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紫苑に露  作者: 花信風描
第六章 暗雲
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第六十七話

「清様」


黒蛇が去った後の清氏の自室はやけに静まり返っていた。


「どうした?」

清氏は用意された茶を飲みながら、「何かあったのか?」と言わんばかりの落ち着きぶりだ。


「黒蛇様は本当にやり遂げられるのでしょうか」


ハハッと清氏は乾いた声で笑った。


「なんだ、不安なのか?其方は意外にも心配性なのだな」


「………いえ、ただ疑問に思ったまでです。あのような状態では、青藍様ではなくあの医者に毒を飲ませかねないかと」


清氏はふむ、とわざと考えるふりをした。けれど、付き合いの長い伴氏は、清氏が本当に考え込んでいるわけではないことを分かっている。


「問題ない。黒蛇様も言っていたではないか。『兄上のためならなんでもする』と。あの執着ぶりは尋常ではない。自分の起こす事の重大さにも気付かず、必ずやり遂げるだろう」


「ならばよいのですが」





「_____其方」


いつのまにか変わった声色に、伴氏は全身から血の気が引く感覚がした。


「先程、目を瞑っていたな?」


バレていたか。伴氏は弁明することなく頷いた。

「まあ、別に良い。良いのだがな」


清氏は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。

側に立っている伴氏の肩にそっと触れたかと思えば、ガシリと強く掴んだ。

「ッ……!!」

思わず声を出しそうになるのを抑えて、歯を食いしばり耐えた。


「……まさか怖気付いたわけではあるまいな?“これ”はまだ序の口。我々が実行しようとしていることを考えれば、黒蛇様を辱めるなど容易いこと」


「…………承知おります」


「其方に選択肢でも与えようか?今ならまだ間に合う」

肩を掴む力は更に強くなる。どこにそんな力があるのだろうか?


「…………いえ」


伴氏は清氏のその手を掴んだ。


「私はあの時決めたのです。貴方様に一生着いて行くと……それがどんな道だったとしても」


「そうか」

清氏はもうすぐで骨を折りそうになっていた伴氏の肩をパッと離した。伴氏の懸命な思いに対して、清氏の返しはあまりにも軽すぎた。




「ならば堂々としておれ、我々は“正しいこと”をするだけなのだから」




_____________





「おのれ……蓮司め。すぐに排除してやるからなぁ…」


闇が深くなり、全てが眠る夜。

一人の屍人は青藍殿の塀の側で不気味な笑みを浮かべている。


「やっと排除できる……これで兄上は再び私の人になる」




『_____良いですか?黒蛇様。蓮司が王宮にいることを知っているのは王様と青藍様のみです。そのため、蓮司は外へ一歩も出ることを許されず、青藍様の元へいるか、与えられた自室にいるかのどちらしかありません』


『それゆえ、選択肢はありません。青藍様が眠る前、蓮司が様子を見に行く時間。そのわずかな時間しか、夜の闇に紛れて毒を仕込める時間はありません』


蓮司が最後に青藍の元を訪れるのは、亥の刻を少し過ぎた頃。たった四半刻で、蓮司が僅かに持参したであろう薬を特定し、毒を混ぜ、何事もなかったかのように撤収しなければならない。


例えばそれが伴氏なら、四半刻もあれば朝飯前であろう。

けれど一応は王家という身分で、姿を隠すなどしたことのない黒蛇にとっては、手汗が滴るほど息の詰まる思いだった。


当然、青藍の殿の門や自室の扉には警護がいて正面突破するわけにはいかず、黒蛇は生まれて初めて塀を登ることとなった。


案の定、着地に失敗した黒蛇は地面の砂に転がった。

平常の黒蛇であれば自身の衣が砂まみれになったら居ても立っても居られなくなり、すぐに湯浴みに向かうだろう。

けれど、今の意気揚々とした黒蛇には、そんなことちっとも響かなかった。


「どこだ……!どこだ蓮司は………!!今すぐ捻り潰してやる」


まるで本当の蛇になったかのように、黒蛇はぬるりと窓から青藍の殿に侵入した。

清氏から蓮司はずっと青藍の殿で過ごしているとは聞いていたものの、どこの部屋なのかまでは流石に分からず、黒蛇は辺りを警戒しながら探し回るしかなかった。

足音をなるべく立てず摺り足なのに、一匹の毒蛇のその足取りは揚々としている。


(………ここか!!?)


(違う!!)


どれだけ扉を開けても、中は空っぽだ。

整頓はされているものの、空っぽの部屋はどこか不気味だった。

やはり病弱だからかだろうか。殿の中には多くの部屋があるというのに、自室以外は使っていないのかもしれない。


(………あそこは?)

