神域の終わり、再び拒絶を越えて、待っていた声
~勇者視線~
ここは――
記憶のはずのない、懐かしい匂いがする場所だった。
鈍い蛍光灯の下、キーボードを打つ音だけが響く。
同僚の愚痴、上司の怒声、社内チャットの赤い通知……ああ、これは。
僕が……かつて生きていた、あの世界だ。
「また残業か……終電、ギリギリだな……」
モニターに映る自分の顔が、ひどく疲れている。
やがて、真夜中の交差点。
赤信号を無視したトラックのヘッドライトが、迫ってきた。
ああ、これが――
僕が死んだ瞬間。
そして、次の瞬間、虚空から声が降ってきた。
「――それでも、生きたかったか?」
その問いは重く、そして静かだった。
心の奥に直接触れてくるような、優しさすら感じる声音だった。
僕は少しだけ、目を閉じて答えた。
「……あの世界でも、この世界でも……本当は、誰かと笑って生きたかったんだ」
その言葉とともに、景色がゆっくりと砕けていく。
まるで夢のように、ガラスのように、静かに世界がひび割れ、崩れていった。
「――試練は完了しました。あなたは“拒まなかった”。……それで十分です」
誰かが言った。
声の主は、仮面の男か、それともこの世界そのものか。
答えはなかった。
しかし、確かに感じた。
なにかが終わり、なにかが始まろうとしている。
光の破片の中で、ふいに腕を掴まれた。
「お兄ちゃん!」
その声は――ハナだ。
~女神・ハナ視線~
「急いで、こっち!」
私はハナの手を引き、神域の裏側へと進んでいた。
物理的な空間ではない、“信仰”と“想念”の裏道。
だがその最中、世界が軋む音がした。
――誰だ、お前は
空間が私の記憶に語りかける。
その声は、過去に女神が忘れたはずの“何か”を思い出させようとする。
「やめなさい……!」
黒く染まった神の記憶、静止を願った創造主の視線――
それに引きずり込まれそうになる。
「お姉ちゃん!!」
ハナの叫びが、届いた。
感情が戻り、理性が戻り、彼女はただの“神”ではないことを思い出した。
「……行くわよ。今度こそ、絶対に――取り戻す!」
私たちは最後の境界を越える。
そこにいたのは、崩れゆく空間と、崩れ落ちそうな彼。
「お兄ちゃん!」
「まったく……何してんのよアンタ……」
ハナが彼に抱きつき、私が力を放つ。
神域の門が閉じていく。
今、私たちは確かに――繋がっていた。