第六十九話
青藍の容態が急変したのはその翌朝だった。
「ハア………ハァ…ゴホゴホッ」
青藍が口から手を離すと、その手には鮮血がべっとりとついている。
「………まさかまた元に戻ってしまうとは」
「青藍様っ!!しっかりと横になってください!」
蓮司に手を拭かれながら、青藍は自虐的に笑った。
「ごめんなさい蓮司さん。早く貴方を家族のもとに返してあげたいのに、こんなことばかりで」
「………私のことはいいですから、ご自身の心配をしてください」
「………本当に情けない」
青藍は、そう蓮司に聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。
ここまでの酷い症状に襲われるのは、蓮司が診るようになってからは一度もなかった。
「………青藍様、私が分かりますか?」
「…………あ、あ」
呼んでもはっきりと返事が無い。
もう半年以上診てきたが、正直この症状はかなり危うかった。
「………………あの薬を使うしかないだろうか」
医院にあって、王宮にないものなどない。確かにそうなのだが、蓮司は一つだけ薬を持参していた。
それは蓮司自らが調合したものだった。源さんには到底及ばないものの、蓮司自身も薬学にはいくらか精通していた。
巡察の際には必ず持参し、多くの人々の命を救ってきた薬だから危険なものではないものの、そんな一町医者が作った薬を王子に飲ませるなど最悪の場合を除いてあってはならないと思い、ずっと使っていなかったのだ。
けれど、今の青藍の状況はその”最悪の場合”になりかねないところまで来ていた。
昨日まで、あんなに楽しく談笑していたというのに、何がどうしてこうなったのだろうか?
(何かサインがあったのではないか?まさか見逃していたのだろうか?)
______バチンッ
蓮司は自らの右の頬を強く叩いた。
頬は赤くなり、ヒリヒリとする。
「…………弱気になってはダメだ」
(_____できることをやらなければ。
勝手にそんなものを飲ませて、後から非難されようと命が最優先だ。)
蓮司は立ち上がり、自室へと急いだ。
________
「青藍様、青藍様。少し起き上がることはできますか?」
すっかり眠り込んでしまった青藍の肩をそっと叩いた。
その身体は生きているのか、死んでいるのか分からないぐらい冷たくて、思わず血の気が下がる。
しかし、青藍の肩がピクリと動いた。
「ええ、ええ大丈夫です。蓮司さん」
何とか蓮司に背中を支えられながら起き上がった。
「意識はハッキリしていますか?」
青藍は青白い顔をしているのに、ニコリとほほ笑んだ。
「この通り、意識はきちんとありますよ。蓮司さんのこともちゃんと分かってます」
蓮司は少しほっとして、安堵の溜息をついた。
「青藍様、少しご提案をしても?」
「……ええ、なんでしょう」
蓮司は青藍の目の前に、紙で包まれた薬を出した。
「………これは?」
「これがあれば、多少今の症状も落ち着くと思うのですが………これは私が調合した薬で」
青藍は目をまん丸くさせた。
「蓮司さんは薬まで………流石ですね。あ、ああそういうことですか。王宮の管理下ではない薬を使って良いか、ということですね」
「ええ、巡察でよく使う薬ではあるのですが」
青藍はふふふ、と笑った。
「そんな心配なさらなくて大丈夫ですよ、蓮司さん。私はこう見えて、軽く人を信用しないのです。それでも蓮司さんのことは信じています。蓮司さんが今の私にそれが必要なのだとお思いならば、私は受け入れます」
そう言う青藍は、あまりにも白く細く、今にも透明になって消えてしまいそうだった。
消えさせてはならない、どうしても引き止めなければならない。
蓮司の頭はそれでいっぱいだった。
薬をすぐに用意し、念のためひと匙口にした。
本来ならば王子の口に入るものはもっと慎重にすべきだが、緊急事態故に、そんなことをしている暇はない。
「……よし、問題はない」
「青藍様、こちらが例の薬になります」
匙に乗せて、青藍の手に渡した。
「かなり苦いですが、ご辛抱ください」
青藍はおかしそうに笑った。
「蓮司さんったら……私は子どもではありませんよ」
そう言って、怯える様子もなく飲んで見せた。
「ああ、確かにかなり苦……い…」
____カタカタカタカタカタカタカ
匙を持つ青藍の手が急に不気味なぐらい震え出した。
蓮司はすぐに異変に気付いた。
「……………ッ!!!?青藍様っ!!!!」
「れ、蓮……じさん、何だ、か………身体が」
_______ガシャンッ!!!!!!
匙が床に勢いよく叩きつけられると同時に、青藍の口から大量の血が吐き出された。
「青藍様ッ!!!!青藍様!!」
蓮司はすぐさま部屋の外に出ようとした。けれど、あまりの衝撃にまるで雲の上を歩いているかのように足取りがままならない。
(どうして!?何が起こったんだ?)
ふらつきながらも足に力を込めて何とか殿の外まで出た。
「誰か……誰かいませんか!!!今すぐ医官と………あるだけの解毒剤を!!!」
辺りには意外と人がいて、皆が訝しげにこちらを見ている。
「おい、誰だあの男は」
「なぜ青藍様の殿から出てきたんだ?」
「王宮の者ではないな。なっ………!?血が付いているではないか!!おい!武官を呼んでこい!!刺客だ!!!」
もう辺りは大騒ぎだ。官吏は怪しい者だと騒ぎ立て、女官は悲鳴を上げ逃げ去るため、更に野次馬で人が集まってくる。
そりゃそうだ。
ずっと立ち入り禁止だった青藍の殿から急に人が出てきたかと思えば、その人は王宮内の人間ではなく、それに服や手には血が付いているのだから。
「違う……!違うんだ!!青藍様が危篤なんです!!お願いします!!」
もうありのままを伝えるしかない。
蓮司が出せる声全て出して、やっと皆の元に伝わった。
「何だって?青藍様が?」
「いや、信じるな。そもそも誰なんだあいつは?」
「おい!早く取り押さえろ!!」
もう何を言っても無駄だった。
王宮内のどこに薬があるかはまだ覚えている。
ならばこのまま突破しようか?
いや、もう既に蓮司の前には多くの官吏が立ちはだかり、武官も呼ばれてしまった。
すぐに取り押さえられてしまうだろう。
(……………ならば)
蓮司は振り返り、青藍の元へと走っていった。