奥深くに隠された一つの扉。

けれど、中を開けなくても分かる。あれは物置だ。


いや、待てよ?黒蛇にある考えが浮かんだ。

蓮司は罪人なのだから、そもそも“部屋”を与えられる訳がないのでは?それに、外に光が漏れたら一大事。気配を消すことのできる場所に置くのが適切ではないか?


(あそこだ!!!)

そう考える前に黒蛇はその物置の扉に手を掛けた。

まだ正解かも分からないのに、その手は狂気のあまり震えている。


勢いよく開けてしまいたい衝動を抑えて、音を立てないようにゆっくり開けると、大正解だった。


その場所は本当にちょっとした物置で、人が5人ぐらい入れればいいところだろうか。窓なんてものはないから、少しじめっとしている。

けれど、とても半年以上人が生活しているようには見えなかった。置いてあるのは蝋燭と布団のみで、それ以上でもそれ以下でもない。


(奴の荷はどこだ………!!)


手元が鮮明に見えないまま部屋の中を弄った。

今の黒蛇なら、全てを荒らしてしまいたいぐらいなのだが、それでは蓮司にバレてしまう。


『絶対に足跡を残すな』

これは清氏からの絶対の指示だ。


仕方なく慎重に探すと、ちょっとした荷袋を見つけた。随分と年季が入って今にも破れそうなその袋はまさしく蓮司の荷物だった。


「こんな物しか持てない分際で私の兄上に近づくとはな。吐き気がする」


中を見ても、大したものなど入っていなかった。

まあそうだ。蓮司のようなただの町医者が持っていて、王宮に無いなどあり得ないのだから、持ってくる必要などないだろう。


_____あった。


正直、冷静沈着に指示を出した清氏も本当に蓮司が薬を持参していたかなんて分かるはずもなく、ある種、賭けであった。

けれど、もしあるならばこんなにもやり易いことはない。蓮司が持ってきたものに毒が含まれていたとして、誰が蓮司以外を疑うだろうか?


黒蛇はそっと蓮司の荷から薬を取り出し、そして自らの懐に手を忍ばせた。

小包を取り出し、訝しげに見た。


「こんなものが本当に毒なのか?にわかに信じがたい」



____数日前。


『…………“これ”で青藍は誠に死んでしまうのか?』


『ハッハッハ!黒蛇様、何をおっしゃるのかと思えば……私が貴方様に青藍様を殺させる訳がないでしょう?それは王宮に常備してある薬ですぐ解毒できるものですし、致死量でもありません』


少し冷静を取り戻した黒蛇にある疑問が浮かんだ。

『しかしだ………なぜ青藍を巻き込む必要がある?蓮司に直接これを盛ればよいのでは?』


清氏は顔をキョトンとさせた。

『そうでしたか。いえ、私はてっきり貴方様は青藍様のことも少しばかり気に入らないのだとずっと思っていましたので………誤解をしていたようです。申し訳ございません』


黒蛇は清氏のその言葉を聞いた瞬間、息の詰まる思いをした。

勿論、図星だとは言えないものの、即座に否定はできず、清氏と黒蛇の間には微妙な沈黙が流れた。

青藍は実の甥ではあるものの、猛龍からの愛を一身に受けるその姿に、それを望む黒蛇が良い印象を持つはずもない。それに、譲位の話だって、黒蛇にとっては頭が割れてしまうほどの悲劇でしかないのだ。少しぐらい痛い目に合わせたって罰はくだらないはずだ、そんな気持ちが黒蛇を誘う。


『まあでも良いではないですか黒蛇様。蓮司を直接殺してしまえば、蓮司は被害者、つまり王様は少しばかり蓮司を憐れむでしょう。しかし、今回の策であれば蓮司は加害者。そうなれば、王様の心に二度と蓮司は現れません』


”それが貴方様の望みでしょう?”

清氏は決して言わなかったが、最後の言葉にはそんな意味が含まれていた。


『もし直接蓮司を手にかけたいというのであれば、今からでも策を変更しますが』


『い、いや!!問題ないッ!!た、確かにな!其方は誠に頭が切れるのだな!!この策でやらせてくれ!』




______「これが何にせよ、蓮司を排除できるなら何でもよい」

黒蛇は小包の口を開けた。中にはわずかな粉末のようなものが入っている。


「………これを薬に混ぜる、か」


ピタリと黒蛇の手が止まった。

彼とていくら小憎たらしいと思っていたとしても、実の甥に毒を盛るなど、やはり望むところではない。





”______王様の心に二度と蓮司は現れません ”



「……………そうだ、渡さない。絶対に渡さない。私の兄上なのだから」


そう心に決めた黒蛇の手にもう迷いなど無かった。

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