勇者の記憶──名もなき者が、神に抗う時
~勇者視線~
もう一人の“僕”が言った。
「君は、自分が何者かを本当に覚えているのか?」
その言葉と共に、景色が歪み──
僕の意識は、かつての“日常”へと引きずり戻された。
満員電車。
山のような書類と、上司の罵声。
擦り切れた感情。
誰のために働いているのかもわからない。
それでも、働き続けるしかなかった。
社畜──それが、僕だった。
「……ああ、そうだ。僕は、死んだんだ。あの日……」
あの交差点。
車のクラクション。
少女を庇って飛び出した──そのまま、僕の人生は終わったはずだった。
でも……そこで……彼女が現れたんだ……
光に包まれた空間。
「あなたに、別の世界を託したいの」
女神──そう名乗った存在が、僕を“勇者”にした。
「選ばれたのではなく、創られた……」
目の前の“もう一人の僕”が頷く。
「君は、最初から勇者になるべくして導かれた存在。でも同時に、それは神の意志に組み込まれただけの運命だ」
「僕は……ただのコマってことか?」
「……違う」
影の“僕”は、ふっと優しい表情を浮かべた。
「君は、神に選ばれてもなお、自分の意志で動こうとした人間だ」
胸が締めつけられた。
確かに僕は……あの時も、この世界に来てからも、ずっと誰かのために動いていた。
誰かを守りたい。
誰かに、笑っていてほしい。
それだけが、僕の――
「それが“君”という存在の核だ。忘れるな」
試練空間が揺らぐ。
光が差し込むように、誰かの声が聞こえた。
~女神視線~
見えた……
神域の裏道から……ようやく彼の存在に干渉できた……
彼は……思い出したわ……自分がどこから来たのかを……
「お兄ちゃん……!」ハナの声が震える。
でも、それだけじゃない……
彼は人間だった記憶を思い出して……なお……この世界を生きようとしている……
勇者という運命に操られるだけじゃなく……自分として進もうとしてるのよ……
あの子は……やっぱり……希望だわ……