえ込んでいた欲情の波が再び押し寄せ、脳が溺れた。
「あれー? 男の匂いがするなあ」
不意に声がした。壁の向こう――ついさっきまでおれたちがいた場所からだ。
「年が離れたイトコよ! 鼻が異様にいいの……!」
彼女は身を縮め、息を殺して囁いた。その声には、はっきりとした苛立ちが滲んでいた。
コン、コン、コン。壁を叩く音が確実にこちらへ近づいてくる。扉の開く音がしたが、この部屋ではない。どうやら、まだ他にも隠し部屋があるようだ。
相手の気が向こうへ行っている隙に、彼女はするりとおれの腕から抜け出し、積み上げられた荷物の山を器用に登り始めた。
「こっち! こっちよ!」
彼女が天井を押すと、またしてもパカッと軽い音を立てて板が開いた。彼女は迷いなく中へ滑り込む。おれも後を追い、息を詰めて物音を立てないよう山を登った。
「匂う……匂うよお……」
イトコの声が、この部屋のすぐ外まで迫ってきていた。
扉がカタッと揺れた。おれは慌てて天井裏に片足をかけ、彼女に腕を引っ張られてどうにか中へ転がり込んだ。
彼女が天板を静かに戻し、ようやく一息つく。
「ごめんね……あの人に弱みを握られると面倒なの。お金に汚いのよ」
闇の中で、彼女の声がかすかに震えた。
彼女と結婚したら、ああいう人間とも縁続きになるのか――そんな考えがよぎり、胸の奥が重くなった。だが同時に、『結婚』なんて言葉が自然に浮かんだことに、おれは少し驚いた。おれは彼女のことをそこまで好いていたのか。
だが、感慨に浸っている余裕などない。さっきの怪物がここまで追ってくるかもしれないのだ。そう思ったが、おれが言うまでもなく、彼女は四つん這いになって天井裏を進み始めた。おれも黙ってその後に続く。
暗闇の中で揺れる尻が、またおれの神経を刺激する。何度邪魔が入っても、いまだに欲情が消え失せないことからして、おれもまた盛りがついたオスなのだろう。件のオス猫にどこか共感を覚えた。
――えっ。
そのまま進んでいると、突然、彼女の姿がふっと視界から消えた。何が起きたのかわからないまま一歩踏み出すと、手が空を切り、体が前のめりになった。
穴だ――おれはそのまま落ちた。
それは、滑り台であった。勢いよく下へと運ばれていく。いよいよわけがわからない。この家の外観は正面からしか見ていないが、そこまで大きくはないはずだ。もしや、空間そのものが捻じれているのではないか――そんなSFじみた考えが脳裏をかすめた。
「ここならたぶん、だいじょう――」
そう言いかけた彼女が、ふっと言葉を止めた。艶めかしい喘ぎ声を耳にしたためである。
ここは日本庭園のような空間だった。頭上には月のような白い光がぼんやりと浮かび、敷き詰められた白い砂利を淡く照らしている。
庭の奥に茶室のような小さな建物が一つ建っている。障子の向こうから淫靡な桃色の光が滲み出し、建物の周囲の砂利をその色に染め上げていた。
障子には、二つの影が映っている。重なり、動くたびに喘ぎ声が漏れた。
「あん……あん! あっ、あっ……あん!」
足下にポタッと、何かが落ちた。涎だった。
おれは彼女に気づかれないよう、慌てて袖で口元を拭った。彼女は一度もこちらを振り返ることなく、まるで磁石に引き寄せられるように茶室へと歩き出していた。おれも音を殺して後に続く。
「あん! あん! あっ! あっ! あん! あ……」
女の喘ぎ声が途切れ、男の腰の動きも止まった。障子越しの影が、こちらを向いているのがわかる。向こうからも、おれたちの影が見えたのだろう。
彼女は構わず縁台に上がり、障子を勢いよく開け放った。
「お義兄さん!」
「わ、わ、わー! こ、これはそのう、違うんだ……」
「シルエットで相手が姉さんじゃないと思ったら……」
彼女は呆れ果てた調子で言った。彼女の義理の兄が熱心に腰を振っていた相手は、どうやら先ほどのイトコの嫁らしい。二人ともばつの悪さを隠し切れない表情を浮かべていた。
放り出されたままの乳房がやけに艶めかしく、おれはむしゃぶりつきたい衝動に駆られたが、どうにか理性で押しとどめた。危ないところだった。尻派でよかった。尻よ、万歳。
「もう、信じらんない! 行きましょう!」
てっきりこの場所を譲ってもらうのかと思ったが、彼女は顔を真っ赤にして足早に茶室を離れていった。
何なら四人で仲良く――などという案が浮かんだが、もちろん言い出せるはずもなく、おれは黙ってその背を追った。
「君、またねっ!」と義兄が軽く手を振ったので、おれは振り返り、ぺこっと頭を下げた。そして、その隣で揺れる乳房をしっかりと目に焼きつけておいた。
壁を叩くと、またしても回転扉が現れた。どうやらこの家の主は隠すことがよほど好きならしい。あるいは、自意識過剰なのか。自分が常に誰かに見られている、監視されている――そんな妄想に取り憑かれた神経質な人間なのかもしれない。
とはいえ、彼女としたい一心のおれにとっては、こうした隠し部屋は願ってもない話である。悉く邪魔が入った苛立ちと、先ほどの彼女の義兄にメラメラと嫉妬心が湧いてきており、もう場所なんてどうでもいいから彼女を早く押し倒してしまいたかった。
