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紫苑に露  作者: 花信風描
第七章 落花
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第七十四話

琥珀にやっと感情が戻ってきたころには、全身は震え、胸ぐらを掴んでいた手は力が抜けてしまっていた。

ふるふると首を振ることしかできず、言葉が出てこない。

何か声を出そうと思うのに、上手く声が出せない。

蓮司を離した琥珀は足の力も抜け、蓮司の顔を瞬きもせず見たまま、その場にぐしゃりと崩れ落ちた。


「琥珀様ッ!!!」

見張りの者が琥珀に駆け寄って身体を支えようとしたが、琥珀はそれを制止してまだ蓮司を見ている。


「違う、違う…………」

やっとのことで出すことができた言葉は、そんな現実逃避の言葉だった。

蓮司に自らが王子だということがバレてしまった、そんなことは琥珀の頭からさっぱり抜けていた。


「違うよね?蓮司さん」


「どうして王宮に…しかも監獄にいるんだ?お、俺を驚かそうと?」


気が触れたようにどれだけ話しかけても、蓮司は何も応えてくれない。それどころか、一点を見つめたまま顔が固まってしまっている。


琥珀は見張りの制止を振り切り、再び蓮司に近づき牢の中に手を入れた。

蓮司の肩を掴み、前後に揺らした。


「ねぇ、蓮司さんってば……なんか言ってよ」


まだ蓮司は何も言葉を発さない。

それどころか、額からは滝のような汗が流れ、元々良くなかった顔色は気味が悪いぐらい更に酷くなった。


おそらく蓮司の中で、今までの琥珀に関する疑問の全ての辻褄が合ってしまったのだろう。

八年前、琥珀が身につけていた高貴な服、倒れていた場所。再会して、真剣な眼差しで聞かれた事。


そしてそれ故に避けられない運命も。


全てを理解してしまったら、とても顔なんて上げていられなかったのだろう。

蓮司は藁の上に額を擦り付けた。


「……え?なんで蓮司さん、顔上げてよ」


「そんな、冗談やめてよ」




暫く沈黙が続く。

見張の者も、今この状況に横槍を入れるなど到底できなかった。



“私は君のお兄さんについては無関係だ”


琥珀が求めているのはただこの一言だ。

この一言だけなのに、どうしてか蓮司は黙ったままだ。



「………本当なの?本当に蓮司さんが兄上を?」

本当に、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声が沈黙の中に響く。

琥珀は当然、否定されるつもりで聞いた。

けれど、心はどうしてもざわつき、心臓は破裂してしまいそうなぐらい激しく鳴る。





「………私が青藍様の主治医として半年間王宮にいたことは事実でございます」


その一言で、琥珀の僅かばかり残っていた期待は打ち砕かれた。

周りの音は消え、目は開いているのに目の前は真っ暗になってしまった。

自らが息をしているのかも定かではない。


琥珀は分かっていた。

蓮司のような王宮外の人間がこんな厳重な見張りで投獄されるなど、青藍の件以外何があるというのか。

蓮司本人の口から直接聞かされては、もう琥珀に否定はできない。



「そして私は心から青藍様を救いたいとこの半年間尽力しておりました。しかし、私が持参した薬が原因で、青藍様が薨御されたことも事実でございます」


蓮司は顔を上げることなくそう続けたが、琥珀にはもう何も聞こえなかった。全身が蓮司の言葉を拒否しているかのように。

心が壊れて、言葉を発することもできない。


身体までも震え出し、呼吸が荒くなって過呼吸のようになってしまう。

琥珀の瞳からは大量の涙が零れ落ちたが、この涙がどんな感情ゆえなのか、琥珀本人にも分からない。




身体に力など入っていないというのに、琥珀はまるで操られているかのように立ち上がり、そのまま歩き出した。


ずっと側で蓮司と琥珀のやりとりを聞いていた見張の者たちは、急に動き出した琥珀にぎょっとし、その身体を支えようとしたものの、触れたら倒れてしまいそうで、そのままその背中を見ていることしかできなかった。




監獄から出た琥珀の身体は、冷たい雨に突き刺された。春夜はまだ肌寒く、身体が濡れれば冬のような寒さが襲う。

そんな中、琥珀は生きる屍のようにどこへ行くわけでもなく歩いた。

衣や顔が雨に濡れても、靴が泥で汚れても、目もくれずに。



「琥珀様!!!!」

琥珀の目の前に、傘を差した小太りの男が走ってきた。


「琥珀様!!なぜこんなお姿に………!」

望月はすぐさま琥珀に駆け寄り、魂が抜けてしまったような様子の琥珀の身体を支えた。

望月に触れられた途端、琥珀の全身は完全に力が抜け、雨ですっかり泥になった地面に両膝を落とした。


「琥珀様!!!」

望月は雨足が強まる中、琥珀の腕を自らの肩に回し何とか立ち上がらせた。


「琥珀様、早く殿に戻りましょう……御身体を壊してしまいます」


望月が琥珀の身体を支えながら足を踏み出そうとした瞬間、隣から小さな、今にも消え入りそうな声が聞こえた。


「…………づき」


「……琥珀様?どうされたのです?」

望月はこの十八年間ずっと琥珀の側にいたが、ここまで取り乱した姿の琥珀を見るのは初めてで、焦りのあまり望月までおろおろとする始末だ。


「…………教えてくれ」


「………な、何を」


「…………知ってるだろ?分かっていて敢えて隠しているんだろ?」


「………そ、それは」


「兄上の死に関することの全てだ。この半年間、兄上の身の回りで何が起こっていたんだ?」



「………大丈夫だ。何を聞いても驚きはしない」

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