第八話
「あれ?君は昨日の…」
声をかけられ「ん?」と思って振り返ると、怜の学友のあのさえない男が後ろに立っていた。琥珀が予想外の展開に喜んで気付いていなかったが、どうやら講義は終わったらしい。
琥珀はカアッと顔が赤くなるのを感じ、慌てて目を逸らした。
琥珀はこの男の前で赤っ恥をかいているため、どうもバツが悪いのだ。
その琥珀の様子に気づいたのか、男はニコリと人が良さそうに笑った。
「あぁ、この前のことなら気にしないで良いよ。すぐに怜から女子に勘違いされてただけだと聞いたから!……まあ、あの子のあの容貌じゃ勘違いするのも無理はないよ。僕も最初は驚いたから。」
…とは言ってはいるが、目の奥はどこか琥珀を馬鹿にしているように見える。琥珀の思い込みなのだろうが。
目の前の男は自分や怜よりも4つや5つほど歳が上に見える。顔は至って平凡だが、逆にその顔、そして表情や話し方も相まって、自然と人に親しみやすさを与えるようだ。王宮には絶対にいない性質の人間である。怜のことを"あの子"と呼んでいて、まるで幼い弟のように扱っているみたいだ。
琥珀は、昨日のことは完全に自分が悪かったのだと理解はしているのだが、何だかムシャクシャしてきた。
それなのに目の前の男は変わらずにこやかに続けた。
「怜をお探しかな?」
「あぁ…はい。そうですけど…今日はいないんですか?」
「あの子は少し事情があってね、毎日ここにいるわけじゃないんだ。」
「怜はいつからここに?」
人たらしの琥珀は話す時はいつも朗らかだが、今は少々不機嫌な声色になってしまっている。
「いや、それがね、僕が入った時にはもう既にいたんだ。当時すっごく幼かったからビックリしたよ。僕には弟がたくさんいるんだけどね、あの子も弟みたいでとても可愛いんだ。もう18だし、いつまでも幼子扱いしてたら流石に怒られちゃうかな…」
「へー…そうなんだ。」
男がたくさんの弟と戯れている姿が目に浮かぶ。その中にいる怜の嬉しそうな顔も浮かんでくる。
琥珀がその後何も言わず黙っていると、男はハッとした顔をして手を叩いて嬉しそうに言った。
「あッそうだ!怜を探しているんだよね!丁度良い!あの子のいる場所を教えるからちょっと見てきてあげてよ!」
そう言われて教えてもらった場所は薄暗く鬱蒼とした山だった。
どこを見渡しても深い緑ばかりで、あちこちからツルが延び、独特な土臭さが鼻にツンとくる。
「ここ…、だよな…?」
あの男が琥珀に嘘をつく理由は何もないから正しいのだろうが、ここにあの怜がいるとは到底思えない。
先程男から提案された時は「あなたが行った方が怜も喜ぶだろ」と言ったが、「いいからッ!」とゴリ押しされてしまった。
「まあ……入ってみるかな。」
幸い琥珀は体が汚れることや虫等に全く抵抗がないどころか自分から飛び込んでいくような性分であるため、王宮の人間なら泣くほど嫌がるであろう獣道も軽い足取りで進んでいくことができる。
「怜はこんなとこに何をしに来てるんだ?まさかあの見た目で狩りとか?いや…それは面白すぎるだろッ…!!」
琥珀は口に入ったハエをペッと吐き出しながらツルを掻き分け進んでいった。手や履物はとっくに土や泥で汚れ、綺麗に結った髪もボサボサである。望月が見たら失神して3日は寝込むだろう。
荒れた道をしばらく進むと少し道が開け、視界も明るくなってきた。
四半刻ほど歩いているため、流石の琥珀でも足が疲れていた。背もたれになる丁度良い岩を見つけたため、少し休むことにした。
若い琥珀は少し動いただけでもすぐ腹が減る。本来、勝手に食事が与えられる尊い身分でありながら腹を空かせるなど考えられないのだが、琥珀は自分の意思で自分で食べ物を得て食べるという、言わば人間として言わば当たり前のことをしたいのだ。
「何か無いかな〜」
落ち葉や木の枝を手で掻きながら何か落ちていないかを探す。木の実でも何でも良いのだが。
「…!キノコだッ!!」
あまりにも予想外の大獲物だった。土で汚れているが近くにある湧水で洗えば問題ないだろう。
手を伸ばすと、水は冷たかったが動いて体が熱っている今は丁度良い。
「見たことないキノコだけど、まぁ死にやしないなッ!いただきまーす」
まさに口に入れようとしたその時、背中に勢いよく小石が飛んできた。
「ッてぇ!!何すんだよッ!!」