しかし、次に入った部屋でも長居はできそうになかった。彼女を畳みに寝かせた途端、部屋の三方向から声が響いた。彼女の兄と、その兄に想いを寄せる女、そして野球好きの友人らしい。
「おーい、男を連れ込んでるのかい? どこだー?」
がははは、と下品な笑い声が壁を震わせた。その響きだけで、どんな顔をしているのか容易に想像がついた。
おれたちはまたもや移動を強いられた。
狭い通路を進むたび、おれたちを探す声は減るどころかむしろ増えていった。まるで脱獄囚だ。
彼女がぼそりと「姉さんまで来たか……」と呟くのを聞き、おれの中に諦念めいたものが芽生え始めた。
「お願い、ここに隠れてて! うまくごまかしてくるから!」
和室に出るなり、彼女は畳をひっくり返し、そこに口を開けた暗い穴を指さした。おれは言われるまま、その中へ身を滑り込ませた。心身ともに消耗していたので、むしろちょうどよかった。膝を抱えて横になると、次第にまぶたが重くなり、そのまま意識が沈んでいった。
……どれくらい時間が経ったのだろう。
目を覚ますと、頭上から賑やかな声が降ってきた。隠れたときはカーテンが閉まっていて薄暗く、場所の見当もつかなかったが、どうやら居間の真下らしい。
腹の具合からして、もう夕飯時なのだろう。香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、おれは思わず唾を飲み込んだ。
「んまいなあ!」
「ですー!」
「ふふふ」
「ははは」
畳越しに一家だんらんの笑い声が伝わってくる。どこかほっとするような、寂しいような……。その無防備な幸福を聞きながら、おれはなぜ自分がこんな場所で息を潜めているのか自問した。こんなことをしている場合ではない――そんな焦燥がじわじわと湧いてきた。
しかし、今は大人しくやり過ごすしかない。それとも、いっそ勢いで飛び出し、「じゃーん! おじゃましてます!」とでも叫んでやろうか。もう、やぶれかぶれだ。
そう思ったものの、寝起きのせいかモノが固く、膨張していた。これでは二重の驚きだろう。おれは小さくため息をついた。
――ん?
痺れかけた足を伸ばした拍子に、何かに触れた。
何だこれは……硬い? 流木か石か。やることもないので、おれは足先でそれをたぐり寄せ、手で掴んだ。
骨だった。
そこそこ大きい。ネズミや小鳥といった小動物のものではなさそうだ。いったいなんの骨だ――。
そのときだった。鈴の音が、ちりと鳴った。
続いて聞こえてきたのは、荒い息遣い。獣のものだ。しかも、明らかな怒りを孕んでいた。
おれは音のするほうへ顔を向け、闇に目を凝らした。そこに、二つの光が浮かんでいた。
猫だ。
それも玉のように丸々と太った猫である。その貫禄たるや、まるで城主。間違いない。十中八九、件のオス猫だろう。
怒っているのは、この場所がやつの縄張りだからか。それとも、おれから漂うオスの匂いが気に食わないのか。あるいは……まさか、この骨……。
「いてっ!」
次の瞬間、鋭い痛みが足に走った。噛みつかれたのだ。反射的に声を上げ、その勢いで頭を天井にぶつけた。ガジン、と鈍い音が響き、おそらくこの上にあるテーブルが揺れた。
途端、一家の笑い声がぴたりと止んだ。
気づかれたか――。
「……タマのやつ、また盛ってるんだねぇ!」
「さすが玉だね」
「たまたまー!」
「あらあら」
「ははははははは!」
何事もなかったかのように、再び笑い声が弾けた。
だが下では地獄が続いている。猫は執拗に爪を立て、牙を食い込ませ、おれの肉を裂く。取り押さえようにも狭く、肘や肩が壁にぶつかり、うまく力が入らない。耳元で、びちゃくちゃと肉をすすり食う湿った音がした。挙句の果てに、腰まで振られた。もはや黙っていられるはずがなかった。おれは叫び、死に物狂いで畳を叩いた。
「出すなよ! 上に乗れ! 押さえろ!」
「ハーイ!」
「まあ激しい」
「そうですねえ」
上から連中のゲラゲラと笑う声が響いてくる。それが猫に向けられたものなのか、おれに向けたものなのか、どちらかはわからない。
痛みと混乱で頭の中がぐしゃぐしゃになりながらも、おれは残った力を振り絞り、畳を押し上げた。
「あ、くそう!」
「逃げちゃだめですー!」
「バカもん! 逃がすな!」
「姉さん! 追って!」
「んぐぁ! ぐぐ!」
居間に飛び出したおれは、そのまま窓ガラスを突き破り、庭へ転がり出た。勢いのまま塀をよじ登り、靴下のまま地面を蹴った。
ふと振り返ると、奇怪な髪型の女が裸足でこちらを追ってきていた。
おれは息を呑み、無我夢中で走った。走って、走って、走り続けた。角を三つ曲がったところで、ようやく追ってこないと確信し、大きく息を吐いた。
もう、あの家には二度と近づくまい。そう固く心に誓った。
……だが、連中の野次に紛れて彼女が去り際に残したあの言葉――。
『来週もまた……』
その一言が胸の奥に妙に引っかかり、おれの心は静かに、しかし確かに揺れるのであった。




