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紫苑に露  作者: 花信風描
第七章 落花
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第七十七話

離宮から出ると、外は雨が降っていた。

見るに、さっきから降っていたのだろうが、清氏は気付いていなかった。


「清様、こちらを」

伴氏が後ろから傘を差し出した。

いつも用意周到なこの男にとっては、今朝の空の様子から天気を読むなど容易いことだった。


「ああ、ご苦労」


清氏は差し出された傘をさして歩き出した。

「ほう、これは新しい傘か?」


「はい、以前お使いになっていた傘が壊れておりまして。至急用意したものでございますが」


「おぉ、そうか。気に入った」


「ありがたきお言葉」


伴氏が差し出した傘は、漆黒に銀の線が薄くのった非常に品の良いものであった。

それは、まさに先程黒蛇が身に付けていた衣によく似ていた。


「清様。黒蛇様はこの後どう動くでしょうか?」


伴氏は声を潜めて聞いたが、その言葉を聞いた清氏はあっけらかんと大きく笑った。


「ハッハッハ……!何を言い出すかと思えば……蓮司を殺したいほど憎んでいる黒蛇様が、蓮司を救うとでも言いたいのか?」


「いえ、そうとは思えませんが」


「大丈夫だ。黒蛇様がこれからすることいえば、先ほどみたく部屋中を這いつくばりながら騒ぐぐらいだろう」



清氏はやれやれといった様子でため息をついた。


「だが、人の執着というものは実に恐ろしいものだ。ああなってしまっては誰も止められん」


「黒蛇様はいつから?」


清氏は「お?」と言って首を傾げた。

「あぁ、そうか。其方は知らぬのか」


「もうずっとああだ。幼い時から猛龍様の後ばかりついて歩いていて、厠にまでついて行ったほどだ。しかしまあ、あのように執着し出したのは、蓮司が現れてからだ」


次第に雨足は強くなり、新しい傘に雨の音が響く。


「急に他人が現れて、猛龍様を取られかねない状況になった時、初めて黒蛇様は身を蝕むほどの執着心に出会ったのだろう」


「………」


伴氏は何も言葉を返さず、二人の間にはしばらく沈黙が続いた。

雨の音だけが冷淡に響く。


「だがね、」


「それは私も同じだ。私自身もすっかり執着に蝕まれてしまった」


「………!?何を仰って、」


清氏は後ろを歩く伴氏に向き直った。


「私は違うか?自身の理想のために王子を殺めるこの私が、正常だとでも?」


伴氏は出かかった言葉を飲み込んだ。

清氏本人に言われてしまったら、他人がとやかく言うことはできない。

それに、清氏が慰めの言葉なんて求めていないことぐらい、伴氏には分かっていた。


「では………何故、」 



伴氏が言い終わる前に、清氏はやれやれといった様子で溜息をついた。


「いき過ぎた執着はどうしようもない。ならば私は、あと僅かであろうこの命をかけて果てまでいってみようと思っている」



「私の執着に其方を巻き込んでいることは申し訳なく思ってはいるの……」


「お止めください」

伴氏はその言葉を、他でもない清氏の口から聞きたくなかった。


「私は私の意志で貴方様に忠誠を誓っているのです。だから、その様な事は仰らないでください」

伴氏は清氏の目をまっすぐ見た。



清氏は少しばかり驚いた。

いつも冷静沈着な伴氏がここまで情熱的になることはそうそう無いからだ。




清氏はやれやれと言った様子で、今度は笑った。


「其方も、私と同じだな」



_____________


「ねえ、兄上。兄上は本当に………」


「いや、何でもない」


あれから、琥珀の頭の中はずっと行ったり来たりを繰り返していた。

本当に蓮司が青藍を殺したのか、それほどまでに蓮司が王宮を憎んでいたのか、いくら考えても答えは出てこなかった。


当然のことながら、どれだけ青藍の位牌に問いかけても答えは返ってこない。

ただ、ただ静かに佇んでいる。


「………兄上」

もう青藍はいない。

分かっていても、琥珀の胸の内を打ち明けられるのは青藍しかいなかった。


「前さ、王宮の外で大切な人ができたって言ったでしょ………息子なんだ。あの人の」


長い沈黙が流れる。

独り言なのだから当然なのに、今の言葉を言い放った後のこの無機質な時間は、琥珀の心を重くした。


蓮司がやったと認めたくないのは、怜のことが好きだからなのだろうか?怜も処罰されると聞いたからなのだろうか?

そんな恋心が、血の繋がった兄の命より大切だというのだろうか?


「いや、それが何だって話だよね。俺おかしいよね。兄上が殺されたのに、なんで庇うようなこと……ごめん、ごめんなさい、兄上」


琥珀はその場にうずくまった。


どれだけ考えたって、蓮司が何を考えていたかなんて、琥珀に分かりっこない。蓮司とは長い付き合いというわけではないし、幼い頃を合わせたって半年にもならないだろう。


今明らかになっているのは、青藍が毒殺されたという、悲しくもただその事実だけなのだ。


「そうだ!人の本心なんて……他人に分かるはずがない……!言葉なんて、どれだけでも嘘をつける!!」


「だから怜だって……!」



顔を上げそう言いかけた途端、怜の顔が浮かんだ。


今までが走馬灯のように蘇ってきて、琥珀の心を締め付けてくる。

この気持ちを離してしまえば楽になれるだろうに、どうしても離したくないと心の片隅から声がする。

琥珀の心はあらゆる方向に引っ張られて、終いには引きちぎられてしまいそうだ。




青藍の位牌をまっすぐ見ていられなくなって、深く顔を埋めた。

「…………俺は…どうすればいいんだ」

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