最終話
ねぇ、幽霊って、いると思う?
私、いると思うんだ。
別に、ホラーとかそういうのじゃなくて。
なんていうか……人の記憶の中にだけ残る、誰かの気配ってある気がするの。
みんな忘れてるようなこと。
誰も知らないような出来事。
でも、自分の中では確かに起きたって、そう思える瞬間。
ほら、例えば。
昔、私、六階に住んでたことがあるの。
駅から少し離れた、古いマンション。
見晴らしは良くて、風の強い日は、ベランダに出ると髪がふわって揺れるの。
夕方になると、向かいのアパートの窓が赤く染まって。
日が沈む瞬間だけ、世界が少し止まるように感じられた。
そのマンションで、ある日、変なことがあった。
夜だった。
ふと窓の外から声がして、見てみたら、誰かが立ってたの。
外に。六階の、空中に。
白い服を着た女の子。
笑ってたかどうかは思い出せないけど、なぜか私は怖くなかった。
女の子は私の名前を呼んだ。
呼ばれて、私はベランダの柵を乗り越えた。
そこに、足場があったの。
空中に、透明な道みたいなものが伸びていて。
彼女のいる場所まで続いていた。
私、歩いたのよ。
信じられないでしょ?
でも、あのときは何の迷いもなかった。
その子と話したことは、だんだん思い出せなくなってきたけれど……
最後に「ありがとう」って言われたことだけは、はっきり覚えてる。
そう言って、その子は消えた。
足元の足場も、風みたいに溶けて、私、落ちたの。
……でも、不思議なことに、ほとんど無傷だったの。
“幻覚だったんじゃないか”って、周りの人は言った。
“ストレスのせいかも”とか、“夢遊病かも”とか。
でもね。
私の手のひらには、ちゃんと、その子の手の跡が残ってた。
それに、向かいのアパートの人が、「女の子がいた」って言ってた。
信じられない話だと思うでしょ?
うん、私もたまに思うの。
あれは全部、夢だったんじゃないかって。
でも、あの子の手の温度だけは、忘れられない。
冷たくて、でも温かくて。
誰かにしっかりと“触れられた”って、そう思える感触だった。
──だから、幽霊っていると思うの。
ほら、こうして話してる今も。
私の中にはまだ、あの夜のことが残ってる。
それって、きっと生きてるってことじゃないかな。
彼女の名前は、最後まで思い出せなかった。
もしかしたら最初から、知らなかったのかもしれないけど。
でもね。
あの子に出会えてよかったって、今でも思ってる。
理由なんてわからないけれど。
ただ、そう感じるの。
……ありがとう。あの夜の、わたしへ。
そして、ありがとう。
あの夜、たしかに手を握ってくれた、あの子へ。




